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2014年06月07日 (土) | Edit |
 今の世界で,最大・最強の国というと,どこでしょう? 
 多くの人は「アメリカ(合衆国)」というはずです。

 「衰退してきた」という見方もありますが,アメリカは今も世界最大の経済大国です。
 アメリカのGDPは14~15兆ドル。世界第1位の規模で,世界全体の約2割を占めます。
 (GDP=国内総生産は,その国で1年間に生み出された付加価値の総額。その国の経済規模をあらわす。以下の人口なども含め,ざっくりと「2010年代はじめ」の数値)

 軍事力でも圧倒的な存在で,世界の軍事費の約4割は,アメリカによるものです。人口は3.2億人で,世界第3位(1位中国:14億人,2位インド:12億人)。2000年には2.8億人でしたので,近年も人口が増えているということです。

 では,アメリカに次ぐ大国・強国というと,どこでしょうか?
 「二番手」の国ということです。

 それは一昔前なら,少なくとも経済にかんしては,日本でした。2000年当時,日本のGDPは世界第2位で,世界の15%ほどを占めていました。

 しかし,その「二番手」の座は,2010年代初頭に中国にうばわれてしまいました。現在の世界でGDP第2位というと,中国。日本は3位で,世界に占めるシェアは8%ほど。中国のGDPは,今や日本の1.2~1.3倍の規模です。

 「経済大国」となった今の中国は,軍備増強もすすめています。そして,周辺諸国や国際社会への自己主張も強めています。たとえば,東南アジアの国ぐにや日本に対し,強引な「領有権」の主張をしたりしている。

 今の中国は,世界の「二番手」として自信を深めています。そして,「一番手」であるアメリカ中心の世界秩序に対し,挑戦的な姿勢を示すようになってきた,といえるでしょう。

 もしも,中国がそのような姿勢をさらに強めていったら,世界に大きな緊張感をもたらすはずです。
 悪化すれば,かつての米ソの冷戦(1950~80年代)のように,「ひとつまちがえれば世界大戦になりかねない」状況に……これは避けないといけません。

 ***

 この200~300年の近代における,世界の大国の興亡をみると,それぞれの時代の「二番手」が最強・最大の「一番手」に挑戦して,大きな戦争になる,ということが何度かくりかえされてきました。

 それは世界に大きな不幸や被害をもたらしました。
 そして,挑戦者の「二番手」は,ほぼいつも負けています。
 その結果,国の体制の崩壊に至っています。

 例をあげていきます。まず,1700年代のイギリスとフランスの戦い。
 この2国は,当時のヨーロッパの2大勢力でした。当時の最先端をいく大国でした。近代的な産業の発展や植民地の獲得でイギリスがリードする「一番手」であり,フランスはそのあとを追っていました。
 
 1700年代に,両国は大きな戦争をくりかえしています。「スペイン継承戦争」「オーストリア継承戦争」「七年戦争」などです。その争いは当時英仏の植民地だった北米にも飛び火して,はげしい戦いがくり広げられました。

 一連の戦争にフランスは破れました。そして,ばく大な戦費のために,フランスの国家財政は破綻しました。

 1700年代末(1789年)にフランスでは「大革命」が起こって,ルイ王朝による支配が倒されました。その背景には,財政破たんによる政治の弱体化や混乱がありました。

 つまり,1700年代における「二番手」フランスは,「一番手」イギリスに挑戦して敗れ,体制も崩壊してしまったのです。

 ***

 しかし,「フランスの挑戦」の物語には,まだ続きがあります。

 フランスでは,革命がはじまって以来10年ほどの間,さまざまな混乱がありました。しかしその後,1800年代初頭には,ナポレオンが独裁的な権力を確立したことで,ようやく国がまとまりました。

 フランス革命は,国王や貴族の支配を倒した革命でした。当時のヨーロッパ諸国のほとんどは王国です。そこで「革命が自国に及んでは大変」と,周辺諸国はフランスに軍事的圧力をかけてきました。

 このときフランス軍を率いて戦い,外圧をはねのけたリーダーが,ナポレオンでした。

 やがて,勢いを得たナポレオンはヨーロッパの周辺諸国(イタリア,ドイツ西部,スペインなど)へ進軍し,つぎつぎと征服していったのです。

 このような「ナポレオン戦争」は,じつは「フランス対イギリスの戦い」でした。ヨーロッパの「反フランス勢力」のバックには,イギリスがいました。そして,ナポレオンの大活躍は「イギリスへの挑戦」だったわけです。

 しかし,ナポレオンはけっきょくイギリスとの戦いに敗れました。イギリス本土上陸をめざして大きな作戦を展開したりもしましたが,大敗しています。そのほか,さまざまな敗北の結果,彼の政権は1815年には完全に崩壊しました。

 そして,ナポレオン戦争を最後に,フランスが「二番手として世界秩序に挑戦する」ことはなくなりました。その後のフランスは,イギリスなどの「一番手」と基本的には手を組んで,世界の「体制側」に立つようになりました。

 ***

 「ナポレオン以後」の1800年代はどうだったのか? 
 さまざまな戦争はありました。しかし「一番手と二番手のあいだの大戦争」はなかったのです。その意味では,世界情勢は比較的安定していました。イギリスという圧倒的な「一番手」が世界に君臨していたという感じです。

 「ナポレオン以後の1800年代は,比較的安定していた」というのは,「1900年代前半の,世界大戦の時代に比べれば」いうことです。

 1900年代前半には,ナポレオン戦争をはるかにしのぐ規模で,「一番手と二番手の大戦争」が起こりました。2つの「世界大戦」です。
 
 そのときの「二番手」は,ドイツでした。

 ドイツは1700年代やナポレオンの時代には,「大国」とはいえませんでした。いくつもの国に分かれていて,今のような「統一的な,大きな国としてのドイツ」はまだなかったのです。

 しかし,1870年代に,今のドイツに匹敵する統一国家「ドイツ帝国」が成立して,「大国」としての姿をあらわします。
 この「ドイツ統一」は,日本が明治維新によって「いくつもの藩に分かれていた状態から,統一的な国家体制になった」のと似ています。

 その後のドイツは大きく発展し,フランスをしのぐ「ヨーロッパ大陸最強・最大の国家」となります。「ヨーロッパ大陸」というのは,「イギリスを除くヨーロッパ」をさします。

 経緯の説明は省きますが,第一次世界大戦(1914~1918)も,第二次世界大戦(1939~1945)も,「新興の大国である二番手ドイツが,一番手イギリス(とその陣営)に挑戦した」というのが基本的な構図です。
(そういえば,今年2014年は,第一次世界大戦勃発からちょうど100年なんですね)

 1900年代初頭のドイツ帝国は,巨大な工業力や軍事力を持っていました。しかし,世界の植民地支配などではイギリスやフランスに遅れをとっていました。
 そのような「遅れて発展した国」であるがゆえの不利な部分がいろいろあったのです。そこで「イギリス中心の世界秩序」に不満を持っていました。

 第一次大戦は,「イギリス・フランスなどVSドイツ・トルコなど」の戦いでした。

 そして,ドイツは破れ,イギリス・フランス側の勝利で終わりました。
 なお,この戦争の終盤には,イギリス側にアメリカも参加しました。(日本は少しだけ,イギリス側で参戦)

 第二次世界大戦は,以下の国ぐにの戦いでした。

 「アメリカ・イギリス・フランス・ソ連・中国など(連合国)VSドイツ・日本・イタリア(枢軸国)」
 
 **

※世界全体のGDPに占める主要国のシェア(%)

       1820年   1870年    1913年 
アメリカ   1.8      8.9      19.1
イギリス   5.2      9.1       8.3
ドイツ    ―       6.5       8.8
フランス   5.5      6.5       5.3
日 本    ―       2.3       2.6

(アンガス・マディソン『経済統計で見る世界経済2000年史』より)

