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2014年03月18日 (火) | Edit |
 この前の土日に,木村拓哉主演のスペシャルドラマ『宮本武蔵』(テレビ朝日系)を観ました。
 ウチの奥さんがスマップの熱心なファンで,一緒に観たのです。この10年余り,そんなふうに一緒にテレビや映画を観たり,コンサートに行ったりしているうちに,「スマップファン」が感染してしまいました。
 
 木村拓哉は,武蔵を熱演していました。
 何十人(76人)もの敵と戦い,全員を斬っていくシーンや,ライバル佐々木小次郎との対戦など,なかなか迫力がありました。ファンの目からみて,「新境地」や「挑戦」といえるところが,いくつもありました。
 でも,(妻がネットで調べたところでは)視聴率的には,かなり厳しい数字だった模様。

 木村君,たいへんですが,頑張ってください。

 今,「木村君」と言いました。

 木村拓哉やスマップのファンならば,「キムタク」とは言いません。あれは一種の「蔑称」です。たとえば彼の周囲の関係者などは,決して「キムタクさん」などとは言わない。「〇〇君」というのは,スマップにかぎらずジャニーズの世界全般において,敬愛を込めた呼び方とされています。ジャニーズの人たちは,先輩のことも「〇〇君」と呼んだりする。それが失礼にはあたらないことになっている。

 ***

 話がそれました。
 今回のテーマは,ドラマや木村君のことではなく,歴史上の人物としての宮本武蔵です。ドラマを観たので,語りたくなりました。

 そもそもですが,宮本武蔵(1584?~1645)は,実在の人物です。

 私は,若い人から「宮本武蔵って,実際にいた人なんですよね?」と聞かれたことがあります(「丹下左膳」や「座頭市」みたいなものかもしれないと思ったのでしょう)。

 宮本武蔵は,江戸時代の初期に活躍した剣豪。

 武蔵の生きた時代には,真剣(ホンモノの刀)で斬りあう勝負をして,剣術の腕を競い合う武芸者たちが,本当にいました。木刀での勝負もかなりありましたが,それでも命の危険があります。
 そのような「真剣勝負」の世界で名をあげると,大名家に「剣術指南」などの立場でスカウトされる可能性がありました。

 そういう目的があったとしても,負けたら命にかかわる「勝負」を,本当に行っていたのです。すごい時代です。

 宮本武蔵は,「60回余りの真剣勝負をして負けなかった」と自ら書き残しています。
 ただ,ある研究者によれば「具体的に史料や記録で確認できる,武蔵の生涯の対戦は十数回ほど」だともいいます(久保三千雄『宮本武蔵とは何者だったのか』)。
 
 でもとにかく,少なくとも「十数回」は「負けたら死ぬ」勝負を,行っていたのです。
 そして,そのすべてで負けなかった。
 しかも,相手は素人ではなく,全て剣術の玄人たちです。その中には佐々木小次郎のような「剣豪」もいたわけです。

 そんな勝負を,生涯で何十回もくり返した。
 恐ろしい人間がいたものです。
 
 これは,今のスポーツ選手の「真剣勝負」とは次元の異なる世界です。

 武蔵の「勝負」の世界では,たとえばこのあいだのオリンピックの(ショートプログラムでの)浅田真央選手のようなことだと,フリーで挽回する前に多分死んでいるわけです。お相撲さんなら,黒星がついた時点で,死んじゃう。ウインブルドンなら,優勝者以外はみんな……もうやめておきます。

 ***

 それにしても,宮本武蔵はなぜこれほど有名なのでしょう?

 直接の原因は,昭和の大作家の吉川英治が『宮本武蔵』というベストセラーの名作を残したから。それが何度もドラマや映画やマンガになって,ヒットしたから。今回の木村君のドラマも吉川英治原作です。最近の大ヒットマンガ『バガボンド』(井上雄彦作)も,吉川の小説が原作。

 では,なぜそのような小説の素材になるほどに名を残したのか?

