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2020年09月25日 (金) | Edit |
今の日本のトップにとって、最重要の中長期的課題は「これからの日本の繁栄の基盤をどうするか」だと思います。これはいわゆる「経済政策」よりも次元の高い一般論で、「この国をどうするか」という話よりは具体的な議論です。

しかし、最近の自民党総裁選では、この問題意識による議論は弱かった。新総理が打ち出している方針やメッセージでも、はっきりしていない。菅総理は規制改革のような、もっと実務的・個別的な問題の立て方が得意で、関心があるようです。

たしかに「繁栄の基盤をどうするか」というのは、非常に難しい、議論しにくい問題ではあります。だから踏み込みにくい。

でも、やはり考えなくてはいけないと思います。

この数十年の日本の繁栄の基盤は、「家電や自動車などの工業製品をつくり、輸出すること」でした。つまり「工業立国」ということです。

しかし、この基盤は近年かなり揺らいでいます。中国などの新興国が台頭して「工業立国」のお株を奪われ、IT化の進展で、日本のお家芸だった従来の工業が、産業の花形ではなくなってきたのです。

日本の「繁栄の基盤」については、これまで前提とされていたのは、従来からの「経済大国」路線を、時代にあわせて更新していくことでした。

つまり、最先端の技術や発想によるさまざまな産業を発展させて、世界との競争に勝ち抜く、というイメージです。

でも、それはもうむずかしくなってきている、とかなりの日本人は感じているのではないでしょうか。IT化でも、世界の最先端から遅れを取っているところがあるのですから。

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そこで、ほかの選択肢を考えるうえで、世界史上に参考になる事例があります。

それは、ベネチア共和国の歴史です。ベネチアは、その長い歴史のなかで、環境の変化に応じて繁栄の基盤を変えています。

ベネチア(ヴェネツィア)は、中世イタリアの有力な都市国家のひとつ。「共和国」というのは、国王ではなく、貴族によって選挙された元首が統治する国だったからです。この元首は、終身制ですが世襲ではありません。

ベネチアは最盛期には人口十数万(このほか周辺の植民地に150万人ほど)でしたが、そのうちの1000~2000人くらいの貴族(商人も兼ねている)の集団が支配する国でした。

その歴史は、西暦400年代から1700年代末までの長きにわたります。

ローマ帝国の衰退期にゲルマン人や遊牧民の攻撃から逃れた人びとがこの地に移り住んだのが、その歴史の始まりです。そして、1797年にナポレオン軍の力に屈してベネチアは独立を失い、共和国の歴史はおわりました。

最初は漁業と塩づくり以外には、何の産業もありませんでした。しかし、800~900年代から東方との貿易業で台頭していきます。東側にビザンツ帝国という、ローマ帝国の末裔の大国があり、そこで仕入れた品物を西欧の国ぐにに売ることを始めたのです。

そしてさらに、イスラムの商品や、さらに東方のインドや中国からの品物もあつかうようになり、ばく大な利益をあげました。その東方貿易のおもな商品は、香辛料と絹でした。また、西欧の毛織物や金属製品をビザンツやイスラムで売ることも、さかんに行いました。造船業、海運業も発展しました。

このような貿易業とその関連産業を繁栄の基盤として、ベネチアは1300~1400年代に絶頂をきわめました。

しかし1400年代末頃から、急激な環境変化が起こります。大航海時代がはじまって、西欧の国ぐにが直接アジアへ航海して、香辛料などのさまざまな商品を仕入れてくるようになったのです。その先鞭をつけたのはポルトガルで、1500年代後半になると、後発のオランダやイギリスが台頭してきました。

その結果、ベネチアの東方貿易のビジネスは大打撃を受け、衰退していきました。そして、ベネチアの国際社会でのプレゼンスは、明らかに低下したのです。

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そこでベネチアはどう対応したか。まず、毛織物や絹織物の製造に積極的に乗り出しました。

ベネチアは狭い都市で、大きな工場のための土地や工業用水の確保が難しかったので、もともと製造業はさかんではありませんでした。しかし、織物の製造という、当時を代表する産業に活路を見出そうとして、方針転換をはかったのです。

しかし、ベネチアの織物の製造は、あまり成功しませんでした。ベネチアの毛織物は、品質は高かったのですが高コストで、西欧の製品との競争に敗れ、生産は衰えていきました。ベネチアの製造業は、1600年代以降、絹織物、芸術性の高い工芸品、高級家具などのとくに高付価値のものに特化していきました。