*上記の表は,とりあえず以下の点を確認。
・1820年時点ではアメリカはまだ小さく,フランスとイギリスは競り合っていた。
・1870年時点では,イギリスが一番で,アメリカがそれに追いついた。1870年代に統一されるドイツは,フランスに匹敵する存在だった。
・第一次大戦前夜の1913年では,アメリカが世界最大となり,一方でヨーロッパではドイツが最大となって,世界の「二番手」的な存在になっている。

 **

 第二次世界大戦をひき起こした中心は,ヒトラーのナチス・ドイツでした。
 この大戦は,ドイツにとって「第一次大戦のリベンジ・マッチ」という性格がありました。

 第一次大戦で勝利したイギリス側は,敗けたドイツに重いペナルティを課しました。2度と戦争ができないように,本格的な軍備を禁止し,ばく大な賠償金を課したのです。

 第一次大戦でドイツは,ボロボロになりました。経済は荒廃・混乱して,国民の多くが苦しみました。しかし,イギリス側は苛酷な要求をしたのです。

 ドイツはその後立ち直り,1920年代には安定した時期もありました。しかし,1929年にはじまった世界大恐慌をきっかけに,ふたたび政治・経済は混乱しました。

 そんなドイツで「愛国心」を訴え,「立ち上がろう」と呼びかけたのが,ヒトラーでした。

 1933年に選挙を通して政権を得たヒトラーは,政治的手腕を発揮して,大恐慌後の経済の混乱をおさめることに成功しました。そして国民の圧倒的な支持をもとに絶対的な独裁者になったのでした。

 その後,ヒトラーは軍事増強をすすめます。「イギリスへのリベンジ」「ドイツが最強であることを示す」といったことがヒトラーの目標でした。

 1930年代後半になると,ヒトラーは「目標」の実現に向けて,周辺諸国への侵略をはじめます。そして,途中までは連戦・連勝でした。一時はフランスを含め,ヨーロッパ大陸の主要部をほぼ制圧してしまったのでした。第二次世界大戦は「ヒトラーの戦争」だったといえるでしょう。

 しかしけっきょく,イギリス・アメリカとの戦いに敗れて,ナチス・ドイツは崩壊してしまいます。
 
 戦後,ドイツは東西に分割され,1990年に再統一されるまで,その状態が続きました。分割されたドイツは小粒になって,「二番手」ではなくなりました。

 ***

 第二次世界大戦後の世界は,新しい「一番手」と「二番手」の時代になりました。
 新しい一番手は,アメリカです。
 二番手は,ソ連(ソビエト連邦)です。

 ソ連は,1917年にそれまでの帝政ロシアの政権が倒されて成立した,社会主義国家です。

 社会主義体制となったロシアは,その後今のウクライナ,カザフスタン,バルト三国等々の周辺諸国を併合して,巨大な連邦国家をつくりました。それが「ソビエト連邦」です。この国は1991年の体制崩壊まで続きました。

 アメリカは,それまでの「一番手」であったイギリスと戦わずして,「新チャンピオン」となりました。
 すでに1800年代末に,アメリカの工業力は,それまでトップだったイギリスを超えて世界一になっていました。

 ただ,当時のアメリカはまだまだ「新興国」で,軍事力や文化の力を含めたトータルな実力では,「イギリスをしのいでいる」とはいえませんでした。

 しかし,第二次世界大戦後には,アメリカは世界のなかで圧倒的な存在になっていました。
 アメリカじたいがさらに発展したことに加え,イギリスは戦争のダメージが大きく,多くの植民地も失って,すっかり勢いをなくしたからです。

 そんななか,新しい「超大国」としてソ連が頭角をあらわしたのでした。

 これまでの話では省略していましたが,じつはソ連=ロシアは,ナポレオンやヒトラーの野心をくじくうえで大きな役割を果たしています。

 ナポレオンもヒトラーも,「第一の敵」はイギリス(とその陣営)でしたが,ロシアを「もう一つの重要な敵」として位置づけ,戦争をしかけているのです。そして,両者ともロシアとの戦争をはじめたことで,「泥沼」にはまっていきました。

