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2014年10月25日 (土) | Edit |
  ミニマムな書斎のイメージ

 今日は天気のいい週末ですが,家のなかで遊んでいます。

 上の写真は「ミニマムな書斎(最小限書斎)」のイメージです。
 家のなかにあるものを組みあわせて,「お遊び」「仮のもの」としてつくってみたのです。
 「なかなかいい」と思います。

 今私は40代のおわりですが,若いころから「読んだり書いたりする場所」に関心を持ってきました。20年かけてに段階的に「設備」を拡充していった結果,現在の「団地の書斎」ができました。家のあちこちにつくりつけた本棚には,何千冊かがおさまっています。

 これは,これでいいのです。
 私は自分の「団地の書斎」が気にいっています。

 さらに「せっかくだから,これをオープンにしてほかの人と楽しめるようにできないか」などとも考えています。「オープンハウス」「オープン本棚」のイベントです。これは11月29日土曜日に,東京・多摩市の我が家で開催します(詳細の告知は次回の記事あたりで)。

 モノを抱え込むこと,設備を備えることは,それはそれで楽しい。
 ただし,自分にとって愛着のあるものを持たないと,「楽しい」ことにはならないでしょうが・・・

  書斎と本棚
  団地の書斎 狭いがミニマムとはいえない

 ***

 その一方で,「そんなに多くのモノがなくても,読んだり書いたりはできる」とも思います。
 「ミニマムな書斎」があれば,なんとでもなる。
 そのイメージを,具体的な「絵」にしてみたのが,いちばん上の写真です。

 「デスク」は,無印良品の折りたたみのローテーブルで,5000円くらいのもの。
 「本棚」は,これも無印のパルプボードボックスで,1000数百円。
 あと,ニトリで買った1000円くらいのテンピュール(低反発素材)の座ぶとん。

 「蔵書」は厳選した愛読書が何十冊かあるだけ。あとは電子書籍か,図書館で。紙の資料も,この写真くらいの最低限のファイリングは行うが,できるかぎり電子化する(本棚に入るくらいの小型のスキャナーがあればいい)。

 ファイリングは,ボックスファイルに,クリアファイルを数十冊立てておけば,かなりの書類が整理できる。
 机のうえには,パソコン以外はペン立てひとつがあるくらい。
 あとはタブレット端末。プリンターはあってもなくてもいい。

 こういう「ミニマムな書斎」は,快適だと思います。
 「身軽さ」や「すっきりした気持ち」を味わえるでしょう。
 うまく使えば,相当な生産性を発揮することができるはず。
 パソコンやインターネットのおかげです。

 知的なエネルギーを持っている人(とくに若い人)のなかには,すでにこの写真のような書斎を使って元気に活動する人もいるでしょう。

 これから「書斎」を持ちたいと思う人は,「まずはこのくらいで十分」ということです。パソコンや蔵書を除くと数千円のコストで,機能的な書斎を構築することができるのです。

 私もいつか「ミニマムな書斎」で,読んだり書いたりしているかもしれません。それも悪くないですね。蔵書や資料の電子化が,納得のいくかたちでできるなら,それもいい。
 そのときは積極的に「シンプル」「機能性」「快適」といったことを追求したいと思います。

 そして,「今持っているものがなくたって,身軽に楽しくやれる」とイメージすると,「自由」を感じます。モノに執着することからくる不安や苛立ちがやわらぐのです。

 私の場合は「書斎」でしたが,それぞれが自分の関心のあることで「ミニマム」を考えてみるといいと思います。「ミニマムな台所」「ミニマムなワードロープ」「ミニマムなオーディオまわり」など。

  関連記事:ファイリングの本棚

(以上)
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コメント
この記事へのコメント
こんばんは
コメントありがとうございました。
双方でコメントしてくださり、丁寧ですばらしい心遣いだなと感じました。

やはり有限の「愛」にピンときましたでしょうか。
ブログを通してやりとりをさせていただいている女性のある方が、愛は無限という感覚があるとおっしゃられていて、私は「いわゆる母性に近いものではないでしょうか」と返答いたしました。
考えてみますと、女性は子に対してもそうでしょうが、服などの持ち物にしても論理的に把握していないように感じます。そのあたりが男性と違うなと思い、愛の無限、有限の感覚の違いも生まれるのかなあ、と思いました。


ソローは大好きな作家であり、大きな影響を受けた作家のひとりでもあります。また一方で、ソローによって人生が複雑になってしまったという風にも思っています。そういちさんがおっしゃられたように、「森の生活」以外の時期がどうだったのか――僕も同じくソローの人生のある一部である「森の生活」を人生全体に置き換えて考えるのは誤りだ――という懸念を抱きながら読みましたが、結局は社会で生きなければならないにもかかわらず、そのことに疑問を抱き、また抗うように生きてみること、それに意味と生産性があるのかということはなんともいえないところではないでしょうか。

いろいろと活動されている様子がうかがえるブログは読んでいて楽しいです!
自分の書斎というのにすごい憧れがあります。まだ実家の学習机をつかっていますから……
またおじゃまいたします。
2014/10/25(Sat) 23:38 | URL  | hajime #-[ 編集]
Re: こんばんは
コメント,ありがとうございます。
持ち物を十分に使いこなせないほどに抱えてしまう傾向というのは,男女ともにあるように思います。とにかく,今の世の中はモノが手に入りやすくなった,ということでしょう。

本だって,60~70年前には,平均的な文庫本が今の物価に換算して1冊2000円くらいしたしようです(以前に調べて計算したことがあります)。同じころ,私が古本で持っているハードカバーの当時の哲学書は,同じ計算で1冊2万円くらいの感じです。これでは,「いつのまにか本がたまってしまって」なんてことは,めったにありえません。洋服や雑貨についても,同じことがいえるでしょう。

要はモノが安くなった。経済・産業の発展のおかげ。
これだと,有限な「愛」の枠内でも,かなり多くのものを抱え込むことになってしまう・・・

また,モノが手に入りやすくなったからこそ,ソローのような「森の生活(超シンプルライフ)」の考えかたも,重要になってくるのだと思います。

「森の生活」は,それを文字どおり人生全体で実行するのは現実的ではないと,私は思いますが,その精神を生活に取り入れたり,あるいは限られた時間・時期だけできるかぎりの「森の生活」をしてみる,というのは意味があるように思います。ただし,それは現実の生活とのあいだで「あつれき」が起きる要素がある。たしかに「人生を複雑」にする面がありますね(シンプルな生活を志向しているのに・・・)

ソローだってウォールデンでの「森の生活」の時代は2年ちょっとのはず。そののちには,父親の商売(鉛筆製造)を受け継いで経営したりもしているようですね(ソローの本の巻末にある年譜で知りました)。

これからも,ちょくちょく当ブログへ遊びに来ていただければ,うれしいかぎりです。
2014/10/27(Mon) 07:12 | URL  | そういち #-[ 編集]
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