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2014年04月20日 (日) | Edit |
 昨日の前回の続きです。
 本日4月20日はヒトラーの誕生日。それにちなんで,ヒトラーについて考えます。

 前回は,ヒトラーの軌跡を,年表形式でたどりました。ヒトラーについて考えるための基礎知識です。

 それをふまえて,「本題」に入りましょう。
 でも今回の記事は,前回を読んでいなくても,十分読めます。

 結局,ヒトラーとは何だったのか。なぜ,あれだけの権力を得て,世界を巻き込んで大惨事をもたらすまでになったのか?

 以下,私の考えは,セバスチャン・ハフナー『ヒトラーとは何か』(草思社)がおもな元ネタです。あとは,ハフナーと重なるヒトラー像を,さらに専門的な研究を通して論じた,イアン・カーショー『ヒトラー 権力の本質』(白水社)を参考にしています。

 そして,このブログで何度も取り上げた,政治学者の滝村隆一さんや,教育学者の板倉聖宣さんの著作にも基づいています。また,在野の思想家エリック・ホッファーの影響もあります。この人たちも,ヒトラーあるいは関連する政治思想について論じているのです。

 これらの学者がヒトラーについて書いていることには,多くの共通点があります。それについての,私なりの理解ということです。まちがいがあれば,もちろん私のせいです。

 ***

 ヒトラーについての通俗的なイメージは,「超人的な,人間ばなれした悪」ということではないでしょうか。映画やマンガに出てくるのは,そんなイメージ。

 これは,マンガの世界だけのことではありません。多くの一般的な知識人も,そういう前提で,ヒトラーについて語っています。

 「大衆はヒトラーの詐欺にだまされたり,暴力や脅しに屈服させられて,彼に従ったのだ。そのよう非道を迷いなく実行できたヒトラーは,人間ばなれした悪魔なのだ」

 こういうイメージを前提にすると,「ヒトラーとは何か」についての思考は停止してしまいます。
 でも「それではいけない」と,ハフナーはこう述べています。

《ヒトラーの政治思想を批判的に分析しないかぎり,彼の理論が人びとの考える以上に――それも決してドイツ人のあいだだけでなく,また意識的なヒトラー支持者のあいだだけでもなく――生き続ける》(『ヒトラーとは何か(旧版)』91ページ)

 おそらく,私たちのなかにはヒトラー的な発想が,いつのまにか芽生える可能性があるのです。その意味で,ヒトラーの思想は,ある種の普遍性を持っているといえます。たしかに,彼の主張や行動には,その時代の人たちを納得させるものがありました。それを,これからみていきます。 

 板倉聖宣さんは,「ヒトラーとは何だったのか」ということについて,明確に答えを出しています。

《ヒトラーは,大ドイツ帝国の「理想」を追った純粋な愛国者に過ぎなかったのです》(「ヒトラー現象から何を学ぶか」『たのしい授業』2007年3月号,99ページ)

 「人間ばなれした悪魔」ではなく,「愛国者」に過ぎない。
 もちろん,板倉さんはヒトラーを肯定しているのではありません。その「理想」は「とんでもない」ものだとしています。

《自分の「大ドイツ帝国の建設」という「理想」だけを追ったヒトラーには,家族もなく汚職をする必要もありませんでした。……汚職をするような政治家には強いマスコミも,とんでもない「理想」のために献身する政治家には弱いのです》(同,99ページ)

 「愛国者に過ぎない」とはつまり,つぎのようなことだと,私は理解しています。

 ***

 芸術家になる夢が破れ,放浪の生活を送る,元ホームレスの青年・アドルフ・ヒトラー。職も家族も,家もない。
 
 そんな彼が,情熱を傾けたのは,政治問題だった。「愛国者」として「大ドイツ」の理想について考えること。

 本当に望む「夢」がなわないとき,代わりの何かを追い求める,というのはよくあること。

 そして,ハフナーも言うようにその対象が「政治」であることも,一般的だった。個人の生活やたのしみの幅が狭かった当時は,「政治」について語ることは,人びとにとって今の時代よりもはるかに大きな意味があった。

 「大ドイツの理想」は,当時(第1次大戦後)のドイツ人にとって,おおいに訴えるものでした。
 第1次大戦でドイツは,英・仏などに敗れました。その結果,過大な賠償金を課せられたり,軍備を制限されたり,国の一部が切り取られてしまうなど,残念な目にあっていたのです。