 さらに,ナポレオンもヒトラーも,ロシアとの戦いには敗れました。それが契機となって最終的な敗北へと転げ落ちていったのでした。

 ロシアは歴史的に「二番手の野望に立ちはだかった国」だったわけです。

 しかし,第二次世界大戦後のロシア=ソ連は,自らが「一番手に敵対する二番手」となりました。

 ソ連は,巨大な連邦国家を築くだけでなく,ポーランド,チェコスロバキア,ハンガリーなどの東ヨーロッパ諸国を属国化して「社会主義国の陣営」を組織し,その絶対的なリーダーとなりました。

 その結果,世界のおもな国ぐには「アメリカを中心とする〈自由主義≒資本主義〉の陣営」と「ソ連を中心とする社会主義の陣営」に分かれて対立するようになりました。

 アメリカ側は「西側」,ソ連の側は「東側」とも呼ばれました。両者の対立は1950~60年代にはとくに深刻となり,一時は「核戦争」さえおこりかねない状況でした。「東西冷戦」の時代です。

 米ソが直接戦火を交えることはありませんでした。しかし,朝鮮戦争のような「代理戦争」はありました。つまり,ある国において,米ソそれぞれがかかわる勢力が激しく戦うということがあったのです。

 そして,地球を何十回も滅ぼすことができるほどの核ミサイルを配備して,おたがいににらみあっていたのです。戦火を交えなくても,ほとんど臨戦状態。だから「冷戦」というわけです。「冷戦こそが第三次世界大戦だった」といってもいいかもしれません。

 冷戦時代のソ連には勢いがありました。1950年当時の世界で,GDPが最大だったのはアメリカで,世界のGDPの27%を占めていました。そして,第2位はソ連で,10%を占めていたのです。3位はイギリスで,7%でした。(アンガス・マディソンの前掲書による)

 また,1957年に世界ではじめて人工衛星を打ち上げたのも,1961年にはじめての有人宇宙飛行に成功したのもソ連でした。そのような力があったからこそ,アメリカに対抗できたのです。

 しかし,ソ連の勢いは続きませんでした。ソ連の社会主義体制は,あまりに非効率で理不尽で,人びとの創意やエネルギーをダメにしてしまうものでした。

 1970年代以降は,ソ連のさまざまな歪みがしだいにはっきりしていきます。
 1980年代には,政治も経済も明らかにボロボロになっていました。科学技術でも西側に大きく後れをとるようになりました。1980年代後半にはゴルバチョフという改革者があらわれて再編成を試みますが,けっきょく1991年にソ連は崩壊してしまいました。

 つまり,「二番手ソ連」は,「一番手アメリカ」との戦いに敗れ,崩れ去ったのです。自滅していった,といえるでしょう。

 ***

 ソ連のあと,強力なアメリカへの挑戦者は,あらわれていません。

 ただし,1980年代の日本は「二番手の経済大国」として,アメリカに経済の戦いを挑んだ」といえるのかもしれません。

 高度経済成長(1950~60年代)を経た日本は,1960年代末までには西ドイツやソ連を抜いて「GDP(GNP)世界第2位」の経済大国になりました。

 1990年には,日本のGDPは世界の14%ほどを占めるようになっていました。これは,世界1位のアメリカに対し5割の規模です。

 日本がこれまでに「1位との差」を最も縮めたのは,このように「アメリカの半分」に達したときでした。
 しかし,前にも述べたように今の日本のシェアは世界の7~8%ほど で,アメリカの3割になっています。

 1980年代には,自動車などのさまざまな日本の工業製品が世界を席巻しました。
 日本からの大量の輸出品が,欧米の国内産業をおびやかしたために,両者のあいだの政治的対立,つまり「貿易摩擦」がとくにはげしくなったりもしました。
 この「貿易摩擦」は,日本にとって最大の貿易相手であったアメリカとのあいだで,最も深刻でした。

