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2021年01月14日 (木) | Edit |
新型コロナの被害は、先進国のあいだでも大きくちがいます。先進国と発展途上国のあいだのちがいなら、わかるのです。医療や衛生の状況が大きくちがうのですから。

しかし、いずれも医療や衛生が(国によって多少のちがいはあるにせよ)一定のレベルに達している先進国のなかで、どうしてあれだけ差が出てくるのか?

下の表は、2021年1月初め(1月8日)時点での世界の主要国(人口数千万以上のおもな先進国)の、人口100万あたりの新型コロナによる死者数です(中国は先進国とはいえないですが、参考としてあげています。データは札幌医科大学のサイトより)。

 主要国のコロナ死者 縮小

これらの主要国のあいだでは、被害状況に相当な差があり、被害の程度で3つのグループに分けることができるでしょう。①とくに被害が深刻な第1グループ(イタリア、イギリス、アメリカ、フランス)、②それに次ぐ第2グループ(カナダ、ドイツ)、③比較的被害が少ない第3グループ(オーストラリア、日本、韓国)。

第1グループは濃い網掛け、第2グループは薄い網掛け、第3グループは網かけなしで示しています。

これらの国ぐにでの被害状況の差は、なぜなのか? 政府の対応策の違いは、もちろんあるでしょう。しかし、その前提となる社会の基本的な特徴も大きく影響しているのではないか。

そして、社会の基本的な特徴を反映する社会統計をいろいろ調べて、コロナの被害状況との相関がみられないか確かめることにしました。

そこでまずみつけたのが、乳児死亡率です。乳児死亡率とは、「生存新生児(≒死なずに生まれた赤ちゃん)1000人のうち、満1歳未満で死亡する者の数」です(乳児死亡率のデータは『世界国勢図会』より)。

コロナ死者と乳幼児死亡率 - 縮小

どうでしょうか。2018年のアメリカの乳児死亡率は「5.6」で、この表のなかで最も低い日本の「1.8」よりもはるかに高いです。イギリスやフランスも、日本よりもかなり高い。コロナの人口あたり死者数がとくに多い「第1グループ」4か国のうち3か国が、この表では乳児死亡率の高さで上位となっています。

これは、乳児死亡率の高さの背後にある、社会のなんらかのあり方・要素が、これらの欧米諸国でのコロナの被害拡大に関わっていることを示しているのではないか。そんなふうに私は考えます。

そういう問題意識・テーマの記事を、別ブログそう「そういち総研」にアップしましたので、ぜひご覧ください。

こちら→主要国比較 乳児死亡率・犯罪発生率とコロナの被害


乳児死亡率の高さの背後にある社会のあり方とは、どんなことなのか? また乳児死亡率のほか、人口あたりの殺人や自動車盗難の件数といった犯罪発生率も、とりあげています。犯罪発生率も、コロナの被害状況と一定の相関があるように思われます。

***

あたりまえのことなのでしょうが、統計をとおして社会を考えるのは、大事なことです。一般常識でだいたいわかっていることであっても、統計の裏付けがあると、社会をみる解像度がぐっとあがってくる。

さらに、統計のなかに「おや?」と思うような、ばくぜんとした常識的感覚からは外れるような数値があれば、そこは掘り下げる価値があります。

今回のテーマに関してだと、アメリカ、イギリス、フランスといった、欧米の先進国でコロナが非常に蔓延してしまったことは、少なくとも当初は「おや?」という感じでした(最近は慣れっこ)。最初にこの病気が広がった中国では、かなりおさえ込んだのに。

そして、アメリカの乳児死亡率の高さも、私は以前にぼんやりとは見聞きしていたものの、あらためて統計を確認すると「おや」と思います。

文明の先端をいく超大国で、どうして? 

