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2013年03月09日 (土) | Edit |
騎馬遊牧民という「強者」

騎馬遊牧民が登場したのはいつか?
今回は,騎馬遊牧民の歴史をみわたしたい。 騎馬遊牧民とは,「草原地帯に住んで馬を乗りこなし,遊牧によって暮らす人びと」の総称である。「遊牧」とは,ヒツジなどの家畜を移動しながら育てること。特定の民族をさすのではなく,こうした暮らしをする人びとをまとめて「騎馬遊牧民」と呼ぶ。

彼らの根拠地は,ユーラシア(アジアからヨーロッパにまたがる地域)に広がる草原地帯である。そこをおもな舞台に,世界史上「トルコ系」「モンゴル系」などのさまざまな騎馬遊牧民が活動した。

「遊牧民」に対するのは,「農耕民」である。日本人も,中国人の主流派である「漢人」も,ほとんどのヨーロッパ人も,農耕民である。

騎馬遊牧民は,世界史のなかで大きな役割を果たした。たとえば中国の王朝のなかには,外からやってきた騎馬遊牧民が築いたものがいくつもある。1200年代に繁栄した,モンゴル人の元王朝はその代表だ(このことはあとでまた述べる)。

では,騎馬遊牧民というものが,世界史上はじめて登場したのはいつだったのか?選択肢で考えてみよう。

ア.今から1万年ほど前
イ.5000~6000年ほど前
ウ.3000年ほど前
エ.その他

ア.は,世界の一部で,農耕がはじまった時代。イ.は,メソポタミア文明,エジプト文明などの最も古い文明がおこった時代。ウ.は,世界の一部で,鉄器の普及がはじまった時代。この数百年後,2500年前ころには古代ギリシアが繁栄をむかえた。

***

騎馬遊牧民がはじめて登場したのは,紀元前1000年ころの,今のウクライナ周辺でのことだった。その後,スキタイ人(2700年前ころ~2300年前ころに繁栄)などの,広い範囲に影響をあたえる有力な騎馬遊牧民もあらわれるようになった。答えはウ.だ。

「家畜を育てる」ということなら,1万年くらい前から,つまり農耕の開始とほぼ同時期からあった。草原地帯を移動しながら家畜を育てる「遊牧」ということなら,8000年前には成立していた。ただし,まだ「騎馬によらない(徒歩による)遊牧」である。「騎馬による遊牧」は,そのずっと後にはじまったのである。
 
それは,騎馬というものが,かなり高度な道具や技術を必要とするからだ。
 
きちんと馬に乗るには,「あぶみ」「くつわ」などの馬具がいる。これらの道具なしで馬の背にまたがっても,不安定で,長時間乗ることはできない。

馬具は,かなりの精密さや耐久性がもとめられる道具で,部品の要所には金属も必要である。初期の騎馬遊牧民の馬具には,青銅器が使われた。そして数百年のうちに鉄製におきかわっていった。
 
つまり,青銅器や鉄器などの金属器が辺境の草原地帯にも普及するくらいに技術が発達していないと,騎馬遊牧民というものは成立しないのである。

騎馬の威力
騎馬以前に「馬を使った移動」というと,馬車だった。馬車は4000数百年前に西アジア(イラクやエジプトおよびその周辺)で発明された。3000~4000年前の世界では,馬2頭で引く「戦車」が最強の兵器だった。この「戦車」は2人乗りで,1人が馬を操縦して1人が弓矢を射る。

西アジアでの発明から数百年のうちに,馬車はユーラシア西部の草原地帯にも伝わり,馬車で移動する遊牧も行われるようになった。
 
「馬車のほうが,騎馬よりも先?」と意外に思うかもしれない。しかし,騎馬のほうが馬車よりもスピードが出て,デコボコのあるような悪条件の道も行きやすい。騎馬は,その点でより進歩した技術なのである。
 
騎馬の技術は,農耕民のあいだにも広まった。しかし,農耕民のあいだでは馬はかなりの貴重品で,乗馬ができる人もかぎられた。一方,騎馬遊牧民は馬を豊富に持っていて,それを誰もが乗りこなした。乗馬のまま弓矢を放つのも朝めし前。これは,戦争では大変な威力だった。

