2017年01月21日 (土) | Edit |
前回の続き。「アメリカ第一主義」をかかげる大統領がついに就任するなど、アメリカが覇権国として世界にあたえる影響が大きく後退する流れが明確になってきた。

その影響について、中国やロシアはどう出るか、アラブ・中東の情勢はどうなるかなどの、比較的短期の国際情勢の話はとくにいろいろ出ています。しかしここでは、アメリカという「中心」の衰退が、おもに先進国における国家や政府のあり方に、中長期的にどう影響するのかについて考えます。これは、私たち日本人にとっても切実な問題です。

アメリカが覇権国として世界を仕切ることに消極的になると、つまり「世界の警察官」をやめると、世界の国ぐにの国家としての機能は、再編成を迫られます。

この何十年かは、世界の諸国のあいだの大小さまざまなもめごとの多くは、アメリカによる仲裁が有効でした。当事者どうしで話し合いがつかないことも、アメリカのジャッジによって一応のケリをつけていた。アメリカが前面に出なくても、アメリカが大きな影響力を持つ国際機関がジャッジしたりもした。

軍事的にも、アメリカの傘下に入ることで、ある程度の「属国」的な立場と引き換えに、相当な安全が保障された。

本来は国際社会には、国内の警察や裁判官にあたるような権力は存在しません。
「世界統一政府」がない以上、国際社会にはそれを統制する権力が存在しません。つまり、究極には「力」がものをいう世界です。その点では、かつての日本などの「戦国時代」とかわりません。

そして、20世紀前半までの国際社会は、まさに戦国時代だったわけです。

近代以降(1500年代以降)だけをみても、ヨーロッパ諸国は頻繁に戦争をしていますし、そのヨーロッパ諸国を主体として、アジア・アフリカ・アメリカ新大陸でも侵略的な戦いがくり広げられました。あげくの果てに世界大戦です。

近代以前でも、さまざまな国がおこったり滅びたり、領土を広げたりというのは、結局は戦争をしているのです。

この何千年のあいだ、世界はおおむねいつも「戦国時代」だった、といってもいい。

しかし、1900年代後半のアメリカは、国際社会の「警察」「裁判官」に準ずるような役割を果たしていました。もちろんそれは「世界統一政府」的な権力とは大きな隔たりがあります。1900年代後半にも、世界各地ではさまざまな戦争がありました。それでも、1900年代後半の世界では、アメリカの存在が国際社会の「戦国時代」的な本質を、かなりおさえこんでいたのは事実でしょう。

より正確には、以前のアメリカは「世界の警察官」というよりは、「世界の番長」というべき存在でした。半分は暴力的に、半分は仲間うちのコンセンサスで、不明確な権力を行使する存在です。その権力には、警察のような明確な正統性はありません。その割にはいろんなことに目を配っている、かなり面倒見のいい番長でした。でも、やっぱり怖いところがあるし、時にはカツアゲをしてくる。

そんな「面倒見のいい番長」はもうやめた、と最近のアメリカはいい出した。たぶん「面倒見のよくない番長」になるつもりなのでしょう。

アメリカの覇権の後退は、国際社会の本質が「戦国時代」であることを、再びあきらかにするはずです。

それは、かならずしも世界大戦のような大戦争に直接つながるということではないでしょう。しかし、「自国優先」を掲げる利害や立場を異にする国ぐにがせめぎあい、ときにはげしく対立し、一方で(利害が一致すれば)協力したり同盟したりする。そのような局所的な対立や同盟が、あちこちで起こる。その動きを仕切る有力な存在はなく、もちろん国のあいだのもめごとをジャッジする警察官や裁判官、もしくは番長はいない。

トランプ大統領は先日の就任演説でも、これまで述べてきた「アメリカ優先」という原則をあらためて強く主張していました。そして、ほかの国もアメリカにならえばよい、と。これは、「世界は戦国時代に戻る」という宣言です。

戦国時代的な国際社会では、それぞれの国は、ほかの国ぐに(油断のならない危険な存在)に対し対抗できるだけの力や体制を強化することが求められます。

その最も切実な要素が、国防・軍事にかかわることです。軍隊そのものの組織や装備を強化するだけではありません。有事の際に、社会全体が軍を支える体制を築く必要があります。いざというとき国全体が安全保障のために結集できるようにする。その体制の邪魔になる反対者を排除するしくみも、当然重要になります。

日本でも、現総理をはじめ一部の政治家は、この問題を真剣に考えていることでしょう(ある程度実行もしてきた)。一方でその動きを真剣に危惧している人たちもいる。

「外敵から自分たちの社会を守る」という機能や目的は、国家にとって最も根本的なものです。近代国家では、国民であれば否応なしにそのための国家の活動に動員されてしまう。直接軍隊にとられることがなくても、何らかの協力や関与、あるいは犠牲を求められる。

そして、そのような動員をするだけの力を、行政の発達した現代の国家は持っています。第二次世界大戦のときなどよりもはるかに、です。

「社会を外的から守る」「そのために国民を動員する」「動員の体制やしくみをつくる」というのは、法の体系では「公法」といわれる分野の活動です。政治学の言葉でいえば国家の「統治」的な活動です。

戦国時代的な本質があらわになった国際社会では、国家の「公法」あるいは「統治」的な活動は、強化されることになるでしょう。逆にそれができなかった国は、「戦国の世」のなかで不利な立場になる。

「公法」「統治」の面では、国家や政府の存在感は、今後大きくなっていくのではないか。今のように国際情勢が不透明さを増すときには、ばくぜんと「国家の解体」みたいなことをいう人がたまにいますが、基本的にはまちがいだと思います。

しかし一方で、国家の存在感が薄れたり、機能が弱体化する領域もあるかもしれません。国民生活へのきめ細かいサービスにかかわる領域です。インフラの整備・維持、学校教育、社会保障・福祉などの、いわゆる「行政」的な分野です。政府の力は有限なので、ある面が強化されれば、ほかの面が割を食うことは考えられます。

アメリカの覇権の後退によって、戦国時代的な国際社会が再びあらわれるという見方は、すでに“「Gゼロ」後の世界”といういい方で、イアン・ブレマーという人が以前から述べています。ブレマーによる2012年の著作『「Gゼロ」後の世界』(日本経済新聞出版社)は、今あらためて読むと、見事です。数年前の本ですが、今現在や近未来の状況を理解するのに、おおいに参考になる。

また、アメリカの覇権の衰退やその影響については、私が若いころから影響を受けてきた政治学者・滝村隆一さんも、ブレマーと重なる見解を述べています(『国家論大綱 第二巻』、2014年)。国際社会の基本が「戦国時代」であるという見方や、国家の「統治」的活動といった概念は、滝村さんからのものです。私は、ブレマーや滝村さんの主張を、自分なりに編集・要約して述べているつもりです。

(以上)
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