そして、アメリカでのコロナ蔓延と乳児死亡率の高さは、なんらかの関連があるのでは、というわけです。どちらも、アメリカ社会の一定の特質を反映してそうなっているのではないか。

私のような者が、統計をもちだしてマスコミに登場する専門家もあまり述べていないようなことをコロナ関連で述べても、「信用できない」と思われてしまうかもしれません。

でも、こういう基本的な統計の扱いは、すごく特別な専門性が要るようなものでもないと、私は思っています。それなりの問題意識や一定の慎重さがあれば、何とかなると。厳格に考えを立証することはできなくても、一定の問題提起や考えるための視点の提示はできる。まあ、ぜひ「そういち総研」の記事を、ちらっとでも覗いてみてください。

(以上)
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2021年01月07日 (木) | Edit |
今日の夕方、緊急事態宣言についての菅総理の記者会見を、生放送でみました。

私が抱いた感想は、ネット上で多くみられるものとかなり重なっていて、特別なものではありません。

棒読みで、滑舌も良くない。誠意や気迫は伝わってこない。これまでの政府の対応については、不都合なことに触れないで自己弁護が目立つ。

記者の質問にまともに答えないではぐらかすことも多かった。人を見下しているのか緊張しているのか、少し笑みが浮かぶ場面も。再質問を認めないのは残念。やたらと尾身さんに振ってしまうのも残念……まあ、色々あります。

生放送をみると、あとで編集したニュースでは伝わらない様子がわかります。

ニュースは、記者がわかりやすく内容をまとめてくれているので、実際のあの会見よりも総理が端的に内容のあることを言っているような感じになるのです。しかし実際には、用意した答弁から離れるとのらりくらりとあいまいで、責任を負いたくない感じがにじみ出る答弁をしているのが、生放送ではわかります。

私は心配になってきました。コロナ対策のことはもちろんですが、さらに中長期的な日本の政治の行く末も。

こんな調子では、日本の既存の政治家たちへの信頼が、ほんとうに失われてしまう。

自民党の有力政治家のあいだの談合で選ばれた、「実務派」という触れ込みの総理大臣。それが、こんなレベルだったのかという失望。

その失望が、既存の政治家全般への失望へと深まっていくのではないか。菅さんや二階さんのような自民党の有力者への失望にとどまらず、野党も含めた日本の既存の政治家全般への失望ということです。前の安倍政権への支持の背景には、野党への失望ということもおおいにあったのですから、自民党がダメだからといって野党が期待されるわけでもないはずです。

以前から「政治への失望」ということは言われていますが、それがある臨界点を超えていくことにならないだろうか。

そうなると、既存の政治の枠組みとは無縁な、アウトサイダー的な政治家が「革命児」として台頭する余地が大きくなります。あるいは、既存の政治家のなかでも、強い野心がある人物が革命児として支持を集めるかもしれない。

それでいいじゃないかと思う人もいるでしょう。でも、私はそれは今の世界においては危険なことだと思っています。

この会見をみながら、私には今日のもうひとつの大ニュースである、アメリカでのトランプ支持者による国会議事堂への乱入のことが思い出されてなりませんました。

トランプ現象は、アメリカ政治におけるエスタブリッシュメントといわれる人たちへの失望が広まった結果です。

キャリアのある、既存の政治家への期待が失われて、そこからトランプという、政治経験のない異端児が頭角をあらわす余地が生まれた。

エスタブリッシュメントの政治家たちは、自分たちが多くの国民から信頼を失っていたことに気が付かず、当初はトランプを舐めていた。しかし、結局あんなことになって(この4年間のいろいろなこと)、今日はこんなひどいことになっている。

アウトサイダー的な革命児が政治の実権を握ると、民主主義や政治制度の大事な部分が、深刻なダメージを受ける恐れがあるのです。革命児は既存の枠組みを壊そうとして、かなりの大衆もそれを支持する。

その壊す対象には、たとえば司法の独立、選挙や報道への信頼といった、民主的な社会にとって根幹となるものも多く含まれている。正義の名のもとに、それらへの攻撃は行われる。

