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2014年05月04日 (日) | Edit |
 「世界遺産」への登録が確実になった,群馬県の富岡製糸場がおおぜいの見学客でにぎわっているといいます。GWの人気スポットになっている。
 そこで今回は富岡製糸場の話を。

 富岡製糸場は,1872年(明治5)に開業した,官営の「模範工場」のひとつです。蚕の繭から絹糸をつくる工場。
 明治政府が,西洋の近代産業を日本に導入するための「モデルケース」としてつくったのです。経営も政府が行いました。

 この辺までは,かなりの人が,だいたいのことであれば知っています。

 では,その後富岡製糸場がどういう経営状態だったかについてはご存じでしょうか? 順調に利益をあげていた? それとも赤字だった?

 「だいたいにおいて大幅な赤字だった」というのが,答えです。

 巨額の投資をして,高給の外国人技術者を雇い,従業員も比較的恵まれた条件。とにかくコストが高い。この工場でおもに用いられた,輸入品の最新機械設備は,当時の日本にとってはあまりにも高価でした。さらに官営ならではの非効率な運営もあり,その経営はうまくいかなかったのです。

 これは,当時の日本でいくつかつくられた,官営工場に共通することでした。

 そこで政府は1880年代以降,官営工場を民間へ払い下げていきます。富岡製糸場は,1893年(明治26)に三井家に払い下げられました。

 もちろん,経営がうまくいかなかったとしても,官営工場は「日本の産業の近代化」にとって大きな役割を果たしました。「これが近代的な産業というものだ」ということ,その「威力」というものを,人びとに実物で示したのです。

 そして,官営工場に学んだ(あるいは影響を受けた)民間人の中から,当時の日本の「現実」にあわせた近代的工場をつくる人たちが出てきます。

 たとえば,諏訪(長野県)の中山社という企業は,まさにそうでした。中村隆英『日本経済 その成長と構造(第3版)』(東京大学出版会)には,こうあります。

《中山社はすべての設備を近隣の大工,加治屋の手でつくらせた。木にかえられるところはすべて木を用い,鉄を使わない。いかに資本節約的になったかは,富岡では模範工場とはいえ,300釜で19万円余の設備費を要したのが,100釜の中山社の総設備費が1900円にすぎなかったといわれているところにあらわれている》(77~78ページ) 

 中山社が,日本の実情にあわせて工夫して設備をつくったら,富岡製糸場とくらべ(もしも同じ規模の設備なら)「数十分の1」のコストでできた,ということです。

 そのようなコストダウンができたからこそ,日本の製糸業は,競争力のある産業として成立していくわけです。

 以上の「官営工場の限界」や「民間によるコストダウン」については,原田泰『世相でたどる日本経済』(日経ビジネス人文庫)で,はじめて知りました。原田さんは,つぎのように述べています。

《…経営的にはうまくいかなくとも,これらの官営模範工場は新しい技術,生産様式の力を人々に示した。その意味で模範工場は模範であった。
 しかし,欧米から導入された新しい生産技術を日本の状況(低い労賃,高い資本財価格)に適応させる努力は,むしろ民間の企業家によってなされた》(86~87ページ)


 ***

 発展途上国が「近代化」するときの大きな壁に,「先進国の技術を,自国の現実に適応させる」という課題があるはずです。
 
 外国から先進技術を導入して「模範工場」をつくる――ここまでは,多くの国の指導者が行っています。そして,その「模範工場」はたいていの場合,赤字を垂れ流して終わるのです。
 そこから先の「自国の現実への適応」というところまで,なかなか進めない。ここは,むずかしい課題なのです。

 しかし,明治の日本人は,その「課題」をクリアすることに成功しました。
 中山社は,そのような(少なくとも一定の)成功事例のひとつということです。似たことが,ほかの場所や分野でもあるでしょう。

 「後追い」で近代化を行う国にとって,成功のカギは「中山社のようなケースがどれだけ出てくるか」なのです。

 ところで,私は知らないのですが,中山社の設備は,今どうなっているのでしょう? 少しだけ検索してみたけど,よくわかりませんでした(調べ方が足りないのかもしれませんが)。

 明治時代のものが何か残っていて,それなりの展示がされているのかもしれません。でも「世界遺産登録」などとは無縁な状況でしょう。
 コストを削って地味に・堅実につくった工場なのです。もしも残っていたとしても,観光スポットとして,富岡製糸場ほどの「華」はない。

 でも,そもそも「歴史において,ほんとうに革新的で重要な営み」というのは,「観光スポット」にはなりにくいのではないでしょうか。

(以上)
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テーマ:歴史
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
そういちさんの論点とは少し違いますが、こんな記事もありました。

▼日本のおカイコさん-2/富岡製糸場への疑問 | 蝉の日和見
http://cicadan.blog111.fc2.com/blog-entry-45.html

なかなか興味深かったので、ご紹介まで(^ν^)
2014/05/05(Mon) 10:33 | URL  | がんじー #55sksP6o[ 編集]
がんじーさんへ
コメント,ありがとうございます。そして返信遅くなり恐縮です。旅行に行っていたことや,帰ってからもうまく時間がとれず,遅くなってしまいました。

ご紹介の記事,ざっとですが私も興味深く読みました。
私と「視点が異なる」だけでなく,手近な本を少しあたっただけの私と違って,主題に対しきちんと調べておられます。その点では比べようもありません。
そして,ご紹介の記事がテーマとする「女工哀史は本当だったのか?」というテーマが,多くの人の関心や議論を呼ぶものであることも,この記事への読者の方がたのコメントなどから実感しました。

しかし,このテーマについて,私は少し戸惑うところもあります。これは,「問題」として十分に定義されていない,答えの出にくいテーマだと思うのです。
「女工たちは『悲惨』だったか?」というのは,問いかけとしてあいまいなところがあります。少なくとも「官営工場の採算はどうだったのか」「設備投資の費用はいくらだったのか」といった問いのほうが,ずっと答えがはっきりしています。そして,そのような,人によっては「単純で平べったい」と思うような問いかけからも,「近代化にとって大事なことは何か」といった大きなことを考える手がかりを得られると思うのです。

ただし,がんじーさんご紹介の記事は,そのへんのこと(「女工の悲惨さ」を問うのは一筋縄ではいかない)を自覚していたとも思います。事柄の多面性(良い面・悪い面)を意識した記述になっていたと思います。
2014/05/07(Wed) 22:17 | URL  | そういち #-[ 編集]
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