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2013年11月04日 (月) | Edit |
 前回に続き,「社会の変化はゆっくりになっている」論を。
 
 「時代の変化は急速になっている」とよく言われているけど,どうなのか?
 むしろ,変化はゆっくりになっているのではないか。文化において「新しいもの」が生まれにくくなっているのではないか。これは日本にかぎらず,世界的にみてもそうなのではないか。

 
 そんなことを論じる,社会の変化はゆっくりになっているというサブカテゴリーが,このブログにはあります。今のところ第7回まで記事を書いていて,途中で止まっています。
 
 その第2回の記事では,「新しいものが生まれにくくなっている」例として,近年の音楽やデザインのことを論じました。

 たとえば,今の若者が,1970年代の古い音楽や50年代にデザインされたイスに惹かれたりする。特別なマニアではない人が,昔のものをごく普通に自分の楽しみや暮らしの中に取り入れている。これが「変化がゆっくりになっている」ということではないか。古いものが今の時代にも「新鮮さ」を保っているとしたら,「新しいもの」が生まれなくなっているということだ……

 それに対し,またピピネラさん(ブログ:小人さんとワルツを)からコメントをいただきました。
 今度は「感想」というより,まさに「論考」といえるもの。
 
 それをご紹介します。
 そのあと,私の「返信」を。いずれもかなりの長文です。
 自分の書いた文章がきっかけとなって,このように「考える」方があらわれ,自分もそれに触発されて書くことができる……うれしいことです。

 ***

(ピピネラさんからのコメント)

 初音ミクはご存じですか?

 メロディー(音階)と歌詞を入力することで、サンプリングされた人の声を基にした歌声を合成することができるボーカロイド。その代表的な製品(キャラクター?)が初音ミク。実体を持たない「電子の歌姫」です。

 彼女のステージはニコニコ動画やユーチューブなどの動画共有サイト。名もない「プロデューサー」達が作詞、作曲、PV風のアニメまで作っています。その曲に人気が出ればCDになりカラオケになり、キャラクターグッズも含めれば今や70億円市場とか…

 メロディーや歌詞が新しいかどうかは正直よくわかりません。でも機械が歌う曲がオリコン1位って、そんな時代ありましたか?(シンセサイザーの一種という見方をすれば古いかな?)

 音楽を聞くということ=記録メディアを買ってきて再生することという時代は、終わりつつあるのだと思います。動画共有サイトは、「音楽を聴く方法」に蓄音機発明以来の変化をもたらしました。

 どんな広いショップでも置ききれないほどの古今東西の音楽が自宅に居ながらにして、しかも無料で聞けるんですから。もはや音楽は同世代が共有するものではなく、ネットを使える環境にある全ての人が共有するものです。

 子供がたどたどしく歌う童謡も、有名なオーケストラも、伝説のロックバンドも、ユーチューブの中では平等です。視聴者はその中から好みのものを選ぶ時代。20代の青年は70年代の洋楽を聞くし、50年代デザインの椅子に座る。結果選びとったモノは古くても、その現象は間違いなく変化だと思います。

 小規模なルネサンスと言ったら、言いすぎかもしれませんね。
 でも、その先に、少しは新しいモノが出来ると、私なんかは信じているんです…。

 ***

(そういちからの返信)

 まず,ただでさえお客さんの限られる私のブログの,その中でも埋もれた形になっている記事に,素敵な「論考」を寄せていただいて,うれしいです。

 「社会の変化はゆっくりになっている」論のねらいのひとつに,「社会や文化にとっての〈新しさ〉や〈変化〉とは何か?」を突っ込んで考えてみたい,ということがあります。

 「新しい」とか「変化」とかって,抽象的で,人によってイメージするところがずいぶん異なると思います。だから意味があいまいになっているけど,そこをもう少しはっきりできないか,ということです。

 社会が変化することを止めたり,「新しい」ことが何も起こらなくなるということは,あり得ません。
 しかし,現代において,その「変化」や「新しいこと」の質は,これまでとは変わってきているのでは? 