そのことを、トランプ政権の4年間は示しています。発展途上国や新興国ではなく、ヒトラーのような歴史上の究極のケースを持ち出すまでもなく、現代のアメリカという民主主義の最先進国でそういうことが起り得る、という点が重要です。

アメリカで起こったことは、かたちを変えてでしょうが、日本でも起こり得るんじゃないか。そんなことを今日の総理の会見をみながら思ったのでした。

(以上)
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2021年01月07日 (木) | Edit |
新型コロナウイルスの感染症というのは、「社会的動物」であるヒトの急所を突く病気です。その点でつくづく厄介なものだと、近頃思うようになりました。

「社会的動物」というのは、群れ集まって暮らし、互いにさまざまな交流や物資の交換をしながら生きているということです。

社会的動物とは、もともとは古代ギリシアの哲学者アリストテレスによる言葉です。アリストテレスは「人間はポリス(古代ギリシアの都市国家)的動物だ」と述べました。

他者との交流が活発な個人や集団は、ヒトという種のなかでは優位に立ちます。人づきあいが活発で上手な人は、社会的に成功する傾向がありますし、繁栄する都市や国家は、とくに多くの人やモノが出入りしている。

進化や歴史の積み重ねの結果、今の私たちのなかには「人と交流したい」という欲求が深く組み込まれているのでしょう。

それがどの程度まで遺伝子レベルによるもので、どの程度まで文化的な影響によるものなのかは別にして、とにかく私たちは人と交流せずにはいられない。少なくともそういう欲求を強く持つ人が、社会の主流をなしています。

そして、「交流」の核にあるのが、飲食をともにすることです。なかでも酒を飲む交流(パーティー・飲み会)は、昔から人間関係を深めるうえで特別なものでした。

ところが今度のコロナの病気は、飲食をともにして語り合うこと、なかでも飲み会がとくに感染リスクが高いというのです。もちろん飲食だけが問題なのではなく、人の交流・接触全般に一定のリスクがあるわけで、そのなかで飲み会がとくに危ないものの代表格だということです。

これはまさに「社会的動物」の急所を突く病気だなあと思います。

だから、感染防止の対応がむずかしく、衛生や医療の発達した先進国でも蔓延してしまうのです。

そう考えると、日本の国会議員たちが飲食の会合をなかなかやめられず、「4人までならいいでしょう」とか言っているのもわかる気がします。

国会議員は、社会的動物である人間らしさの頂点に立っている人たちです。つまり、さまざまな方面での交流や会合をふつうの人の何百倍、何千倍も職業的に行っています。交流がきわめて得意で、それに適合している人たち。だから、社会的動物としての欲求もとくに強いはずです。

そういう人たちに、「情報交換が目的なら、飲食抜きでミーティングをすればいい」といっても、空疎な建前にしか感じられないでしょう。社会的動物を極めた人たちにとって、飲食を伴わない会合は、ビール好きにとってのノンアルコールビールのように、まったくもの足りないはずです。

「政治家こそが率先垂範を」というのは正論なのですが、政治家こそが「飲食をともなう会合」をやめることが本来的にむずかしい存在だというわけです。

もちろん、その「むずかしい」ところを、危機意識にもとづいて自制することが、今求められています。しかし、今現在の様子をみるかぎり、日本の国会議員の有力な人たちのなかに、自制心がそこまでは強くない人がかなりいるということです。

ただし、これは政治家だけにあてはまることではないでしょう。私たちと国会議員のちがいは、程度の問題だと思います。同じ社会的動物どうしですから。

パーティーや飲み会の徹底した規制というのは本当にむずかしい。よほどの強い権力や人びとの危機意識がないかぎり、それを皆無にすることはできない。くり返しになりますが、飲み会は社会的動物としての強い欲求に基づくものだから。

こうして考えると、新型コロナウイルスというものは、ヒトを宿主とするウイルスの生存戦略としてはじつによく出来ていると思います(誰かがつくったわけではないにしても)。性行為がおもな感染ルートであるエイズのHIVウイルスなどよりも、はるかに感染防止がむずかしい。

