2016年02月14日 (日) | Edit |
 最近,ブログの記事を多少整理しました。
 カテゴリの分類や,タイトルのつけ方などを一部見直したのです。
 そのことで,今までこのブログで書きためていたものが,いくらかでも活気を帯びたような気がします。まあ,そう感じるのは私だけかもしれませんが,それでも意味があるとは思います。
 
 この3年余りで,500本近い記事をアップしました。まだまだですが,それでも一定のボリュームにはなってきました。

 細々とでもブログを続けていると「どこかで誰かがみている」ということがある。このあいだも,関心を寄せてくださった見知らぬ読者の方から「一度,話をしたい」」というメールをいただき,お会いする機会がありました。世界史の記事に興味を持ってくださったとのこと。
 続けていると,たまにこういうこともあるのです。

 今回は,過去の世界史に関する記事を,大きく編集・手直ししたものです。
 「過去の仕事の再検討」も,「続けていく」うえでの大事な要素だと思っています。

 ***

国家が衰退するときの「大企業病」

 
文明・国家が衰退するとき 

 世界史をみわたすと,「世界の繁栄の中心」といえるような各時代を代表する強国・大国は移り変わってきました。古代ギリシアのポリス,ローマ帝国,イスラムの帝国,漢・唐・宋・明・清などの中華帝国,大航海時代のスペイン,ルネサンスのイタリア,大英帝国,現代のアメリカ合衆国……どれほど繁栄した国であっても,その勢いが永久に続くことはありません。

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 「繁栄の中心が移り変わる」とは,それまでの「中心」が停滞・衰退し,新しい「中心」に追い越こされていったということです。
ではなぜ,従来の「中心」は新興勢力に負けてしまうのでしょう? それまで「繁栄の中心」だった国は,圧倒的な優位を築き,豊富なリソース(利用できる材料・資源)を持っているはずなのに。

 これは「文明や国家が衰えるのはなぜか」ということです。昔から歴史家や思想家がテーマにしてきた大問題です。いろいろな説や視点がうち出されていますが,一筋縄ではいきません。とはいえ,世界史の基本的な事実を追っていると,みえてくることもあります。

 それは,衰退しつつある繁栄の中心では「成功体験や伝統の積み重ねによる,社会の硬直化」が起こっている,ということです。

 繁栄の中心となった国・社会は,それまでに成功を重ねてきています。そのため,過去の体験にこだわって,新しいものを受けつけなくなる傾向があります。もともとは,先行するほかの文明や民族からさまざまなことを取り入れて発展したのに,そのような柔軟性を失って内向きになってしまう。


コダックのケース

 これを私たちは,国や文明よりも小さなスケールでよくみかけます。成功を収めた大企業が時代の変化に取り残されて衰退していく,というのはまさにそうです。「大企業病」というものです。

 2012年に経営破たんしたアメリカのイーストマン・コダック社は,その典型です。コダック社は,写真フィルムの分野で世界最大の企業でした。世界ではじめてカラーフィルムを商品化するなど,業界を圧倒的にリードしてきました。しかし,近年の写真のデジタル化という変化の中で衰退し,破たんしてしまったのです。

 これだけだと,「デジタルカメラの時代に,フィルムのメーカーがダメになるのは必然だろう」と思うかもしれません。

 しかし,世界の大手フィルムメーカーの中には,今も元気な企業があります(日本の富士フィルムはそうです)。そうした企業では,デジタル化に対応する事業や,フィルム関連の技術から派生した化学製品などに軸足を移していったのでした。

 コダックは,やはりどこかで対応を誤ったのです。何しろ,1970年代に世界ではじめてデジタルカメラの技術を開発したのは,じつはコダックなのですから。また,現在において有望な分野となっている,ある種の化学製品についても,コダックは高い技術を持っていました。

 しかし,コダックは1990年代に大きな「リストラ」を行い,のちに開花するそれらの技術や事業を売り払ってしまいました。内向きな姿勢で,人材やノウハウを捨ててしまったのです。そして,伝統的に高い収益をあげてきたフィルム関係の事業を「自分たちのコアの事業」として残したのでした。コダックはまさに「過去の成功体験にとらわれて,新しいものを受けつけなくなった大企業」でした。(『日本経済新聞』2012年1月17日朝刊,1月20日朝刊などによる)


かつての「中心」の大企業病

 世界史の中では,たとえば1800年代の中国やオスマン帝国は,そんな「大企業病」に陥っていました。中国もオスマン帝国も,かつては「世界の繁栄の中心」といえる存在でした。しかし,1800年代になるとヨーロッパの列強から圧迫や侵略を受け,明らかに劣勢でした。

 そこで「ヨーロッパの技術などを受け入れる」という改革の動きもありました。そうした改革によって一定の成果や前進もありましたが,社会が大きく変わるには至りませんでした。
 たとえば,1870~80年代の中国(当時は清王朝)では,有望な若者たちを政府の費用で欧米に留学させるということがはじまりました。

