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2013年06月12日 (水) | Edit |
「自分で考えるための勉強法」シリーズの第25回目。このところ「科学とは」という話をしています。そういう根本のところをさらっとでもおさえておくのは,「自分で考えるための勉強」のコツのひとつだと思っています。


「学問」には,科学になっているものと
そうでないものがある。


「理科の教科書に出てくるような科学上の原理や法則は,膨大な追試(検証のための実験)をくぐり抜けてきたものだ。だから真理として信頼できる」――前に,私はそう言いました。「科学は信用できる」ということです。

ところが,「科学」を自称していながら,じつは科学とは言えないものが世の中にはたくさんあるので,話がややこしくなります。「一応もっともらしい説明だが,まだ実験的な検証を十分に経ていない,単なる仮説に過ぎないものを,確かな真理であるかのように主張している」ことが,たくさんあるのです。

学問には,科学として確立している分野と,そうでない分野があります。

物理学,化学,生物学などの自然科学のおもな分野は「科学になっている」と言っていいでしょう。

でも,経済学,政治学といった「社会科学」は科学かというと,かなりあやしい部分があります。心理学,言語学などを「人文科学」と言うことがありますが,同様です。世の中にはたくさんの「〇〇学」がありますが,科学になっているのはその一部です。

科学として確立している学問と,そうでない学問を区別するポイントは,どこにあるのでしょうか。

それは,「学派」の状態をみることです。見解の異なるいくつもの学派に分かれている学問は,まだ科学になりきっていません。科学と言えるには,その分野の研究者のほとんどが支持する共通の基盤ができている必要があるのです。複数の学派に分かれているというのは,その基盤がまだできていないということです。

たとえば,人間の精神を研究する学問のひとつとして,心理学というものがあります。大学の一般教養課程で使うような心理学の概説書では,最初のほうに,いろんな学派や聞きなれない学問の名称が出てくることがあります。「行動主義」「ゲシュタルト心理学」「精神分析」「認知心理学」「ユング心理学」などなど……。

これは,学派の数だけいろんな「心理学」があるということです。これらの学派は,おたがいの考え方が基本的なレベルで異なっています。

だから,おたがいが論争してもかみ合わない。入り口の基本的なところで引っかかってしまいます。人間の精神という同じ対象を扱いながら,それぞれが別世界の住人なのです。

ただし,「それは少し前までの話で,最近の心理学では,これまでの学派の対立は解消されてきている」と述べている本もあります。それでも,少なくとも以前には心理学にはいろんな流れがあり,深いレベルで意見の対立があった,ということです。

自然科学の主要分野では,こういうことはないのです。物理学や化学の教科書に「学派」の紹介なんて載っていないでしょう。そこには,共通の方法論や基礎概念というひとつの基盤の上に立つ,「物理学」や「化学」といったひとつの科学があるだけです。

こういう分野では,研究者の間に対立があるといっても,個別的・具体的な問題についてであって,根本的なレベルのものではありません。たとえば,原子の実在や生物進化を否定する科学者はいないのです(ただし,原子の実在も生物進化も,1800年代には科学者の間で議論がありました。科学の発展の中で,そういう対立が解消されていったのです)。

いろんな学派に分かれていて,その分野としての共通の基盤ができていないということは,その学問が科学としては未発達な分野である,ということです。このことは,勉強の前提として,ぜひ押さえておきましょう。

(以上,つづく)

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テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
こんにちは。

宗教も似たようなモノだな~って思いました。
色々な宗派に分かれてますもんね。
2013/06/12(Wed) 09:44 | URL  | ケン・サン・ダーヨ #SFo5/nok[ 編集]
Re: タイトルなし
 こんにちは。たしかにそういう面(宗派と学派は似ている)はありますね。
 でも違いもあると思います。学問が進歩して「科学」に近づくほど,学派の対立は解消されていきます。それも,学派どうしですりあわせて妥協案が生まれるのではなく,特定の学派が勝利していく,ということが起こります。地動説や進化論や原子論の勝利などはそうです。これは,科学が,実験的にひとつの「真理」(たとえば地球が太陽のまわりをまわっていること,原子が実在すること)を明らかにできるからです。
 宗教の場合には,教義の対立が起これば,だいたいそれっきりです。教義そのものとは別次元で,政治的に妥協しあったり,武力の争いになって一方が一方をおさえ込んだり滅ぼしたりというのはありますが,教義そのものの対立が解消する(一定の宗派の考えにほかの宗派が皆で鞍替えしていく)というのは,まずないわけです。
2013/06/12(Wed) 21:51 | URL  | そういち #-[ 編集]
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