※なお,ヒトラーはオーストリアで生まれ育ったので,「オーストリア人」といえます。ただし,ドイツ語を話す,広い意味での「ドイツ人」ともいえます。青年ヒトラーが帰属意識をもったのは,オーストリアではなく,広い範囲のドイツ人を包括する「大ドイツ」でした。

 彼は,貧しい生活を送りながら,カフェなどにある新聞・雑誌や書籍を手あたりしだい読みあさり,政治や社会について知ろうとしました。孤独な独学を続けたのです。

 そんなヒトラーが,右翼の弱小政党(のちのナチ党)に出会います。その出会いの当初,ヒトラーは飛び入りで,自分の政治主張について演説をしています。言いたいことは,山ほどある。

 その演説が,その場で大喝采。彼は,自分の演説や扇動の才にめざめます。

 これまで社会のなかの「無能者」として生きてきた彼にとって,「自分の演説で人を動かせる」ことを知ったのは,震えるほどうれしかったはずです。

 そして,「政治家になりたい」と思うようになります。ホームレスだった,学歴も家柄もない青年にとっては,かなり無茶な「野望」です。しかし,全力で活動を重ね,ほんとうに政治家になったのでした。

 ヒトラーは政治活動に,心底から全力を傾けることができました。それは,彼の初期の成功の鍵だったといえます。
 仕事も友人も恋人も家族もなく,「政治」以外に何もなかったのですから。
 
 そして,「政治以外,何もない」という状態は,その後もヒトラーの生涯にわたって続きました。
 
 まず,このようなヒトラーの「出発点」をおさえることが大事だと思います。
 もともとのヒトラーは,「どこにでもいる若者だった」といえるのではないでしょうか。

 今の世の中で,ネット上で熱く政治談議をしている青年のなかに,彼と似た境遇(あくまで境遇がです)の人は,いないでしょうか。

 ***

 つぎにおさえたいのは,「なぜ,ヒトラーは独裁的な権力を手に入れたか」ということ。

 それを「デマや暴力のせいだ」というのは,まちがいです。少なくとも,それは一面的な見方ではないでしょうか。

 ヒトラーはたしかに,デマや暴力を,フルに使っています。冷静な目でみれば支離滅裂な,あやしげな扇動をくりかえしています。自分の自由になる「暴力実行」の部隊を編制し,それを使って反対勢力を潰したりもしました。

 でもそれだけが,彼の権力の源泉ではありません。

 デマや暴力は,権力を掌握する初期の段階では,たしかに重要でした。しかし,「国民の心からの支持を得る」には,それでは足りません。しかし,「大ドイツの理想」を実現するために諸外国と戦うには,そのような「国民の支持」に基づく,絶大な権力が必要でした。そして,1935~36年ころには,それを手に入れていたのです。

 これは,彼が国家の指導者として大きな「実績」をあげたからです。
 その最初のものが,「大恐慌で混乱に陥った経済の再建」です。

 ヒトラーが首相に就任した1933年,ドイツには600万人の失業者がいました。これを,ヒトラーは3年後にはほぼ一掃してしまったのです。シャハトというエコノミストを経済政策の責任者に抜擢して,公共事業などの財政出動を積極的に行った成果でした。その公共事業のひとつに,有名な「アウトバーン(高速道路)」の建設があります。

 それは基本的には,アメリカのルーズベルト大統領が同時代にとった「ニューディール政策」と共通するものでしたが,ニューディール政策よりも,明らかな成果をあげたのでした。

 こういう「成果」をあげると,世間の評価は変わってきます。

 ハフナーの表現では《あの男(ヒトラー)には欠点があるかもしれない。だが彼は我々に再び職とパンを与えてくれたんだ》(前掲書,33ページ)という声が支配的になってくるのです。

 そして,ヒトラーはより確かなものになった権力を駆使して,「大ドイツ」建設に向け動きはじめたのです。

 まず,国際社会の秩序を破って,軍備拡大を開始。

 軍備を拡大すると,軍人の多くは,ヒトラーの味方になっていきました。軍の組織が大きくなると,もともとの将兵たちは自動的に昇格したり,いろいろと立場がよくなっていくものです。軍拡を行う指導者は,軍人にとっては大歓迎です。

