2016年11月12日 (土) | Edit |
アメリカは、私たちが思っていた以上に、深く分断されていた。
そんなことを、今回のアメリカ大統領選挙の結果を受けて、負けたクリントン候補は言っていました。

テレビや新聞をみると、多くの識者もそんなことを言っています。
そして「この分断という現実を、私たちは深刻に・真摯に受けとめなければならない」みたいに話を結ぶ。

その通りだと、私も一応は思います。
では、「国民や社会の分断」ということを問題として深刻に受けとめた先には、どんな考えがあり得るでしょうか。

今、よく目につくのは「団結」という言葉です。
アメリカ国民は深く分断されてしまっているけど、もう一度アメリカの旗のもとに団結しよう。
こういう論調は、今後さらに強くなるのではないか。

でも私は団結という言葉は、用心すべきものだと考えます。

団結ということが言われるとき、まず思い浮かぶのは「多様な立場を超えて、社会のさまざまな存在が信頼関係を結ぶ」というイメージです。これはたしかに理想です。理想的であるだけに、実現にあたってはさまざまな困難が生じます。多様な立場が共存しようとすると、さまざまなあつれきや緊張が生じるので、疲れます。

そこで、団結を掲げるときには、しだいに「団結に加わることが無理そうな、不純な存在を排除しよう」という動きが強くなることがしばしばあります。不純なものを排除する、つまり集団の均質性を高めて結束を強化する、ということです。

これは、大小さまざまな人間の集団でおこなわれてきたことです。少数の反対派を排除する、よそ者を排除するといったことは、どこでもよくある話。

世界史をみわたしても、国家的なレベルで「不純な存在の排除によって社会の結束をはかる」という方向の政策は行われてきました。

***

たとえば、1685年のフランスのルイ14世の「ナントの勅令の廃止」という、世界史の教科書などにも出てくる事例があります。ルイ14世はベルサイユ宮殿をつくった、「太陽王」といわれるフランス史上最も権勢をふるった国王です。そのルイ14世は、「プロテスタントというマイノリティ迫害」の政策を強く打ち出したのでした。

それ以前には、フランスでは1598年に国王アンリ4世によって「キリスト教徒の従来の主流であるカトリックと、新興勢力のプロテスタントの両者に、ほぼ対等の権利を認める」という「ナントの勅令(国王による命令)」が出されました。

このときまで、フランスでは、既存のキリスト教に反対して1500年代前半におこったプロテスタント(フランスではユグノーと呼ぶ)と旧来の勢力であるカトリックのあいだの激しい争いが続いていました。

ナントの勅令は、その争いをおわらせました。

そして、プロテスタント=ユグノーには、当時勢いのあった商工業者が多くいたので、ユグノーに権利や自由を認めたことは、その活動を活発にして、フランス経済の発展をもたらしました。

しかし1600年代末になって、ルイ14世はそのような「カトリックとプロテスタントの共存」を終わらせたのです。プロテスタントの教会は破壊されました。プロテスタントは海外への脱出も許されず、財産を没収されるとともにカトリックへの改宗を強要され、拷問や奴隷的な強制労働といったこともしばしばあったのでした。

ルイ14世がこのようなことを行ったのには「カトリックとプロテスタントのあいだのあつれきによる社会のさまざまな問題を一挙に解決したい」という思いがありました。ナントの勅令のもとでも、やはり両者のあいだには深い溝があります。とくに、カトリックの側には商工業で栄えるプロテスタントへの不満や嫌悪がありました。今でいえば「格差」への怒り、ということです。

フランス王家はカトリック教徒であり、国民の多数派もカトリック。ルイ14世は、異端のマイノリティーをフランスから排除することで、国の安定や結束をはかろうとしたのでした。そして、プロテスタントの徹底的な弾圧という、強引な手段を実行するだけの権力をもっていたのです。

「ローマ教皇にもできないことを実行した」と、当時の国際社会は驚き、震撼したのでした。

ルイ14世はある意味で成功したといえます。ルイ14世の治世は、フランス王国の最も華やかな時代だったとされるのですから。

しかしその一方で、プロテスタントを壊滅させたことで、フランスの商工業は大きなダメージを受け、経済の停滞や国の財政悪化の大きな一因となりました。国際的にも孤立していきます。それは最終的にはフランス革命という体制崩壊につながっていきます。

