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2014年07月23日 (水) | Edit |
 先日の連休の最後の1日は,妻といっしょに家の中のもろもろの整理をしました。

 ごちゃごちゃしていたキッチンまわりの棚の中,押し入れの引出しの要らないものを捨てて,すっきり。
 机まわりのライトの位置を変えたり,収納の汚れていた部分を重点的に拭き掃除したりといった,前から気になっていたこまかいことも実行しました。

 10年ほど使って傷んでいたキッチンのごみ箱も,無印良品で新しいのを買って交換。
 少々具合の悪かったパソコンの調整も,メーカーのサポートに電話して聞いて,行いました。

 翌日は私は出勤でしたので,休みをとった妻がひとりで引き続き取り組んでくれました。
 玄関まわりの収納2か所の整理。傷んでいた寝床のシーツを買ってきて取り換える,など。

 このような「家の整理」を,「夏休みの宿題」として,これから週末に順次行っていくつもりです。

 ***

 数年前,家の中を徹底的に整理したことがあります。

 押し入れの奥までひっくり返し,紙切れ1枚1枚まできちんと仕訳して,多くのものを処分し,残りはしかるべき場所へ納めなおしました。

 当時は浪人(失業)中で,時間があったのです。数日ぶっ通しでその作業に取り組むことができました。
 やり終えると,非常にすっきりした気分で,元気が出てきました。

 あれから,そのような徹底的な整理はしていません。
 ここ1~2年は私も妻もやや忙しくなって,家の中のことが多少おろそかになっているところもあります。
 それを立て直そうということで,2人でやりはじめたのです。

 妻はこれから,自分の書道関係の資料を整理していくとのこと(書道教室で子どもや大人に教えている)。

 私も,本や資料・書類を整理したい,と思います。
 我が家は,古い団地をリフォームしたもので,リビング,書斎,玄関まわりにつくりつけの本棚があります。
 そこにあるものを,もう少し減らしたい。

 書斎と本棚

 玄関のあたり

 リビング本棚1

 リビング本棚2

 私の持っている本は,文庫や雑誌も含め6000冊前後のはずです。
 本格的な蔵書家からみればたいした量ではありません。私の知り合いにも,私より多く持っている人が何人もいます。

 でも,その程度の本であっても,「自分には十分に使いきれていない」と感じます。
 きちんと消化して,何らかのアウトプットに活かせるのは,持っている本のうちの何割かに過ぎません。「ただ抱えているだけで,なんにもならない」という本が,たしかにかなりあるのです。

 ある程度の年齢(もうすぐ50歳です)になって,「自分のやり方」「自分の関心」「自分にできること」が,最近ますますはっきりしてきました。
 すると,本棚を眺めていて「これは,自分には使えない」と思える本が,前よりもわかってくるのです。
 本以外の,ファイリングなどで抱えている資料や書類でも同じことが言えます。

 使えない・読み返す可能性のない本や資料は「ぜい肉」です。
 それを,もっとそぎ落として身軽にならなくては,という思いが,最近つよくなりました。

 この数年,1~2年に1回は200~300冊の本を近所の「ブックセンターいとう」に買い取ってもらっていました。
 そういう整理を,今年はもう少し踏み込んで行いたいものです。
 蔵書を2~3割減らして,より「使える」ものを本棚に並べておきたいと思っています。その他の資料は半分くらいには減らしたい。

 ***

 以上の「整理」をしている合間に,小松左京の『宇宙人のしゅくだい』(講談社,青い鳥文庫)という本を手に取りました。小松左京による子ども向けのSF短編集。

 宇宙人のしゅくだい

 この本のことは,いずれきちんと紹介するとして,今回目にとまったのは,石川喬司による解説で引用されていた小松の言葉です。

 終戦間もなくの時期,若い小松は生活に苦労したそうです。それでも熱心に読書や勉強を続けました。その時代を振りかえっての言葉。

《学生時代を送った戦後はまた,長らくお先まっくらの時代であった。わたし自身の生活習慣も,考えてみれば,みごとに一種の乱世型になっている。
 なるべく,身のまわりを軽くすること,いろんなことを,なるべく自分でもつかえるように,身につけ,あるいは頭に入れておくこと。とぼしいものを,できるだけ工夫して,多様につかうこと。そのためには,あらかじめ,できるだけ長持ちする,しかも信頼できるものを選ぶ習慣をつけておくこと》