エイズに関する啓蒙では「HIVウイルスは一緒に働いたり、一緒に普通に生活したり、感染者をケアしたりすることではうつらない」ということが強調されます。

さっき私がみたあるエイズ関連のパンフの画像では、みんなで食事をしているイラストがあって、「こういうことではうつらない」と説明していました。エイズは恐ろしい病気ですが、感染を防ぐという点ではかなり対処しやすいのだと、今のコロナとの対比で思いました。エイズは、「社会的動物」の急所を外しているところがある。

感染症というのは元来、人間が集まって暮らし交流することをベースに広まるもので、ヒトが社会的動物であることと深く結びついています。そのなかでも今回のコロナほど「急所」をとらえているものはないのでは?

社会的動物の「急所」を突くという点で、これまではインフルエンザという王者がいたのですが、それを凌ぐものがあらわれた。

以上、なんの解決策も展望もここでは示せないのですが、新型コロナの性質について「なぜそれが厄介なのか」をあらためて考えてみました。

(以上)
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2021年01月04日 (月) | Edit |
この年末年始のテレビで一番印象に残っているのは、NHKで再放送されたドラマ「たけしくんハイ!」です。1985年に全15回で放送されたものを、年末年始の元旦を除く4日間に、まとめて放送していました。

ドラマの原作は、ビートたけしによる、自分の子ども時代をモチーフにしたエッセイ。舞台は1954年(昭和29)の東京・足立区。高度成長が始まりつつあった、まだ貧しかった頃の日本。

腕白な小学生のたけし少年(この子役がたけしによく似ている!)と家族を描いた人情ホームドラマなんですが、そこでは「勉強」あるいは「人びとの勉強意欲」ということが重要なテーマになっています。

家は貧乏。林隆三演じるたけしのお父さんは、字が読めません。ペンキ塗装の一人親方を細々とやっている。もとは漆塗り職人で頑張っていたのですが、今は職に恵まれない。暇さえあれば飲んでいる。

一方、たけし一家のほかの人たちは、優等生・インテリ系です。木の実ナナが演じる、しっかりもので明るいお母さんは、女学校を出ています。

女学校(高等女学校)卒というのは、当時のお母さんの世代では、女性としては今の大学卒のようなものです(なお、林隆三も木の実ナナも好演でした)。

そして、たけしの2人のお兄さんたち。上のお兄さんは、東大生。下のお兄さんも、優秀な進学校の高校を受験して、見事合格。

お父さんは、ペンキの仕事を受注するときの見積もり計算ができないので、上のお兄さんが現場に立ち会って、代わりに計算しています。2人のお兄さんはどちらも良くできた若者で、たけしのこともかわいがってくれます。

お父さんの母親であるおばあさんも同居し、近所の旦那さんたちに義太夫などの唄を教えたりしていて、なかなか文化人です。

たけし少年も、「勉強はきらい」といいながらも、落ちこぼれではない。ドラマの終盤では算数のテストで100点満点をとっています。たしかに、のちのたけしさんは明治大学工学部に入学しているのです。

以上のドラマの家族は、実際のたけしさんの一家とは異なるところがあります。たとえば、現実のたけしさんにはお姉さんや幼くして死んだお兄さんがいます。また、実際のたけし少年は、ドラマのような元気な腕白ではなく、部屋にこもって本を読むのが好きな、内向的なところのある子どもだったそうです。

以上のように、ドラマと現実のあいだに異なるところはあるのですが、核心的な部分は、事実に基づいているといえるでしょう。

経済的に恵まれない一家、元漆塗り職人でペンキ屋の、飲んでばかりのお父さん、大学に行った秀才のお兄さん、しっかり者の教育熱心なお母さん、家族にかわいがられて育った末っ子のたけし……こういう基本は事実なのです。

