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2018年01月05日 (金) | Edit |
元旦に、NHKのドラマ「風雲児たち~蘭学革命篇~」をみました。みなもと太郎の歴史マンガの原作を、三谷幸喜による脚本でドラマ化したもの。

1700年代後半の江戸時代に、オランダ語の医学書「ターヘル・アナトミア」の日本語訳である『解体新書』を出版した杉田玄白(1733~1817)、前野良沢(1723~1803)らのお話。

『解体新書』は、日本初の西洋の学術的書物の翻訳でした。「ターヘル・アナトミア」に感動した玄白と良沢(江戸に住む、それぞれ異なる藩の藩医)が中心となって、3年半かけて苦労の末に翻訳書を出版した。1774年、明治維新(1886)の110年余り前のことです。

同書の翻訳を志したとき、玄白は「ABC」もおぼつかない初心者。それなりにオランダ語を学んでいた良沢も、数百語の単語がわかる程度。蘭和辞典などまだ存在しない。

書物の翻訳なんて、ほんらいは無謀なことでした。それでも彼らは成し遂げた。翻訳の経緯や苦労を、杉田玄白は晩年に『蘭学事始』という手記にまとめています。

『解体新書』によってヨーロッパの科学や学問が圧倒的にすぐれていることが日本で知られるようになり、一部の知識人によって本格的にヨーロッパの学問を吸収しようとする動きが活発化しました。「蘭学」の成立です。

「鎖国」をしていた当時の日本では、西洋ではオランダとだけ国交があったので、ヨーロッパの知識はオランダをとおして入ってきました。だから、西洋の学問≒オランダ(阿蘭陀)の学問、つまり「蘭学」ということでした。

NHKのドラマは、史実と脚色をおりまぜながら、『解体新書』が生まれる物語を、感動的に面白く伝えていました。元旦にふさわしい良いドラマでした。

現実的でプロデューサーとしてすぐれていた玄白と、翻訳作業の中心で一途な学者肌の良沢。異なる個性を持つふたりのコンビネーションや、異なるがゆえの対立や葛藤などもうまく描かれていました。

***

それにしても、なぜ『解体新書』『蘭学事始』の物語は、感動的なものとして広く知られているのでしょう?

見方によっては、たんに「西洋の本を翻訳しただけ」といえなくもない。なにか大きな新発見をしたわけではない。

翻訳者が歴史上の「偉人」「英雄」として語られ、これだけ多くの人に知られている、というのはじつに日本的なことなのではないでしょうか。

その日本的な発想とは、「自分たちの外側に世界の“中心”があり、その“中心”に学ぶことがきわめて重要である」という意識です。

そのような意識が、みんなの前提となっている。だからこそ、みんながすんなりと『蘭学事始』の物語に感動できる。

日本人にとって「中心に学ぶ」ことは、少なくとも飛鳥時代くらいからの、国ができて以来、最高に意義のある課題や仕事であり続けました。この考えは現代にいたるまで多くの日本人のなかに深くしみついているといえるでしょう。

玄白や良沢は「学ぶべき、新しい中心を発見した」ということになります。

それまでの中国にかわる「西洋」という新しい中心の発見。中国にかわる中心の発見は、日本の歴史上かつてない画期的なことでした。

玄白たちは医学のなかの解剖学的知識という、比較的白黒をつけやすい分野で、中国の医学書よりも西洋の医学書のほうが圧倒的にすぐれていることを発見したのですが、それはたんに医学だけにとどまらず、科学技術や文明全般において西洋が優越することを示すものでした。

玄白は『解体新書』の序文ともいえる「凡例」のところでこう述べています(酒井シヅによる現代語訳。講談社学術文庫『解体新書 全現代語訳』より)。

“思うにオランダの国の技術はひじょうにすぐれている。知識や技術の分野において、人力の及ぶかぎりきわめつくしていないものはない”

西洋の科学技術は圧倒的にすぐれている――のちの時代には常識であっても、玄白たちの時代には、まだ常識ではない、新しく過激な見解でした。

そして「異端」「危険思想」として弾圧される恐れもありました。だからこそ弾圧を受けないよう、玄白たちは手をまわしています。

たとえば、ドラマでも描かれていますが、将軍の奥医師を務める蘭方医の名家・桂川家の四代目であった桂川甫周(ほしゅう)に、『解体新書』の翻訳でそれだけの貢献はしていないにもかかわらず、「閲者」(監修者)という高い肩書きを与えたりしているのです。

“このようなかたちで彼(桂川)の名をあげておけば、いかにも『解体新書』は官許をうけて出版されたかのような印象を与えたから”ということです(赤木昭夫『蘭学の時代』中公新書)。