 また,1980年代後半の日本企業は,積極的にアメリカの不動産を買収したりもしました。その買収物件のなかには,アメリカ人にとっておなじみの有名な建物・施設もあったので,アメリカ人の反発も生じました。

 「日本はやがて世界一の経済大国になる!」と息巻く「識者」も,当時はいたのです。若い人には信じられないかもしれませんが。 

 しかし,ご存じのとおり,そのような日本の勢いは続きませんでした。

 1990年代初頭の「バブル崩壊」以降,日本経済は長い低迷期に入ります。世界のGDPに占める割合も低下するなど,世界のなかでの存在感もやや薄れてきています。2010年代には,「GDP世界2位」の座も中国にとって替わられました。

 1980年代から今日に至る日本は,「〈二番手〉としてささやかに・平和的にアメリカに挑戦し,敗れ去った」といえるでしょう。

 これは,第二次大戦の「敗戦」以来の,大きな「負け」です。

 大戦のときは,「二番手」などまだ遠くおよばないレベルのうちに,アメリカという巨大な「一番手」に無謀な挑戦をして,悲惨な結果となりました。1980年代には,大きく成長した「二番手」として再挑戦しましたが,やはり勝てなかったのです。

 ***

 そして,2010年代の今,中国という新しい「二番手」が姿をあらわしてきました。
 この新しい「二番手」がどのようなスタンスや行動をとるかで,世界は変わってきます。

 中国の人びとは,ここで述べたような世界史の基本的な事実は,しっかりふまえておいたほうがいいでしょう。

 つまり,「二番手が,戦争というかたちで一番手に挑戦するたび,世界は大きな混乱や不幸にまきこまれてきた」ということ。

 そして,だいじなのは「いつも二番手は,一番手に負けてきた」ということ。

 そういうと,「アメリカによる世界支配を肯定するのか」と,怒る人がいるかもしれません。

 でもこれは「アメリカの優位を良しとする」というのとは,別次元のことだと思っています。とにかく「事実」をしっかりおさえよう,ということです。

 イギリスまたはアメリカが中心の「世界秩序」への挑戦は,この300年間,つねに悲劇を生み,失敗してきました。この「挑戦」に立ちはだかる壁は,きわめて厚いのです。

 「それはなぜなのか」については,ここでは踏み込みません。
 ただ,少しだけ述べておくと,それはけっきょく「近代の文明の威力」ということだと思います。

 1800年代のイギリスと,1900年代以降のアメリカは,世界において「近代」のトップランナーでした。近代的な科学技術や政治・経済の運営において,トップを走っていたのです。

 ほかの国が部分的に何かで上回ることはありました。一時期のドイツの科学技術や,日本の工業や,ソ連の宇宙開発などは,そうです。しかし,「近代の遺産をトータルに使いこなす」という点では,かつてのイギリスや今のアメリカをしのぐ国はあらわれなかったのです。

 その意味で私は,「勝利してきたのは,イギリス,アメリカといった個々の国家というよりも,それらの国の力の源となった〈近代の文明〉ではないか」と思っています。

 そして,「近代の文明」はイギリス,アメリカの独占物ではないはずです。

 それはこれまで,世界のさまざまな国ぐにが「近代」を受け入れること,あるいはより高いレベルで受け入れることによって,発展してきたのをみればわかります。明治以降の日本は,そのいい例です。

 また,アメリカだって,もしも将来「近代の精神」を失っていくとすれば,衰退していくにちがいありません。

 「挑戦して敗れた」国のうち,フランスやドイツや日本の人びとは,多かれ少なかれ,「近代の威力」というものを思い知ったのでしょう。

 だからこそ,それらの国ぐには,「敗れた」のちはイギリス・アメリカ陣営に加わりました。それに反対する人もいた(今もいる)わけですが,かなりの人が「あっちへ加わったほうがいい」と感じたのも事実でしょう。だから,現在がある。

 不安なのは,今の中国の人たちは,まだ「思い知っていない」ということです。
 かつてのフランス人やドイツ人や日本人のような大やけどをしていない。

 だから,無邪気に「これからは中国が世界を制覇する」「中華帝国を復興しよう」などという人が,エリートにも庶民にもいるわけです。

 中国人は,歴史に学ぶことができるでしょうか?

