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2015年05月31日 (日) | Edit |
 今年は,第二次世界大戦(1939~45)終結70年ということで,あの大戦について考えることが,あちこちで行われています。安倍政権の「戦後70年談話」なども,そのひとつ。

 最近,世界大戦にかんする本をいくつか読みました。そこで知ったこと,考えたことを書きます。「日本にとって」というより,「世界にとっての,あの大戦」という視点で考えたいと思います。

 1900年代前半は「世界大戦」の時代でした。
 第一次世界大戦(1914~1918)と,第二次世界大戦(1939~1945)。

 あのような世界を巻き込む大戦争は,どうして起きるのか?

 「世界の強国のあいだの力の均衡」という視点は,とくに大事だと思います。
 世界大戦の前提には,「世界の強国のあいだで,力の均衡が大きく変化する」ということがある。

 つまり,

・これまでの世界で「ナンバー1」「1番手」といえる強国の圧倒的優位が崩れる一方,「2番手」の強国が勢いよく台頭してくる。

 このような「ナンバー1」の国を「覇権国」ともいいます。

 しかし,これだけでは大戦にはなりません。さらに,つぎのことも必要です。

・その「2番手」が,世界のなかでの自己のポジションに,強い不満を持っている。「自分たちは,本来の力にふさわしい評価や利権を得ていない」と感じている。

 さらに,もうひとつあります。

・そのような「不満」が暴発するだけの強い社会的プレッシャーが生じたり,ある種の絶望感に2番手の国が陥ったりする。

 以上をまとめると,

1.従来の覇権国の凋落と,2番手の台頭・追い上げ。
2.2番手の不満の高まり。
3.2番手における社会的プレッシャーや絶望感。


 この3つが揃うと,「世界大戦前夜」です。
 ここに,発火点となるような紛争や事件が重なると,「世界大戦」になってしまいます。

4.発火点になるような紛争・事件。

 1.~4.が揃ったとき,1番手と2番手のあいだで戦争がはじまります。

 2番手が,覇権国の立場をめざして1番手に戦いをはじめるのです。困難な戦いであっても,「戦えばなんとかなる」と,戦争をはじめてしまう。1番手・2番手には,それぞれの同盟国があるので,世界のおもな国ぐにが2つの陣営に分かれて戦うことになります。
 
 世界大戦は,2番手の国による,それまでの覇権国(1番手)への「挑戦」というかたちをとる。
  
 ***
 
 では,第一次世界大戦,第二次世界大戦において,上記でいう「1番手」「2番手」とは,具体的にどの国だったか?
 これは,共通しています。2つの世界大戦の主要キャストは(国というレベルでみれば),同じです。

 1番手・・・イギリスとアメリカ
 2番手・・・ドイツ


【第一次世界大戦】 
イギリス・アメリカ・フランス・ロシア・日本など(協商国また連合国)
      VSドイツ・オーストリア・トルコなど(同盟国)
  →連合国の勝利

【第二次世界大戦】 
アメリカ・イギリス・フランス・ソ連・中国など(連合国)
      VSドイツ・日本・イタリアなど(同盟国)
  →連合国の勝利


 2つの世界大戦があった1900年代前半は,1800年代に圧倒的だったイギリスの優位が崩れ,アメリカ(アメリカ合衆国)が台頭した時代でした。

 工業生産では,アメリカは1800年代末にはイギリスを抜いて世界一になりました。しかし,軍事力や科学技術,文化の面では,今のような強い力はありません。一方で,イギリスはあいかわらず世界に植民地を持ち,今までの蓄積にもとづくパワーが残っていました。

 1900年代初頭は,覇権国が「イギリスからアメリカへ」と移っていく過渡期でした。
 だから,「一番手は,イギリスとアメリカの両方」といえる状態だったのです。

 そして,これら新旧の覇権国のあいだでは,深刻な対立はおきませんでした。両国は密接な関係にあり,多くの点で利害をともにしていました。また,それまでのアメリカは「孤立主義」的な外交で,ヨーロッパの情勢からは距離をおいていました。つまり「覇権」ということに,あまり興味を持っていなかったのです。

 「1番手」がそのような状況のなか,1800年代末以降,あらたな「2番手」として台頭したのがドイツでした。

  ドイツはイギリス,フランスよりはやや遅れて近代的な発展がはじまりました。たとえば,1870年ころに「ドイツ統一」がなされるまで,ドイツはいくつもの小王国に分かれていたのです。日本でいえば江戸時代の幕藩体制のような状態です。1870年というのは,日本の明治維新(1868年)と同じころです。

