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2014年07月03日 (木) | Edit |
 もう7月ですね。そろそろ夏休みのシーズン。
 このところ月初めには,「今月の名言」というのを載せています。

【今月の名言】(そういちカレンダー2014より)

自由とは,必然性の洞察である。

ヘーゲル(ドイツ観念論の哲学者,1770~1831)

ヘーゲル

 ヘーゲルの言葉とされるが,じつはヘーゲルの発想を思想家エンゲルスがまとめたもの。
 「対象の性質や構造を知り,それに応じた働きかけをすれば,望むことを実現する自由を得られる」という意味。だが「自由とは必然性の洞察」というほうがテツガク的。
 コツをつかんで何かがうまくできたとき,なすべきことを行って結果が得られたとき,この言葉をつぶやいてみるとカッコいいかもしれません(^^;)

***

じつは先月は「今月の名言」をやらなかったので,今回はもうひとつ。

どんなに悪いことでも,そのなかに含まれている良いことを除外して考えてはいけない。またより悪いこともそれに伴っていることを忘れてはいけない。

デフォー(1660~1731,英国)『ロビンソン・クルーソー』より

無人島で

 難破して無人島に1人生き残った主人公の独白です。とにかく自分は今生きているのだ。

 この言葉はブログ孤独な放浪者の随想(hajime作)で知りました。若い読書家が,古典からさまざまな言葉や視点を紹介しつつ思索するブログです。
 私も『ロビンソン・クルーソー』は読んだことがあるのですが,この言葉はスルーしていました。
 困ったとき・つらいときには,この言葉を思い出すと,少しは冷静になれそうな気がします。

(以上)
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コメント
この記事へのコメント
善悪は表裏一体。
見方次第で善悪は変わる。という感じの解釈で良いでしょうか?

こういった短い文章は、捉え方が難しいですね。
2014/07/03(Thu) 07:56 | URL  | ken #-[ 編集]
kenさんへ
 コメントありがとうございます。
 おっしゃるように「善悪は表裏一体」というのに,ほぼ近いと思います。ただ,「表裏一体」というほどシンプルに整理した捉え方ではない。「ものごとにはいろんな側面や要素がある。悪いことも視点や問いかけを変えればそこに良いことがみえる場合もある」といったところでしょうか。そして「悪いことの中に,さらに悪いこともある」というのも「いろんな側面を見る」ということだと思います。

 「ものごとのさまざまな側面をとらえる」というのは,「弁証法」という論理の世界の入口です。たまたまですが,今回いっしょに取りあげたヘーゲルは弁証法の大先生ですね。

 短い言葉は,説明が足りないので,捉え方がむずかしいところがたしかにあります。
 でも,「あいまいで言い切ってないかんじ」も「含蓄」があって悪くない,ということもあるかもしれません。
2014/07/03(Thu) 21:33 | URL  | そういち #-[ 編集]
ありがとうございます。
こんにちは。kenさんもコメントしていらっしゃいますね。意見やコメントを残してくれる貴重な読者さまなんです。

ヘーゲルはなんとなく僕にとって印象がよくないんです。僕自身がキルケゴールから哲学に入っていったということもあるでしょうし、なんとなく批判の対象になっているイメージが強く、今までその著作に触れることなしにきてしまいましたが、そういちさんはどのようにお考えでしょうか?

もし、なにかおすすめの作品、ヘーゲルについてのなにかアドバイスございましたら、おねがいできないでしょうか。

ブログ内の言葉を紹介していただき、ありがとうございます。恐縮です。
少し前に書いた「ロビンソン・クルーソー」の記事からの引用でいささか驚きました。同時に、適切な理解と価値の共有ができたことに喜びを感じました。

それにしましても、広範囲にテーマを扱い個性的なブログに仕上がっていてすばらしいですね!またおじゃまします♪
2014/07/04(Fri) 12:56 | URL  | hajime #-[ 編集]
Re: ありがとうございます。
 こんにちは,コメントありがとうございます。
 今回は,貴ブログの『ロビンソン・クルーソー』からの「引用の引用」をしましたが,またいつか同様の引用をさせていただくかもしれません。たとえば,ソローとか。この人はやはり魅力的ですね。

 キルケゴールに思い入れがあるとなると,たしかにヘーゲルは印象が悪くなりますね。
 両者の哲学は,同じ「哲学」といっても,全然別の学問だと思います。

 キルケゴールの哲学は,乱暴な言い方をすれば「人生論を学問的・論理的に深く述べたもの」といえるでしょう。そして,現代の哲学というのは,その扱う世界を「人生論」や「倫理学」,あるいは「論理学」などに限定しています。

 ところが,ヘーゲルの哲学は,もっと大風呂敷です。つまり「森羅万象の論理を究める」というのが,彼の哲学。だから,いかにも「哲学」な感じの論理学などについて述べるだけではありません。彼の学位論文は「惑星軌道論」でした。『エンチュクロペディー』という著作では,電気学などの当時の「先端科学」についても論じています。そして,世界史や法学のような社会科学的な分野でも独自の理論を展開しているのです。そのような学問的な作業のうえに「世界についての一般理論」といえる彼の「論理学」の世界があります。

