FC2ブログ
2020年12月31日 (木) | Edit |
12月は、ベートーヴェン(1770~1827)の「第九」が風物詩ですが、ベートーヴェンは12月(16日)の生まれでもあります。そして、今年はベートーヴェンの生誕250年でもありました。そこでいろんなところで取り上げられた。

私も別ブログ「そういち総研」で、ベートーヴェンに関する記事をアップしました。

そういち総研の記事→世界史の中のベートーヴェン

私には音楽的なことは扱いきれません。そこで、「世界史の大きな流れの中におけるベートーヴェン」という視点で述べています。

ベートーヴェンは、ヨーロッパが王侯貴族が支配する社会から市民(平民)が主役の社会へと移り変わる、そんな時代の変化を象徴する人物でした。

べートーヴェンが活躍したのは1800年代前半。ベートーヴェン以前の音楽家は、特定の貴族のお抱えとして生計を立てていました。貴族の注文に応じて、冠婚葬祭のようなイベントのために作曲・演奏するのです。

しかし、大成してからのベートーヴェンはちがいます。おもに劇場での演奏会や楽譜出版による収入で生活していました。演奏会の観客や楽譜のユーザーの多くは、市民の音楽愛好家です。貴族のお抱えではなく、不特定多数の市民による「投げ銭」で生きていたのです。

ベートーヴェンは、いわば「市民のお抱え音楽家」の先駆けでした。彼は「市民の時代」の幕開けを象徴する、トップランナーだったといえます……そんなことを書いています。

***

ところで、ベートーヴェンの誕生日については、「12月16日頃」みたいな、あいまいな書き方になっていることがあります。じつは彼の誕生日の記録はなく、17日に教会で洗礼を受けた記録があるので、16日か15日の生まれと推測されているのだそうです。

また、このベートーヴェンの記事の感想を、個人メールで送ってくださった友人がいました(感謝)。その人は自分のメールでは「ベートーベン」と書いていて、あとでそれについて「まちがいでした、正しくはベートーヴェンですね」などと訂正されていました。

たしかに今の表記では「ベートーヴェン」と書くことがほとんどのようです。でも、昔は「ベートーベン」は多かったような気がします。

そして、NHKの雑誌(『NHKウイークリーステラ』の今月出た最新号)をみると「ベートーベン」なんですね。

NHKの交響楽団は、終戦から間もない頃に「第九」を年末に演奏することを始めたパイオニアだそうです(NHKの「チコちゃん」で知りました)。

その昭和の当時はおそらく「ベートーベン」が一般的だったのではないかと思います。そういう背景があるので、NHKには当時からの表記を今も貫いているのかもしれません。私のあやしい推測ですが…だいたい、さっきNHK交響楽団のサイトをみたら「ベートーヴェン」でした。でも本体のテレビのNHKが関わるところでは「ベートーベン」。

要するに、こういう海外の固有名詞の表記には、多数派・少数派はあっても「正解」はないということ。

話がそれました。今回、記事を書くためにベートーヴェンの伝記などを数冊読んだのですが、ベートーヴェンの人生ってやはり波乱万丈で、読んでいて面白いですね。

人物的にも魅力を感じました。とくに今回、ベートーヴェン研究家の青木やよひさんの『ベートーヴェンの生涯』(平凡社ライブラリー)を読んでそう思ったのです。

青木さんは「苦悩に満ちた、孤高の天才」といった従来の通俗的なイメージではない、多くの人と交わり、その人たちに支えられ、自由人として情熱的に生きたベートーヴェン像を、詳しい研究に基づいて提示しています。

私は、偉人の伝記は人よりたくさん読んできたほうで、100人余りの偉人をそれぞれ短い文章で紹介した『四百文字の偉人伝』(ディスカヴァートゥエンティワン刊、電子書籍)という本も出版しています。ただ、このところ以前ほどは人物伝・偉人伝を読んでいなかったのです。

