2017年04月18日 (火) | Edit |
以前、30歳くらいの若い人が立ち上げるという小さな雑誌に寄稿することになった、と書きました。そこで昨年末には、いくつかの原稿を仕上げて渡していたのです。

しかし、その雑誌が出せる見通しが立たない状態となってしまいました。雑誌を立ち上げる中心の人の心身の不調や、自身が書くはずの原稿がすすまないといったことからです。ほんとに残念です。このままその原稿を長いことしまっておくのも無念なので、このブログにアップすることにしました。

おもに若い人に向けての「現代社会での生き方入門」みたいな話を、説教臭くならないようにしているつもり。新学期、新年度にもあっているかと思います。

***

近代社会を精いっぱい生きる

食べてもなくならないケーキ


●近代社会とは「自由な社会」

私たちは「近代社会」という、世界の歴史のなかの、ある特殊な社会に生きています。それは、長い時間をかけて人類が到達した、今のところ最も発達した社会のあり方です。

では、「近代社会」とは要するにどういう社会なのか?

ひとことでいうと、「多くのふつうの人でも、したいことがいろいろとできる社会」のことです。いわゆる「自由な社会」。

では「自由」とは何か?

「自由」とは「したいことができる」ということです。身もふたもない定義ですが、要するにそういうことです。

数百年以上昔の社会では、世界のどこをみても人びとの「したいことをする自由」を、法などで制限していました。
たとえば、多くの国・社会で「どんな仕事に就くか」が、生まれながらにしてほぼ決まっていました。江戸時代の日本なら、武士の子は武士に、農民の子は農民に。「身分社会」というものです。*1

この数百年の世界は、「自由な社会=近代社会」を築く方向で動いてきました。「自由」に対する法的な制約をなくしていったのです。とくにフランス革命(1789~1799)や明治維新(1868)のような「市民革命」といわれる政治の大変革は、「自由な社会」が成立するうえでの重要な節目でした。

市民革命後のさまざまな変革のなかで「職業選択の自由」が確立されたことは、「身分社会を脱した」ということです。近代社会は「子どもや若者が“将来何になる?”と考える余地や自由のある社会」です。

今の社会でも、誰もが就きたい仕事に就けるわけではありませんが、それは能力や経済力などが関係しているのであって、法的に職業の自由を制約しているわけではないのです。

このような「自由」に関し、「まだまだ」という国も多くあります。しかし、欧米や日本のような先進国では「近年はかなり自由になった」といえるでしょう。*2


●特別だったことが多くの人にもできる 

でも、こういう話はいかにも抽象的です。自由について、もう少し生き生きとイメージできる手がかりはないでしょうか。

そこで「昔は特別な恵まれた人にしかできなかったことが、今はふつうの多くの人にもできるようになった」という話をしたいと思います。そのような切り口で友人に話をしたところ、「わかってもらえた」ということがありました。

たとえばこういうことです。今の子どもたちは、生まれたときからビデオやデジカメでいっぱい撮影されて育ち、ぼう大な映像が残っています。 では、「生まれたときから、たくさんの映像(動画)が残っている、史上初めての人物は誰か?」なんて、考えたことがありますか?

「それはおそらく、今のイギリス女王のエリザベス2世(1926~)だ」という説があります。映画の発明は、1800年代の末です。エリザベス女王が生まれた1920年代には、映画撮影の機材はたいへん高価なハイテク機器でした。そんな機材と専門家チームを投入して、日常的に撮ってもらえる赤ちゃんは、当時は大英帝国のお姫様くらいだった、ということです。この説がほんとうに正しいかどうかは、立証がむずかしいところがあります。でも十分にありうる話です。*3

90年ほど前には、世界中でエリザベス2世でしかありえなかったことが、今ではだれでもできるようになっているのです。

こういうことは、ほかにも山ほどあります。クルマに乗ってでかけることは、昔はかぎられた人だけの贅沢でした。「好きなときにプロの演奏する音楽を聴く」ことは、蓄音機の発明(1870年代)以前には、自分の屋敷に「お抱えの楽団」がいるような、富豪だけの特権でした。しかし今、多くの人は携帯の音楽プレイヤーという「ポケットに入るお抱えの楽団」を所有しているのです。