ややおおげさにいえば,騎馬遊牧民と馬のセットは,現代でいえば「戦闘機とそのパイロット」のようなものなのである。近代技術以前の時代において,「最強の機動力」を実現する手段。それが騎馬だった。

騎馬民族が強力なリーダーのもとに結束すると,恐ろしい軍事力になった。その軍事力は,農耕民の国をしばしばおびやかした。とくに西暦500年ころ~1500年ころには優勢となり,騎馬遊牧民が,中国の王朝やイスラムの有力な国を征服してしまうことも何度かあった。

そのような騎馬遊牧民の活躍のピークが,西暦1200年代にモンゴル人が築いた帝国だった。1200年代前半のモンゴル人は,チンギス・ハンやその後継者に率いられ,ユーラシアの各地を征服した。中国,チベット,中央アジア,西アジアのイスラム王朝,ロシア……そして,1200年代後半には空前の大帝国を築いた。

しかし,1300年ころまでにこの帝国は大きく5つに(中国の「元」などに)分裂し,1400年代にはモンゴル人の王朝の多くは,滅びてしまった。

騎馬遊牧民の限界
大帝国を築いたにもかかわらず,モンゴル人は征服した国ぐにの経済や文化に,あまり影響をあたえなかった。農耕民を支配することによって,強い影響を受けたのはモンゴル人のほうだった。

支配者として暮らすうちに,生活習慣も価値観も,自分たちが支配する農耕民に近づいていった。中国を支配したモンゴル人は中国風になり,イスラムの国を支配したモンゴル人はイスラム教徒となった。

こういうことは,モンゴル人にかぎらず,多くの騎馬遊牧民に共通している。

騎馬遊牧民には,牧畜以外の産業はほとんどない。道具や武器もすべては自給できない。いろいろなものを農耕民から買うか奪うかしないと,やっていけないのだ。また,移動する生活なので,持ち物が少ない。たくさんの道具や資料は所有できないため,学問や芸術も発達しにくい。

これでは,高度な文化を持つ農耕民と接すると,文化的には影響をあたえるよりも,影響を受けてしまう。騎馬遊牧民の側では「影響」への警戒や抵抗もあるのだが,けっきょくは農耕民の文化に染まっていく。

騎馬遊牧民が世界の文化に貢献しなかったというのではない。軍事技術や政治のやり方では,農耕民にも影響をあたえたし,文化や技術の伝達者としても大きな役割を果たした。

たとえば,火薬やそれを使った武器の伝搬に騎馬遊牧民は貢献した。この技術は,中国で発明されたものである。それが,1200年代のモンゴル人の活動を通じてユーラシアの各地に伝わったと考えられている。

しかし,騎馬遊牧民がそのような発明を生み出したということではない。そういう人びとなので,騎馬遊牧民は,世界史のなかの「重要な脇役」であっても「主役」「中心」とはいえないだろう。

それでも,騎馬遊牧民の勢いは長く続いた。たとえば満州族(あるいは女眞族)という「騎馬」の民族(ただしおもに狩猟で馬をのりこなした)は,1600年代に明王朝を滅ぼして,中国全土を支配する王朝を築いている。中国史の「最後の王朝」である清王朝だ。

しかし,騎馬による戦力が軍事的に強大であった時代は,ここまで。それ以後は近代的な兵器を生み出したヨーロッパ人が,「最強」になっていった。

***

騎馬遊牧民というと,私たちは「自然とともに生きる素朴な人びと」といったイメージを抱きがちだ。

あるいは,「野蛮で,暴力的」という(不当な)イメージも,かつてはあった。

しかし,もともとの騎馬遊牧民は,「騎馬」という高度の技術を駆使する「強者」だったのである。農耕民とは異質だけれども,合理的な・高度の文明を持つ人びと。 

そのような人びとが,世界のなかで強い存在感をはなっていた時代があった。過去には「今とはちがう世界」があったのだ。「騎馬遊牧民の活躍」の歴史は,それを教えてくれる素材のひとつだ。
 
(以上)

(参考文献)遊牧や騎馬の起源については,林俊雄『遊牧国家の誕生』(山川出版社,「世界史リブレット」のシリーズ)による。騎馬遊牧民の「威力」については,杉山正明『遊牧民から見た世界史』(日本経済新聞社)による。
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テーマ:歴史
ジャンル:学問・文化・芸術
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