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2015年01月05日 (月) | Edit |
 今日1月5日から仕事はじめという方も多いと思います。
 私も休みが終わってしまいました。休みのあいだにやりたいと思っていたこと(考えたり,書いたりしたいことがあった)の半分くらいしかできませんでした。でも,半分くらいできたのだからいいか・・・

 そして,今日1月5日は,文豪・夏目漱石の誕生日です。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を,400文字程度で紹介するシリーズです。 

 ***

 
夏目漱石(なつめ・そうせき)

作家になることは大きな賭けだった

 明治~大正の作家・夏目漱石(1867~1916)は,英文学者として大学の講師をしながら,「我輩は猫である」などの小説を発表していました。小説は好評で,収入にもなりました。
 一方で,創作活動と教職の両立もたいへんになってきました。そんなとき,「帝国大学の教授に」という,結構な就職話も持ちあがりました。
 しかし,彼は教職を辞め,専業の作家として生きていくことにしました。漱石が40歳のときのことです。
 この転職は,彼にとって大きな賭けでした。
 小説が不人気なら,仕事はなくなってしまいます。また,当時は大学教授の地位は今以上に高く,作家の地位は低かったのです。それでも,彼はリスクの大きい作家の道を選びました。
 この決断がなければ,「文豪・夏目漱石」は存在しなかったでしょう。作家業に専念したことで,彼は多くのすぐれた作品を残すことができたのです。

山本順二著『漱石の転職――運命を変えた四十歳』(彩流社,2005)による。

【夏目漱石】
明治~大正の文豪。教職を辞めてから,朝日新聞と契約して作家生活に入る。49歳で病死したので,専業作家としての活動は10年ほど。小説のほか,評論・講演でも後世に影響を与えた。
1867年(慶応三)1月5日生まれ 1916年(大正5)12月9日没

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 漱石は,40代で人生の大きな変更をしたわけです。
 エリートコースから「やりたいこと」の世界に行ったのです。

 でも,決して中高年が無謀な「夢」を追うというものではありません。
 すでに作家としてかなりの名声を得ていましたし,朝日新聞の専属作家として「安定した高いギャラ」がもらえるよう,契約内容などにもこだわっています。家族を養う「家長」として,生活の十分な糧を得ることは,絶対条件でした。
 
 それでも,「作家」はやはり不安定な仕事。
 くりかえしになりますが,漱石は相当な「賭け」をしたのだと思います。

 だがしかし,自分ももう40になって,あとどれくらい精力的に書けるのだろう,このまま「いずれ」と思っているうちに,活発に動ける「旬」の時期を過ぎてしまうのでは,という思いもあったはずです。そこで,踏み切ったわけです。

 たしかに,人生には「旬」というのはあるのでしょう。
 漱石は良い例です。漱石が40代に作家専業で活躍できなかったら,名は残したでしょうが,あれだけの「文豪」にはなっていないはず。それに,49歳で亡くなっているのですから,「作家への転職」が,もうあと何年か遅れていたら,活動時間はごくかぎられたものになっていたかも。

 「やりたいこと」がある。そして人生には,「旬」や「時期」がある。
 しかし,自分や家族の暮らしというものもある。

 その辺のせめぎあいで悩む大人は,世の中にたくさんいます。
 そして,それぞれの選択をしています。

 ただ,私自身は漱石のように,どこかで踏み切って「やりたいこと」へ進んでいく人生に惹かれます。
 自分自身も,ある時期に勤めた会社を辞めたりしているからでしょう。

 でも,軽々しく人に「今の仕事を辞めてしまおう」などとはいいません。
 私自身の経験からも「辞めて生きていく」のは,やっぱり大変です(まだまだ苦労が足りないのでしょうが)。
 でも,魅力的なところがあるのです。

 結論は出ませんが,漱石の人生からあらためて考えました。

(以上)
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