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2015年02月03日 (火) | Edit |
 「イスラム国」をめぐる議論で気になることのひとつに,「国家とは何か」ということがあります。
 「国家とは何か」について,混乱があるように思うのです。
 そして,その混乱は「イスラム国」という「敵」を理解するうえでの障害になっているのではないか。

 「イスラム国」なんて,あんなものは「国家」ではない。

 そんなことがよく言われます。

 なぜかというと,「国際社会で承認されていないから」とのこと。

 「国際社会での承認」というのは,「アメリカなどの大国間での合意」です。要するに「多数決」あるいは「談合」です。そんなことで決めるなんて,あまりに「理屈」がなさすぎます。理論的とはいえません。

 もう少し理論的であろうとするなら,「きちんと整理された定義・要件にあてはまるかどうか」という視点で議論すべきです。

 
 また,イスラム国が対外的なテロや支配地域内での残虐行為を行っていることから,「こんなひどいことをするなんて,国家ではない」などとも言われます。

 これも,私は理解に苦しみます。国家がテロや残虐行為を内外で行ったケースは,いくらでもあります。近代以前の昔はもちろん,近現代でもあるわけです。たとえばナチス・ドイツなどはそれにあてはまるでしょう。北朝鮮を思い浮かべる人もいるかもしれません。しかし,「ナチス・ドイツは(北朝鮮は)国家ではない」という人は少ないと思います。「まともな国家ではない」というなら,わかりますが。

 
 「ひどいことをせず・人びとのためになることをするのが国家だ」というのは,「国家のあるべき姿」と「国家とは何か」を混同しているのです。

 それは,「善人でなければ人間でない」というのと同じです。
 「定義」として考えれば,犯罪者や極悪人も,やはり「人間」です。ただし「過ちを犯した」あるいは「非道な」人間ということになります。「お前ら人間じゃない!」というのは,あくまで感情的なものです。

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 では,「国家」とは何か?

 それは,「社会」がひとつの権力によって束ねられている状態をいいます。

 ここで「社会」とは,人間の集団として「そこで生きる人たちの暮らしが,長期にわたって(何十年・何百年と)持続し得るだけの基盤をもっている」ということです。衣食住などの生活に必要な物資を安定的に生産したり輸入したりできる,子孫を生み育てることが可能な人口や年齢構成になっている・・・そんな条件を備えた人間の集団が「社会」である。

 一言でいえば,社会とは 「生活の再生産を行い得る人間の集団」です。

 そのような「社会」を構成する人たちに対し,一定の「法」を強制できる存在のことを「国家権力」といいます。

 たとえば,日本列島に暮らす1億人余りの人間の集団は,生活の再生産が可能な大きなまとまりになっています。その意味でまさに「社会」です。それを束ねる「国家権力」が日本政府です。日本政府は,私たちに対しさまざまな「法」に従うことを強制できるのです。

 星新一の小説に「マイ国家」というのがありました。ある家の主が「ウチは独立国家だ」と主張する話。マイホームならぬ「マイ国家」であると。話としては面白いのですが,家一軒では「生活の再生産」ができません。長期の持続ができないので「社会」とはいえません。「社会」でないものが「国家」を名乗っても,それは「国家ごっこ」に過ぎないのです。

 また,かわぐちかいじのマンガ『沈黙の艦隊』では,反乱をおこした潜水艦が「我々は独立国家である」と宣言しています。でも,潜水艦の乗組員は男ばかりで子孫を残せそうもないし,生活物資を安定的に生産・調達するのもむずかしそうです。「独立宣言をした潜水艦」は,たぶん「国家」とはいえないでしょう。

 井上ひさしの小説『吉里吉里人』は,東北の一寒村が「独立国家」を宣言する物語です。これは「国家」といえる可能性が十分にあります。村落レベルでは難しいかもしれませんが,少なくとも都道府県くらいの規模の地域社会であれば,独自に生活物資を生産や輸入等によって安定的に調達することも可能なはずです。世界には都道府県と同じくらいの,人口数十万から数百万の国はいくつもあります。

 そして,世界のあちこちで「一地方の独立」ということは問題になっています。「スコットランドの独立問題」などは記憶に新しいです。
 

 *** 

 さて, 「イスラム国」は「国家」といえるのか?

 「再生産可能な単位としての社会が,ひとつの権力によって束ねられている状態」を「国家」とするなら,「イスラム国」はこれに該当するといっていいでしょう。いくつもの村落や地域社会を,支配しているのですから。

 「イスラム国」というテロ組織は,支配地域において,人びとに自分たちの「法」を強制しています。彼らの「法」で禁じている喫煙を行った人を逮捕したりしている。ならば,イスラム国は,「国家権力」の一種であるといえるのです。

 未熟で粗っぽく,暴虐であるとはいえ,「国家」の最低限の要件は満たしている。
 「イスラム国」について,私はそのように考えます。

 ここで述べた「国家」の定義は,政治学者・滝村隆一さんの説によります(『国家論大綱』など)。

 こういう「定義」の問題は,かなり論理的に突き詰めても,結局は「オレの考えに従えば,オレの考えが正しい」みたいな主張になってしまいます。ここでも「オレによる国家の定義に従えば,〈イスラム国〉は国家である」と言っているのです。

 しかし,「国際社会で承認されないと国家ではない」とか「悪いことをするのは国家ではない」というよりは,よほど一貫性のある・整理された議論ではないかと思っています。

 あいまいで混乱した「国家」論にもとづいて「あんなものは国家ではない」などと言っていると,「イスラム国」がどのような「敵」であるかを見誤ってしまうのではないでしょうか?

 「あれは国家の一種だ」と認めることは,「イスラム国は正しい」と認めることではありません。彼らの「理想」も,その理想を実現するためにとっている手段も,やはり間違っていると思います。

 彼らが,粗雑なものであれ「国家」の一種であるなら,単なる「テロ組織」に対するのとは異なる戦い方があるはずです。その「戦い方」がどういうものか,具体的なことは私にはわかりません。でも「国家」というのは,「組織」よりはかなりしぶといはずです。何しろ自立した・持続可能な人間の集団なのです。タフな相手だということです。

 関連記事:アリストテレスと考える・国家とは何か
*「国家とは」について,イェリネックの古典的学説(国家三要素説)やアリストテレスの見解,滝村隆一さんの説などを紹介した記事

(以上)
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