 むずかしいかもしれません。なにしろ,社会主義や冷戦を経験し,一度は「やけど」をしたはずのロシア人でさえ,今の政権のもとで「西側」への挑戦的な姿勢を強めているのです。

 しかし,むずかしいのだとしても,「歴史に学ぶ」ことについては,私たちはくりかえし確認しなくてはいけないはずです。

(以上)
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コメント
この記事へのコメント
「一番手と二番手の争い」は,さまざまなところで,起きていたのですね。アメリカと日本の貿易摩擦も,その枠組みでとらえることができる,というのは分かりやすかったです。
 近代文明のなせる現象であり,歴史の教訓である。というのは印象的でした。
2014/06/07(Sat) 21:01 | URL  | かずゆき #-[ 編集]
興味深く拝読しました。逆に、二番手が戦いを挑んで勝った例は、歴史上あるのでしょうか?? どこまで一般法則として通じるのかなーということが、気になりました。
2014/06/07(Sat) 23:38 | URL  | がんじー #gJtHMeAM[ 編集]
かずゆきさんへ
長文の記事を読んでくださって,さっそく感想を寄せていただき,ありがとうございます。

おっしゃるように,これは「近代」のなかでの考察ということだと,とらえていただければと思います。それ以前の時代では,国と国の争いは,ちがった様子になっていますので。

「一番手」と「二番手」は,やはり何かと対立しやすいのだと思います。勢いのある二番手は,一番手の既得権に反発し,いろいろと対立する傾向があります。一番手はそれをけん制する。しかし,そこで全面的な対立となるかどうかが問題です。そのとき,「二番手」がどういう道を選択するかが大事なように思います。

今回とりあげた事例では,「一番手」が積極的に「二番手」に全面戦争をしかける,ということにはなっていません。一番手があの手この手で二番手にプレッシャーを加えるというのはありますが,既得権のある側は,基本的には大きな戦争など望まないのではないか。

「二番手」としては,「一番手」のプレッシャーは理不尽なものであり,怒りを感じて「全面対立」を選びたくなることもあるでしょう。しかし本当は,「一番手」と組んで,その枠組みの中で自己主張する,という選択肢が一番現実的で,自国にも世界にもよい結果を生むのではないかと思います。
2014/06/08(Sun) 08:12 | URL  | そういち #-[ 編集]
がんじーさんへ
コメント,ありがとうございます。ご質問の点はだいじなところで,尋ねてくださってありがたく感じております。

まず,今回の「一番手」「二番手」に関する考察は,近代史の中でのみ通用する話だと考えています。この話は,「グローバルな国際関係の成立」や「戦争が大規模化して,国の力の多くの部分を動員する傾向になった」といったことを前提としています。それはゆるやかにみれば1500年代以降のことだし,厳密にみれば1800年代からです。

では,1500年代以降に「二番手が一番手に戦いを挑んで勝った」例はあるのでしょうか。

1500年代後半に新興国イギリスが,スペイン帝国に戦いを挑んで勝利したケースは,それにあたるのかもしれません。イギリスとの戦争で「無敵艦隊」が破れたあたりから,急速にスペインは衰退していきます。
ただ,この時代のイギリスは明確な「二番手」とはいえなかったかもしれません。トータルな国力ではフランスのほうが上だったかもしれない。

それに,その後ストレートに「イギリスが一番」の時代が来たわけでもありません。1600年代はオランダの繁栄の時代でした。オランダは,もともとはスペイン領でしたが,やはり1500年代後半にスペインとの独立戦争を戦って勝利したのです(イギリスもオランダを支援しています)。

