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2013年05月29日 (水) | Edit |
「自分で考えるための勉強法」シリーズの19回目。
 
このところ,「自分の先生をみつけよう」という話をしています。「この人の仕事はすばらしい,その仕事のすべてを知りたい」と思えるような著者・アーティストなどをみつけて追いかけよう,ということです。それが,広い世界・深い世界への出発点となります。

今回は,よい先生に出会うための,心のあり方について。


従僕の目に英雄なし。

「従僕の目に英雄なし」――この言葉は,哲学者ヘーゲル(1770~1831,ドイツ)の『歴史哲学講義』(上・下,岩波文庫,長谷川宏訳)で知りました。ヘーゲルの創作ではなく,「そういう言葉がある」という形で紹介されています。

《それは英雄が英雄でないからでなく,従僕が従僕だからだ》(長谷川訳)と,ヘーゲルは言います。

どんなすごい英雄でも,そばについてお世話している召使い(従僕)の目から見ると,偉大な人物には見えてこない。「英雄」が,私生活ではだらしのない酒飲みだったり,好色だったり,といった様子を見ているからです。「英雄と言ったって,一皮むけばつまらない俗物だ」というわけです。

さらに,ヘーゲルは続けます。

《歴史的人物も,従僕根性の心理家の手にかかるとすくわれない。どんな人物も平均的な人物にされてしまい,ことこまかな人間通たる従僕と同列か,それ以下の道徳しかもたない人間になってしまう。》(『歴史哲学講義(上)』六二ページ,長谷川訳)

私たちは,そんな「従僕」の目で書かれた話が大好きです。偉人や英雄のゴシップを書いた本は,たくさんあります。

でも,「従僕の目」しか持てない人は,偉業とか創造といったことを,正しく評価することができません。すごい仕事をした人に対しても,「でも,あの人は酒ばかり飲んでいるから」などと言って,その仕事を見ることはないのです。

「従僕の目」しか持てない人は,「すごい」と思える「先生」に出会うこともないでしょう。

(以上,つづく)

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