 そして,その軍備を用いて,最初はラインラントやチェコ(の一部)のような,「もともとドイツといえる」あるいは「いえなくもない」という地域を手にいれる。そこからだんだんと,範囲を広げていく……

 これは,第1次大戦後,国際社会のなかで屈辱を味わい,また大恐慌で苦しんだドイツ国民にとって「明るいニュース」でした。
 「ヒトラーが,我々のプライドを取り戻してくれた!」と感激する人も多かったのです。

 その頂点は,1940年にドイツ軍がフランスを征服したことでした。

 ヒトラーは,誰もが想像しなかった,とほうもない「成果」をあげたのです。
 こうなると,「神」のような権威が生まれるでしょう。

 ハフナーは,こう述べています。

《このようにほとんど全国民を自分の支持者にしたこと,それも十年足らずのあいだにやり遂げたことは,恐るべき業績だった。しかもデマゴギーによってではなく,業績によってなのだ》(前掲書,41ページ)

 このあと,ヒトラーは英仏だけでなく,米国やソ連にも宣戦布告して,まさに全世界を相手とする戦争に突入していきます。ユダヤ人の大量虐殺も加速していきます。

 ヒトラーがそのような「暴挙」を実行できたのは,1940年ころまでの「成果」があったからです。これまでの実績から「ヒトラーについていくしかないだろう。総統ならどんなことでもやってしまうのではないか」という了解が,国民のあいだにあったのです。

 こうした視点は,近年はいろいろな本で説明されており,かなり普及したといえるでしょう。でも,もっと知られていいはずです。

 ***

 もうひとつ,かなり流布しているヒトラーについての捉え方に,「ヒトラーの政治思想は,体系も何もない滅茶苦茶なものだ。その行動も場当たり的にイケイケで進んだものに過ぎない」というものがあります。

 「ヒトラーの思想は空っぽ」ということです。

 これも,誤った捉え方だと,私は考えます。
 この点は,主著の『我が闘争』などにあるヒトラーの主張や,その思想をきちんと解説したものを読めばわかることです。

 だいじなのは,「知識人をうならせるような手の込んだものでなくても,思想は思想だ」ということ。多くのインテリは,ヒトラーの思想がおよそ学問的とはいえない,いびつで貧しいものであるために,「こんなものは」と切り捨ててしまうのです。

 かなり有力な説として,「すべてに反対するのがファシズムである」という主張があります(ヒトラーの主義主張は「ファシズム」という政治思想の一種とされる)。ファシズムは「反社会主義」であり,一方で「反資本主義」でもあり,国際主義にも反対し,反ユダヤでもある。そのように積極的な主張があるわけでなく,何にでも反対するネガティブな意志にこそ,その本質がある,というのです。

 これは,まさに「ヒトラーは空っぽ」という論です。

 でも,ヒトラーの言動を偏見なくみれば,そこにそれなりの積極的な主張や考えがあることは明らかではないでしょうか。

 その核にあるのは,これまでにも述べたように,「大ドイツの理想を実現しよう」ということ。

 戦争に敗れ,落ちるところまで落ちたドイツの栄光を取り戻そう。

 では,ヒトラーにとっての「大ドイツの理想」とは何なのか。

 それは,じつに単純なことで,「領土の拡張」です。まずは,彼にとって「もともとのドイツ」といえる,オーストリアやチェコなどを取りもどす。

 さらに,そのような「ドイツ本体」を守るために,その周辺をも従属させる。たとえばポーランドは,そのような「周辺」にあたる。

 また,そのような「大ドイツ」をはばむ敵は撃破する。フランスやイギリスはそう。

 どうでしょう。こういう主張をヒトラーは著作や談話で述べています。
 そして何より,実際に行動に移しているのです。

 ただし,ヒトラーの「理想」はこれだけでは終わりません。
 おどろくべきことに,ここからさらに,理念として「世界制覇」まで突き進んでいくのが,ヒトラーの思想の特異な部分です。つまり,こんな展開です。

 こうして,「ドイツ」を中心とする,ヨーロッパ全体を支配する一大帝国が建設される。それを踏み台にして,遠い将来には,文字通りの「世界制覇」も視野に入れていく。ただし,自分の生涯では,「ヨーロッパ制覇」くらいで時間切れになるだろうが……

 「世界制覇」にどこまで近づけるかは別にして,この「理想」に向かって進むには,とにかく「戦争」です。

 「大ドイツ」ひいては「世界制覇」のための戦争に必要なことは何か。

 それは,国の持つ資源・産業・人材のすべてを戦争に動員して,総力をあげて戦い抜くことだ。
 そのためには,「国のすべてを動員できるだけの権力」が存在しないといけない。
 その権力こそが,議会や憲法などに一切拘束されない「総統」なのだ。

 ヒトラーがつくりあげた権力の根底には,以上のような発想があります。
 単純化していうと,「世界征服のための体制」です。

 「戦争」を至上目的にして,社会全体のしくみを徹底的につくりなおしていく。それが「ファシズム」の政治。

 ではなぜ,「世界征服」しないといけないのか?