また、経済が貿易主導から内需にシフトするということも起こりました。貿易業、海運、造船が衰退する一方で、食料品店、飲食業、その他のさまざまな小売業やサービス業が、1500年代後半から伸びていきました。

そして、ベネチアの港も、かつての国際商業の拠点から、周辺地域の物流を担うローカルな港に変化しました。しかし、船の出入りは活発で、かたちをかえて繁栄し続けたのです。

そして、1600年代以降の衰退期のベネチアは、「文化国家」として評価されるようになります。

多くの劇場がつくられて、オペラという新しい芸術が生まれる。みごとな趣向をこらした祝祭・イベントがさかんになる。出版や学芸もさらに活発に。ベネチアには多くの書店が軒を並べていました。新しい、凝ったデザインの建築も多くつくられた。イスラムから入ってきた飲料であるコーヒーを提供するカフェが、ヨーロッパで最初にオープンするといったこともありました。

そして、こうした文化の振興には、貴族などのリーダーの意思が働いていました。国際社会でのベネチアの地位が低下するなかで、文化的な発信を強化して、国の威信を復活させようとしたのです。ベネチアのリーダーは、かなりの場合、学問・芸術への関心も深く、そこにお金を投じることに積極的でした。

その結果、1700年代になると、ベネチアは「観光立国」化していきます。多くの人びとがさまざまな楽しみや文化を求めて、ヨーロッパ中からベネチアを訪れるようになったのです。

ほかの都市にはない独特の景観。さまざまなグルメ、演劇・音楽、イベントを楽しむことができる。みごとな工芸品やファッション。本屋や図書館も充実。さらにカジノや娼館のような「不道徳」な楽しみの場所でも、ベネチアは有名でした。

衰退期のベネチアは、高付加価値の一定の製造業、内需中心の経済、文化を基盤とするインバウンドの観光業などで成り立つようになりました。そして、国民の生活は高い水準を保ち続けたのです。

どうでしょうか。ベネチアのたどった道は、日本にとって参考になるのではないでしょうか。最近の日本は、かなりベネチア化しているように思えます。経済の内需主導、高付加価値といったことは、かなり言われています。また最近は、さまざまな日本文化や日本的サービスが海外の人びとから支持されるようになり、インバウンドの観光客が急激に増えました。

しかし、衰退期のベネチアのような文化力を、日本は保持できるのでしょうか?

残念ながらこのままでは難しいように、私は思います。

学校教育予算や研究費で、主要国に後れをとっているようでは、おぼつかないです。図書館の予算・運営はかなり厳しい状態になっています。大学にかんしては社会人文系の学部を減らして実学的な学部を拡充すべき、などという主張がかなり有力になったりしている。多くの文化人が「日本では欧米にくらべて芸術に対する公的支援が少ない」とぼやいている。

日本ではベネチアのように、文化が国の基盤になり得ること、つまり何らかのかたちで結構なお金になることが認識されていないのでしょう。

今の日本は、文化の扱いについて再編成が必要だと思います。しかし、もう手遅れかもしれません。高付加価値の産業も観光立国も、基盤は文化力なのに。

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このような視点で、より詳しくベネチアの歴史について述べた記事を、別ブログ「そういち総研」で立ち上げました。よろしければ、ぜひご一読ください。

こちら→ベネチアの歴史に学ぶ、ゆるやかで幸福な没落

(以上)
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2020年09月13日 (日) | Edit |
先日(9月12日)の日経新聞で、現代の都市化・都市への集中について論じた記事を読みました。(特集記事「パクスなき世界」第6回「新たな『都市像』を描けるか」)

そこでは、武漢という都市で発生した新型コロナウイルスがニューヨークなどの世界の大都市を襲ったことから「都市への集中による経済発展のモデルが揺らいでいる」「規模と効率を追求した都市の存在意義が問われている」などと論じられていました。

人類学者・長谷川真理子さんが関連のインタビューで、現代の都市化を「人類史上の異常な状態」と述べるのも引用していました。今の世界では総人口78億のうち40億が都市で暮らしているのだそうです。

このような「アンチ都市」の考え方から出てくる処方箋は、「大規模な都市を解体・分散すべき」というものです。

これを突き詰めれば、世界から大都市がなくなって、ムラや小都市などのこじんまりしたコミュニティが散在する世界というのが理想だということになる。

私は、こういう「アンチ都市」の言説をみかけると、かなり違和感をおぼえます。(ただし、日経新聞の記事じたいは、いろいろ考えさせる、参考にはなる記事です)

