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2013年09月15日 (日) | Edit |
 先週読んだ,吉本隆明『僕ならこう考える』青春出版社(1997年,文庫版2000年)に,「独学者の限界」ということが述べられていました。
 「偉大な独学者」のことを,このブログでは何人も紹介しています。たとえばフランクリン,イームズ,ル・コルビュジエ…

 関連カテゴリ・記事:フランクリン  イームズ  ル・コルビュジエ略伝 

 吉本隆明(1924~2012)は,ご存じの方も多いと思いますが,戦後日本を代表する著名な評論家です。
 その吉本さんが若い人向けに書いた(語り下ろした)人生論。十数年前に読んだけど,だいぶ前に処分してしまって,最近古本屋でみかけてまた買いました。

 吉本さんはこう述べています。

《僕は学業としては,大学を出たほうがいいと思うんです。なぜかというと,ほんとは誰も遊ばせてくれない生涯の時期に遊んじゃっている経験をもったかもたないかは,ものすごくその人にはばをもたせ,心のゆとりを与えるからです。》

《独学者でも偉大な人,よくできた人はたくさんいます。知っている人で例えば三浦つとむなどそうです。…三浦さんていう人は東京府立工芸学校[注:ほぼ高校程度]…を出た人で,哲学を独学でやった人なんですね。いい仕事をしてるし,大変な人だと思います。…教わったことは多いんですが,独学者だから,遊ぶっていうことをわからないところがありました。遊ぶっていうことのもっている一種のゆとりというか,悪さなんですが,それを知らないんです。…それが三浦さんの考え方を…狭くしていたような気がします。》
 
《大学なんか遊んでもカンニングしてもいいからとにかく出たほうがいいというのが僕の考えです。…なぜかというと,いい歳をして遊べるから。…いい歳をして遊んだという時期を持っているかいないかで,ものすごく人生が違っちゃいます。
 独学で偉い人ってたくさんいるけれども,どこかに弱点があるとすればそれですね。》(以上20~22ページ)

 三浦つとむ(1911~1989)は,戦後の昭和に活躍した哲学者。家が貧しかったため,大学などへは行かずに,独学で著名な知識人になった人です。吉本さんとも親交がありました。私の尊敬する学者の1人で,このブログでもとりあげています。

 関連記事:三浦つとむとエリック・ホッファー

 三浦つとむという人に,吉本さんの言うような「きまじめさ」があったというのは,私も別の人から聞いたことがあります。やはり三浦つとむを直接知る,ある学者(今80代の方)からです。その人も,「あのきまじめさは,大学で遊んだことのある人間とはちがう」と言っていました。

 ***

 「遊びやゆとりを知らないのが,独学者の限界だ」

 吉本隆明によれば,そういうことだそうです。
 これは,私は半分賛成で,半分反対です。

 「遊びやゆとり」を知っていることは,何かの文化的な活動をするうえで重要です。学問,芸術って,もともと遊びなんですから。
 だから,それを知らないのは,たしかに「弱点」かもしれない。

 そして,生活の苦労をしながら学んだ独学者が,苦労人ゆえに「遊び」の心を知らない,むしろそれを忌み嫌う傾向がある,というのもある程度はいえるでしょう。

 しかし,それは「ある程度」なのではないか。
 とくに,最近の世の中は,三浦つとむのころとはだいぶ変わっているよう思います。

 つまり,だいぶ豊かになったということ。

 何かの事情で「独学」となった人でも,三浦つとむの若いころからみれば,相当な暮らしの余裕があります。

 フリーターの若者が,海外旅行に行くことも可能です。書物や情報の値段も安くなりました(タダのものも多い)。いろんなものに触れて「遊ぶ」というかんじを,今は多くの人が知るようになったのではないでしょうか。

 たしかに,大学などに行かず「独学」するのは,「遊び・ゆとり」を知るうえでは,やや不利かもしれません。
 でも,決定的ではない。
 「遊びを知っていたほうがいい」ということを自覚さえしていたら,相当カバーできるのではないか。