また、実際のおばあさんも、若い頃は「娘義太夫」という、今でいえばアイドルのような芸能の仕事をしていました。

そして、1985年当時の多くのスタッフにとって、ドラマの舞台である1950年代は自分たちもよく知っている過去なので、その時代背景も比較的正確に描かれているのでしょう。

つまり、このドラマのような一家や人びとは、当時いたわけです。

親が義務教育しか受けていなくても、子どもは大学に進むということは、ときどきあったことです。戦後の昭和の時代には、今とちがって子どもは親よりも高い学歴となることが一般的でした。

今の日本の大学進学率は50~60%ですが、1955年(昭和30)には8%でした。高校への進学率は、今は99%ですが、1955年には52%。

つまり、昭和の頃からの数十年で、学校教育はものすごく量的に拡大しました。多くの人が勉強や進学への強い意欲を持ち、国家や社会もそれに対応して学校を整備していったからです。

このような教育の量的拡大は、戦前からのものです。

1915年(大正4)には、今の高校に相当する中等教育(「旧制中学」「高等女学校」など)の就学率(≒進学率)は20%を少し切るくらいでした。その後、1930年(昭和5)には中等教育の就学率は36%になっています。

当時は、今とは大きく教育制度がちがいます。義務教育は小学校(尋常小学校)の6年間だけでした。そしてその延長線上に2年制の「高等小学校」というものがあり、ここまでは全体の6割が通いました。

高等小学校を卒業した子どもたちは、ほとんどの場合、家業を手伝ったり就職したりします。上の学校に進むことはまれでした。旧制中学や高等女学校などの中等教育機関は、それとは別コースで小学校のうえにあって、基本的には5年制でした。

そして、こういう中等教育を一応は「今の高校にあたる」といいましたが、全体の2割しか進まないのですから、当時としては相当な高学歴です。

そして、1915年の今の大学に相当する高等教育の就学率は1%ほどでした。ここで高等教育とは、当時の「旧制高校」「専門学校」「旧制大学」といった学校のことです。高等教育を受けた人は、高度のエリートでした。

日本人の多数派は、多少とも経済的な余裕があれば、無理をしてでも上の学校へ進もうとしました。

ドラマのたけし一家も、相当に努力や無理をしています。お母さんとおばあさんは、お父さんの稼ぎが少ないので、いっしょうけんめいに内職をして、息子の学費を稼ごうとしているようでした。

ドラマのお兄さんたちは、勉強部屋などない狭い家で、お父さんが酒に酔ってうるさくしていても、お茶の間の片隅の机でいつも勉強しています。ときには、あまりにお父さんがうるさいので、下のお兄さんはお母さんと一緒に外に出て、近所の街灯の下で勉強したりもした。

なぜそんなにいっしょうけんめい勉強するのかといえば、少しでも高い学歴を身につければ、良い仕事や収入を得ることが期待できたからです。今以上にその期待値は高かった。

ドラマのなかでたけし少年が近所のおもちゃ屋さんで、とても買ってもらえそうにない、ショーケースの高価な機関車の模型をじっともの欲しそうにみていると、お店の主人が「しっかり勉強して、いい学校出て会社に入って、いいお給料をもらうようになったら買えるから」ということを言っていました。

こういうことは、今の大人は言いません。たぶん、このドラマがつくられた昭和の末期くらいから言わなくなったのではないでしょうか(昭和の末期に高校生や大学生だった私の感覚です)。

このドラマは、教育の量的拡大がすすんで、「勉強の価値」が以前ほどいわれなくなった時代に、「昔はそうではなかった」という認識に基づいてつくられています。

昔は(たけし少年の時代には)、勉強することは、自分の人生をきりひらくために、少しでも良い暮らしをするために必須の、きわめて価値のあることだった。そのことは、大人にも子どもにも共通の了解事項だった。

