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2014年06月16日 (月) | Edit |
 ワールドカップの日本の初戦はコートジボワールに敗れ,残念な結果でした。

 ところで,コートジボワールの人口やGDP(国内総生産)って,ご存じですか?
 GDPとは,その国で1年間に生産された富(付加価値)の総額のこと。その国の経済規模をあらわす数字です。

 コートジボワールの人口は,2000万人(2012年),GDPは240億ドル(2011年)。
 日本(1億2800万人)とくらべると,人口は約6分の1。
 そしてGDPは,日本が5.9兆ドルですので,コートジボワールは日本の240~250分の1。

 コートジボワールの1人あたりGDPは1200ドル。日本(46000ドル)の40分の1。
 1人あたりGDPは,その国の経済の発展度を示す数字です。
 同国の経済発展は,「まだまだ」ということです。

 1人あたりGDPが日本の40分の1で,人口が6分の1。
 GDP(経済規模)は,日本の240~250分の1。
 
 「経済力」「国力」というモノサシでみたら,日本とコートジボワールは,くらべものになりません。
 でも,「サッカー」という価値観のもとでは,そんなことはたいした意味はないわけです。

 「サッカーの下の平等」といったらいいでしょうか。

 それは,ワールドカップのすばらしさのひとつだと思います。

 オリンピックは,こうはいかないのです。
 オリンピックではたとえば「メダルの数」という尺度があります。その尺度では,大国や先進国が圧倒的に優位です。つまり,現実の国際社会のなかでのポジションが,かなりそのまま反映している。
 開会式での選手団入場の行進をみると,大国と小国の差というものを感じます。アメリカのような大選手団がある一方で,たとえばアフリカの国などは,こじんまりした選手団です。1人2人しか選手がいない国もある。

 ワールドカップだって,現実の「国力」と無関係ということではありません。ワールドカップ出場国は,世界のそれぞれの地域において,一定以上の規模の,存在感のある国ばかりです。

 でも,出場国のなかに中国やインドはいません。
 アメリカは,オリンピックのときのような圧倒的な存在ではない。
 経済大国日本も,サッカーでは「発展途上国」にすぎません。

 ワールドカップにおいては,現実の国家間の力関係とはかなり異なるヒエラルキー(階層)があるわけです。
 南米勢が強豪であったり,アフリカ勢にもチャンスがあったりする。
 コートジボワールが,経済規模200倍以上の日本を負かしたりもする。

 ここでは「サッカー」こそが価値の尺度なのです(ほかに「お金」という尺度もあるようですが,それはおいておきましょう)。
 こういう世界的なお祭りがあるのは,やはりすばらしい。開放感のある,いい息抜きになります。

 ちなみに,つぎの対戦相手ギリシャの人口は1100万人。GDPは3000億ドル。1人あたりGDPは26000ドルです。
 ギリシャのGDP(経済規模)は,日本の20分の1ということです。

 でも,そんなことは関係ないのが,ワールドカップというものでした・・・それはわかっているのですが,私はついそういう数字を確認してしまうのです・・・

(以上)
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コメント
この記事へのコメント
お久しぶりです。

以前聞いた事が在るのですが、大陸毎でGDPを比べると、強い国はGDPが大きい場合が多いらしいです。
例えば、南米のブラジル、アルゼンチンとか、EU圏のスペイン、イギリスとか。
古い競技ですので、歴史を紐解くと強さがある程度解かるかもしれませんよ。
2014/06/16(Mon) 17:07 | URL  | ken #-[ 編集]
kenさんへ
コメント,ありがとうございます。おひさしぶりです。ときどき貴ブログを拝見しています。「独創的なアフォリズムの世界だなー」と感じつつ読ませてもらっています。

ご指摘のように,サッカー強国・大国は,GDPも大きい傾向があるはずです。
GDPというのは,いろんなことに影響を及ぼします。サッカーやオリンピックのようなスポーツの世界だってそうです。今回の記事でも,「GDPとサッカーは無関係」とは述べていません。「ワールドカップ出場国は,その地域において存在感のある国ばかり」と述べています。

でも,「GDPなどであらわされる国力・経済力との相関」が崩れているところも,あちこちでみられます。そのいい例が,世界のサッカーにおけるアメリカ合衆国や中国や日本やインドのポジションです。これらの国は,世界のなかで圧倒的な国力や存在感があるのに,サッカーではそのような存在ではありません。

記事のくりかえしになりますが,そういう「経済力・国力だけじゃない」というところが,サッカーワールドカップのもたらす「開放感」の一部になっているように思うのです。オリンピックにはない開放感があるわけです。

もっと単純化していうと,それは「アメリカ中心ではない」というところがポイントなのかもしれません。「アメリカ中心の世界秩序とは異なるランキングやヒエラルキーがある」というのが,サッカーワールドカップの魅力のひとつになっている,ということです。だから,WBCは「野球のワールドカップ」にはなれないのでしょう。将来,アメリカがサッカーの強豪になったりしたら,ワールドカップはつまらなくなるかもしれません。
2014/06/16(Mon) 21:58 | URL  | そういち #-[ 編集]
もっと単純化していうと,それは「アメリカ中心ではない」というところがポイントなのかもしれません。「アメリカ中心の世界秩序とは異なるランキングやヒエラルキーがある」というのが,サッカーワールドカップの魅力のひとつになっている,ということです。

ランクが固定されないというのが,面白みかもしれませんね。
よく「ハングリー精神がある国が強い」という言葉を聞いたことがあります。スポーツもそう単純ではないですね。
2014/06/19(Thu) 07:30 | URL  | かずゆき #-[ 編集]
かずゆきさんへ・サッカーワールドカップとGDP
コメントありがとうございます。
「ワールドカップの魅力は,国力・経済力にかならずしも比例しない,サッカーの下の平等といえるような価値尺度だ」ということを記事に書いたわけですが,やや舌足らずだった,とも思っています。

というのは,この話の前提には「GDPであらわされる国力・経済力は,その国の社会や文化の,きわめて広い範囲に深い影響を及ぼす」という理解があるからです。しかし,そのような「前提」を多くの人が共有しているわけではないでしょう。

「GDPが社会・文化に及ぼす影響の大きさ」のイメージがあってこそ,「ワールドカップは,ほかの分野ほどはGDPに左右されない」ということが「新鮮」に思えるわけです。
でも,「GDPがいろんなことに関係がある」というイメージを多くの人が持っていないとしたら,今回の記事の話は「いまいちピンとこない」わけです。
そんなことをあとで考え,多少反省しました。

「GDPや1人あたりGDPと,社会のさまざまな要素の相関」というテーマは,以前に『フラッグス・る?』という社会科関係の自著で多少扱ったのですが,いずれもう少し踏み込んで論じてみたいものです。
2014/06/19(Thu) 21:55 | URL  | そういち #-[ 編集]
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