 「そりゃ,武蔵が強かったからじゃないの」と思うかもしれません。
 たしかにそれはそうです。でも,それだけではないです。

 大事なのは,彼が『五輪書(ごりんのしょ)』という「史上初の本格的な武道論・武術論の本」を,晩年に書き残したことです。
 武蔵がとくに有名な剣豪として語り継がれたのは,この本の内容がすぐれていたからなのです。

 単に自分が強いだけでは,歴史に名を残すことはできません。
 自分がつかみとった価値ある何かを,後世にも利用できる遺産として残していくことが大切なのです。

 (私は以上のことを,現代の武道家・南郷継正の著作で知りました)

 では,その『五輪書』の冒頭の,さわりの部分だけでも読んでみましょう。
 原文を現代語訳したもの(鎌田茂男『五輪書』講談社学術文庫による)を,さらに私が若干要約・編集した「和文和訳」です。

 ***

 《私の兵法(剣術)の道を「二天一流」と名付け,これまで鍛錬してきたことを,はじめて書物に書きあらわすことにする。播磨(兵庫県)生まれの武士である,この宮本武蔵は,60歳になった。

 私は若いときから兵法の道を歩み,13歳のときにはじめて勝負をして勝った。その後21歳のとき京都へのぼり,天下に知られた武芸者と何度か勝負をして,すべて負けなかった。その後,諸国をめぐって60回余りの真剣勝負をしたが,一度も負けたことはない。

 以上は,13歳から20代おわりまでのことだ。
 その後,30歳を過ぎたころから,私は自分の足跡を振り返るようになった。

 私が勝ってきたのは,はたして兵法を極めたからだったのか?
 生まれつき武芸の才能があったからだろうか?
 それとも,対戦相手の武芸が不十分だったということなのか?

 その後,さらに深く兵法を極めようと,私は鍛錬を続けた。
 すると,「兵法の道」といえるものがみえてきて,それにかなうことができるようになった。私が50歳ころのことである。
 それ以後は,新たに究めつくすということはなく,月日を送っている。

 私は,兵法以外にも,いろいろなことに取り組んできた。絵を描き,書をたしなみ,仏像を彫ったりもした。そうしたすべてのことについて,私に師匠はいない。すべては兵法から学んだのだ。

 今,この『五輪書』を書くにあたっても,兵法それ自体にのみ即して,兵法の世界について述べたいと思う。
 つまり,仏法,儒教,道教などの言葉を借りたりせず,軍記などの故事を用いたりせずに,自分の兵法の真実にせまりたい。》


 ***

 どうでしょう。
 この冒頭の部分だけでも,『五輪書』の精神が,なんとなく伝わってくるように思いませんか。

 その「精神」とは,一種の「リアリズム」とか「合理主義」のようなもの。
 「科学」や「技術」の精神の芽生えも,そこにはあるように思えます。

 私は,はじめてこの本を読んだとき,思っていた以上に「近代的」な内容だと思い,新鮮に感じました。

 ほかにもたとえば,武蔵の「リアリズム」を述べた,こんなくだりがあります。
 「兵法とは,武士とは何か」ということを論じた箇所です。

 そこからの「和文和訳」で,今回はしめくくります。


 《兵法とは,武士のたしなむ道である。
 仏法では人を救うという「道」があり,医者には病をなおすという「道」があるようなもの。

 武士たるものは,たとえ才能がなくても,自分の能力に応じて兵法を修業しなくてはならない。 

 なぜか?
 世の中では,「立派に死ぬことこそが武士の道」だと思われているようだ。
 でも,そのような「死ぬ覚悟」は,武士の専売特許ではない。
 僧侶であっても,女性であっても,百姓であっても,正義や誇りのために死を覚悟するということはある。

 では,武士が武士であるとは,何によるのか?

 それは,敵と戦って勝つための兵法=剣術をたしなんでいる,ということによる。

 武士が兵法を行うのは,どんな状況でも,なんとしても,敵に勝つためだ。
 それによって,主君のため,自分自身のために名をあげ,身を立てる。これが兵法の「意味」といっていい。

 世の中には「兵法など習っても,実戦には役立たない」という人もいる。
 しかし,大事なのは実際に役に立つように兵法を学ぶことだ。そして,戦い以外のあらゆることについても役立つようなかたちで,兵法を学ぶことである。
 それこそが,真の兵法というものだ。》


(以上) 
 
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テーマ:歴史
ジャンル:学問・文化・芸術
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