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2013年07月07日 (日) | Edit |
諏訪団地・編集2013年7月6日
私の育った団地(『耳をすませば』に出てくるのと同じようなタイプ)

 おとといの夜,日テレ系の「金曜ロードSHOW」で,スタジオ・ジブリのアニメ映画『耳をすませば』(1995年,近藤喜文監督,宮崎駿プロデュース)をやっていました。
 全部は観ずに,ところどころ観ました。
 もう,3回くらい観ているのです。

 『耳をすませば』の主人公の少女は,郊外の団地住まいです。
 団地を描いた「表現」「作品」として,この映画は代表的なもののひとつといっていいでしょう。

 このブログはタイトルを「団地の書斎から」といいます。
 我が家が,築30年余りの古い団地をリノベ―ションしたものなので,それにちなんでます。
 また,私は団地育ちで,今も団地に愛着を持って住んでいる「団地エリート」でもある。

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 そして,『耳をすませば』の舞台のおもなモデルになっているのは,私の住む東京・多摩市です。

 京王線の聖蹟桜ヶ丘駅周辺と,多摩ニュータウンの古い団地をもとにした風景が,出てきます。
 私は今40代後半。子どものときから多摩市に住んでいるので,映画を観ていると,「ここはあそこだな」とわかるシーンがたくさんあります。逆に「こういうところは,あのあたりにはない」というのも,わかります。
 とにかく,「このアニメは,ほんとうに細かいところまで,実際の情景に基づいている」というのを実感します。
 
 今私が住んでいる団地の窓からも,映画の舞台のモデルになった「桜ヶ丘住宅(一戸建ての住宅地)」や,この映画のファンなら知っている「給水塔」のような団地の風景が見渡せます。

 主人公の少年少女がラストで「愛」を誓いあう高台のあたり(のモデルになった場所)で,花見をしたこともあります。いい桜の樹があるのです。

 だから,この映画のことは「団地エリート」の視点で,触れておきたいわけです。

                      *

 『耳をすませば』で特筆すべきなのは,団地や,ありふれた住宅地の風景の描写でしょう。
 こういう世界を,メジャーな娯楽作品で,ここまで徹底的に描いたのは,たぶんはじめてなのではないでしょうか。

 この映画の公開は1995年。今でこそ,「団地」にたいする再評価の動きがあるわけですが,当時はまだそうではありません。「団地リノベ」なんて言葉も,影も形もない。

 のちの「団地」をモチーフにした作品,たとえば『団地ともお』みたいなマンガは,『耳をすませば』がなければなかったのでは?

                      *

 ここで,『耳をすばせば』について,団地に関心を持つ,建築の専門家の視点から述べた文章を紹介したいと思います。つぎの本に載っているものです。

団地再生計画/みかんぐみのリノベーションカタログ (10+1 series)団地再生計画/みかんぐみのリノベーションカタログ (10+1 series)
(2001/09/20)
みかんぐみ

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 「みかんぐみ」というのは,この本の著者である建築設計事務所の名前です。ちょっと変わった名前ですが,すぐれた仕事をしています。

 この本も,「団地再生」を扱った本としては先駆的で,立派な仕事です。
 2001年の出版ですから,もう12年前。私がはじめて読んだのも,その当時。

 この本の問題提起やアイデアは,今読み返しても,いろいろ刺激があります。
 「リノベーション」というコトバも,当時はまだ新しかった。

 そして,この数年で,この本が提起した「団地のリノベーション」ということが,ようやくあるていど現実になっています。建築家がプランニングをして,ある団地のまとまったエリアを再生する,という事業が行われたりしているのです。
 この本のいう「団地のリノベーション」は,個々の住宅の改装ではなく,ある団地の一棟とか全体を再生することです。「建て替え」ではなく,あくまで既存の建物を生かして,それを行う。

 で,ご紹介したいのは,この本にある,みかんぐみの一員の「H・Y」さん名義の「ポジティブなイメージ」という題の文章。
 数ページにわたって《漫画,アニメの大衆文化から見た団地像を考えてみた》というもの。 
 大友克洋の『童夢』(1983年),岡崎京子の『ジオラマボーイ・パノラマガール』(1989年),そして『耳をすませば』がとりあげられています。

