FC2ブログ
2013年06月06日 (木) | Edit |
「5分間の世界史講座」というのを,ときどきやっています。世界史のいろんなことがらをあつかった,1話が原稿用紙数枚ほどのエッセイ。 カテゴリー:5分間の世界史

今回はひさびさの「5分間の世界史」です。


シュメル人は宇宙人ではない

四大河文明はいつ生まれたか
「世界最古の文明は,どこで発生したか?」ときかれて,あなたはどう答えるだろうか? 文明というのは,とりあえず「金属器」「大きな建造物」「政治的支配者」「文字」といった要素をそなえている社会,ということにしておく。

多くの人は,四大(河)文明というのを思い出すのではないか。メソポタミア,エジプト,インダス、黄河の各文明。

しかし,この四つはかなり時期がちがう。メソポタミア文明(現イラク)の発祥は,紀元前3500年ころ(5500年前)。

エジプト文明は,紀元前3100年ころ(5100年前)。インダス文明(インド)は、だいぶ時代が下って紀元前2300年ころ(4300年前)。 黄河文明(中国)は,紀元前2000年ころ(4000年前)だ。メソポタミアよりも千数百年あとである。

「四大河文明」といってひとまとめにあつかうと,同時代のものだと思ってしまう。だが,四つのうちメソポタミア文明は,別格なのである。

じつは,エジプト文明というのは,メソポタミア文明の影響を受けて生まれた,ということがほぼわかっている。インダス文明もそうだったという説があるが,ややはっきりしない。黄河文明がほかの文明から影響を受けたかどうかは,ほとんど手がかりがない。

文明の歴史は,紀元前3500年ころ(紀元前3000~4000年)のメソポタミアではじまった。

これは,世界史の最重要知識のひとつかもしれない。では,この「知識」,つまり「文明は,いつ・どこで始まったのか」が明らかになったのは,いつころのことだろうか? 

(予想)
ア.1900年ころ(日本では明治時代)
イ.1800年ころ(フランス革命,産業革命の時代)
ウ.1500年ころ(ルネサンスの時代)
エ.もっと昔からわかっていた

***

メソポタミアの古代文明(の遺跡)が発見されたのは,1800年代末のことだった。その最古の都市のひとつ,ウルクの発掘がはじまったのは,1920年代のこと。そして,調べるうちにメソポタミア文明がエジプト文明よりも古いこともわかった。こうした研究の基礎は,1900年代前半に築かれた。答えはアである。

メソポタミア文明は,シュメル人とよばれる民族がつくったものだ。この名前は,近代の学者が,遺跡のあるメソポタミア南部をさす「シュメル」の地名にちなんでつけた。彼らが自分たちをどう呼んでいたのかは,わかっていない。

シュメル人は,史上最初の文字である「楔形(くさびがた)文字」をつくった。ほかにも,シュメル人は車輪や青銅器にかかわる革新や普及など,さまざまな創造で後世に大きな影響をあたえた。

世界最古の文明をつくったのは,シュメル人。

そんな基本的なことも,わかってからまだ100年も経たたないのである。

巨大都市がこつぜんとあらわれた?
史上最初の文字は,紀元前3100年のウルク(シュメル人の都市)で発明された。そのころのウルクの面積は,250ヘクタール(およそ1500m×1500m)。平均的な日本の高校の敷地200個分。当時の世界で最大の都市だった。

今の西アジア(メソポタミア周辺の地域)で,近代的ビルのない伝統的な町並みだと,人口密度は1ヘクタールあたり100人ほど。もしウルクもその密度だとしたら,100人×250へクタールで,2~3万人の人口だったことになる。

しかし,当時の人口を知る手がかりはほとんどなく,はっきりしたことはわからない。だがとにかく,5100年前前にそれだけの面積・広がりをもつ都市があったのである。

しかもその都市は,歴史のなかでこつぜんとあらわれたという感じがある。

文字が発明された時代から1000年ほどさかのぼった紀元前4000年ころ(6000年前)には,ウルクはまだなかった。そのころの最大級の都市(集落というべきか)の面積は,10数ヘクタールほど。つまり,ウルクとくらべてひとケタ小さい。

それから数百年のうちに,ウルクの基礎がつくられた。そして、紀元前3500年ころには、ウルクの規模は70ヘクタールに達していた。

それが,紀元前3100年ころには250ヘクタール。さらに,それから数百年後には600ヘクタール(400ヘクタール説もあり)にもなった。

これが「こつぜんとあらわれた」という感じを私たちにあたえる。さらにシュメル人は,どこから来たのか,どういう系統の民族なのかがよくわかっていない。メソポタミアに古くから住んでいたのか、それともかなり後になってやってきたのか,わからないのである。

そこで、トンデモ本の世界では「シュメル人は宇宙からきた」という説がある。「そうでないと,いきなりこんな都市ができたことの説明がつかない」というのだ。

しかし,それは近代の事例を忘れてないか。西暦1800年ころの世界で,最大の都市はロンドンや江戸などだった。その人口は100万人くらい。それが200年後の現代では,最大級の都市というと郊外も含めた人口が2000万~3000万ほどである(ニューヨーク、東京など)。200年ほどで都市の規模は20~30倍になった。技術革新の結果である。

だから,シュメルによって都市(集落)が数百年で急速に巨大化したとしても,人智を超えたできごとではない。宇宙人の手を借りなくても,歴史にはそういう飛躍のときがある。それが、5000~6000年前のメソポタミアでも起こったのだ。

ゼロからいきなりではない
そもそもシュメル人は,ゼロからいきなり巨大都市をつくったのではない。メソポタミアでは都市の「前段階」といえる小都市や集落が数多く発掘されている。

その集落には、「石器時代の最終進化形」といえるような文化があった。代表的な遺跡の名にちなんで「ウバイド文化」といわれるものだ。おもな道具は石器だったが,灌漑農業(水路などで人工的に水をひく農業)が行われ、大量の精巧な土器がつくられていた。

この文化の主役は,シュメル人だった可能性もあるが,別の民族だったという説が有力である。

しかしいずれにせよ,シュメル人の都市は、ウバイド文化を受け継いで生まれたのである。長い伝統の蓄積があってのことなのだ。

さらに,ウバイド文化にも先輩がいる。ウバイド文化の近隣で紀元前6000年ころに発生した「ハラフ文化」といわれる農耕文化である。ウバイド文化は,ハラフ文化の影響を受けているのである。

どんな民族も,先行する文化遺産から学んでいる。ゼロからいきなり多くを生みだすことはできない。これに例外はない。「世界最古の文明」を生んだ民族にも,それはあてはまるのだ。

(参考文献)大津忠彦ほか『西アジアの考古学』同成社,中田一郎『メソポタミア文明入門』岩波ジュニア新書,ジャン・ボッテロほか『メソポタミア文明』創元社

(以上)
関連記事
テーマ:歴史
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック