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2017年08月26日 (土) | Edit |
「中心」衰退の時代

アメリカの覇権の後退で国家のあり方はどう変わるか



アメリカの覇権の後退

私が昨年出版した『となり・となりの世界史』(日本実業出版社)では、「5000年余りの世界史における、世界の繁栄の中心=覇権国といえる大国・強国の移り変わり」を追いかけることで、世界史を「ひと続きの物語」として述べることをめざしました。

つまり、西アジア(メポソタミア・エジプトなど)→ギリシア→ローマ→イスラムの国ぐに→西ヨーロッパ(詳しくみるとスペイン・イタリア→オランダ→イギリス)→アメリカと、世界の繁栄の中心は移り変わってきました。今の世界は、1900年代前半から続くアメリカの時代です。

では、アメリカの時代はいつまで続くのか?

アメリカが総合的にみて世界最強の大国である、という状態ならば、これからも少なくとも何十年かは続くでしょう。もっと続くのかもしれません。

しかし、その圧倒的な力で世界を仕切るという状態=覇権は、これからますます明らかに後退していく。あと20~30 年もすると、かつてのようなアメリカの覇権は過去のものになる。少なくともすっかり様子が変わっている。どこかで、一定の「復興」もあるかもしれませんが、それは限定的なかたちで終わる。

あいまいでおおざっぱな予想ですが、ひとつの視点としては意味があるでしょう。私たちの多くが生きているうちに、大きな変化が一区切りついているのでは?という問いかけでものごとをみてはどうでしょうか。


2000年頃からの変化

アメリカの覇権の後退ということは、1970~80年代にはすでに言われてはいました。

たしかにその頃、アメリカの勢いは1950~60年代よりは後退していました。その一方で「アメリカの後退」という見解には、圧倒的な大国に反発する感情もあったように思います。「こんな国、衰退してしまえ」という願望が混じっている面もあった。

そこで、本当に後退するまでには、まだ時間がかかりました。1990年代には、ライバルだったソヴィエト連邦の崩壊によって、唯一の超大国となったアメリカがまさに世界を制覇したような状況になりました。

しかし、そのようなアメリカの「世界制覇」は、10年ほど続いただけでした。

2000年代(ゼロ年代)初頭の、9.11テロへの対抗策として行ったアフガニスタン侵攻や、その後のイラク戦争は、大きな転換点でした。このとき、アメリカはいろいろな誤りを犯しました。その後、1990年代にひとつのピークに達したアメリカの覇権がさまざまな面で崩れていきます。

一方で、中国をはじめとする新興国の発展がすすみ、世界のなかで大きな存在感を示すようになる、という流れも2000年ころから明確になりました。

今現在の世界の、アラブ・中東のひどく混乱した状態や、中国が新たな超大国として自己主張を強めていることの直接の出発点は、2000年代初頭にあります。

そして、2000年代初頭のアメリカは、勇ましくアフガニスタンやイラクを攻めたのですが、近年のアメリカはシリアなどの中東の情勢に対してかつてのような積極的な行動はとれないでいます。中東で積極的に動いているのは、ソ連崩壊後の混乱から一応は復活してきたロシアだったりするのです。


「アメリカ優先」は「覇権」以前への回帰

トランプの言う「アメリカ優先」は、「覇権国として世界を仕切るスタンスを見直す」ということです。

近年は米国民のあいだで「世界でのリーダーシップよりも自国の問題に専念すべきだ」という世論が高まってはいました。トランプの当選も、そのような流れが生んだといえます。やはり、こういう大統領が出てきたことは、大きな転換点でしょう。

たしかに、昔のアメリカも自国優先の孤立主義をとっていました(「モンロー主義」という)。しかし、そのような内向き志向が優勢だったのは1900年代前半までのことで、それ以前のアメリカは世界の中心=覇権国ではありませんでした。

「アメリカ優先」は、1900年代半ばの「偉大なアメリカ」の復活ではなく、「覇権国となる以前のアメリカへの回帰」を意味するのです。

つまり「世界トップの経済力や軍事力を持つ大国にはちがいないが、世界を仕切るような“中心”ではない」ということ。それがこれからのアメリカのポジションなのだと。

現実としてそうなりつつあったことを、トランプの主張は、基本方針として確認していることになります。そのような方針は、現実の流れを後押しするはずです。つまり、世界の「中心=覇権国」としてのアメリカの役割の大幅な後退です。

ほんとうは「再びアメリカを偉大な国にする」ではなく、「100年以上前の“ふつうの大国”としてのアメリカに回帰する」というべきです。でも、それではあまり輝かしい感じがしないので、選挙に勝てませんね。


「世界の警察官」がいなくなると

このように「アメリカ第一主義」をかかげる大統領が就任するなど、アメリカが覇権国として世界にあたえる影響が大きく後退する流れが明確になってきたわけです。

その影響について、中国やロシアはどう出るか、アラブ・中東の情勢はどうなるかなどの、比較的短期の国際情勢の話はとくにいろいろ出ています。しかしここでは、アメリカという「中心」の衰退が、おもに先進国における国家や政府のあり方に、中長期的にどう影響するのかについて考えたいと思います。これは、私たち日本人にとっても切実な問題です。