また、海外脱出を禁じられていたとはいえ、多くのプロテスタント(ユグノー)がフランスからどうにか逃げ出し、近隣諸国へ移住していきました。その後のドイツ(プロイセン)、スイスなどの経済の発展に、ユグノーは貢献しています。

つまり、フランスでのユグノーの迫害は、長期的にはフランスの停滞や混乱をもたらし、周辺諸国の利益になったのです。

おそらく、そのような結果を予測して警鐘を鳴らした人も、同時代にいたことでしょう。しかし、そうした見解は、当時は力を持ちませんでした。

当時の権力者は「不純なものを排除して、国を強固にする」という考えを採用し、国民の多数派でであるカトリックの人びとも、それを支持しました。だからこそ、ルイ14世の政策は実効力を持ちました。

そして、それなりの「結果」も出たのでした。ルイ14世時代のフランスは華やかな文化が栄え、国の勢いを誇ったのです。ルイ14世が建設したベルサイユ宮殿は、フランス王国の偉大さの象徴でした。ヨーロッパを制覇しようと対外戦争をさかんに行うだけの軍事力もありました。しかしその一方で経済の停滞、財政の悪化などの問題が深刻化していきました。

後知恵でみれば、ルイ14世時代のフランスは、1600年代のナントの勅令のもとで培った成果や遺産を食いつぶしていたのでしょう。しかし、社会を純化して結束することで、少なくとも一時的には「偉大な国家」があらわれたようにもみえる。このようなことは、ルイ14世時代のフランス以外でもみられます。

こういう「社会を純化することによる、うわべの一時的効果」は、問題をややこしくしています。

ルイ14世と同様の例は、歴史上ほかにもあります。私たちがまず思い浮かべるのは20世紀のヒトラーがユダヤ人に対して行った、さらに残虐で徹底した迫害でしょう。そしてヒトラーも一時的には「偉大なドイツ」を再建したといえるのです。世界中を相手に戦争ができるだけのパワーを持つ国に、ドイツを立て直したのですから。しかし、その先には破滅があったわけです。

***

国民の分断が自覚されたとき、まず思い浮かべないといけない言葉は「団結」ではなく、「寛容」です。
あるいは「妥協」といってもいい。

それは、不純や混乱や不安定さや緊張を受け入れる、ということです。そこにある問題を、一挙に全面的に取り除くのではなく、いろんな調整で緩和していこうとする発想です。そこには、純粋な理想や正義ばかりでなく、多くの打算などのズルいことが混じっている。でもそれが「寛容」ということだと、私は考えます。

子ども向けのような言い方をすれば「気に入らないヤツがそばにいても、仲間はずれにしないでガマンしよう。相手の取り柄や、妥協できるところ、利用できる点などをさがそう」という考え。

ちなみに「ナントの勅令」は、じつに現実的な妥協の産物です。

この勅令を出したアンリ4世は、もともとはプロテスタントの首領といえる存在でした。前王が暗殺されて即位したのですが、そのときまでに続いていたカトリックとプロテスタントの間の内戦をおさめるために、カトリックに改宗しました。多数派と徹底対立しては国王として国を治めることは困難です。しかし、もともとの仲間だったプロテスタントも納得させないといけないので、プロテスタントの権利を認めるナントの勅令を出しました。

「国王はプロテスタントからカトリックに改宗、一方でプロテスタントの権利を認める」というのは、なんだかいかにも妥協的です。でも、そういうスタンスが寛容ということの基礎になっています。ナントの勅令が生きていた1600年代のフランスは、ヨーロッパのなかで最も宗教的に寛容な社会でした。そしてその寛容は、繁栄を生んだのです。

これからのアメリカをみていくうえで私が注目したいのは「トランプが、あるいはそれに反対する人たちが、どこまで妥協的になれるか」ということです。

きまじめな人たちからみて「いいかげんだ」「不純だ」と批判するような落としどころの模索が、いろんな分野で起きるなら、まだアメリカには救いがあるでしょう。

しかし、トランプ側であれその反対派であれ、どちらかが「これですべてがすっきりする」と喜ぶような方向へ行くなら、いずれにしてもまずいと思います。

どうなるでしょうか? これまでのアメリカ人はほかの国民にくらべて、妥協や調整は得意なほうでした。寛容ともいえるし、ズルいともいえる現実的な人たちだった。今後その性質が失われていくようだと、アメリカはいよいよ劣化してきた、ということです。

以上
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