すべての自由の基本になる、健康や医療に関してだと、今の私たちは昔の富豪よりも恵まれています。

たとえば1836年に59歳で亡くなった、ネイサン・ロスチャイルドというイギリスの大富豪(当時、世界一の銀行家)の死因は、敗血症という感染症の一種でした。これは、今なら医者に行けば抗生物質などによって比較的簡単に治せる病気です。でも当時の医学では、原因も治療法もわかりません。細菌学が成立するのは、1800年代後半、抗生物質の発見・発明は1900年代前半のことです。ロスチャイルドは、当時の最高レベルの名医に診てもらったのですが、ダメでした。*4


●自由があるという自覚 

たしかに私たちの「自由=できること」は増えているんだろうな、政治の変革や技術の進歩のおかげだな……

そこで、いろいろ考えるわけです。

だったら、今の社会で、私たちはどんなことができるんだろう? 少し昔の感覚で思うよりも、ずっと多くの自由や可能性があるかもしれない。

その可能性を、できるかぎり使い切って生きていけないだろうか。それが、「近代社会を精いっぱい生きる」ということです。

では、「可能性を使い切る」ために重要なことは何でしょうか? 

まず、「自分で自由に制約をかけない」「自己規制しない」ことです。「私たちには、多くの自由=できることがある」という自覚を失わない、といってもいいです。

かなりの人たちは、自分たちの自由を少し前の時代の感覚で考えてしまう傾向があります。「そのようなことを望むのは贅沢だ、分不相応だ」などと、いろんな場面で考えてしまう。


●古い価値観による自己規制

学歴のことは、そのような「自己規制」を考えるうえでよい例です。

2015年(平成27)の、日本における大学への進学率は52%ですが、今から60年ほど前の1955年(昭和30)には8%にすぎませんでした。今のお年寄りが子どもか若者だったころには、そんなものだったのです(進学率=その年の18歳人口に占める大学への進学者の割合)。

2015年の高校への進学率は99%。1955年当時は52%で、今の大卒とほぼ同じ割合です。60年ほど前には高卒は、それなりの「高学歴」でした。*5

このような大学などへの進学率の低さは「昔の日本は貧しかったので、家庭の経済的事情で上の学校に進めない人が多かった」と一般には理解されているはずです。たしかに経済的な問題は、最も大きなことでした。

しかし一方で、それなりの経済力がある親でも「うちは子どもを大学(や高校)にやるような家柄ではない」「そんな“贅沢”をしたら隣近所に気まずい」などと考えて進学させない、といったケースもありました。

たとえば、私がよく知るある男性のお年寄り(1930年代の生まれ)は、経済力のある家に育ち成績もよく、大学進学を希望しましたが、父親の反対で断念しました。1950年代のことです。この人の家は、戦後に商売が成功して裕福になりました。しかし、父親は「ウチはまだお前を大学に行かせるような家の“格”ではない」といったそうです。

その父親の頭には、当時よりやや前の、戦前の社会の感覚が残っていたはずです。つまり「大学は、ごくかぎられたエリート家庭の子弟が行くもの」というイメージです。

では戦前の大正~昭和(戦前)の進学状況はどうだったのか? 1915年(大正4)には、義務教育への就学率(ここでは≒進学率)は98%ほどでしたが、今の高校に相当する中等教育(旧制中学など)の就学率は20%を少し切るくらいでした。

そして、今の大学に相当する高等教育の就学率は1%ほどでした。ここで高等教育とは、当時の「旧制高校」「専門学校」「旧制大学」といった学校のことです(教育制度が今とちがう)。とにかく、高等教育への進学率はきわめて低かったのです。なお、中等教育の就学率は1930年(昭和5)には36%になっています。*6

また、戦前の典型的なエリートとされた学歴に、旧制高校→帝国大学というコースがあります。帝国大学とは、東京帝大などの少数の国立大学のことで、高等教育の最高峰です。旧制高校は、一応は高等教育ですが、大学への準備段階的な位置づけでした。旧制高校の卒業生は、ほとんどが帝国大学へ進みました。

1930年(昭和5)には、20歳(旧制高校卒業の年齢)の男子に占める旧制高校生の割合は、わずか0.9%でした。なお、当時の旧制高校は男子しか行けません。*7

こういうことから、「大学はふつうの人間にとってかけ離れた世界」とされたのです。

著名人の例もあげましょう。小倉金之助(1885~1962)という、昭和に活躍した数学者は、山形県酒田市の裕福な商家の子でしたが、義務教育より上の学校に行くことを、家族に反対されています。明治時代後半の1900年ころの話です。家族としては、早く家を継いでほしかったのです。それでも小倉はくい下がって進学し学問を積んで、学者になったわけです。*8