 それは,「優秀な人種・民族の宿命」みたいなもの。

 ヒトラーは,自分の属する民族的な集団を「ドイツ」というほか,「ゲルマン」「アーリア」と呼んだりしています。その定義はあいまいで,意味不明な点が多いです。しかしいずれにせよ「自分の属する優秀な人種」が,この世界には存在している。その「優秀な人種」が,世界を支配しないといけないのだと。

 一方で,この世界には「ユダヤ人」という,一種の「悪魔」がいて,この世界を汚している。彼らもまた,世界を支配することを狙っている。だから我々は,彼らと戦わなければならない。彼らをドイツから追い出すだけではダメだ。世界から抹殺しないと。

 以上,単純化して述べると,あきれかえるような内容です。「ひどい」と思います。
 でも,「積極的な主張が何もない」ということはありません。ちゃんと一定の「主張」があり,「内容」があります。

 この思想・世界観から「何をすべきか」も,明らかです。

 「戦争」をするのです。そのためにどんな社会的取り組みが必要か。それは「平和と繁栄の社会」を築くために何が必要か,というよりもずっとはっきりしているのではないでしょうか。

 そして,その「単純さ」は,ヒトラーの思想の「強さ」です。
 もしもヒトラーを信頼するとしたら,「単純」なだけに,その思想は多くの人の「腑に落ちる」のですから。
 「腑に落ちた思想」は,行動を生みます。

 以上の捉え方は,多数派の学者の考えではありません。おもに滝村隆一さんの論に拠りました。

 滝村さんは,つぎのように述べています。

《「ファシズム」思想は,当該民族の極端な対外的自己主張から出発している。そのため,その思想的徹底と体系化ともない,否応なしに,当該民族による世界征服と世界帝国建設の夢想にまで突っ走る必然性を,はじめから内在させている》(『国家論大綱 第1巻下』473ページ)

《「ファシズム」国家では,戦時国家体制がほとんど極限まで徹底・強化されるとともに,その常態的固定化と永遠化が,最初から言明されることになる》(同,479ページ)


 それは《巨大な軍事力の創出というただ一点で国民社会を強力に支配・統制することから出発する》(同,480ページ)

 「なんだ,それだけか」ということなかれ。
 
《この〈ただ一点〉がじつは大変な曲者なのだ。…この〈ただ一点の強力な統制〉は,国民社会の政治的編成と経済体制を,ごく短期間のうちに大きく変形させ変質させかねない》(同,481ページ)

 なお,前に述べたように「ヒトラーの思想を検討する必要」を説くハフナーも,ヒトラーが「空っぽ」ではなく「積極的な主張を行っている」という前提に立つわけです。

 ***

 ヒトラーは,単純で粗雑な,インテリからはバカにされるような「思想体系」を,孤独な独学でつくりあげたのです。正統な教育や教養に触れることができなかった彼がつくった思想は,インテリたちのつくった「社会主義」などとは異質なものでした。権威ある知識や教養の枠組みのなかにおさまらないものだったのです。

 だからこそ,「何にでも反対するのがファシズムだ」という学者がいるのです。

 たしかに,ヒトラーの正体は「ただの愛国者」なのでしょう。

 でも,もう少しつけ加えるなら,その「愛国」は,一般の連想するところとは,だいぶちがう。

 「かなり本気で,世界制覇を夢見る愛国」――それがヒトラーの「愛国」です。
 
 彼は,そのような「理想」を本気で信じ,それに生涯をささげたのです。

 そして,その「理想」を一時であれ,かなりのところまで実現しました。さらに突き進んで,世界全体を相手にするような狂気の沙汰の戦争に足を踏み入れ,多大な犠牲を出しました。また,戦争の勝利には関係のない(むしろマイナスなはずの)ユダヤ人虐殺などということも実行した。彼の思想や世界観に従って,それらを行ったのです。