「西洋はすぐれている、学ぶべき新しい中心だ」――それが弾圧のリスクを背負いながら玄白たちが伝えた最大のメッセージでした。このメッセージは、その後の日本に重大な影響を与えたわけです。

やはり玄白たちの仕事は、たんなる「翻訳」を超えた、挑戦的・創造的なものでした。学ぶべきものを新たに発見し、それを選びとることは、見識や勇気の要る、難しいことです。

***

でもそのうち、日本人は『蘭学事始』の物語には、感動しなくなるかもしれません。

「外部である“中心”に学ぶことの重要性」という意識が薄れてきているように思います。

自分たちが中心になってきた、外部に学ぶべきことは少なくなった、むしろ自分たちが世界に発信する“中心”となるべきだ――そんな意識が最近の日本では強くなっています。日本の技術や文化を礼賛する言論やテレビ番組があふれ、外国へ出て本格的に学ぶ留学生が減少傾向だったりする。

一方で、主流派の知識人は欧米で権威を認められた学説や言論を輸入することには相変わらず熱心です。

欧米の権威を翻訳・輸入することは、たしかに重要で意義のあることです。でも、今の時代では弾圧される危険もない、ごく安全な行為です。江戸時代でいえば、国家公認の儒学をやっているようなもの。玄白のときのような挑戦的・創造的な感じとはちがう。

本気の、それこそ命がけの情熱をもって“中心”に学ぶというのが、今の日本では薄れているのかもしれません。

それは無理のないことだと思います。蘭学の時代のような創業期ではないのだから。そして、日本はたしかに先進国にはなったのだから。

でも、ほんとうに今の日本にはもう「蘭学」にあたるような、学ぶべき外部の技術や文化はないのでしょうか。

そんなはずはないでしょう。

たとえばインターネット関連や金融の分野。この分野では、自動車産業のような成功を、日本の企業は達成していないわけです。つまり、自動車産業に代表される近代工業の場合ほど、うまく“中心”であるアメリカに学ぶことができませんでした。

今のアメリカの経済や世界でのリーダーシップを支えているこれらの産業(ITや新しいタイプの金融)がアメリカで勃興したのは1980年頃からのことでしたが、その重要性を日本の主流の人びとが認識するには、ずいぶん時間がかかりました。日本人でも早くから認識していた人もいましたが、天下を取ることはできませんでした。

今でもインターネット関連の新しい産業や、従来型ではない金融の新しい動きに対して「あんなものは」というオジさんはたくさんいるし、その人たちの影響力は小さくない。

私には具体的には見当もつきませんが、今現在にも自分なりの「蘭学」をアメリカなどのどこかの外国に発見して、夢中で取り組み、日本に広めようとしている人がいるはずです。

そういう人たちが逮捕・処刑されることは今の時代ではないでしょうが、たいていの場合、社会の主流からは冷たくされたりバカにされたりされるはずです。

私も創造の最先端を担うなどということはできないとしても、せめて「蘭学」に挑んでいる人の足を引っ張るようなことはしたくないものです。その程度には創造的でありたい。

今回のドラマでも幕府の医術の主流だった漢方医が、『解体新書』を非難して邪魔をする場面がありましたが、ああいう側にはなりたくない。でも、よほどしっかりしていないと、今の日本だと私たちは創造的な挑戦をしている人たちの足を引っ張ってしまう恐れがあると思います。

停滞や衰退の兆しのある国というのは、そういうものです。だから、自覚が必要なのです。

たとえば、「民泊」のような欧米で始まった新しいサービスに対して、日本ではいくつかの自治体が積極的な規制をかけておさえようとしています。自治体は多くの住民の意向を汲んで、そうしているのです。

「住民」というのは、私たちのことです。ドラマ「風雲児たち」に感動した人でも、「民泊なんていうものが近所にできて、自分の生活に悪い影響がないか心配だ」と思う人がいるはずです。

民泊というのは、じつはそんなに重要ではないかもしれませんし、ほんの一例です。ただ、欧米などの海外で生まれ広まったいろいろなものが日本では広まるのに時間がかかりそうだという例は、ほかにもあるはずです。「タクシーにおける民泊」といえるウーバーのようなサービス(民間の一般車両の配車・旅客輸送)も、日本では規制によって本格的にはまだ始まっていません。

たぶん、そういうことが積み重なって、国は衰退していくのです。

『蘭学事始』の物語は、これからも日本人に重要なことを教えてくれるはずです。大事にしたほうがいいでしょう。その意味で、今回の正月のドラマは良かったと思います。

(以上)
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