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2013年08月10日 (土) | Edit |
 「自分で考える勉強法」シリーズの39回目。

 「読書論」の話を続けています。
 このあいだまで,書籍,雑誌,新聞,インターネットなど,それぞれの媒体の特徴や扱いかたにかんする話をしてきましたが,今は「書籍」の世界について述べています。
 これまで,教科書や子ども向けの本のことや,「新書のすすめ」といったことを述べてきました。
 今回は,「通」な本,「最先端」の本とのつきあい方。


「通」な本や「最先端」の本で博識ぶると,
上達しない。


 若い人は背伸びをしたいものです。そこでよくやるのが,「知る人ぞ知る」という感じの,ちょっと「通」な本の知識をひけらかす,という手です。
 文学なら,誰でも名前を知っているような文豪ではなく,もっと「通」な感じのする誰かを読む。

 「最先端」というのに弱い人もいます。たとえば哲学の世界だったら,アリストテレスやカントやヘーゲルではなくて,むずかしそうな「現代思想」です。

 私の学生時代(1980年代)には,そういうのがインテリ志向の人たちの間でおおいに流行りました。「最先端」な感じがしたのです。今も「現代思想」に関心を寄せる人はいますが,かつてほどの勢いはないようです。「科学の最先端」といった本は,今も昔もよく出ています。

 「通」な本や「最先端」の本のことを知ると,博識になった気がします。「現代思想」は,聞いたこともないような用語・術語のオンパレードです。人によってはそこにひかれるのでしょう。

 でも,いきなりそういう本に飛びついてはいけません。
 ちらちらと見ておくのはいいのです。

 「月並み」ではなく,より「深いもの」「新しいもの」を求めることは,やはり大事です。
 「通」や「最先端」を求める気持ちは,それとつながっています。

 でも,「通」や「最先端」の本ばかり読んでいるのでは,上達が進みません。

 まず読むべきは,誰でも名前を知っている,いろんな場面で言及される「超有名な本」です。あるいはそれを論じた本です。それぞれの分野にそういう本があります。

 学問の歴史は,ときどき現れる「超有名な本」の示したテーゼ(理論や主張)をめぐる論争の歴史です。
 「超有名な本=古典」について知ることが,学問についての幅広い素養をつくる近道です。

 「通」な本,「最先端」の本というのは,学問にとっては「枝葉」的な存在です。今は注目されていても,時の試練に耐えられず,そのうち枯れてしまうことが多いのです。

 中には大きく成長していくものもあるでしょうが,わずかです。そんなあてにならないものに深い入りして,自分の頭を固めてしまっては,損をします。

 「最先端」というのは,「すぐ駄目になる危険が大きい」ということです。

(以上,つづく)

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