 こういう「森羅万象の学としての哲学」というのは,今は骨董品です。
 ヘーゲル以後(1800年代半ば以降)は,「科学」の時代になります。つまり「森羅万象の学」ではなく,「個別的・専門的な領域を究める学」の時代になるわけです。

 キルケゴールの時代になれば,ヘーゲルのような「森羅万象の学」の感覚で世界を解釈する「哲学」など,時代錯誤になりつつあった,といえるでしょう。キルケゴールは,そのあたりを察知して,「哲学」を「森羅万象の学」から「学的人生論」に再編した1人だと思います。「哲学の現代化」をすすめた重要な哲学者だったということです。

 でも,ヘーゲル的な「森羅万象の学」って,私は魅力的なだと思っています。やはり大風呂敷な魅力がある。
 なじめない人もいると思いますが,「これこれでそういうものだ」と思ってみていただければいいと思います。

 私の尊敬するある学者は,へ―ゲル哲学の感覚を「世界を手のひらに乗せる」(ようなものだ)と説明していました。キルケゴールに言わせれば,「手のひらに乗せて眺めて何になる」ということでしょう。「私たちは世界の中で生きているんだから,世界の『中』にいる人間の視点でものを考えるべきだ」というわけです。

 たしかにそれも一理あります。でも,たまには「手のひら」に乗せるような感覚で,この世界について考えてみてもいいのではないでしょうか。そこで得られるものもあるはずです。

 ヘーゲル入門でオススメはつぎの2つです。もしよろしければ。
 (でも,私も「入門」のままで終わっているのかも。ほかのヘーゲルは読んでもピンときませんでした。本棚に並べているだけかもしれない)

 『哲学史序論』岩波文庫 冒頭の「就任演説」だけでも。
 『歴史哲学講義 上・下』岩波文庫 長谷川宏氏による新しい感覚の翻訳で読みやすい。

 コメントいただいたおかげで,前から書いてみたいと思っていたことを書く機会となりました。ありがとうございます。またよろしくお願いします。
 
2014/07/04(Fri) 21:34 | URL  | そういち #-[ 編集]
勉強になります。
ヘーゲルについて大々的にわかりやすく記事にしていただき大変うれしく思いました。
「引用の引用」については大歓迎です、少しでも多くの人に人生を豊かにする言葉が届けられることはうれしいことですから。
ぜひ、よろしくお願いいたします。

なるほど、僕がまず不十分だったのは哲学体系、変遷を考えなかったことでした。時代が下っていけば、どんどん細分化されていきますし、専門化していくので、おおよそ時代背景を知っていれば疑問が解決できることもありますね。
これは、僕の好みなのですが、アリストテレスやソクラテス、プラトンという元祖ギリシャ哲学というものはなんとなく古典ではあるもののまだ未熟という気がしています。だから読んでいないのです。ヘーゲルについても同じ感覚を持っている事実を発見しました。
「世界を手のひらに乗せる」と「世界の『中』にいる人間の視点で考える」という解説は非常にわかりやすく、おもしろかったです。とても納得しました。
たしかに、僕自身もつい、意味や役に立ちそうか、という「学問のすすめ」から始まった実学偏重傾向にあるので、もっと大きな視野をもって、魅力やおもしろさを感じ取れる深い人格を持たなければなりません……

二冊選んでいただき、恐縮です、ありがとうございます。
書店で発見次第読んでみます!またその際はコメント差し上げるかもしれませんが…


哲学が科学的なテーマから人生的なテーマに限定されてきたのは最近のことなのですね、大変勉強になりました。
ありがとうございます。
2014/07/06(Sun) 22:37 | URL  | hajime #-[ 編集]
Re: 勉強になります。
 コメントありがとうございます。「勉強になった」と言っていただき,たいへんうれしいです。

 哲学や学問全体の歴史的な変化という視点は,やはり重要だと思います。
 その観点からみれば,hajimeさんが「古典といわれる哲学を未熟と感じる」のは,当然ではないでしょうか。昔の哲学が「森羅万象の学」だとして,そのような学問を築くための基礎データは,その時代の個別的分野の学問や社会の状況に制約されています。未熟な学問的知識の蓄積や,未発達な社会のあり方が前提なら,そこで出来上がる哲学にも限界があるわけです。

 言ってしまえば,「大哲学者」のヘーゲルだって,原子論や細胞説や進化論のような科学の基本も知らないわけです(それらの理論は1800年代半ば以降に成立・確立した)。彼の時代以後の歴史の展開だって,当然ですが何も知らないのです。産業革命の本格的な展開も世界大戦も東西冷戦も何も知らない。
 そのような学者のつくった理論が「未熟」に思えるのは,ある意味当然です。そして,やたらと崇め奉ってはいけないのだと思います。

 でも,その一方で昔の大哲学者たちは,あなどれないところもあるのです。情報を抽象して理論化する能力はなかなかすごい,少なくとも昔の時代にたいしたものだ,と思うことが多々あります。その「たいしたもの」といえる部分が,人類の「学問的能力」を向上させるうえでの彼ら(大哲学者たち)の貢献です。 
 このあたりのことは,またいずれ記事に書きたいと思います。hajimeさんのコメントが刺激やきっかけになりました。ありがとうございます。
2014/07/07(Mon) 22:22 | URL  | そういち #-[ 編集]
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