 これは,生活でも読書でも使える考え方です。
 この言葉,しっかりとかみしめて,家の整理をしていきたいと思いました。

 私は,ほんらい多くのモノを持っているほうではありません。人より多いのは本くらいです。

 それでも,最近は身のまわりにぜい肉がついたと感じます(実際の自分のおなかのように)。
 やはり,もう少し身軽になりたいものです。
 理想は「いつでも引っ越し・夜逃げができるくらい」の感じです。
 
 今の時代は,終戦後の焼け跡の時代とはちがいます。
 でも,ある種の大きな変動や変化が,多くの人に影響をあたえるのではないでしょうか。

 今の社会は,以前よりも「将来」を描きにくくなっています。 豊かにはなったけど,成長期の頃のような「見通しの良さ」は,もうない。望む・望まないにかかわらず「暮らしを変える」ことが,いつあるかわからない。

 そんな社会では,「身軽」になることは,意味があるように思います。

(以上)
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コメント
この記事へのコメント
久しぶりにコメント失礼いたします。


本棚を眺めていて「これは,自分には使えない」と思える本が,前よりもわかってくるのです。
 本以外の,ファイリングなどで抱えている資料や書類でも同じことが言えます。

この言葉がとても気になったのでコメントさせていただきました。そういち様は、なぜ使える本と使えない本を見分けられるようになったのでしょうか?また、もしも見分けられるならば、どのような基準を自分の中に持っているのでしょうか?

私は、まだまだ「これはいつか何かの場面で使えるかもしれない」という思いから、自分に必要かどうかあまり分からないうちに本を手に取ってしまいます。それが悪いこととは思っておりませんでしたが、そういち様が必要か否かを見分けがつくようになったという一文を読み、大変興味を持ったのです。もしもよろしければ教えていただければと

2014/07/26(Sat) 20:22 | URL  | どですかでん次郎 #-[ 編集]
どですかでん次郎さんへ
コメント,ありがとうございます。
 
私も,どですかでん次郎さんと同じく,「何かで使えるかも」という思いでつい本をため込んでしまう傾向があります。本好きというのはそういうものだと思います。

ただ,ここ2,3年は,以前よりは「使えるか使えないか」が少しわかるようになった気がします。それは「自分が何をしたいのか」「どのようなスキル・学力があるのか」が一層はっきりしてきたからだと思います。それは「前進」という面もありますが,歳をとって可能性が狭まったということでもあります。

「何をしたいのか」というのは,私の場合「どんなものを書きたいか」ということです。この3~4年はおもに(ブログ以外に発表のあてもないですが)「初心者向けの世界史入門」を書いています。そして,書いているうちに「自分が書けるもの」「書こうとしているもの」がわかってきます。そうすると,おのずと「この本は資料になる」「勉強・参考になる」というのはいくらかみえてきます。一方で「要らない」ものもわかってきます。「この本はテーマとずれている」「専門的すぎる」「古すぎる」「自分と考えが違いすぎる」といったことが感じられるのです。

とにかく「書いてみる」ことでわかってくる,という感じです。

また「自分の持ち時間」ということも以前よりも考えるようにました。今は世界史について書いていますが,ある程度書いてみて,世界史についてはまだ書きたいことがある,1冊分ではおさまらないと感じます。今書いているものを完成させたら,つぎは別のかたちで世界史について書こう,などと思います。すると,ほかに「やりたい」と思っていた「あれ」と「あれ」なんかとても無理ではないか,とも思うのです。そこで,たとえば「経済」関係の本は前より多く整理してもいいかも・・・などと考えます。

自分の関心・能力・持ち時間などが意識されると,本というのはいくらか整理されるように思います。
そして,「何か書いてみる」「活動してみる」等によって,「自分の関心」などはわかってくるのではないかと。

ただ,若いうちはいろんな可能性や「残りの持ち時間」もたっぷりあるのです。本もそれほど持っていません。だから,「可能性を蓄積する」という意味で,いろんな本をため込んでいく方向でもいいのかもしれません。経済的・物理的に可能な範囲で。

でも,先日も本棚を眺めていて,「やっぱりそんなには処分できないなー」などと悩んだりもしています。でも,今回は以前よりも踏み込んで処分するつもり。

以上,抽象的な話になりましたが,こんなふうに考えております。

貴ブログ,ときどき拝見しております。新生活,どうかお身体に気を付けてご活躍を。
2014/07/28(Mon) 06:47 | URL  | そういち #-[ 編集]
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