たしかに都市にはいろんな問題があります。人口の密集による感染症の蔓延というのは、その最たるもので、歴史上ずっと続いてきたことです。また「集中」ということでは、今の日本で東京ばかりにすべてが集中して地方都市が落ち込む傾向も、たしかに良くないと思います。

でも、だからといって「都市はそもそも異常なので、解体・分散すべきだ」みたいな方向には賛成できません。

私たちは、これまで築いてきた都市というもを、さらに大事に維持・改良していくしかないのではないか。高いレベルの経済や文化を維持しようとすれば、大規模で整備された都市というものは、社会にとって必要だと思います。都市を拠点とする専門家たちの活動が低下すれば、社会全体の生活や文化の水準は、きっと下がってしまう。

都市の維持・改良にあたって、これまでの常識を再検討することは、もちろん意義があると思います。

この記事の関連インタビューで建築家の隈研吾さん(新国立競技場の設計者)は「高層都市は時代遅れになった」と述べています。たしかに、もう巨大な超高層ビルが最先端の時代ではないのでしょう。

テレワークのようなITでできることをふまえて、働く場所を再設計することも必要。そうなると交通システムも変わってくる。

ただ、、最近よくいわれるような、「コロナ以後の動きとして、テレワーク化がすすんで都市(とくに東京)離れが起きる」という見方には私は疑問を持っています(ここでは立ち入りません)。テレワーク自体は必要だし、普及は良いことと思うのですが。

そして、環境への配慮は、さらに重要になる。地方都市の活性化も、とくに日本では重要な課題。

でも、こういう議論は「都市の存在意義を問う」ようなものではないです。都市化を「異常」とするものでもない。そうではなくて、都市を大切に考え、時代の課題にあわせて磨き上げていく取り組みです。

「都市への集中は異常だから、解体・分散すべき」というのは、現実の都市のさまざまな問題・課題を真正面から解決することをさまたげる思想なのではないかと思います。現実的な対処を放棄して「幻想」に逃げているところがあるように感じます。

このような「アンチ都市」への疑問をもとに、世界史上の都市の歴史について述べた記事を、私の別ブログ「そういち総研」でさきほどアップしました。ご一読いだだければ幸いです。

こちら→都市への集中・都市化は、はたして「異常」なのか?

(以上)
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2020年09月08日 (火) | Edit |
この間の週末、近所の駅前の近くにある、そんなに大きくはない書店に行って、1冊買って帰った。

書店を1時間あまりうろうろして、目についた本を20冊くらいは手にとってめくってみた。歴史、政治、SF、ビジネス、映画、料理など、ランダムに。いろんな刺激があって、アタマが動いて元気になる。私はときどき本屋をうろつかないと調子が落ちる。

昨日の夜も、少し早めに帰ってきたこともあり、この書店を30分くらいうろついた。このときは何も買わなかったが、また今度何か買うだろう。

私は、田舎のほうで暮らすことにもあこがれがあるが、その場合近所に本屋はないはずだ。それは私にとってやはりしんどい。本はネットで買えるけど、本屋を日常的にうろうろする贅沢ができなくなる。

近所にいろいろな本を手に取ることができる本屋さんがあることは、今や贅沢だと思う。

たしかに書店は少なくなってきた。20年余り前にはうちの近所の駅前には3軒の本屋さんがあった。それが今は1軒だけになってしまった。私が仕事で通うターミナル駅の周辺も、かつては大書店が3~4件あったが、この10年で半減した。

近所の最後の1軒がなくなってしまえば、私は本屋のない町に暮らすことになる。それはいやだ。

そう思って、近所で買える本はできるだけ近所で買っている。大書店でないと並んでない本だけをそういう本屋で買う。都会の大書店やネット書店でみかけたけど、近所の本屋でも並んでいた本は近所の本屋で買う。でもまあ、無力だとは思う。

この20年くらいのあいだに、いろいろな個人・中小の商店がなくなるのをみてきた。うちの家電の半分くらいを買った電気屋さんも、さまざまな用紙やペンなどを日常的に買っていた文具屋さんもなくなった。あるときはいつまでもあるように思っていたけど、なくなった。

なくなってみると、それでもなんとかなることはなるんだけど、やはり不便や物足りなさがある。あの本屋さんだけは、少なくとも当分はなくならないで欲しい。

でも私たちは結局いろいろネットで買ったりしているんだから、勝手なものだと思う。

(以上)
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