2014年02月22日 (土) | Edit |
 昨日のNHKのニュースで知ったのですが,都内の複数の公立図書館で,『アンネの日記』などのアンネ・フランク関係の書籍,あわせて300冊ほどのページが破られるということが起きているそうです。

 新宿区,杉並区,中野区などの5つの区と,東久留米市などの2つの市で被害が出ているとのこと。

 手でちぎったようなかたちで,数十ページにわたって本が破かれている。

 誰がどんな意図で行ったのかわかりませんが,許されるものではない。
 犯人を早く捕まえてほしいものです。

 ***

 アンネ・フランク(1929~45)は,ナチスの迫害の犠牲になったドイツ系ユダヤ人の少女。

 第二次世界大戦(1939~45)のころ,ナチス政権下のドイツでは,「ユダヤ人迫害・虐殺」ということが行われた。そしてある時期からは,ユダヤ人を捕えては収容所に送り込む,ということになったのです。
(ユダヤ人とは何か,なぜそんなことになったのかは,ここでは立ち入りません)

 その迫害を逃れるため,アンネの家族は隠れ家に潜んで暮らしました。
 潜伏生活は2年に及び,アンネはそこでの暮らしや思索を日記に綴りました。
 これが『アンネの日記』。

 しかし,何らかの密告により隠れ家は発見され,アンネたちは強制収容所送りに。そして,アンネは収容所で亡くなってしまったのでした。1945年3月ころのこと(明確な日付はわからない)。15年の短い生涯でした。

 ***

 アンネの一家は,もともとはドイツに住んでいましたが,ドイツでナチスの政権が成立した1933年からその翌年にかけて,オランダのアムステルダムに移住しました。オランダは,ユダヤ人への差別や迫害が比較的少ない国で,お父さんがそこで新しい仕事を得ることができたからです。
 
 しかし,第二次世界大戦中の1940年にオランダはナチス・ドイツに占領され,オランダでもユダヤ人の迫害がはじまりました。
 
 その後,ユダヤ人への迫害がますます激しくなり,「ナチスは捕えたユダヤ人を強制収容所で虐殺している」という情報も流れてくるようになりました。

 そこで,身の危険を感じたアンネ一家は1942年からアムステルダム市内に「隠れ家」を確保して身を潜めるようになったのです。隠れ家は,アンネのお父さんの職場のあったビルのなかにありました。そこに「隠し部屋」をつくったのです。お父さんの会社の人たち(ユダヤ人ではない)などが支援してくれました。

 この隠れ家には,アンネ一家(父母とアンネと姉の4人)のほか,ユダヤ人の1家族(親子3人)と,1人暮らしの男性の計8人が暮らしました。

 アンネの日記は,ナチス当局が荒らしたあとの隠れ家で,アンネたちの支援者の1人によって発見され,大切に保管されました。そして,戦後になって一家のなかでただ一人生き残ったお父さん(オットー・フランク)に渡されました。それが出版され,世界的ベストセラーとなり,今日私たちが知るようになったのです。

 ***

 このニュースをきっかけに,本棚の『アンネの日記』(文春文庫版)を,少し再読しました。

 その中から,つぎの一節をご紹介します(深町眞理子訳)。

わたしは思うのですが,戦争の責任は,偉い人たちや政治家,資本家だけにあるのではありません。そうなんです,責任は名もない一般の人たちにもあるのです。 (アンネ・フランク)

 こういう認識に,中学生くらいの女の子が達している。
 閉ざされた空間,かぎられた情報や人間関係のなかで,考えたのです。

 大きな苦しみの圧力が,こういう思索を生んだのでしょう。
 
(以上) 
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