アメリカが覇権国として世界を仕切ることに消極的になると、つまり「世界の警察官」をやめると、世界の国ぐにの国家としての機能は、再編成を迫られます。

この何十年かは、世界の諸国のあいだの大小さまざまなもめごとの多くは、アメリカによる仲裁が有効でした。当事者どうしで話し合いがつかないことも、アメリカのジャッジによって一応のケリがつくことがあった。アメリカが前面に出なくても、アメリカが大きな影響力を持つ国際機関がジャッジしたりもした。

軍事的にも、アメリカの傘下に入ることで、ある程度の「属国」的な立場と引き換えに、相当な安全が保障された。

本来は国際社会には、国内の警察や裁判官にあたるような権力は存在しません。

「世界統一政府」がない以上、国際社会にはそれを統制する権力が存在しません。つまり、究極的には個々の国の「力」がものをいう世界です。その点では、かつての日本などの「戦国時代」と変わりません。

そして、20世紀前半までの国際社会は、まさに「戦国時代」だったわけです。

近代以降(1500年代以降)だけをみても、ヨーロッパ諸国は頻繁に戦争をしていますし、そのヨーロッパ諸国を主体として、アジア・アフリカ・アメリカ新大陸でも侵略的な戦いが行われました。あげくの果てに世界大戦です。

近代以前でも、さまざまな国がおこったり滅びたり、領土を広げたりというのは、結局は戦争をしているのです。この何千年のあいだ、世界はおおむねいつも「戦国時代」だった、といってもいい。

しかし、1900年代後半のアメリカは、国際社会の「警察」「裁判官」に準ずるような役割を果たしていました。もちろんそれは「世界統一政府」的な権力とは大きな隔たりがあります。

1900年代後半にも、世界各地ではさまざまな戦争がありました。それでも、1900年代後半の世界では、アメリカの存在が国際社会の「戦国時代」的な本質を、かなりおさえこんでいたのは事実でしょう。

アメリカの覇権の後退は、国際社会の本質が「戦国時代」であることを、再びあきらかにするはずです。

それは、かならずしも世界大戦のような大戦争に直接つながるということではないでしょう。

しかし、「自国優先」を掲げる利害や立場を異にする国ぐにがせめぎあい、ときにはげしく対立し、一方で利害が一致すれば、協力したり同盟したりする。そのような局所的な対立や同盟が、あちこちで起こる。

その動きを仕切る有力な存在はなく、もちろん国のあいだのもめごとをさばく警察官や裁判官はいない。

トランプ大統領は2017年1月の就任演説でも、これまで述べてきた「アメリカ優先」という原則をあらためて強く主張していました。そして、ほかの国もアメリカにならえばよい、と。

これは、「世界は戦国時代に戻る」という宣言です。


国家の「統治」的活動の強化

戦国時代的な国際社会では、それぞれの国は、ほかの国ぐに(油断のならない危険な存在)に対し対抗できるだけの力や体制を強化することが求められます。

その最も切実な要素が、国防・軍事にかかわることです。

軍隊そのものの組織や装備を強化するだけではありません。有事の際に、社会全体が軍を支える体制を築く必要があります。いざというとき国全体が安全保障のために結集できるようにする。その体制の邪魔になる反対者を排除するしくみも、当然重要になります。

日本でも、現総理をはじめ一部の政治家は、この問題をこれまで以上に真剣に考えていることでしょう。一方でその動きをおおいに危惧している人たちもいます。

「外敵から自分たちの社会を守る」という機能や目的は、国家にとって最も根本的なものです。近代国家では、国民であれば否応なくそのための国家の活動に動員されてしまう。直接軍隊にとられることがなくても、何らかの協力や関与、あるいは犠牲を求められる。

そして、そのような動員をするだけの力を、行政の発達した現代の国家は持っています。第二次世界大戦のときなどよりもはるかに、です。

「社会を外敵から守る」「そのために国民を動員する」「動員の体制やしくみをつくる」というのは、法の体系では「公法」といわれる分野の活動です。政治学の言葉でいえば国家の「統治」的な活動です。

「戦国時代」的な本質があらわになった国際社会では、国家の「公法」あるいは「統治」的な活動は、強化されることになるでしょう。逆にそれができなかった国は、「戦国」の世のなかで不利な立場になる。

「公法」「統治」の面では、国家や政府の存在感は、今後大きくなるのではないか。今のように国際情勢が不透明さを増すときには、ばくぜんと「国家の解体」みたいなことをいう人がたまにいますが、まちがいだと思います。


「行政」面での劣化

しかし一方で、国家の存在感が薄くなったり、機能が弱体化したりする領域もあるのではないか。

ここでいう「統治」以外にも、国家の重要な役割はあります。国民の生活により密接な、さまざまな規制や利害調整、サービス、福祉などにかかわる領域です。これは「行政」といいます。

国家の能力は有限です。だから、国防や治安などの「統治」についての国の仕事や予算が増えると、「行政」の面が割を食うことになります。

目につきやすい分野でいうと、社会保障や福祉、学校教育、さまざまなインフラや公共施設の維持管理といった部分で、国の仕事が劣化していく恐れがあるということです。少なくとも、今後ますます増大するであろう国民の期待やニーズに対応できなくなっていく。期待とのギャップが大きくなっていくのです。

つまり、年金の支給額が減ったり、公立学校がひどく荒れたり、傷んだ水道管や道路が放置されたり、公園や図書館が閉鎖されたりする恐れがあるわけです。

経済発展が急速な新興国なら、経済とともに政府の規模や予算も大きくなっていくので、こういう問題は顕在化しないのかもしれません。

しかし、経済成長が停滞する一方で財政の悪化に苦しむ先進国では、「行政の劣化」の問題は深刻になるはずです。先進国では、政府の予算や人員などを大幅に増やすことはできないので、「統治」を拡充すれば「行政」を削減せざるを得ないのです。

ただし、「行政の劣化」の恐れは、「アメリカの覇権の後退→各国の“統治”の強化」ということ以前に、先進国では財政の悪化(おもに高齢化にともなう社会保障費などの負担増による)という面から問題が生じつつあります。

だから、アメリカの覇権の後退→各国の統治の強化(“行政”が割を食う)という流れは、すでに生じつつあることを後押しするものといえるでしょう。


「国家に代わる存在」による補完

では、国家における「行政の劣化」が進むと、社会のなかでどういう動きが出てくるでしょうか。

政府が生活に密着したサービスを十分に供給し得ない社会では、その不足を埋める活動へのニーズが高まるでしょう。かつて国家が行っていたことを、国家以外の存在が行おうとする動きです。

そのような「国家に代わる存在」としては、有力な企業、NPOやNGOなどの民間組織、さらにプライベートなサークルなどの人のつながりといったものが考えられます。

それから、国家財政が疲弊しても、地方・地域によっては経済力があって財政が充実していることがあるので、そのような「有力な地方自治体」という存在も、国家に代わるものとして考えられます。

地方自治体は、ここでいう「国家」「政府」の一部ではありますが、全体として弱った国家の「行政」的な機能を補完する存在として期待が高まるケースがあり得る、ということです。

つまり、首相や大統領に暮らしを守ってもらう、というだけでなく、どこかの社長・CEOや民間組織のリーダーや一部の知事や市長に守ってもらう、ということがクローズアップされてくるのです。

これにかかわる現象はあちこちで起こっています。

最近の一部の大企業は、従来の「株主利益優先」を改めて、公益への貢献を意識した動きをしています。

NPOへの関心は、日本ではこの10数年で急速に高まりました。「政府はもう頼れないから、仲間とのつながりがセーフティーネットになる」といったことは、最近はかなり言われています。

また、有力な自治体で注目を浴びる知事があらわれ、もてはやされたりもしている。

これは、主体的・積極的な立場で考えれば「国家に代わって新しいサービスをつくりだす活動は、これからの社会ではきわめて意義がある」ということです。企業の公益的な活動、NPOやNGO、ある種のコミュニティで重要な役割を果たすことが、これまで以上に評価されるということです。

やや受け身の立場で考えると、「国家に代わる存在にうまくアクセスして、そのサービスを享受することが自分を守ることだ」という発想になるでしょう。「国家に代わる存在」は、国家ほど幅広く万人に開かれた存在ではないので、主体的にアクセスしないとそのサービスや保護を受けられません。

これは、国家の枠組みが崩壊するということではありません。

国を外部の脅威から守ったり、治安や秩序を維持したりといった政府の活動によって、社会が国としてまとまっている状態は維持されるでしょう。

そのように、国家によって治安や秩序が維持されないと、企業もNPOも個人も安定した活動はできません。国家は依然として個人や組織が存在するための基礎的な枠組みなのです。

しかし、政府による国民へのきめ細かいサービスは後退する恐れがあるので、それに伴っていろいろな変化があるだろう、ということです。

以上、アメリカというこれまでの「中心=覇権国」の衰退・後退に伴って(とくに先進国で)何がおきるか、について考えてみました。

このように、大きくものごとをみて連想や推論を広げていくことは、ときどき行ったらいいと思います。もしも「読み」が当たらなかったとしても、これから起こることをより深く認識するための視点や手がかりにはなるはずです。


(注)
*アメリカの覇権の後退によって、戦国時代的な国際社会が再びあらわれるという見方は、すでに“「Gゼロ」後の世界”といういい方で、イアン・ブレマーという人が以前から述べています。ブレマーによる2012年の著作『「Gゼロ」後の世界』(日本経済新聞出版社)は、今あらためて読むと、見事だと思います。数年前の本ですが、今現在や近未来の状況を理解するのに、おおいに参考になります。

また、アメリカの覇権の衰退やその影響については、私が若いころから影響を受けてきた政治学者・滝村隆一さんも、ブレマーと重なる見解を述べています(『国家論大綱 第二巻』勁草書房、2014年)。国際社会の基本が「戦国時代」であるという見方や、国家の「統治」的活動といった概念は、滝村さんからのものです。私は、ブレマーや滝村さんの主張を、自分なりに編集・要約して述べているつもりです。

(以上)
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