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2013年05月18日 (土) | Edit |
アベノミクスの政策の目玉である「金融緩和」は,「マネタリズム」という経済学上の考え方を理論的なバックボーンにしています。 * 関連記事:5月11日「景気浮揚・何が効いている?」

それは,ざっくりいうと,こういうこと。

アベノミクスにおける「金融緩和」とは,社会に出回るマネーの量を増やすこと。これを強力に推し進めることで,「将来はインフレになる」という,人びとの予想に働きかける。すると,「今のうちに投資をしよう,買い物をしよう」と人びとが動きだして,経済が活性化するはずだ。

この「マネタリズム」の古典的なかたちが,「貨幣数量説」というものです。1700年代の哲学者ヒュームあたりからはじまって,その後も多くの経済学者に影響をあたえました。

貨幣数量説とは,「物価水準は,最終的には経済全体に流通するお金の量に比例する」というものです。お金の量が増えると,それだけ物価全般が上がっていくというのです。「お金の量」以外の条件が変わらないなら,ということですが。

この理屈は,常識的な,たしかなことのように思えます。

だから,マネタリズムの立場では「金融緩和を強く推し進めると,多くの人が貨幣数量説の原理に沿った発想で,インフレになると予想する」というのです。

こんなふうに説明する人もいます。「インフレとは,お金の価値が下がることだ。供給が増えればそのものの価値は下がるのだから,お金が増えれば,お金の価値も下がる。」

***

私は,このような考えを,疑わしいと思っています。でも,その意味するところは,一応はわかるつもりです。

貨幣数量説の説明は,こんなふうな「たとえ」でイメージできると考えます。「体育館と空気の流れのたとえ」とでもいいましょうか。

窓のない,体育館のようなガランとした建物がある。建物には,換気口があり,そこからポンプで大量の空気を送り込む。すると,どうなるか。建物内部の空気圧が上がるでしょう。
 
そして,貨幣数量説の考え方も,これと同じくらいあたりまえだというわけです。

「社会のお金の量が増えれば,物価全般が上がる」というのは,「閉じた空間に大量の空気を送りこめば,空気圧が上がる」というのと同じようなことだ,と。

貨幣数量説は,自明で確実な考えなのだ。だったら,これを経済の問題を考える基礎に据えよう。

そんなふうにかなりの経済学者が考えました。

もちろん,今述べたような「貨幣数量説」の説明が,きわめて単純化されたものであることは,その説を主張する人たちもよくわかっています。

でも,「単純化されていても,おおまかには正しい」というわけです。そんな「ざっくりした説明」を,学問の用語で「第0近似」などといいます。ある有名なマネタリストは,「マネーの量に物価が比例するというのは,第0近似としては正しい」と発言しています。

でも,ほんとうに「第0近似として正しい」のか? そこが私は気になります。
 
単純化,抽象化がいけないのではありません。

それは,ものを考えるうえで大事なことです。やたらと細かいことまで考えにいれていたら,ごちゃごちゃしてわけがわからなくなるものです。

科学の進歩にとっても,単純化・抽象化は重要でした。

たとえば,ガリレオの「落下運動の法則」は,「真空中」での物体の運動を論じたものです。空気抵抗のような複雑な要素は「捨象」する(ないものとして扱う)ことで,議論を単純化しています。

それによって,ものごとの法則性が明確に浮かび上がったのです。これは,彼以前に物体の運動を研究した学者にはない発想でした。

でも,ものごとのありかたに即さない,ゆがんだ「抽象」「捨象」をしてはダメです。

太平洋戦争のときの日本陸軍が行った,作戦のシュミレーションなどは,それでした。

あるとき,「この場所に,これだけの兵力を投入したとして…」といった検討をしていました。すると,「その兵力にたいする食糧補給はどうするのか?」という問いかけに「それは,補給できると仮定して…」と答えた参謀がいたそうです。「兵士がものを食べること」は捨象する,というのです。

それは,あまりにも現実に反していて,「第0近似」とはいえません。そんな「捨象」にもとづいて作戦を考えたら,戦争には勝てません。

しかし,補給の問題を軽視していた当時の日本軍にとって,そういう「ゆがんだ捨象」は,よくあることでした。

この手のことを,「貨幣数量説」は行っているのではないか。

貨幣数量説では,「経済という体育館に,マネーという空気を送り込めば,物価という空気圧が上がる」と説明しているように,私は思います。

でも,現実の経済は,がらんとした体育館とは異質なものではないか。

つまり,いくつもの大小の部屋に仕切られている・分かれている。国の経済の基本構造とは,そういうものではないのか。
 
たとえば,空気が送り込まれる換気口の周辺が,壁で囲われた部屋になっていたら? その「換気口を囲む部屋」には,排気ダクトがあって,そのダクトが特定の小部屋や,建物の外につながっていたとしたら?