 以下,H・Yさんの文章から,かなり長く引用します。(一部私の判断で改行や句読点を加えたりしています。著者には申し訳ないですが,ここでの読者の方にぜひ読んでいただきたいからです)
 
 東京近郊の団地に住む中学3年月島雫と,同じ学校に通う天沢聖司のラブストーリー,そして出会いを通して,それぞれ自分の生き方について悩みながらお互いを成長させていくドラマである。
 この作品には,当時の宮崎(駿)の言葉を借りると「この作品は,ひとつの理想化した出会いに,ありったけのリアリティーを与えながら,生きる事の素晴らしさを,ぬけぬけと唱いあげようという挑戦である」いう,暗い世間に対してのポジティヴなメッセージが投げかけれれている(そういち注:95年はバブル崩壊から数年後。阪神淡路大震災やオウムサリン事件があった)。

 そのためか,月島雫が住む団地もポジティヴに描かれている。かといってデフォルメして描かれているわけではない。とても細かく正確に団地の生活を読みとることができるシーンばかりである。

 成長した木々がつくり出した緑豊かな団地の住環境は時間の経過を感じさせる。玄関はもので溢れかえり,主人公と姉が狭い部屋を2段ベッドで区切り共有し,父の書斎は壁面すべて本棚で埋め尽くされている(そういち注:お父さんの個室の書斎というのはなく,家の一画に机があるだけ)。母親は場所がないので,ダイニングテーブルで資料を広げ仕事をする。
 どの部屋もものがたくさんあり雑多な雰囲気が事細かく描写されているが,アニメを見ていて不思議と不快はない。むしろ生き生きした生活感がある。

 そして,丘の上から見た緑に囲まれている団地や小さな住宅,遠くに見える超高層の風景は,高度経済成長によるやみくもな開発がつくり出したものだが,美しさすら感じてしまう。

 このアニメでは,徹底したリアリズムというフィルターを通すことにより,見なれたはずの風景や生活が少し別のものに見える。そこからは,古いから壊すとか,整然としていないからきたないとかではなく,普段もっている意識や考え方の角度を少し変えると,いろいろ幅のある生活を楽しむことができるのではと気づかされる。(287~289ページ)


                        *

 以上,私もまったく同感です。

 この映画をはじめてみた当時,作品の「フィルター」を通して,私にとって身近な「団地」というものが少しちがってみえてくる,という体験をしました。

 最初,今回の記事は,以上のようなことを自分なりに書こうと思っていました。
 でも,この文を読み返して,自分がH・Yさんの文章におおいに影響を受けてきたことを再確認しました。
 だから,これをそっくり引用してご紹介するほうがいいと考えました。
 
 今,この文を読み返すと,いろいろ思うことがあります。

 たとえば,自分が団地をリノベして暮らしているのは,「普段もっている意識や考え方の角度を少し変えると,いろいろ幅のある生活を楽しむことができる」というのを,まさに実行しているんだな…とか。

 しかも,たんに「見方や意識」を変えるだけでなく,団地という現実のハコの中身を,リノベというかたちで変えてみたりしている。「現実」のほうもちょっと変えているわけです。そのことで,さらに新しいものがみえてくるはず…

 もちろん,映画を観ていても,いろいろ思いました。

 1995年ころの,このような団地の風景は,ウチの近辺ではもうないなあ。
 あのころは,主人公の少女の家のような,「働き盛りの中年の,お父さんお母さんと,かなり大きくなった子どもたち」という構成が典型的だった。かつての(1980年代ですが)私の家もそうだった。団地ができたばかり70年代などとは,またちょっとちがう。

 でも,今は親はとっくにリタイアし,子どもたちも独立していった。
 高齢者だけで暮らす世帯が,今の古い団地の主流です。

 それから,あの映画には,地元の図書館がしばしば出てきます(あの図書館は聖蹟桜ヶ丘周辺にはありません)。そこの閲覧コーナーでは,若い人がたくさん本を読んでいたりするのですが,今,ウチの近所の図書館は,リタイア世代のお父さんたちが目立ちます。

 まだまだ思うことはありますが,今日はこのへんで。

(以上)
 
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テーマ:建築デザイン
ジャンル:学問・文化・芸術
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