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2014年01月28日 (火) | Edit |
 「自分で考える勉強法」シリーズの70回目。
 2013年11月3日の記事にある新刊の電子書籍『自分で考えるための勉強法』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)も,ぜひよろしくお願いします。

自分で考えるための勉強法 (Discover Digital Library)自分で考えるための勉強法 (Discover Digital Library)
(2013/11/01)
秋田総一郎

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 この「勉強法」のシリーズも,いよいよ大詰めです。
 今回は最終回のひとつ前。次回が最終回。

 「アイデアは個人のアタマから生まれるが,それが広がるためにはグループの力(人の結びつきや協力)が必要だ」という話です。
 おおげさにいうと「研究・創造の組織論」。
 その初歩の話です。

 私は,読んだり書いたりということを,基本はひとりでやっているのですが,研究団体的な組織やNPOに積極的に参加していたこともあります。

 そういう体験をふりかえっても,今回の記事で書いていることは,まさにそうだと思います。
 組織や仲間というのは,大事だと。

 でも,深く考えたり,大事なアウトプットというのは,1人で行うものです。「みんなで・仲間で」という姿勢でうまくいくものではない。「大きな仕事」などではなく,ごくささやかな何かをするにしてもそう……そのように私は思っています。

 でも,「考えたこと」をさらに進めていったり,社会に広めていくには,仲間や読者が必要です。人とのつながりが要るのです。
 そもそも,「アウトプット」というのは,自分の考えを社会的なものにしていくため,人とつながるために行うものです。

 このあたりのことを,私はこんなキャッチコピーにしています。

 ひとりでないと考えられない。
 ひとりきりでは考えられない。


 この2つの命題は矛盾しているようにみえます。
 でも,そのように矛盾していることが,まさに真実なのではないかと思います。
 
 ***

新しいアイデアは,つぎのステップで広がる。
「個人」→「グループ」→「社会」


 新しいアイデアが社会に広がっていくには,「個人」→「支持者のグループ」→「社会の大勢」というステップをふみます。

 まず,新しいアイデアは,すべて個人の頭の中で生まれます。あたり前だと思うでしょうが,それを忘れてしまうことがあるのです。

 大企業や政府のプロジェクトの中には,「予算と組織さえあれば,何か新しいものを生み出せる」と勘ちがいして,予算の無駄づかいに終わったものがあります。しかし,特定のアイデアを持つ特定の個人の取り組みによってしか,新しいものは生まれないのです。

 たとえば,1980年代の日本で,「第五世代コンピュータ開発」という国家プロジェクトがありました。「日本独自の技術で,次世代をリードする新しいコンピュータをつくり出そう」というもので,多くの研究者が結集し,何百億円という予算がつぎ込まれました。
 
 このプロジェクトがめざしたのは,「IBMなどがリードしていきたこれまでとは異なる,コンピュータの新しい時代を切りひらくこと」でした。

 しかし,このプロジェクトは,期待したものはほとんど何も生み出せないまま終わりました。

 「コンピュータの新しい時代」をひらいたのは,日本の国家プロジェクトではなく,パソコンを初めてつくり出した,アメリカの無名の若者たちでした。アップル社を設立したスティーブ・ジョブズやスティーブ・ウォズニアックのような人たちです。お金のない彼らは,実家のキッチンやガレージで仕事を始めました。

 「第五世代コンピュータ」のことを,昔話として片づけるわけにはいきません。その後の「インターネットによる新しい世界」に関して創造的な仕事をしたのも,やはり「無名の若者たち」でした。

 ***

 いいアイデアが生まれると,次にそのアイデアを支持する限られた人たちが現れます。その支持者たちが,何らかのグループや組織をつくっていきます。
 
 企業のような組織そのものが,アイデアの支持者として現れることもあります。支持者のグループや組織によって,初めてアイデアが社会の大勢に普及していきます。

 学問研究の場合でも,まず独創的な学者が現れて新しい理論を考え出す。そして,学派の活動によって,新しい理論が学界や社会に影響を与える――そういうステップをふみます。

 パソコンの場合も,いきなり社会の広い範囲に普及したのではなく,少数の熱心なマニアによって支えられていた時期がありました。マニアの人たちや彼らの支持するパソコン雑誌が,パソコンを社会に認知させる「伝道者」の役割を果たしました。

 アイデアは「個人」の頭の中に生まれますが,それを広げていくには「グループ」の社会的活動が必要です。
 どんなにすばらしいアイデアでも,「個人」からいきなり「社会の大勢」ということは,あり得ません。

 新しいアイデアを持つ個人の中には,「なぜ自分のすばらしいアイデアが世に出ないのだろう」とイライラしている人がいます。そういう人は,「自分のアイデアを支持するグループ」がないのです。

 いいアイデアが出てきて,社会に広めたいと思ったら,ここに書いた「ステップ」のことを思い出してください。まず,限られた範囲で支持者が集まるかどうかです。

(以上)
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テーマ:勉強
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
「研究と教育は不可分である」という板倉聖宣さんの言葉を思い出しました。

研究=個人・グループ,教育=社会ということになるのでしょうか。
2014/01/31(Fri) 22:19 | URL  | 河上力哉 #-[ 編集]
河上さんへ
 コメント,ありがとうございます。
 板倉さんの「いわゆる研究と,教育・啓蒙を切りはなすことなく,一体のものとして考える発想」と,この記事で述べていることは,やや視点が異なるとは思います。

 板倉さんの「研究と教育」は,どちらかというと「研究や教育の内容」にかかわる議論ではないかと思っています。
 どんな分野であれ,本格的・本質的な研究は,対象とするものごとの核心に迫って,大きな視野をひらくものです。社会にもインパクトを与えます。それは,伝え方によっては素人にも理解できるし,興味を持てるのです。その意味で,「本格的な研究は教育・啓蒙的」といえる。このような「本格的研究」の対象にあるのが,専門家集団のあいだだけで意味を持つ,重箱のスミをつつくような,社会的にも役立たない研究ということになります。

 そして,「本格的な研究」の視点やテーマを見出すには,「何が本質的に大事なのか,何が多くの一般の人たちの深い関心に答え得るか」という,教育・啓蒙的な視点が大事である,ということでもあります。そのような視点を持つために,研究者が研究だけでなく教育にも取り組むことは有効なのでしょう。
 
 そういうわけで,一般に「研究と教育は別物」といわれるけど,そうでもないのでは……板倉さんの言われているのは,以上のようなことではないかと,私は理解しています。

 で,このような話は,今回の記事とはテーマが少しちがいます。
 今回の「個人→グループ→社会」は,研究やアイデアを広げていくための,一種の「組織論」です。そのほんの入り口の話。「社会」という言葉は,ここでは「世の中の広い範囲」という意味くらいにとらえてください。
 答えになっているか,やや自信がありませんが……
2014/02/01(Sat) 07:15 | URL  | そういち #-[ 編集]
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