 その視点を,私としては論の基本に置いています。

 では,今の社会や文化の「変化」「新しさ」とはどんなものなのか?
 ピピネラさんが書かれたつぎのことは,重要だと思います。

《子供がたどたどしく歌う童謡も、有名なオーケストラも、伝説のロックバンドも、ユーチューブの中では平等です。視聴者はその中から好みのものを選ぶ時代。20代の青年は70年代の洋楽を聞くし、50年代デザインの椅子に座る。結果選びとったモノは古くても、その現象は間違いなく変化だと思います。》

 今の文化って,たしかにこういうイメージです。

 今の文化・文明には,「なんでも売っている巨大なネットのストア」が出現しました。デフォルメしていうと,そこには,あらゆる時代の人類の文化遺産がならんでいて,お金さえあればその「遺産」のなんでもが手軽に買えるわけです。
 音楽や映像やテキストやプログラムなどのソフトに関しては,かなりのものが「無料」で手に入ります。

 そのような「文化遺産ストア」の出現は,たしかに「新しい」です。

 でも,そこに並んでいる「商品」じたいは,これまでの時代が生んだ「遺産」であり,決して新しくない。
 「画期的な新商品」として売り出されるモノも,よくみれば過去の遺産の細かい改良バージョンや焼き直しであることが多い。

 つまり,「商品」の流通や普及の仕方などでは,新しい現象が起きているけど,「商品」そのものには「新しさ」がみられなくなっている。

 単純化すると,そういうことが今起こっているのでは,と思うのです。

 「初音ミク」(少しは知っています)にしても,たぶん「音楽作品」そのものとしての新しさよりも,その作品が生み出され流通する過程や,それに関わる社会や技術の環境にこそ「新しさ」があるはずです。
 ボーカロイドじたいは,ピピネラさんも言うように,その本質は「シンセサイザーのひとつの到達点」だと思います。

 もちろん,「流通や普及の仕方」の変化が,新しい「商品」そのものを生み出すことはあると思います。

 たぶんそれは,「新しい組み合わせの発見」という形で顕著に起きるはずです。
 重厚な(あるいはカビの生えた)古典も,今どきの「子ども」的な文化も「並列」にあつかわれる状況になれば,それまで思いつかなかったようなジャンルやアイテムどうしの組み合わせが起こりやすくなるでしょう。もういくつも事例があるのかもしれませんが……

 そして,「新しい組み合わせの発見」は,「新しい,新鮮な頭を持った人たち」が行っていくものです。
 
 それは,古典的なモノサシを身につけていない若い人たちや,従来よりもずっと「大衆」的な人たちということになるのでしょう。「タダで膨大なソフトにアクセスできる」という今のネットの状況は,それを後押ししています。

 そして,世界には「新しい,新鮮な頭を持った人たち」が,ぼう大に存在しています。
 アフリカなどの発展途上国の人たちです。
 この人たちの「頭の新鮮さ」は,今の先進国の若者を上回るでしょう。

 彼らが,今後さらに経済発展していったとき,「近代文明」はきっと新しい展開をみせるはずです(しかし,一定の経済発展が必要)。
 たとえば,音楽などは典型的に,最も早くからそのような「新しい展開」をみせると思います。

 今回の私の記事や,ピピネラさんも例に出した,現代音楽のメジャーな世界――今のジャズやロックやブラジル音楽など――これらはみな古典的な西洋音楽とアフリカとの出会いがもとになって生まれました(その「出会い」は西洋によるアフリカ制服・支配といった一種の「悲劇」によるものでしたが)。

 今後は,おもにネットを通して,アフリカの新しい世代が,現代音楽の遺産と盛んに出会うようになるでしょう(もうそうなってきてはいますが,さらにそうなる)。

 アフリカの若い世代は,そこから,私たちの想像を超える新しい音楽をつくっていくかもしれません。日本の若い世代(あるいはかつての若い世代)も,世界の中で「新しい音楽」の創造に一役買ったのだとは思いますが,それをはるかに上回ることを21~22世紀のアフリカ人は行うのでは……

 だとしたら,私たち先進国の人間は,未来のアフリカ人(イスラムの人びとでもいいですが)のために,彼らがアクセスしやすいように,膨大な文化遺産をネット上に陳列しておいてあげている,といえるのかもしれません。

 ピピネラさんのコメントが刺激になって,またいろいろ考え,書くことができました。
 ありがとうございます。
 
(以上) 
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