 しかし,その若者たちが留学から帰っても,なかなか重要な仕事に就けない,ということがありました。1880年代に海軍学校の学生や海軍の若手数十名をヨーロッパに留学させたのですが,これらの留学生は《帰国後重く用いられず,おおむね海軍以外の仕事についた》といいます。海軍の発展を担うはずだった人材を,その方面では活かせなかったのです。また,1872年にはじまったアメリカへの政府留学生の派遣は,10年ほど続けられましたが,《保守派の反対が強くて中絶した》のでした。(坂野正高『近代中国政治外交史』東京大学出版会,1973による)

 これは,明治時代の日本で欧米への留学生が重く用いられたのとは,かなり様子がちがいます。
 このような留学生の派遣は,当時の中国ですすめられていた「洋務運動」という,欧米の技術・学問を導入する改革の一環でした。しかしこの改革は保守派の強い抵抗にあうなどして行き詰ってしまいました。 当時の保守派は,英語などのヨーロッパの言語を学ぶための教育機関(同文館という)の設置や拡充にも抵抗しています。

 1800年代半ばのオスマン帝国では,「タンジマート」と呼ばれる西欧化の改革が進められました。技術導入のため,イギリスなどから各分野の専門家を「お雇い外国人」として招きました。しかし,なかなか成果があがりませんでした。

 たとえば,オスマン海軍に招かれた何人ものイギリス人が《自分たちの助言がいれられず,改革が進まないことに失望し,オスマン帝国を去っていった》といいます。オスマン海軍では,士官学校に何人かの外国人教官をまねいたものの,人材の育成が進まず,《(軍艦や大砲の)操作にあたっては,外国人の技師や機関士に頼らざるをえな(い)》状況が続いたのでした。(小松香織『オスマン帝国の近代と海軍』山川出版社,2004) 

 これも,明治時代の日本人が外国人から熱心に学んで,短期間のうちに技術を習得して自立していったのは異なります。

 1800年代の中国やオスマン帝国には,それなりの財力や組織もありました。さまざまなヨーロッパ人との接点があり,多くの新しい情報に触れることもできました。しかし,改革はうまくいきませんでした。保守的な抵抗勢力の力が強く,新しいことを吸収する意欲も弱かったのです。結局,中国の王朝もオスマン帝国も,1900年代前半に滅亡してしまいました。

 中国もイスラムの帝国も,ヨーロッパが台頭する前は「繁栄の中心」であり,新技術などの文明のさまざまな成果も生み出してきました。たとえば近代ヨーロッパの発展の基礎になった「三大発明」といわれる,火薬・羅針盤・活字による印刷といった技術は,もともとは中国で発明されたものです。

 しかし,中国ではそれを十分に発展させることはできませんでした。これは,コダックがデジタルカメラなどの,未来に花ひらく技術を開拓しながら,それを十分に育てることができなかった姿と重なります。

 このような「大企業病」は,国家でも組織でも,さまざまな人間の集団で広くみられるものではないでしょうか。

 だからこそ「繁栄の中心」は,永遠には続かないのです。繁栄が続くと,どこかで「大企業病」にとりつかれて,停滞や衰退に陥ってしまう。そして,その停滞を「周辺」からの革新が打ち破る。その結果,新たな「中心」が生まれ,遅れをとった従来の「中心」は「周辺」になってしまう……そうしたことが,世界史ではくりかえされてきました。ローマ帝国でも,イギリスでも,衰退期には「大企業病」的な硬直化がみられます。

 以上,文明が衰退するときにはそこに「大企業病」がみられる,ということです。「なぜ文明は衰退するか」については,さらに論ずべきことがあるはずですが,このくらいにしておきます。筆者としては「なぜ」に立ち入るよりも,まずは「中心の移りかわり」という現象を,事実としてしっかりとおさえることにしたいのです。

(以上)
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コメント
この記事へのコメント
おはようございます
そういちさん
おはようございます。
少しご無沙汰しておりました。
最近はお元気でいらっしゃいますでしょうか?

そういちさんのようなしっかりとした考えを発信するには、やはりある程度の長い記事になる必要がありますよね。
もうすっかり「つぶやき」が定着して、長い文章を読解することがどんどん減っている気がします。
つぶやきのよさはもちろんありますけど、しっかりとした論説を読みこなすことは絶対になくしてはならないと思っています。

さて、いろんな人間集団での”大企業病”による硬直化による中心の遷移について興味深く拝読しました。
まずはメカニズムよりもその現象が人類の歴史上繰り返されてきた事実を見据える、というそういちさんのスタンスですね。

僕はこれまで製造業の立場でも類似の現象を見てきたように思います。
新しい技術により新たな市場(あるいは同じ市場でも別のニーズ)が形成され、それに向かってビジネスモデルが回り始めます。
しかしやがてそれは飽和し、いつしか人々のニーズよりも製品の性能が上回ってしまう。
そこで、さらに性能を上げ人々を振り向かせようとする。
そんな時、コンペティターが現れ別の視点のローコストの製品が参入してきて、さらわれてしまう。
そんなのと似ていますか?