スペインvsイギリス・オランダのケースは,すっきりしないところもありますが,「第二グループ的な格下の国が一番手に挑戦して勝利し,次の時代のトップに立った事例」といえると思います。その意味で,ここに「例外」が成立しているわけです。

そして,「イギリス・オランダの台頭」は,別の意味でも「例外」的です。
それは,スペインとの闘いに勝利したあとのイギリス・オランダにおいて「最初の本格的な近代社会」が成立したからです(たとえば,イギリスの清教徒革命や名誉革命は1600年代のこと)。
近代社会・近代文明の基本的な枠組みは,1600~1700年代のイギリス・オランダで形成されたと,私はとらえます。

そして,その後の近代史の展開は,「近代社会の家元」であるこれらの国を中心に展開するわけです(ただし,オランダはあまりに小規模なので,主役はイギリスとなりました)。
アメリカというのは,「家元」の親戚筋みたいなもの。だから,アメリカは「独立戦争」のときをのぞいて,イギリスに真正面から戦争を挑むということはなかった。

「二番手による挑戦の歴史」は,「近代社会の家元とその親戚筋」に対する「あとから近代化した国」の挑戦の歴史です。そして,「二番手」がつねに負けてきたのは,「近代文明」というものの完全な理解や習得ができていないままに,「家元」に挑んできたからです。

1700年代のフランスは,専制君主が支配する絶対王政であり,市民革命を経て当時としては最も近代的な政治体制を築いていたイギリスに負けたのです。たとえば当時のイギリスは財政の近代化によって,フランスよりもはるかに高い戦費調達能力がありました。

ナポレオンは,自分自身は「自由のために戦った」といっていますし,その面があるのですが,しかし前近代的な専制君主でもあるわけです。彼が君臨する国家は,ほんとうの「近代国家」ではない。
ヒトラーのナチスの体制や,ソ連の社会主義は,近代的な自由主義や民主主義とは真っ向から対立するものです。
1980年代の(あるいは現代の)日本も「官僚支配」であるなど,「近代社会としては不完全ではないか」という見方があります。

つまり,これまで敗れてきた「二番手」は,みな「近代社会とはいえない」か「近代社会としては不十分」「近代社会としてはいびつなところがある」ということです。
そこで,記事のくりかえしになりますが,「一番手の勝利の歴史」というのは,けっきょくは「近代文明・近代社会の勝利の歴史」なのではないかと思うのです。

つまり,がんじーさんの質問にお答えするとすれば,「この話は,世界の一画に〈近代社会・近代国家〉が成立して以降の歴史において成立する」といえるでしょう。そして,正確いえば「二番手はつねに負ける」という法則ではなく,「近代文明を理解していないと一番手にはなれない」ということです。そして,歴史的にみて二番手の国は近代文明を十分に理解しないまま,一番手に無謀な挑戦をしてきたのです。

中国がアメリカに勝利するときがくるとすれば,それは今のような体制のままではありえません。

かつてのドイツや(戦争のときの)日本やロシアのような愚かなことはせず,これから100年くらいのスパンで,黙々と平和的に「近代化」をすすめていくことです。いつかは平和的に共産党の独裁体制も解体しないといけないでしょう。

そうすれば,もともと人口が大きな国ですから,おのずと「誰がみても世界最大・最強」になれるのです。しかし,愚かな対外戦争や内戦をおこして長期化すれば,そのような可能性は当分は閉ざされてしまう。これは中国にとっても世界にとっても不幸なので,そうならないで欲しいものです。
2014/06/08(Sun) 09:27 | URL  | そういち #-[ 編集]
そこで,記事のくりかえしになりますが,「一番手の勝利の歴史」というのは,けっきょくは「近代文明・近代社会の勝利の歴史」なのではないかと思うのです。