 こういう人間のことを「狂信者」といいます。
 
 思想家エリック・ホッファーに『トゥルー・ビリーバー』という著作があります(邦訳は『大衆運動』)。「根っからの信奉者・狂信者」と訳せるでしょう。右翼や左翼の過激な政治運動に身を投じる人びとについて論じた,エッセイ集です。

 こうしてヒトラーのことを考えていくと,彼を一言であらわすなら「トゥルー・ビリーバー」というのが,ぴったりくるように,私は思います。

 自分自身が孤独な独学で生み出した「ヒトラー主義」の最も強烈な信奉者。
 それが,アドルフ・ヒトラーではないかと。

 「ヒトラー主義」的な思想は,またあらわれるかもしれません。
 内容はもちろんそのままではありません。その時代なりの素材や切り口,語り口になるでしょう。

 でも,いかにも素人的で,知識人の規格や伝統からは外れているけど,多くの人に訴える「強さ」を持つ危険な思想というのは,これからもあり得るのではないか。

 そうした思想に飲みこまれないために,ヒトラーのことは知っておく必要があるのです。

(以上)
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テーマ:歴史
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
でも,いかにも素人的で,知識人の規格や伝統からは外れているけど,多くの人に訴える「強さ」を持つ危険な思想というのは,これからもあり得るのではないか。そうした思想に飲みこまれないために,ヒトラーのことは知っておく必要があるのです。

確かにそう思います。「素人的だが,多くの人に訴える強さをもった,危険な思想」はとても怖いなあと思います。素人的な分かりやすい政治手段が成功を収め,実積をもつと一挙に信頼を勝ち取り,危険な思想も受け入れられ,その方に突き進んでいく可能性がある。停滞した社会状況を利用し,自分の思想を実現しようとする人も現れる可能性がある。いつも気に留めていかないといきませんね。しっかりと勉強していきたいと思いました。

2014/04/22(Tue) 20:24 | URL  | かずゆき #-[ 編集]
彼はむしろデイドリーム・ビリーヴァーじゃないですかw

エヴァブラウンの存在にも触れて欲しかったです。
思想だけを分解するより、
一個の人間として彼を理解するほうが
思想の解釈にも利する気がするのです。
2014/04/23(Wed) 10:58 | URL  | 偕誠 #-[ 編集]
かずゆきさんへ
コメント,ありがとうございます。
「危険な思想には騙されないぞ」と,私たちは思うわけです。
そのとき大事なのは,「思想を分析的に理解しようとする」ことだと,私は思っています。
つまり,私たちは,ある思想の中に,非常に惹かれる部分があると,たとえ「危険」な面があっても,その全体を見ずに受け入れてしまったりするのです。その逆で,思想のある部分に自分の価値観や正義と合わない部分があると,全体を理解しようとはしなくなる。それではやはりあぶなかっしいのではないかと。
2014/04/23(Wed) 20:57 | URL  | そういち #-[ 編集]
偕誠さんへ
コメント,ありがとうございます
「デイドリーム・ビリーヴァー」というのも,いいですね。

私も,私なりに「一個の人間」としてヒトラーを理解しようとしたつもりです。そのとき,ヒトラーの特徴として「政治活動以外の側面の貧しさ」ということを,つよく感じました。
これは記事で紹介したハフナーも指摘していますが,ナポレオンとかレーニンとか毛沢東などと比べて,たとえば女性関係や家族のこととか,仲間や友人との関係などが,たいへん薄い感じがするのです。エヴァ・ブラウンにしても,たとえばレーニンにとっての(奥さんである)クルプスカヤとか,毛沢東にとっての江青とはちがって,彼の深いところには関わってないように思います。(だから,彼女はそれを悩んだ)
ヒトラーの場合,彼の思想を分解することが,彼を理解するうえでまず行わなければいけないことのように思いました。野球の野村監督が「野村引く野球はゼロ」といっていましたが,単純化すると「ヒトラー引く政治はゼロ」みたいなイメージを,私は持っています。しかしこれもまた,ひとりの人間の在り様だと思うのです。

もちろん,記事のなかで,以上のような見方についても,もっと述べてよかったのかもしれません。
2014/04/23(Wed) 21:17 | URL  | そういち #-[ 編集]
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