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2015年09月26日 (土) | Edit |
 最近の安保法案関係のことをみていて思ったのは「日本の社会は,これまでよりは前進したのではないか」ということです。

  「平和が脅かされている」と懸念する立場からみれば,「前進」なんてとんでもない,ということかもしれません。でも,私には「一定の合理性」を持つそれぞれの見解や立場が打ち出され,議論されているようにみえました。 「これまでよりも,社会がこなれてきた」と感じました。

 今回の法案を「違憲」であり,その法案の通し方について立憲主義に反するものだとする,法学者たち。「立憲主義」とは,憲法を「国家権力を拘束し,人権を守るもの」として位置づける思想で,近代国家の法理論の根幹にある考えかたです。
 その一方,いやそんな法学の理屈などよりも「現実」への対応こそが大事だ,憲法は国民のためにある,憲法解釈を基準に政治の重要な決定をするなんて本末転倒だ,とする人たち。

 一言でいえば,「法理論」と「政治的現実」の対立です。この対立は一筋縄ではいきません。
 法は現実のためにある。でも,前の戦争では法の拘束を受けなくなった権力の暴走が,国を破滅させたではないか・・・

 「政治的現実」をどう捉えるかについても,対立があります。北朝鮮や中国や,あるいはさまざまな「テロリスト」などの具体的な「脅威」への対応が必要だとする立場。一方で今までとってきた「平和国家」的なスタンスこそが,「脅威」から我々を守ってくれるのだ,という立場。

 そんなのは「幻想」だ,今の世界では危険すぎる。
 いや,アメリカに追従していくことこそ敵をつくることになって危険だ。
 そもそもこの法案はアメリカ追従ではないか,日本の独立はどうなっているのか。
 でも,アメリカ以外に同盟すべき存在が,この世界にあるだろうか。
 いや,今の世界はもはやアメリカ中心などではない,もっと世界の現実をみろ。
 「アメリカ中心」でなくなっているとしても,新しい国際協調の枠組みのなかで日本が役割を果たすために,この法案は必要だ。
 いや,新しい世界の現実のなかで日本が果たすべきは「平和国家」としてのあり方を徹底していくことだろう。
 そんなことは「幻想」だ,空疎な理想論。
 「アメリカについていけば,大丈夫」的な発想こそ幻想で,現実をみていない。
 「アメリカ追従」も,まともな武力を持たない平和国家も,ゴメンだ。日本はもっと独自の軍事力を整備して,自分だけで自分を守れるようにならないと。それだけの技術や産業もあるのだから。
 そんなことができるわけないだろう。それこそ「幻想」。
 「現実」といえば,戦場の現実を考えてみるべきだ。海外にいく自衛隊の人たちは,今までのままでは丸腰の危険すぎる状態で気の毒だ。
 いや,丸腰だからこそ安全なんだ,武装すれば攻撃にさらされ,実際に戦うリスクが高くなる。

 なんだかんだ言っても戦争はいやだ。
 それはわかっている。今回の法案は戦争を抑止する(防ぐ)法案なんだ。
 いや,日本が戦争をする国になるための法案だ。
 
 それにしても,今回の国会周辺でのデモは,よいことだった。日本の民主主義の新しい活力を感じる。
 民主主義にとって大事なのは,デモではないだろう。大事なのは選挙だ。
 デモや選挙のような非日常ではなく,日々の活動から民主的な社会を築くことが大事だ。

 ***

 こうした議論や見解のひとつひとつが,私には「頭からナンセンス」とは思えないのです。それぞれ一定の合理性を含んでいる。そのようなさまざまな立場からの発言が,社会のあちこちで行われました。
 それらについて,ある種の評論家のように「どいつもこいつもなっていない」という調子でバサバサ「斬る」気には,私はなれません。「どれにも一理あるね」と感じるのです。

 「どれにも一理あるね」というスタンスは,言論としてはまったく役立たずです。自分で情けない感じもします。
 でも,それが正直なところです。

 それでも,みんながいろんなことを言っている,それが言える,ということは,やはり素晴らしいと感じました。
 このような「自由」「権利」にかかわることこそが,最も根本的だと。

 今回の安保法案については,さまざまな立場や意見があるにしても,この「根本」は守らないといけない(あるいは守らざるをえない)というのは,私たちのなかの共通の認識としてあるのではないでしょうか。
 あるいは共通の認識として,常々確認していくべきなのでしょう。

 政治の重要な問題は,たいていは「未知の難問」です。
 その「未知の難問」について,確かな正解など,あらかじめわかるものではない。
 でも,私たちは何らかの「答え」を選んで進まないといけない。
 その結果「まずい」ことがおきるかもしれない。

 そのときに,前の戦争のような破局にすすまないで,軌道修正できることこそが重要です。それには「どの考えにも一理ある」という視点を持っていないと。「この考えが絶対正しい」という信念に固まっていると,軌道修正ができません。

 「どの考えにも一理ある」という視点は,無力にも思えますが,じつはそんなに「役立たず」というわけでもないのでしょう。

(以上)
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コメント
この記事へのコメント
なるほど
お久しぶりです。

安保の話題で私が一番おかしいなぁ?と思った事は、デモより国会審議を報じて欲しかったことです。
何かを隠す様に、極力避けていた様な気がして。
それは、情報操作による世論操作かもしれないと思ったのです。