 しかし,急速に発展して,第一次世界大戦の少し前には,イギリスを抜いてヨーロッパ最大の工業国になっていました(当時の世界最大の工業国は,アメリカ)。

※世界全体のGDPに占める主要国のシェア(%)

       1820年   1870年    1913年 
アメリカ   1.8      8.9      19.1
イギリス   5.2      9.1       8.3
ドイツ    ―       6.5       8.8
フランス   5.5      6.5        5.3
日 本    ―       2.3        2.6

(アンガス・マディソン『経済統計で見る世界経済2000年史』より)

 しかしドイツは(指導者も国民も),世界での自分たちの地位に不満を持っていました。
 ドイツ近現代史の専門家・木村靖二によれば,こういうことです。

《(1910年ころの)ドイツは統一後三〇年にして,軍事・工業大国へとのし上が(った。そして,)既存の列強からそれにふさわしい待遇を受けることを期待し,「陽の当たる場所」を譲られることを当然だと自負していた。既存列強の対応が期待を裏切ると,ドイツはその理由を将来性に満ちた,若々しいドイツに対する老大国の「妬み」とみた・・・(第一次世界大戦の)開戦勅書にも「敵はドイツの成果を妬んでいる」という一句がある》(木村靖二ほか『世界の歴史26 世界大戦と現代文化の開幕』中央公論社,37ページ)

 以上,第一次世界大戦の前夜には,さきほど述べた「世界大戦にいたる条件」のうちの「1.従来の覇権国の凋落と2番手の台頭」があり,「2.2番手の不満」もあったわけです。

 では,「3.2番手におけるプレッシャーや絶望感」は,どうだったのか?
 これは,ややはっきりしません。

 しかし,さきほど引用した木村靖二によれば,第一次世界大戦前夜において,列強の指導者たちが《将来における列強としての地位と順調な経済発展を維持するために,確実な保証を得なければならないという圧力を感じていた。・・・具体的な対立というより,閉塞感や未来への不安(があった)》(木村『二つの世界大戦』山川出版社,10ページ)ということです。そして,その背景となる国際情勢や,国内での労働運動の高まりなどについて述べています。

 とくに,ドイツの指導者は「閉塞感」をつよく感じていたのでしょう。
 
 そんな中,1914年にサラエボという都市(現ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)で,オーストリア皇太子がセルビア人青年によって射殺されるという「サラエボ事件」が起きます。

 セルビアは当時,オーストリアによる圧迫を受けていました。それへの反発から「サラエボ事件」は起きたのでした。
 オーストリアはセルビアに侵攻し,戦争がはじまりました。セルビアの反抗を鎮圧しようとしたのです。

 当時のオーストリアは,ドイツと同盟関係にありました。
 ドイツは,オーストリアを全面支持。
 一方,セルビアのあるバルカン半島への進出を狙うロシアは,反オーストリア・ドイツでした。
 当時のロシアはフランスと同盟を結んでおり,イギリスもその陣営に属していました。

 オーストリアのセルビア侵攻で,ヨーロッパ列強のあいだの緊張関係は一挙に高まりました。

 「サラエボ事件→セルビア侵攻」は,上記の「大戦が起きる条件」のなかの「4.発火点となる紛争・事件」ということになります。

 しかし,セルビアでの戦争は,「地域紛争」にすぎません。
 このあと,さらに大きな飛躍によって,「世界大戦」はおこりました。

 それは,ドイツがベルギーを占領し,そこを拠点にフランスへ大軍で攻め入ったことです。
 ドイツとフランスは,深刻な国境をめぐる対立をかかえるなど,互いに「仮想敵国」といえる関係にありました。

 そこで,セルビアでの戦争以降,緊張が高まる中,ドイツの側では「フランスに攻められる前に,こちらから先制攻撃をしかけて撃破してしまえ」という考えに至ったのです。
 ドイツでは,何年も前からフランス(およびロシア)との戦争の計画を練っていました。

 ドイツによるベルギーやフランスへの侵攻によって,イギリスもドイツと全面的に戦うことになりました。こうして,サラエボ事件以来の地域紛争は,「大戦」に発展したのです。

 それにしても,ドイツの選択は,今の私たちからみると,ずいぶん飛躍しているようにも思えます。
 しかし当時は,戦争に対する心理的ハードルは,今よりもずっと低かったのです。国をあげて戦い,凄惨な破壊を生む「総力戦」のイメージがなかったからです。そのイメージは,世界大戦のあとに普及したものです。

 だから,当時のドイツの指導者は,戦争を「既存の秩序を破壊し,ドイツが覇権国となるチャンス」ととらえたのです。今の自分たちの強大な軍事力をもってすれば,フランス,ロシア,そしてイギリスとの戦争に勝てるはずだ。もちろん議論はありましたが,「戦争」派がドイツでは実権を握ったのです。

 しかし,ドイツの思惑どおりにはいきませんでした。戦争は泥沼化し,大戦の後半にはアメリカも連合国側で参戦。ドイツを中心とする同盟国側は敗北したのでした。

 ***

 第二次世界大戦は,どうだったのか?

 第二次世界大戦においても,戦争の中心となった「2番手」は,ドイツでした。第二次世界大戦は「第一次世界大戦のリベンジ・マッチ」といえる面があります。

 第一次世界大戦に,ドイツは敗れました。その結果,経済・社会は大混乱に陥り,国民は苦しみました。

 そのドイツにイギリスなどの戦勝国は,きびしい要求をつきつけました。「莫大な賠償金を支払え」「二度と戦争ができないよう,軍備を大幅に制限する」といったことです。

 その後1920年代には,ドイツは一定の復興をなしとげ,安定した時期もありました。ドイツの産業は戦前の水準を取り戻し,ふたたびヨーロッパでナンバー1となりました。
 しかし,1929年に起こったアメリカ発の金融恐慌(大恐慌)が,ヨーロッパに波及すると,経済はまた大混乱となったのです。

 そんな中,人びとの支持を集め,1930年代前半に政権を獲得したのが,ヒトラーでした。彼は人びとに愛国心を訴え,「強大なドイツをつくるために立ちあがろう」と呼びかけたのでした。彼のメッセージは,当時のドイツ国民に響くものがあったのです。

 ヒトラーがめざしたのは,「イギリスにリベンジすること」「ドイツをヨーロッパ最強の覇権国にすること」でした。
  
 ヒトラーは大胆な経済政策に成功し,混乱をみごとに収拾しました。その実績もあって,彼は独裁権力を固め,1930年代半ば以降は,かねてからの「目標」の実現に向け動きはじめます。

 まず,チェコやオーストリアといったドイツ周辺の国に侵攻。のちにはポーランドを占領し,さらにはフランスなどの西ヨーロッパ諸国にも攻め入って,ほぼ制圧してしまいました。この動きのなかで,イギリス・アメリカとの戦争もはじまり,第二次世界大戦となったのです。

 このようなドイツの動きに,日本も同調しました。「遅れて発展した列強」として,日本もまたドイツと同様の不満を,国際社会に対して抱いていたのです。1941年末からは日米戦争も始まり,大戦は文字通り「世界」規模のものとなりました。

 第二次世界大戦がはじまった経緯のほうが,第一次世界大戦よりやや知られているので,非常にざっくりした説明になりました。
 とにかくここでも「大戦が始まる条件」の1.~4.はそろっています。「2番手」ドイツの復興,その不満や恨み,大恐慌以降の混乱,ヒトラーが近隣諸国に対し行った侵攻・・・

 第二次世界大戦で,ドイツ・日本などの同盟国側は敗北し,壊滅状態となりました。
 ドイツは東西に分割され,アメリカとソ連(ロシア)が対立する「冷戦時代」には,西ドイツはアメリカなどの「西側陣営」に,東ドイツはソ連などの「東側」に属しました。

 しかし,1990年代初頭にソ連が崩壊し,冷戦が終結したことにより,東西ドイツは統一され,今日に至っています。

 ***

 以上をみると,ドイツという国は「第一次世界大戦でも第二次世界大戦でも中心的な存在だった」ということです。
 近現代史において,ドイツは世界を攪乱(かくらん)する大きな要因だったのです。

 もちろんこれは「ドイツがすべて悪い」というのではありません。ほかの列強だって,当然ながら世界大戦の勃発に影響をあたえています。「イギリスやアメリカがドイツ(や日本)を,追い詰め挑発した」という面を重視する説もあります。
 
 しかし,ドイツが2つの大戦の勃発に関し,重要な役回りを演じたことは否定できません。

 とくに,第一次世界大戦における「ドイツの責任」については,かつては専門家のあいだでもはっきりしないところがあったのです。しかし研究がすすんだ結果,現在では通説になっているようです。つまり「世界大戦が起きるうえで,ドイツの判断や行動が決定的な役割を果たした」ということです。そして,ドイツの行動の背景には「覇権への野望」があったのです。(木村『第一次世界大戦』ちくま新書,27~29ページ など)

 第二次世界大戦については「ヒトラー(ナチス・ドイツ)が中心となっておこした戦争」という見方が,ずっと有力です。「ヒトラーだけが悪いのではない」という見解もありますが,ヒトラーが大戦の中心であったことじたいは,まず異論がないわけです。

 ***

 では,今の世界はどうなのでしょうか? 