 つまり,意識して「遊ぶ」機会・時間をつくり,たのしむ。
 今の社会の経済的な豊かさなら,それが可能だと思います。いろいろ努力や工夫は要るでしょうが。

 ***

 私には,「苦労人」だけど「遊び心」も知っている,という独学者が何人か浮かんできます。

 たとえば1700年代に生きた,ベンジャミン・フランクリン(1706~1790)。彼は,家の事情で小学校(レベルの学校)を途中でやめてから,学校に行っていません。それ以来ずっと働きながら独学を続けました。
 そして,商才のあった彼は実業家として成功しました。すると,40代で事業から手をひき,科学の研究に没頭するようになったのです。科学研究というのは,彼にとっては「道楽」「遊び」です。そして,その「道楽」をきわめて,世界的な科学者にまでなりました。

 アメリカ独立革命に参加したときも,重要な使命を帯びて乗った船のなかで,フランクリンはちょっとした科学実験をしたりして遊んでいます。

 20世紀後半に活躍した建築家・デザイナーのチャールズ・イームズ(1907~1978)も,「遊び心」を知る独学者です。
 彼は,中退していますが一応大学には行っています。しかし,高校は働きながら通いました。それなりの苦労人です。

 しかし彼は弟子たちには,つねに「遊び」の大切さを説いていました。
 「真剣に遊べ」と。

 たとえば,彼はスーパーボールやコマなどの「おもちゃ」で,遊ぶのが好きでした。今ではめずらしくないですが,彼の時代(数十年前)には,いい大人がそんなことをするのはヘンでした。おもちゃに限らず,彼は自分のスタジオで,いろんな遊びに没頭していたといいます。

 駆け出しのころは,妻子を置いて,1人で何か月も海外を放浪する,などということもありました。

 そんな彼が打ち出したデザインやコンセプトは,生活を彩る現代的な「遊び心」の先駆けになっているのです。

 ***
  
 大学に行かなかったから,独学だから「遊びを知らない・狭い」人間になる,なんてことはないのです。たしかに独学には不利な面はありますが,そこはやり方しだいで,なんとかなるのです。

 「遊び・ゆとりの大切さ」や「独学者の弱点」という視点をもっていれば,それはできるはずです。

 ただし,それを「知って」いないといけない。
 どんなかたちであれ,「知る」「学ぶ」ということは,やはりだいじだということも,あらためて思います。

(以上) 
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テーマ:勉強
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
私は大学にいきましたが,「遊び•ゆとり」はありませんでした。その当時大学生は遊びに興じる種族であるがごときに考える人が多くいましたが,まったく余裕はなかったのを思い出します。遊びに興じることのできる人々は優秀な面々だとうらやましかったですね。時には遊び心が学問には必要なこともあるとは思います。
2013/09/15(Sun) 22:04 | URL  | かずゆき #-[ 編集]
かずゆきさんへ
 かずゆきさん,コメントありがとうございます。
 大学時代,「遊び・ゆとり」はなかったとのことですが,「もう働ける歳だけど,働かず大学に通って勉強する毎日」ということじたいが,「ゆとり」そのものであり,広い意味での「遊び」ではないかと,私は思います。
 「遊び」というのは,お酒を飲んだり,レジャーをしたり,ということだけでなく,「お金のために働く」という以外の,いろんなことを含んでいるイメージで述べました。説明不足なところはありますが…ぶらぶら,だらだらしているのだって,「遊び」といえなくもないです。
2013/09/16(Mon) 11:45 | URL  | そういち #-[ 編集]
興味深く拝読させて頂き感謝させていただきいておるものですか、小さなご連絡です。
このエントリーのみ、ここまでの連載には見られなかったspanタグ外れがあるようでiphone表示では後半の文字色が意図されていないものになっているかと思います。
ご連絡までに、、
2016/02/28(Sun) 02:56 | URL  | 通りすがりですが #-[ 編集]
Re: タイトルなし
「後半の文字色」がおかしくなっているとのこと,お知らせくださって,ありがとうございます。パソコンの画面だと異常がみあたらないので,このエントリでは文字色を変える指定を,とりあえず取っておきました。当ブログをお読みいただき,ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
2016/02/28(Sun) 12:13 | URL  | そういち #-[ 編集]
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