このように、経済以外の問題でも進学が阻まれることがありました。それで人生における自由や可能性を狭めることになった若者がいたのです。その数はともかく、ここでは「そういうケースがあった」ということが大事です。

「経済以外の問題」とは、その当時の大人たちの価値観にもとづく「自己規制」でした。その価値観は、少し前の時代のあり方につよく影響を受けています。

近代社会では、「人びとの自由=できることの拡大」が続いています。そこで「自由の拡大」という変化に、かなりの人の頭や気持ちがついていかない、ということがあるのです。

今の社会では、経済的問題は昔ほどは深刻ではなくなりました。だからこそ「人は古い価値観で自由を自己規制することがある」のを自覚して、用心したほうがいいです。

創造的・挑戦的な何かをやろうとしたとき、周囲から「それは贅沢だ・高望みだ」「お前にそんなことできるのか」といわれることがある。自分自身のなかからそんな声が聞こえることも多い。

そこで、冷静に考えてみるのです。「やはり難しいのかも」と考えるのもいいです。しかし、「ほんとうは十分に可能性があるのに、自己規制していないか」「“贅沢”というのは昔の感覚であって、これからはちがうのでは」という方向でも、よく考えることです。


●しかし、手に入るものは限られている 

ではさらに、「自由を自覚する」という「基本」の先のことを考えてみましょう。

さきほど「私たちは、昔なら“贅沢”“高望み”と思われたことも、自己規制せずに追求すればいい」と述べました。しかし、だからといって「なんでも手に入る」わけではありません。「手に入るものは限られている」という自覚も重要です。しかしこれは、かならずしもあたりまえにはなっていないようです。

近年の大学生の就職活動は、それを示しています。
大学生の就職活動では、少数の企業に応募が集中する傾向があります。とくに人気の企業では、エントリーが採用人数の数百倍(かそれ以上)に達します。

ここ10年来(2006~2015)の毎年の大学の卒業生は、55万人前後であまり変わっていません。うち就職者は年によって変動があり33~41万人。それに対し、学生の人気ランキングの上位100社(「日経人気企業ランキング」による)の新卒採用の人数は、推定で2万人ほどです(2010年)。*9

つまり、有名な人気企業からの内定は、相当に希少なものです。そのかぎられた「席」を得ようと学生が殺到しているのです。

インターネットで手軽にエントリーできるようになったことは、たしかにこれに影響しているでしょう。しかし、さらに根本的なことがあります。多くの学生が「人気企業への就職という希少な成果を、自分も手に入れる権利がある」とつよく思っている、ということです。

このあたりを、チャールズ・イームズ(1907~1978)というアメリカのデザイナーが、すでに1970年代に述べています。*10

“今私たちが生きている世界は、情報とイメージが徹底的に均質化され、多くの面で誰もが同じものを受け取っている状況にあります。……この状況はテレビによるところが大きいでしょう。ともかく、ひとつ確かに感じるのは、この20年で人々の期待が大きくなったということです。今日では、ある普遍的な期待が存在します。他人がもっているものは自分にも手に入れる権利があると誰もが感じているのです”
(イームズ・デミトリオス『イームズ入門』日本教文社、127ページ)

ここで「テレビによる」というところは、今なら「インターネット」も加えればいいでしょう。今の学生の就職活動は「多くの面で誰もが同じものを受け取っている状況」の最たるものです。学生たちは就職について知識も経験もないまま、ごく少数の大手就活サイトから大きな影響を受けているのですから。

だからこそ「他人が持っているものは自分にも」という期待が、とくに大きくなりやすい。「手に入るものは限られている」という自覚は、片隅に追いやられてしまう。それは、特定の人気企業へのエントリーの集中につながっています。そして、なにしろ競争率が「何十倍」「何百倍」ですから、ほとんどの学生の期待は裏切られるのです。


●希少性の克服

多かれ少なかれ、今の私たちには就活中の学生と同じような傾向があります。つまり、他人のもっているものを自分も手に入れたい、手に入れることができるはずだという考えが一般的になっている。

これは、これまでの近代社会の歩みの結果です。

「技術革新などによって昔は特別な人間にしかできなかったことも、多くのふつうの人にもできるようになる」ことが積み重なってきたので、私たちの期待も大きくなったのです。

こうした技術革新は、「希少だったものを大量生産する」という方面で、とくに成果をあげました。

1400年代後半のヨーロッパでは活字印刷の技術が発明され、それまで手書きの写本だった書物が安くなり、大量の書物が流通するようになりました。1700年代イギリスの産業革命は、木綿産業からはじまりました。これによって品質のよい衣類が多くの人にいきわたるようになったのです。もともとは書物や良質の衣類は希少なものでしが、それを技術革新が克服しました。