全ての物は永遠に安定でないのは人間というものは常に前進を求める?あるいは変化を求める?からでしょうか?
もし人間社会が平衡状態であるとしたら、中心を含めて永遠に一定ということもあるのでしょうけど。
それがあり得ないことが人間の性(さが)なんでしょうか。

長くなり失礼しました。
2016/03/06(Sun) 09:31 | URL  | ST Rocker #GK7sQxxU[ 編集]
Re: おはようございます
ST Rockerさん,長文の記事を読んでくださって,
そして深いコメントをいただき,ありがとうございます。
しばらくご無沙汰していますが,元気でやっております。
最近は仕事のほかには,世界史のまとめにかかりきりで,
ブログのほうが疎かになってしまいました。

> もうすっかり「つぶやき」が定着して、長い文章を読解することがどんどん減っている気がします。
> つぶやきのよさはもちろんありますけど、しっかりとした論説を読みこなすことは絶対になくしてはならないと思っています。

そう思います。
自分のアウトプットはシンプルをこころがけないと,人に読んでもらえないのでしょうが,
インプットはしっかりした長文や論説を読んでいかないといけないと。

アウトプットはシンプルに・・・と今言いましたが,
私の記事も,たしかにブログの記事としては長いです。
でも,こういうテーマの文章としては簡潔なものではないかと。
昔の自分だったら,今回の記事の内容など,何倍もの長さになってしまうかも。

> さて、いろんな人間集団での”大企業病”による硬直化による中心の遷移について興味深く拝読しました。
> まずはメカニズムよりもその現象が人類の歴史上繰り返されてきた事実を見据える、というそういちさんのスタンスですね。

はい,原因論とか構造論みたいなのはとりあえず置いといて
まずは現象論的なところをおさえよう,ということにしています。

>
> 僕はこれまで製造業の立場でも類似の現象を見てきたように思います。
> 新しい技術により新たな市場(あるいは同じ市場でも別のニーズ)が形成され、それに向かってビジネスモデルが回り始めます。
> しかしやがてそれは飽和し、いつしか人々のニーズよりも製品の性能が上回ってしまう。
> そこで、さらに性能を上げ人々を振り向かせようとする。
> そんな時、コンペティターが現れ別の視点のローコストの製品が参入してきて、さらわれてしまう。
> そんなのと似ていますか?

はい,似ていると思います。
従来優位に立っていた存在が,従来の原理のまま進化・発展をしていって
一種の袋小路に入ってしまうことがある。
前近代の「帝国」の末期は,そういうことになっていたと思います。
そのとき,近代文明を築きはじめたコンペティターの西欧があらわれた。
近代文明というのは,まさに「別の視点」の産物です。

STさんが専門家として製造業の競争の世界でみてきたことと似た現象が,
世界史という極めて大きな舞台で起こったのが「西欧の勃興」だった
と思います。

>
> 全ての物は永遠に安定でないのは人間というものは常に前進を求める?あるいは変化を求める?からでしょうか?
> もし人間社会が平衡状態であるとしたら、中心を含めて永遠に一定ということもあるのでしょうけど。
> それがあり得ないことが人間の性(さが)なんでしょうか。

「永遠」というのはないとしても,数百年とか1000年単位の
世界史的な「平衡状態」というのは,未来においてあり得るかもしれませんね。

たしかにこの数百年は,平衡状態とは程遠い世界でした。
しかし、もしも技術革新が枯渇して,少なくとも細かな改良ばかりになったら?
さらに,近代的な技術や経済がアフリカも含め世界中に普及したら,
つまり世界全体が「近代化」を達成したら?

1000年くらいのあいだの技術革新の停滞ということは,世界史全体をみわたすと
ないわけではないです。
たとえば、紀元前2500年くらいからの1000数百年間とか。
これは青銅器時代の技術革新の波が終わってから,鉄器時代の技術革新までの谷間です。
②西暦200~300年くらいからの1000年余りとか。
これは,鉄器時代の技術革新が枯渇して,近世・近代の革新がおこるまでの谷間。

ブログの別の記事(「社会の変化はゆっくりになっている」というシリーズ)にも
書いたのですが,私たちの近代文明がある種の平衡状態に入っていくことは,
未来においてあり得なくはないように思えます。

私のほうこそ,また長々書いてしまいました。
ありがとうございました。
2016/03/07(Mon) 20:35 | URL  | そういち #-[ 編集]
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