今の子どもや知識の少ない若い人がこのドラマをみても、おそらくピンとこないでしょう。いろんな前提がのみこめないはずです。

文字が読めないお父さんなんているわけがない、「女学校」って何?、ああいう貧乏な家に東大生がいるなんておかしい、街灯の下でまで必死に勉強するお兄さんは異様、「勉強したら好きなものが買える」なんてくだらない説教……そんな違和感や疑問ばかりになりそう。そこで描かれているのは「三丁目の夕日」みたいに、今の人にとってのみこみやすく改変した昭和ではなく、1980年代に振り返った、それなりに本質を再現した昭和のあり方です。

そういうドラマをみて、1960年代の昭和生まれの私は、昭和的な精神を思い出しました。

ああ、勉強ってやっぱり人生をきりひらくうえで大事なんだよな、思いきり勉強ができるって幸せなことなんだよな、なのに今の子どもは何かにつけて「なんで勉強しなきゃいけないの?」とか言うんだよ、オレたちの子どものときよりもさかんに言うようになったけど、よろしくないなあ……そんな「月並」なことを結局思いました。

そして、今の時代なりに「勉強は人生をきりひらく」ということを、なんらかのかたちで大人は子どもに伝えないといけないんだろうな、とも思いました。どう伝えたらいいかは、今はわかりません。

(以上)
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2021年01月02日 (土) | Edit |
あけましておめでとうございます。今年の正月はコロナの影響で、初詣は自粛ムード。あるいは日程を分散させることが呼びかけられています。大晦日の鉄道の終夜運転も中止となりました。

また、近頃はテレビで「電車でお参りに行くのではなく、近所で済ませては?」と述べるのを何度か見聞きしました。さらにその背景的な知識として、「江戸時代には近所でのお参りが普通で、遠くまで初詣に行くことは、明治以降の鉄道の発達で普及した」のだと解説していることもあった。

私の本棚に、平山昇『鉄道が変えた寺社参詣』(交通新聞社新書、2012)という本があります。平山さんの研究は、テレビで述べていることの元ネタです。この記事も、平山さんの同書に基づいています。

まず、平山さんによれば結論として“「初詣」は鉄道の誕生と深く関わりながら明治中期に成立したもので、意外にも新しい行事”なのだそうです。(同書19ページ)

そもそも、今の私たちが行っている「初詣」とは何か。明確な定義があるわけではありませんが、「正月に神社仏閣に参拝すること」で、多くの場合遠出をして有名な神社やお寺に行く。そのためにおもに鉄道などの公共交通機関を使う。

しかし鉄道ができる前の江戸時代には、様子がちがいます。寺社への参拝はたいていは近隣で済ましていました。

そして「いつ」「どこに」お詣りするかについて、様々なルールがありました。「元旦には氏神様へ」とか「家からみてその年の恵方(えほう、神が存在する幸運をもたらす方角、5年周期で変わる)に当たる寺社へ」等々。このようなルールにしたがって参拝することによってご利益がアップするとされていました。

ところが今の初詣には、この手の縛りがないわけです。まず「いつ」に関してはばくぜんとしています。3が日の参拝が多いですが、おおむね1月中に行けばまあ「初詣」といえるようです。「どこに」については、どこの寺社に行っても構わない。

そのような、縛りの少ない今日型の初詣は、どのように成立したのか。

鉄道による寺社参拝の先駆となったのは、川崎大師です。

明治5年(1872)に日本初の鉄道が新橋~横浜間に開通しましたが、その途中駅の川崎停車場から数キロほどのところに川崎大師はありました。数キロというのは、当時の人には十分に徒歩圏です。

鉄道を使えば、有名なお寺に以前よりもはるかに容易にアクセスできるようになり、川崎大師にはおもに東京から多くの人が訪れるようになりました。とくに正月には多くの人で賑わった。

このような、鉄道を利用した正月の寺社への参拝は、鉄道網の発展とともに、各地へ広まっていきました。

ただし、鉄道による川崎大師の賑わいは、大師様の「縁日」(弘法大師の命日にちなむ)である21日がメインでした。また「東京からの恵方にあたる年かどうか」にも影響を受けました。「いつ」「どこに」の縛りは重要だったのです。

