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2017年07月14日 (金) | Edit |
最近、世界史と日本史のかかわりについて考える機会があったので、簡単にメモしておきます。

私は、日本史についてはあまり論じてきませんでした。でも、拙著『一気にわかる世界史』(日本実業出版社)の読者からのお便りで「日本史の本も書いて」といった声も複数いただきました。当然ながら「歴史を学ぶ」というとき、日本史へのニーズというのは、つよくあるわけです。世界史以上にあります。

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どの国もそうですが、日本の社会や文化も、その歴史のなかで外国の影響を受けて形成されてきました。何もかもをその国のオリジナルでつくりあげた国や民族は存在しません。

世界と日本史のつながりをみるときは、「世界史上のどの国が、日本にどのような影響を与えたか」という視点が、まず重要です。

そうやってみてみると、世界史上の各時代において最も繁栄していた、あるいは最先端で活気があった、という国が、日本に大きな影響を与えてきたということがわかります。

まず、600~700年代の飛鳥・奈良時代。「律令国家」といわれる天皇中心の体制が形成されていく時代です。このときは、中国の唐が日本に大きな影響を与えました。唐は当時の日本にとって先生でした。

当時の唐は、東アジアにおいて圧倒的な大国だったというだけではなく、世界全体を見渡しても最大・最強の国家でした。400年代に西ローマ帝国が滅びて、イスラム帝国(600年代以降)が形成されてまだ間もないという状況のなかでは、文化的な面も含めた総合力において、600年代~700年頃の唐は「世界の中心」といえる存在だったのです。

唐が滅びたあとも、日本は中国の歴代王朝から影響を受け続けます。唐が衰退してからは遣唐使が廃止されたりするわけですが、正式の国交がなくなっても、中国との交流がなくなったわけではありません。

唐から宋(1000年頃最盛)あたりまでは、世界史における中国の絶頂期といえます。あるいは、その後の元(1300年頃最盛)、明(1400年頃最盛)の頃までを「絶頂」に含めてもいいかもしれません。つまり、中国が世界の文明の先端を歩む超大国であった時代。そのような絶頂期の中国から、飛鳥・奈良・平安・鎌倉・室町の日本は学んで、今につながる社会や文化の基礎を形成したのです。

その中で1200年代には、モンゴル帝国(元)の大軍がせめてきました(文永の役1274、弘安の役1281)。1200年代の世界は、モンゴル人が制覇していました。侵略という悪しきかたちで、当時の世界最大の勢力から強い影響を受けたわけです。

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その後戦国時代の1500年代になると、ヨーロッパ人が日本にやってきます。最初はポルトガル人とスペイン人が、のちにオランダ人やイギリス人もやってきます。ポルトガル人が種子島に漂着して鉄砲を伝えたのが1543年です。

とくに当時のスペインは、ラテンアメリカとアジアに広大な植民地を持つ、ヨーロッパ最強の国家でした。中国やイスラムの大国と比べれば、国全体のスケールやパワーで優っていたとはいえませんが、やはり最先端をいく大国でした。

当時のヨーロッパは、航海術や軍事技術では世界の最先端にありました。その技術の中心は、銃や大砲などの火器です。日本はこの火器の技術を急速に習得したわけです。戦国末期の天下統一がなされようとしていた時代の日本には、ヨーロッパの大国にも匹敵する(あるいは上回る)火縄銃があったともいわれます。

江戸時代になると、日本はいわゆる「鎖国」に入り、ヨーロッパの国ではオランダにかぎって関係を続けることになりました。当時、つまり1600年代から1700年代初頭までのオランダは、ヨーロッパで最も繁栄した先進的な国でした。その国とだけつきあっても「世界のことが相当にわかる」という国だったのです。

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そして、幕末~明治(1850年頃~1900年頃)において日本に最も影響を与えた外国といえば、イギリスとアメリカです。明治維新(1868)の頃のイギリスは「大英帝国」として世界に君臨していましたし、アメリカも新興の大国として頭角をあらわしていました。アメリカは1800年代末には、工業生産でイギリスを抜いて世界一になります。

明治初期において、日本の最大の貿易相手国はイギリスでした。また、日本人の留学先のトップは、明治初期にはアメリカだったのです。ただし、留学先は明治後期(1890年頃以降)には、ドイツがトップになっています。ドイツは1800年代後半以降急速に発展して、1900年代初頭にはヨーロッパ最大の工業国となっていました。日本人は、そのようなドイツに注目して学ぼうとしたのです。

そして、第二次世界大戦後から現在。これはもう、圧倒的に超大国・アメリカの影響を受けてきました。良しにつけ悪しきにつけ、です。その一方で冷戦時代(とくに1950~60年代)には、アメリカのライバルであったソヴィェト連邦が発信する社会主義の思想にも、日本の多くの人びと(とくに知識人)は影響を受けたのです。

さらに1990年代以降は、新興国として台頭してきた中国の影響を強く受けています。ただし、中国との関係ではまだ日本が「先進国」の立場であって、中国のほうが日本から多くを学んでいるという状態です。

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さて、このようにしてみると、日本という国は世界史において主役をはるスターであったことはないのですが、それぞれの時代の主役・スターとはかなり深くからんできたということがわかります。

つまり、世界史の本流といえる先端的な流れから落ちこぼれることなく、歩んできたということです。1000数百年にわたって世界史の先端に食らいつき、真剣に学んできた結果、今の日本があります。

幸せだったのは「先端的な流れ(当時の最強の国)」と深くかかわっても、征服されることなく(ほぼ)独立を保てたことです。それは祖先の才覚や努力のたまものといえるのでしょうが、東アジアの端にある島国というロケーションも有利に作用したことは、まちがいないでしょう。

このように、日本という国は「世界史のなかで育った」といえます。そのことが顕著な国だといえるでしょう。

ということは、日本が今後も繁栄を続けようとするならば「世界史の先端的な本流の流れ」から目を背けてはいけないわけです。

そして、今の時代の難しさは「何が世界史の本流か」が以前ほどは明確ではないということです。それはまず、日本自身が世界史の先端に立つ先進国となったことによります。同時に「近代社会」の発展ということ自体が、これまでとはちがう領域に入ってきているということもあるように思います。このことはまたあらためて。

(以上)
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