今回ベートーヴェンの伝記を読んで、また伝記を通じていろんな人物のことを知りたい・掘り下げてみたいと思いました。とくに、ベートーヴェンのように近代の社会・文化の形成に大きな影響をあたえた何人かについて、もっと読みたい、何か書いてみたいと思った次第です。これは来年の課題としましょう。

(以上)
関連記事
2020年12月29日 (火) | Edit |
コロナに関していろんな報道や発言や調査などを見聞きして、この1年、私が最も気になったのは「コロナへの対応に、日本社会の特徴が端的にあらわれている」ということでした。

その特徴とは、日本社会の「団体構造」といったらいいでしょうか。

これは「日本ではさまざまなレベルの組織や団体が幾層にも積み重なっていて、そのような中間的な組織・団体に権威や権限が分散している」ということ。

企業でたとえれば、トップの経営者に権限が集中するのではなく、事業部や各課や各営業所のようなさまざまなレベルの組織がトップのコントロールからかなり自由で、自分たちの組織の論理で独自に動いているところがある、ということ。

そういう各組織が、慣習や前例をベースに、必要なときにはお互いに調整・話し合いをすることで、日々の仕事は動いていく。トップダウンや明確な原則やルールよりも、各組織のあいだの「調整」でものごとが決まる傾向が強い。

たしかに日本の会社や役所では、何かにつけ「調整、調整」といってます。

こういう「団体構造」が、日本社会の全体としてみられるということです。

もちろん、さまざまなレベルの団体や組織が積み重なっている、というのは世界じゅうの国にあることですが、ここでいう、「調整」を重視する団体構造的な傾向が、日本はとくに強いのではないか。

これは私の思いつきではありません。歴史学者の一部には、こういう団体構造が、日本では国家成立以来の長い歴史のなかで形成されてきたと指摘する人がいます。

このような日本の特徴は、中国との対比で論じられることが多いです。中国は日本とは異質な「強い権力者のもとにバラバラの個々人が束ねられる」という構造の「専制(独裁)」型の社会だというのです。(例えば足立啓二『専制国家史論』ちくま学芸文庫)

また歴史学者だけでなく、現代中国ウォッチャーといえる専門家にも、似た見解を持つ人がいます。(益尾知佐子『中国の行動原理』中公新書)

日本社会の団体構造ということは、私は今年の2月下旬の別ブログ(そういち総研)の記事でも論じました。

当時の日本では、横浜に寄港した客船での集団感染が一大事で、コロナはまだ「対岸の火事」的なところがありました。そのときの日本政府の対応が、もろもろの調整に足をとられて、かなりもたついている感じがしたのです。これはじつに日本的だと。その日本的なあり方とは、「団体構造」だと論じたのです。

一方、同じ頃の中国では、当初はコロナの発生を、不都合な事柄として隠ぺいしようとしていたのに、それが無理だとわかると、指導者の号令で一斉に対策を徹底する方向に舵を切ったのでした。これはいかにも専制(独裁)国家的でした。

何事も「調整、調整」の団体構造。このことは、その後の日本社会のコロナへの対応のあり方を規定し続けたと思います。

たとえば、PCR検査。日本ではPCR検査が欧米やほかの東アジア諸国(中国・韓国)と比べて大幅に少ないので、もっと行うべきではないかという話が、春頃からずっとあります。

私も、日本のPCR検査は(そこにマイナスの側面や検査としての限界があるとしても)今よりはもっと増やしたほうがいいと思うのですが、その是非にはここでは立ち入りません。

ただ、PCR検査については緊急事態宣言下の安倍総理にしても、大幅に増やしていくのだという方針を示しています。そして、政府の直轄下以外の、大学やその他民間の検査能力も動員すれば、日本には相当な余力がある、ということもずいぶん言われました。