しかしやがて、それも変わっていきます。明治20年代には、1月21日の縁日(初縁日)ではなく、おもに3が日に参拝が集中し、東京からの恵方にあたるかどうかに関係なく、毎年多くの人が集まるようになっていました。

明治になって七曜制が採用されると、21日が日曜でないと多くの人は都合が悪くなり、一般にはお休みの3が日がお参りしやすくなったためです。また、5年に1回変わる恵方に皆がこだわると、東京からの恵方ではない年には参拝者が減ってしまいます。これは鉄道会社や寺社にとって不都合です。

そこで鉄道会社は、明治の当時から「新春の寺社への参詣は〇〇鉄道で」みたいな新聞広告をうっていたのですが、その広告で「恵方」ということをいわなくなっていきます。

東京からの恵方にその鉄道沿線の寺社が該当するときは「恵方詣り(えほうまいり)」ということをうたうのですが、恵方から外れる年には「恵方詣」という代わりに「初詣(はつまいり、はつもうで)」というようになります。

平山さんはこう述べています。“「初詣」は恵方詣にも初縁日参詣にも該当しない正月の参詣を指すために用いられはじめた、いわば「隙間言葉」であり、新聞でも大正前期までは正月の報道で毎年必ず使われるほどメジャーな言葉ではなかった”(116ページ)

それが、明治末以降には「恵方」などの「いつ」「どこに」の縛りを受けない便利な言葉として、鉄道会社がもともとはマイナーだった「初詣」を積極的に使うようになり、今につながる「初詣」のコンセプトが全国に普及していったのです。

平山さんは、さらにこうまとめています。

“初詣はもともと恵方だの初縁日だのといった細かいことにこだわらずにお詣りするという、きわめてアバウトな行事として成立し、そのアバウトさに利用価値を見出した鉄道会社のPRによって社会に定着していったものなのである”(130ページ)

そして、そんなインスタントに定着した「伝統」なのに、“あたかも「初詣の正しい伝統」などといったものが古来からあるかのように説明する語り方が定着している”ことに疑問を呈しています。また、そのような「初詣の伝統」の語り方は昭和に入って流布したものなのだそうです。(130ページ)

「古来からの伝統」のように言われているもののなかには、じつはかなり新しい、近代的要素が含まれていることがある。

このことは、たしかに知っておいていいと思います。初詣はその代表的事例のひとつなのでしょう。

「初詣は実は新しい伝統」ということは、最近はある程度普及してきた知識ですが、以前には明確ではなかったのです。それを、平山さんのような研究者が近年になって明らかにしていったのです。

***

ところで、「二年参り」のための大晦日の鉄道の終夜運転は、いつ始まったのか?

予想を立ててみてください
(選択肢)
ア.昭和初期(1920年代)
イ.第二次大戦後まもなく(昭和20年代、1950年頃)
エ.高度成長期(昭和30年代、1960~1965頃)
オ.もっと後(1970年代以降)

答えは下に




初詣のための終夜運転が初めて行われたのは、昭和4年(1929)の正月のこと。成田山初詣のための終夜運転を、今の京成電鉄が始めたのが初だそうです。

当時、京成は競合する国鉄と初詣の旅客を奪い合っていて、その競争のなかで国鉄が終電を遅くしたのに対抗して、終夜運転を始めたのでした。そして昭和10年頃までには多くの鉄道路線で「二年参り」のための終夜運転が定着していきました。(140~143ページ)

私は、このことを知るまでは、ばくぜんと「初詣のための終夜運転というのは、戦後(昭和20以降)のことではないか」と思っていましたが、戦前の昭和にすでにあったのですね。こちらは意外に長い歴史があったのだと。

それが今回の正月はコロナによって中止されたわけです。やはり今、たいへんなことが起きているのだと、あらためて感じます。

(以上)
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