このような「希少性の克服」が最もすすんでいるのは、ソフトの分野です。文章・映像・音楽・ゲームなどの世界。デジタル化とインターネットのおかげで、このようなソフトに関しては、いろんなものがタダで手に入るようになりました。

一方、希少性の克服がそれほどはすすんでいない分野もあります。天然の良質な素材を使った何か、すぐれたプロが手間暇かけてつくりあげる製品やサービスなどです。

良質の素材で一流のシェフがつくった料理、すばらしいアーティストのコンサートなどは、その典型です。これらの供給には限りがあります。さまざまな高級ブランドの製品も、ある程度それに近いです。

有名な人気企業に入るという「席」も、希少性が克服されていません。経済発展によってその席はかなり増えましたが、大学生の増加がそれを大幅に上回っています。人気企業への就職活動は、限られた席をめぐって競争し、参加者のほとんどが残念な結果に終わらざるを得ないという意味で、まさに「椅子取りゲーム」です。

これまでの文明や技術は、さまざまなモノの希少性の克服を重要なテーマにしてきました。しかし、それがすすんでいる分野とそうでない分野がある。

多くの人がまずあこがれ、関心を持つのは後者です。一流シェフの料理や高級車のようなもの、あるいは人気有名企業に入ることなどです。それらはたしかに魅力的ですが、そればかりを追い求めても、多くの人には無理があるように思います。なにしろ数に限りがあります。


●あこがれの新しい対象(食べてもなくならないケーキ)

だとすれば、希少性に縛られない世界に関心をもつことが重要ではないでしょうか。

このことに関し、さきほどのチャールズ・イームズは「あこがれの新しい対象」ということを述べています。ややわかりにくい表現ですが、「食べてもなくならないケーキのようなたのしみ」だと、私はイメージしています。

たとえば、外国語のような「新しい何かを学ぶたのしみ」は、食べてもなくならないケーキです。このたのしみを味わう席には、かぎりがありません。何かを学ぶたのしみは、得ようと行動するなら、誰もが得ることができます。努力は要りますが、たいていはお金もそれほどはかかりません。

イームズは“大事なことは、それらがどんなに分配されても決して減らないこと”“それを手に入れるために必要な貨幣は、その習得に全力を傾けられる能力”である、と述べています。

彼はこういうたのしみを、たとえば高級車のような、多くの人がまず関心を持つ従来の「あこがれ」とは異なるものとして「あこがれの新しい対象」と呼んだのです。(『イームズ入門』127~128ページ)

今の私たちが本来持っている自由や可能性を活かし切るには、「あこがれの新しい対象」あるいは「食べてもなくならないケーキ」の世界を追求することです。そうすると、成果や満足を得やすいはずです。きびしい競争をともなう「椅子取りゲーム」からは距離を置くことを考えるのです。


●「調和」のあり方を追求する

これは、前に述べた「贅沢や高望みと思えることでも、挑戦してみよう」というのとは食いちがう、と思うかもしれません。

しかし、「贅沢」「高望み」ということと、「食べてもなくならないケーキを求める」「椅子取りゲームから距離を置く」ことは、両立することがあります。

外国語の学習でいえば、そこで高いレベルに達して外国語を使う仕事に就きたい、という望みを抱いたとします。かなり高い目標で、簡単ではありません。しかし、そのような職のポストは社会の中にいろいろあるので、少ない席を争うような椅子取りゲームとはちがいます。勉強するための手段も、さまざまな方法があり、やる気さえあれば多くの人がその手段にアクセスすることが可能です。

このような「両立」は、私にもおぼえがあります。それは「文章を書く」ことです。私は、ほかの仕事をしながら、世界史などのテーマで本を出しています(最新刊は去年8月に出した『一気にわかる世界史』日本実業出版社)。

本の出版(商業出版)は、それなりに高いハードルですが、出版社は世の中にたくさんあります。商業出版に耐えるレベルの原稿を書けば、いつかどこかで出してもらえる可能性はあります。「椅子」が、世の中のいろいろな場所にいくつもあるのです。

また、自分の書きたいことを書くのには、「食べてもなくならないケーキ」を味わうような、飽きの来ないよろこびがあります。出版しなくても、限られた範囲で読者を得るというたのしみもある。