 つまり,1900年代前半のドイツのように「世界を攪乱する要因」となり得る存在はあるのでしょうか? 「1番手」アメリカに以前ほどの勢いがなくなってきたことは,たしかのようです。「世界大戦の前提条件」の1.は,満たしそうです。では「台頭する2番手」がいるとしたら,どこか?

 多くの人は「中国やロシアなのでは」と思うかもしれません。

 たしかに,今の中国は台頭する「2番手」です。国の経済規模(GDP)でみても,2010年代初頭に日本を抜いて世界2位になりました。アメリカとの比較では,中国のGDPはアメリカの半分程度にまでなっています。しかし,経済の発展度や生産性を示す「1人あたりGDP」でみると,中国はアメリカの9分の1~8分の1といったところ。

 軍事力や科学技術などでも,アメリカとの差はまだまだ大きいというのが,一般的な見方でしょう(その格差が,1人あたりGDPにもあらわれている)。だから,「2番手」中国による「1番手」アメリカへの挑戦の可能性は,さしせまったものではない。もちろん,10~20年先になるとわかりませんが。

 世界大戦の当時の,ドイツの1人あたりGDPは,イギリス,アメリカと比較して「対等」な,その時代における先進国レベルになっていました。今の中国は,それとは大きく異なるのです。

 ロシアはというと,GDPはアメリカの8分の1(日本の半分以下)です。「世界の覇権国」には程遠いレベル。

 そんな中「世界を攪乱する要因」のひとつとして,あらためてドイツが浮上してきている……そんな見方をする識者がいます(たとえば,次回の記事で紹介する,フランス人エマニュエル・トッドなど)。

 1990年代初頭の東西ドイツ合併によって,ドイツは分割前の規模をほぼ回復しました。
 その人口は現在8300万人。イギリス(6300万人),フランス(6400万人)よりもかなり大きいです。

 さらにドイツのGDPは,今やイギリスやフランスの1.3~1.4倍で,ヨーロッパの中では抜きんでています。1人あたりGDPでも,イギリス,フランスを上回っています。

 これは,世界大戦の時期のドイツが,ヨーロッパで占めていた地位に似ています。

 このような国が,ある種の「覇権」を志向すれば,世界情勢に大きな影響をあたえるでしょう。
 じっさい,少なくともここ数年のドイツは「ヨーロッパでの勢力拡大」と「アメリカ離れ」の動きを強めている,という見方があるのです。

 このような「現在のドイツ」については,また別の機会に。

関連記事:ざっくり第一次世界大戦
       二番手はどうなった?
       ヒトラーについて考える
       ヒトラーについて考える(年表)
       格差と戦争

(以上)
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コメント
この記事へのコメント
おはようございます
そういちさん
おはようございます。

大戦が成り立つ要件として、覇権国対2番手の構図という軸での展開、実にお見事ですし、勉強させていただきました。

そしていずれもドイツがキーであったこと。さらには再びまたドイツが注目されること。大変興味深いです。

ドイツの記事も多いに期待しています。
2015/06/01(Mon) 07:00 | URL  | ST Rocker #GK7sQxxU[ 編集]
Re: おはようございます
ST Rockerさん,ありがとうございます。
世界史・歴史を,比較的(あくまで比較的です)明確に定義できる要件の枠組みや,GDPのようなごく一般的な統計値に基づいて理解したい。そんな考えもあって,今回の記事のような「覇権国対2番手の構図」などを打ち出してみました。

歴史を語るとき,そういう「枠組み」や「数量」がないと,いくらでも「与太話」になってしまう恐れがあると思います。

以前,今回のような「覇権国対2番手」という視点で世界の近現代史をみる,という話を友人たちにしたことがあります。そのときとくに関心を持ってくれたのは,いわゆる理系の,自然科学(生物学)を本格的に修めた人でした。今回STさん(読者のための注:まさに「理系」の人)からお褒めのコメントをいただいて,そのときのことを思い出し,意をつよくしました。
2015/06/01(Mon) 22:03 | URL  | そういち #-[ 編集]
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