言論の自由が、言論によって脅かされている状態は戦時中の情報統制に似ているかもなぁ?とか。

どちらが正しいかは人それぞれでしょうし、それはそれでいいのですけど、入力が片方だけだと出力も偏りますしね。

どちらも一理あるというスタンスは、私には最高のスタンスだと思えます。
本来、そういうスタンスの人に報道を担って欲しいと思うのです。
2015/09/28(Mon) 19:12 | URL  | ken #SFo5/nok[ 編集]
Re: なるほど
Kenさん,お久しぶりです。そして,コメントありがとうございます。
「どれにも一理ある」なんて,いかにも煮え切らない感じで,共感してくれる人がいるだろうか?と不安な気持ちもあったので,評価してくださるコメントはたいへんうれしいです。

たしかに,この件での私たちのインプットにはある種の傾向があるように思います。

インプットでいちばん影響があるのは,やはりテレビでしょうか。テレビは,系統的に多面的に論じるのは苦手ですので,どうしても簡単にまとめやすい,絵になりやすいものを取りあげることになります。国会前のデモなどは,それにあてはまるでしょう。
テレビは,こういう問題を扱わせると,限界がありますね。
ただ,一定のレベルの,それぞれの立場の専門家・識者同士で討論するような番組には,ちゃんとしたものもあったと思います。

もうひとつの重要なインプットは,インターネットを通してのものかもしれません。
これは,強いトーンで打ち出される意見が目立つように感じます。
今回の記事でも述べたように,辛口評論家的にズバズバ斬る感じです。

インターネットでは,強いトーンはよくあることですが,今回の安保法案では,とくにその傾向あるように思えます。ほんとうは未知の複雑な問題で,自信をもって「これが正しい」「これは大間違い」と言えるなんてありえないように私は思いますが,すごく断定的に言うことが多いように思うのです。賛成,反対どちらの立場でもです。
多くの人が,この問題についてあらかじめ正解や真理を知っているかのように,ものを言っているのではないか。
そこには,やや違和感を感じています。

それだと,私も結局「どいつもこいつも・・・」的なことを言っていることになるのかもしれませんが。

ただ,これは戦時中の言論統制(権力による言論の統制)とは異質のものではないでしょうか。
権力(政権)の情報統制や宣伝は,今回はそんなにうまくいっていない,むしろ失敗しているようにも,私には感じられました。
むしろ,民主的な環境のなかでの,私たちの問題にたいする反応の仕方の問題ではないかと。

とりとめがないですが,今日のところはこのへんで。
2015/09/28(Mon) 23:21 | URL  | そういち #-[ 編集]
そのときに,前の戦争のような破局にすすまないで,軌道修正できることこそが重要です。それには「どの考えにも一理ある」という視点を持っていないと。「この考えが絶対正しい」という信念に固まっていると,軌道修正ができません。

この軌道修正ができるためのシステムが必要ですね。それが国民投票なのかなあと思ったりします。
2015/10/01(Thu) 07:09 | URL  | かずゆき #-[ 編集]
かずゆきさんへ
コメント,ありがとうございます。

政治的な難問への対処で重要なのは「方向を決められること」と「軌道修正できること」ではないかと思います。両者がセットで備わっていることです。

ここで,フランクリン(アメリカ建国の功労者)の言葉を思い出しました。
アメリカ憲法を制定した重要な会議のしめくくりで,彼はこう演説しています(板倉聖宣『フランクリン』より)。

「議長,告白いたしますが,私は現在のところ,この憲法草案に全面的には賛同しておりません。しかし・・・「将来も賛同できない」とは確信がもてないのであります。と申しますのは,・・・よりくわしく考慮してみた結果,一度は「正しい」と考えたことも,そうでないことがわかって,自分の意見を変えざるを得ない経験をたびたびしてまいったからであります。・・・(しかし)大部分の人間は・・・「自分たちこそあらゆる真理を手にしている」と考え,他の人たちの意見が自分たちと違うところがある場合にはいつも,「その分だけ他の人びとが間違っている」と考えます・・・」

私たちは,しばしば間違える。
やさしい問題なら,経験や知識のある人であればそうはまちがえません。
でも,今回のような政治上の難問・大問題について「絶対間違えない」などということはあり得ないのです。

政治的なリーダーや,その支持者たちが「私たちは間違えるかもしれない」と自覚しているかどうか。
その精神がしっかりしていないと,どんな「軌道修正のシステム」も機能しないでしょう。システムは大事なんですが・・・
2015/10/01(Thu) 22:59 | URL  | そういち #-[ 編集]
はじめまして。
自分も、ネット社会の「声の大きい者」が目立つ。そういう傾向に違和感を感じています。煽ってでも注目を浴びたら勝ち、という。

中立やバランス、そして自分の意見とは何だろう?
安保法案に関する諸々はそういうテーマについても考えさせられますね。
2016/01/13(Wed) 06:19 | URL  | さと #jVHfAgrc[ 編集]
さとさんへ
はじめまして,コメントありがとうございます。
たしかに,ネット上ではトーンの強い意見が目立ちますね。「どれも一理ある」的な見解は,まずみかけない。

「トーンが強い」というのは,「ことがらを一面的にとらえる傾向が強い」ということでもあります。ものごとに良い面・悪い面があるとき,その片方だけに集中してしまうということ。これは,不健全な精神状態だと思います。自信がなく不安なときの精神状態。人間,元気で冷静なときは,ことがらのいろんな面をみることができるもの。

一面的で煽るようなトーンというのは,不安定な精神が背景にあるのでしょう。
2016/01/14(Thu) 21:19 | URL  | そういち #-[ 編集]
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