しかし、あれから何か月か経ち、たしかに春頃や緊急事態宣言下の頃よりも大幅に検査は増えたものの、欧米や東アジアとの格差は依然として大きいです。

そこには日本の「団体構造」が関わっているように、私には思えてなりません。

つまり、長期政権の、相当な権勢を誇った総理大臣が号令を出しても、実務を担う組織が動かないのです。

実務を担う組織のなかには、「PCR検査をやたらと増やすべきではない」という考えを持つ、その組織レベルの権威者たちがいて、頑張っているわけです。この人たちには、総理大臣がどう言おうとも守りたい、自分たちの論理がある。

そして、トップとしても現場に深く手を突っ込んで大きく動かそうという、強い信念を持っていない。信念の根拠となる情報も不足している。法的な根拠が不明確なところもあるかもしれない。

これは、平時において、「各レベルの組織で、調整しながらよろしくやってくれればいい」という運営をずっと行っきたせいです。トップが強権の発動に不慣れで、能力が不足しているのです。これは、団体構造の社会におけるトップに特徴的なこと。

だから、「そんな、ろくに何もわかっていない総理大臣の指図は受けない」という、組織のボスの意思が大きな力を持ち続ける。そこで、劇的な方針転換(欧米並みにPCR検査を行う)ということにはならなかった。

これはまさに、権威や権限が各レベルの組織に分散している「団体構造」的な現象だと思うのです。

以上は、あまり情報もないままに、私が推測した、仮説的な見立てに過ぎません。でも、特定の省庁の部署や研究機関の人たちを取り上げて、PCR検査の拡充にその人たちが抵抗している、と述べるジャーナリストや専門家もいる。ただし、深い取材がいくつも積み重なって、一般に共有されているという感じでもない。ジャーナリストは、どうもこのあたりには十分に切り込めていない。

冬に入ってとくに危機感が持たれるようになった、コロナによる医療崩壊のことも、日本の団体構造がかかわっていると、私は思います。

日本のコロナの感染状況は、欧米にくらべれば「一桁(かそれ以上)少ない」といえる状況なのに、コロナを診ている医療現場では「切迫している」という声が強くあがっている。これに対し「日本の医療のリソースは、そこまで限られていないのでは?」という疑問も出ている。

この点については、私は「日本では、コロナに対応するための、人材や病床などのリソースを柔軟に・機動的に活用するための、国家レベルの司令塔が十分に機能していない」という問題があると思います。もっと具体的なことはともかく、基本的には要するにそういうことだと。

また、政府や知事には、医療のリソースを大きく動かすだけの法的な権限が不足しています。なのに、その問題に対処するための、法改正もしてこなかった。

こうしたことを言っている専門家はいるわけで、それに基本的には賛成だということです。

もちろん、「司令塔」はある程度は機能しているにちがいありません。でも不十分なのだということです。そこを埋めるために、各医療機関などの個々の組織やそれを束ねる団体レベルでの、自主的な調整や努力もなされてきました。でも、それだけは限界があるのは当然です。

2週間ほど前、ある医療の専門家はテレビ(BS)で「コロナ受け入れ態勢についての、人材の配置などの調整は、政府や知事にはとてもできないのではないか」と述べていました。

そして「そういう調整は、地域の実態にあわせて、ほんとうにその調整の力のある者でないと無理だろう。たとえばある地域では有力病院のボスがその地域のドクターの配置を動かす力を持っている」という主旨のことを述べていました。その場にいるドクター出身の国会議員も賛同する様子でした。

「政府や知事には、医療資源の配置の調整は無理」などというのは、テレビ的にはかなり乱暴な見解です。「政府や知事が何とかすべきだ」というのは、世論の前提でしょうから。でもこの発言は、いかにも「団体構造」の日本社会らしいあり方を、本音で語っていると思いました。

今の「医療崩壊の危機」に対処する、政府中枢の立ち位置やあり方は、PCR検査を劇的に増やそうとしたときと同じです。

つまり、なんとかしなければと思って号令をかけようとするのだけど、現場や組織が動かない。そもそも、何をどう動かしたら良いのか、わからない。

今回の「医療崩壊の危機」に関しては、何がボトルネックになっていて、どこにどういう働きかけや指示をすべきかが、PCR検査のとき以上にややこしいと思われます。関係者が、国公立の大病院のほか、欧米よりも数が多いとされる何千もの民間の病院、そして町の診療所など、多様な日本の医療機関の全体なのですから。だからなおさら政府中枢は、この件に関し、積極的な発信や指示がおいそれとはできないのではないでしょうか。

政府のスタッフや、世の中の専門家のなかには、事態を適切に理解して対処しうる人材がいるのかもしれません。でも、その人が今の政府中枢に見いだされることも、まだないようです。

以上のように、コロナへの政府の対処について、日本社会の団体構造という、ずいぶんと包括的な(大上段な)次元からその特徴を論じるというのは、私は見聞きしたことがありません。論じられるのは、もっと具体的な話です。それらのより具体的な話を関連付け、解きほぐすための見方として「団体構造」というのは、有効だと思っています。

抽象論のように思うかもしれませんが、まずは「何が起きているか」の、大まかな構図をつかむことは、問題解決には必要です。私には具体的な処方箋など、とてもわかりません。でも、世の中の人間のひとりとして「何が起きているか」を、ある程度理屈をもって系統的に理解したいという気持ちがあるです。

(以上)
関連記事
2020年12月09日 (水) | Edit |
「そういちカレンダー2021」発売中!

歴史や偉人などに関する記事がぎっしり詰まった、雑誌感覚の「読むカレンダー」をつくって販売しています(下の画像)。トイレの壁とか、家族や仲間が立ち止まって読むようなところに貼ってください。周りの人との共通の話題や、「話のネタ」「考えるきっかけ」を得られるはずです。

2014年版から制作していて、今回で8年目。このカレンダーづくりは、私にとって「1年のまとめ」のような活動です。

イラストも含めた原稿作成、編集レイアウト、さらに印刷まで自分でやっています。結構エネルギーを費やしております。

こういう、時間や手間のかかる「遊び」ができるのは、いろんな環境に恵まれているからこそ。今年もこのカレンダーを制作できたことに感謝。

購入については、画像(1月、7月のページ)の下に。

今年からメルカリでの販売も始めました。詳細は画像の下に。
メルカリ・そういちカレンダーの出品ページ
こちらをご利用になれば、匿名でお買い求めできます。前年までは私そういちにお届け先などを知らせていただくしかありませんでしたが、そうでなくでもお求めできる手段も用意しました。ただし、そういちに直接連絡いただく場合よりも、価格が100円増し(1100円)になります。

2021年1月

2021年7月

【このカレンダーのコンテンツ】
①四百文字の偉人伝 古今東西の偉人を400文字程度で紹介
②名言 世界の見方が広がる・深まる言葉を集めました。
③コラム 発想法・社会批評・世界史等々
④知識 統計数値・歴史の年号・基本用語などを短く紹介
⑤各月の日付の欄に偉人の誕生日

【カレンダー仕様】 B5サイズ,全14ページ
ダブルループ製本、極厚口の上質紙(アイボリー)

【価格】1冊1000円(送料込み)
メルカリからお買い求めの場合、1100円 
10冊以上ご注文の場合、2割引きの1冊800円

【購入方法①】そういちへの直接注文
下記のメールアドレスまで「①お名前②お届け先住所③カレンダー〇冊」の3点を書いたメールをお送りください。

カレンダーの発行者である「そういち」のメールアドレスです。

メール送り先:so.akitaあっとgmail.com  「あっと」は@に変換

支払は、商品到着後。ご注文があってから数日ほどで商品を郵送にてお届けします。商品とともに代金振り込み先(郵便振替または楽天銀行の口座)のご案内をお送りします。

【購入方法②】メルカリでの購入 今年から導入
メルカリ・そういちカレンダーの出品ページ
←こちらをクリックしてメルカリの手順で購入

上記のクリック先の品が販売済みになっている場合も、ほかに在庫はありますので、画面の下のほうの「同じ出品者のほかの出品」をクリックしてください。こちらの場合は、価格は1100円(送料込み)。

(以上)
関連記事