 1番手2番手というような,国どうしの争いの中で,近代文明•近代社会の発展があり,その土台が造られていく,という方向性を取らずに,その発展を共にしていきながら,その恩恵を互いに得ることができるという,世界の枠組みが出来てほしいですね。それには,互いに交流を通し,勉強し合い,とことん話し合い,関係をつくりながら地道な努力を重ねなければなりませんね。
 こういう意味でも,ますます教育のあり方が大切になってくると思いました。
 1つの国が富めば,いいわけではありません。それではなかなか格差が縮まらず,不安定要素が減りません。
 この世界の人々が社会の発展の恩恵をどう受けていけるか,模索をし続けなければならないですね。そういう意味でもEUという枠組みは大きな実験だと思います。
宗教や慣習など,さまざまな今の枠組みを, どう世界の人々が,調整・変えていくかですね。
 いろいろ考えさせられることが多い内容でした。
2014/06/08(Sun) 10:14 | URL  | かずゆき #-[ 編集]
かずゆきさんへ
コメント,ありがとうございます。返信が遅くなり恐縮です。コメント部分も含め,記事をていねいに読んでくださって,ありがとうございます。

米ソ冷戦が終わって,これでかずゆきさんの言われるような「国どうしの争い」の時代も終わって,「共に発展していく」時代が来た,と私たちの多くは思ったのではないでしょうか。しかし,今の世界情勢をみていると,簡単にはいかない,とも感じるわけです。

それから,「一国が富めばいいわけではない」,国家間の格差を縮めていくことが大事だ,という点ですが,それはまさにそのとおりだと思います。そして,「格差を縮める」うえでは,あとを追う国が粛々と平和的に近代化をすすめていければ理想だと思います。

さらに,近代化をすすめるには,「互いに学びあう」という面以上に,「新興の国が先進国を模倣する」という面がより重要になるとも思います。しかし,以前に別の記事でも書きましたが,模倣には屈辱がともなうのです。だから,ある程度発展した国のなかには,先進国に学ぶという「模倣」に背を向けつつ,既存の「国家間の格差」を解決しようという動きが芽生えることがある。その極端なケースが「世界秩序に挑戦する戦争をおこす」ということかと思います。第二次大戦のときの日本にも,「欧米との格差を是正したい,アジアが一方的に屈服している状態を変えたい」という考えがあったわけです。

「模倣」の精神を見失ったときには,「世界のなかの格差を正したい」という発想は,とんでもない方向に国を導くことがあるのかもしれません。

私自身も,コメントなど拝見しながら,いろいろ考える機会となりました。
2014/06/10(Tue) 06:47 | URL  | そういち #-[ 編集]
「模倣」の精神を見失ったときには,「世界のなかの格差を正したい」という発想は,とんでもない方向に国を導くことがあるのかもしれません。

「模倣」は互いを高め合いう。進んだ国を遅れた国がまねすることで、その格差が高く是正される。「戦争」は互いを低め合う。進んだ国を遅れた国が壊すことで、その格差は低く是正される。両国とも回復していくのが遅くなる。
そういう捉え方をしてみました。なるほどと思いました。
2014/06/19(Thu) 07:15 | URL  | かずゆき #-[ 編集]
かずゆきさんへ・模倣と格差
コメントありがとうございます。
たしかに,格差を是正する方法としては何よりまず「模倣」です。 
しかし,これはかなり難しい。前にも述べたように「模倣には屈辱が伴う」からです。俗論では模倣は恥ずかしいこと,恰好悪いこととされている。これに対し「勇敢に戦うこと」へのあこがれが,私たちの中にはあるわけです。これは厄介なことだと思います。

なお,かずゆきさんが言われたことに少し「上書き」させてもらうなら,「戦争は,進んだ国と後に続く国がお互いに壊しあうこと」であり,「双方に大きなダメージを与え,双方の発展を遅らせる」ということだと思います。
たとえば,もしも第二次世界大戦がなかったなら,世界も,アメリカも,日本も,今の現実よりもさらに豊かになっていたのではないかと私は思います。ここは異論があるかもしれません。「戦争には社会を進歩させる面がある」「敗戦によって日本は旧体制が刷新され,発展した」という見解も有力だからです。このあたりのことは,またいつか。
2014/06/19(Thu) 21:41 | URL  | そういち #-[ 編集]
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