そういう構造だと,建物の多くの範囲で,空気圧の上昇はないでしょう。空気が流れていかないからです。

そして,そのような「換気口を囲む部屋」は,経済の世界に実在しています。それは「金融機関」というものです。

金融緩和(マネーの増加)は,具体的には,日銀(中央銀行)が,銀行などの金融機関が保有する国債を買い取るなどして,行われます。国債が買い取られた分,金融機関の手持ちのお金は増えるのです。「お金の流れ」としては,そこまでは確実です。

でもそこから先,金融機関が手にしたお金が,「実体経済」に流れていくかどうかについては,確実ではありません。いろんな「壁」があります。

「実体経済」とは,消費者がモノを買ったり,企業が設備投資をしたりする,現実のモノやサービスの動きです。それは,「金融機関」という「換気口に直結する部屋」の向こうに広がる別の大きな部屋,といっていいでしょう。

そして,この10年ほどの日本経済は,一定の金融緩和を行っても,お金が「実体経済」に思うように流れていきませんでした。

たとえば,銀行で手持ちの資金が増えても,企業への融資は活発にはなりませんでした。「貸してもいい企業がみあたらない」というのです。

では銀行はお金をどうしたのか? 一般企業への融資以外に,お金を回しました。たとえばアメリカ国債などの証券を買ったりしました。あるいは,証券や商品(資源)の取引市場で投資をする人たちに,融資したりしました。そこには海外の投資家も多く含まれます。

このようなお金の動きを,「建物内の空気の流れ」でたとえると,換気口から送りこまれた空気が,「実体経済」の部屋に流れこまず,別のところ(「市場」などへ)へ流れていったということです。
 
「換気口と直結する部屋(金融機関)」の周辺には,「市場」という部屋があって,そこには空気が流れるようになっている――そんなイメージです。

そして,金融緩和(マネーを増やす)が,実体経済に影響をあたえるのは,「市場」などの金融のお金の流れを通してなのです。その経路については,今回は立ち入りませんが,とにかく「物価上昇」とか「インフレ期待」といったこととはちがうのではないか。貨幣数量説の説明とはちがうのでは,ということです。

***

「社会のお金の流れ」を「建物内の空気の流れ」に例えることは,私は気にいっています。

そう考えることで,貨幣数量説が見落としているものが,みえてくるからです。

「お金が増えれば,増えたものの価値は下がるから,お金の価値の下落=インフレになる」などという説明は,いかにも抽象的です。

そこには,プロセスとか時間的経過ということがありません。「どういうことがおこって,マネーの増加がインフレにつながるのか」の説明がないのです。

このことは貨幣数量説に否定的な経済学者・吉川洋さんが著書『デフレーション』(日本経済新聞出版社)のなかで指摘しています。吉川さんの本については,いずれ紹介します。

そこで,「時間軸やプロセスのある,貨幣数量説の考え方」の「たとえ」として,「がらんどうの体育館モデル」を考えてみました。貨幣数量説のロジックを,無理やりですが,明確なプロセスのある現象で表現しようとしました。

それが,「がらんどうの体育館に空気を送り込んだら気圧が上がる」という想定です。
 
でも,現実の経済は,「がらんどうの体育館」とは基本的にちがうのではないでしょうか。

空気が均質的に流れるのを妨げる構造になっている。さまざまな仕切りや空気を誘導する設備が,そこにはある。(そして,仕切られた部屋ごとに,異なるルールがある。たとえば,金融の「市場」関係者と,実体経済に生きる消費者や企業家では,発想や行動が大きくちがう)

そういうことを「捨象」してしまってはいけないのではないか。それでは,現実を「整理」するのではなく,現実から「乖離」するだけではないか。

「体育館」や「空気の流れ」のような,実体のはっきりしたものになぞらえて考えると,それがみえてくると思います。
                    
***

マネタリズムとか貨幣数量説について考えるというのは,たんに「経済ニュース」について知る,ということではありません。「社会科学の発想とはなにか」について考える,よい材料だとも思っています。
  
(以上) 
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テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
「社会のお金の流れ」を「建物内の空気の流れ」に例えることは,私は気にいっています。そう考えることで,貨幣数量説が見落としているものが,みえてくるからです。

とてもいいアイデアですね。すごくイメージがわきやすいです。
現実を捨象して動き出しているマネタリズムの間違いがよくわかります。市場という部屋がどうなっているのでしょうか。
巨大な天秤があってその傾きで次の部屋がどうなるかを決めているのではと思わず思ってみました。
2013/05/25(Sat) 23:10 | URL  | 前田一幸 #-[ 編集]
 こんにちは。捨象それ自体はいいのです。物体の運動で「真空」を想定するのも,かなり強引な捨象です。でも貨幣数量説≒マネタリズムは,不適切な,歪んだ捨象になっていないか,ということです。たとえば,お金の流れとして「金融経済」の流れと「実体経済」の流れがある,というところは,基本構造として無視できないはずなのに,捨象してしまっている・・・。
 でも,マネーサプライの調整というのは,経済に影響をあたえます。それは,さまざまな金融経済のお金の流れに大きく影響をあたえるからです。このへんはまたいずれ。
2013/05/26(Sun) 08:48 | URL  | そういち #-[ 編集]
マネーサプライの調整というのは,経済に影響をあたえます。それは,さまざまな金融経済のお金の流れに大きく影響をあたえるからです。

金融経済の流れが実体経済の流れに同影響を与えるかというシュミレーションをして実施していないのでしょうか?
いやそれはできないのでしょうか。見えないだけに不安でもあります。
2013/05/26(Sun) 21:55 | URL  | 前田一幸 #-[ 編集]
Re: タイトルなし
 マネーの供給を増やせば,金融経済に影響をあたえるのは,あたりまえといえばあたりまえですので,そのことを政策を担う人たちが考慮に入れていないということは,ないでしょう。でも,具体的にどんな作用が起きるかを読み切れるわけでもない。そうであっても仕方ないと,私は思います。「経済の科学」というのは,まだまだ未成熟なのですから。ある程度合理的と思われる何かをやってみて,現象の先端をみながら,必要に応じて舵を切るようなやり方になってしまうのは,仕方ないと思います。
2013/05/26(Sun) 22:45 | URL  | そういち #-[ 編集]
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