この雑誌(今回頓挫してしまった小規模出版の雑誌)を創刊し(ようとし)た人たちも、その活動を「食べてもなくならないケーキ」としてたのしむつもりなのでしょう。(私が参加しようとした雑誌は実現していませんが、最近は欧米でも日本でも小規模出版社もしくは個人で雑誌をつくる動きはさかんになっている)

自分なりの「食べてもなくならないケーキ」をみつけましょう。大きなケーキでなくてもいい。小さなケーキをいくつも積み重ねていくというやり方もあります。

それは「自分の持つ本来の自由や可能性を、自己規制しないで使い切る」という方針を、「手に入るものは限られている」という現実に調和させることなのです。

そのような「調和」のあり方を追求することが、近代社会を生きるコツです。

そこで役立つ道具も、いろいろとできています。

この雑誌を立ち上げ(ようとし)た人たちは、創刊の資金を「クラウドファンディング」という手段によって、寄付で集めました。これは「フィンテック」(「ファイナンス」と「テクノロジー」を合わせた造語)といわれる、インターネットなどを使った新しい金融の手段のひとつです。何かのプロジェクトを立ち上げたい人が、ネットを通じ出資や寄付を募る。それを容易にする機能を持つサイトを運営する企業や組織が、最近はあります。

また、さまざまなコンピューターソフトが手軽に使えることも、雑誌づくりを支えています。たしかに、私たちの「自由=できること」は増えているのです。(つづく)


(注)
*1 江戸時代の身分別の人口割合は、武士とその家族が全体の6~7%、農民が85%程度、町人が5~6%、その他(僧侶・神主など)が3%程度。(板倉聖宣『日本歴史入門』仮説社、1981年、13ページ。近代社会における「職業の自由」の重要性も、同書に学んだ)

*2 現在の世界でも身分制度のようなものはある。たとえば、今もすべての中国人の戸籍は農村戸籍(全人口の6割)と都市戸籍(4割)に分けられている。農村戸籍の者が都市に移住することには、きびしい制限がある。医療や社会保障について、都市戸籍の人が受けられるのと同じサービスを、農村戸籍の人は原則として受けられない。農村から出稼ぎに来ている人びとは農村戸籍のまま都市で働いており(農民工という)、都市戸籍の人たちと同権利ではない。大学入試でも、たとえば北京大学の合格ラインは、農村出身者は北京出身者よりも不利だったりする。このような「身分制度」は1950年代後半に、農村からの大量の人口流入を防ぎ、都市の食料事情を安定させるなどの目的で定められた。(中島恵「中国人が逃げられない、「戸籍格差」の現実」東洋経済ONLINE、2015年5月26日)

*3 この「エリザベス女王」のことについては、出典不明。筆者が学生時代に授業で読んだ英文のエッセイにあったと記憶している。

*4 D・S・ランデス『富とパワーの世界史 「強国」論』三笠書房、2000年、20~21ページ)。ロスチャイルド家は、ユダヤ系の金融資本家で、当時の世界の金融経済で支配的なパワーをもっていた。

*5 「文部科学統計要覧」「学校基本調査」による。

*6 大正~昭和戦前期の学歴:岩瀬彰『「月給百円」サラリーマン 戦前日本の「平和」な生活』講談社現代新書、2006年、112ページ。当時の義務教育は6年制の尋常小学校で、その上の中等教育には5年制の旧制中学や高等女学校などがあった。また、義務教育以外では、男女によって学校がきびしく区別・差別されていた。

*7 竹内洋『学歴貴族の栄光と挫折(日本の近代12)』中央公論新社、1999年、34ページ

*8 小倉金之助『一数学者の回想』筑摩叢書、1967年、19ページ。小倉のこのエピソードは、もともとは、板倉聖宣『かわりだねの科学者たち』仮説社、1987年 から知った。

*9 「学校基本調査」、海老原嗣生『就職に強い大学・学部』朝日新書、2012年、45~47ページ

*10 チャールズ・イームズは、ミッドセンチュリー(20世紀半ば)を代表するデザイナー・映像作家。妻レイ(1912~1988)とともに「チャールズ&レイ・イームズ」として活躍。成型合板(ベニヤ板の一種)や繊維強化プラスチックなどの新素材を用いて、イスのデザインを革新した。イームズが取り組んだのは、大量生産が可能な質の高い家具をつくることだった。住宅「イームズ自邸」や短編科学映画「パワーズ・オブ・テン」も評価が高い。

(以上)
関連記事
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック