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2018年05月24日 (木) | Edit |
この社会には、職場や学校やご近所やサークル等々の無数のコミュニティがあり、そのなかには大小さまざまな形での権力者と、それに従う立場の人たちがいる。

そして、コミュニティの権力者がひどい暴君になって、従う人たちを不幸にすることがあります。そういうことは、この社会では無数に起きている。

今回の日大アメフト部の一件も、そのひとつです。

では、そんな暴君による不幸を防ぐには、どうすればいいのでしょうか。
むずかしい問題です。

一定の割合で、小さなコミュニティの暴君というのは、かならずあらわれるものです。

だから、人びとを不当に苦しめる暴君がいたら、それに注意や処罰を与える上位の権力が必要です。苦しんでいる人にとっての訴える先が要るわけです。それが人権を守るうえでは重要です。

「訴える先」といえば、警察や裁判所、あるいはその分野の所管官庁、つまり国家があると思うかもしれません。

たしかに国家に求められる役割に、支配する側とされる側を超えた第三者的な立場で、公正なジャッジをするということがあります。「第三者的な権力」ということが、近代国家の本来の立ち位置です。

そして、そのことは先進国ではある程度実現しています。現代の先進国では、国家はかならずしも社会の有力者の味方とはかぎらない。

しかし、国家というのは、ふつうの人間にとってはきわめて遠いものです。権威がありすぎて、おいそれとアクセスできないところがある。身近なコミュニティ内のトラブルで警察にかけこんだり、裁判を起こすというのは、大きな抵抗があります。たとえば学校の部活で、不当に「干された(試合に出してもらえない)」からといって、裁判はなかなか起こせないでしょう。日本ではとくにそうです。

また、国家による権力行使というのは重たいことですから、対応は慎重です。国家がなかなか動いてくれないということもある。

つまり、遠い存在の「第三者権力」では、十分に機能しない恐れがあるのです。きめ細かく人権を守ることができないかもしれない。

だから、個人と国家のあいだに立つ「中間団体」が必要なのです。特定の地域や分野などにおいていくつもの小さなコミュニティを束ねて、そのうえに立つ「第三者権力」です。

それは個人にも、身近でアクセスしやすい存在です。そのような中間団体に対し、個人が比較的容易にを相談や訴えをすることができて、公正なジャッジが期待できるなら、人権を守る力となります。

たとえば、大学の部活で指導者がひどいことをして、大学に相談したけどとりあってもらえないとき、あとは警察や裁判沙汰しかないというのでは、人権というのは守られにくいのです。

しかしそんなときに、各大学や運動部に対し、強力な指導・処罰の権限をもった、大学の連合会やスポーツの協会のような組織があれば、救われる人がいるはずです。そういう「連合会」「協会」は、ここでいう「中間団体」です。

日本にも、無数の連合会や協会はあります。しかしそのほとんどは、個人と国家のあいだに立って人権を守る機能を果たせていないように思います。その意味で、日本では中間団体が十分に育っていないのではないか。

そのような組織運営は、欧米のほうが上手なのかもしれない(ただ、具体的な実情について、私は知りません)。

じっさい、最近のスポーツ界の不祥事(人権侵害)において、相撲でもレスリングでも、その世界の「協会」というのは、ほとんど「第三者権力」として機能しませんでした。その基本的なスタンスは、世論が騒ぎ出すまでは、小さなコミュニティの権力者(たとえばパワハラの疑いのあるコーチ)を守るということばかりでした。

やはり、十分に発達した中間団体は、私たちにとって必要です。そして、これからの課題のようです。

そのような中間団体には、コミュニティの自治や自由を侵害する恐れもあります。あるいは中間団体に訴える権利を個人が乱用して、別の人権侵害が起こる危険もあります。たとえば学校の部活で、モンスターペアレント的な訴えで無実のコーチが苦しむようなことがあるかもしれません。

しかし、そのような副作用があるとしても、今の日本では中間団体をもっと強化する必要があるように思うのです。多くの人にとって、副作用を上回る利益があるのではないか。

また、コミュニティの「自治」が強く自覚されている世界では、暴君がはびこることがとくに多いようです。スポーツ界や大学、あるいは宗教法人などは、そういう自治の世界の典型なので、注意や自覚が必要です。

あとはあまり言われませんが、町内会などの地域の自治組織も、似たところがあるかもしれません。

地域の自治組織を規制する団体というのは、国家以外には存在しません。たとえば、権威のある「全国町内会連合会」なんてものはないわけです。町内会のなかで人権侵害やひどい不正があって、内輪の話し合いで解決しないとき、あとは裁判沙汰しかありません。でも裁判沙汰というのは、非常に抵抗がある。ということは、「暴君」にとっては、やりやすいわけです。

このように社会において一般的な、大きな構造的問題と関わっているからこそ、今回のアメフト部の問題がこれだけの騒ぎになるのでしょう。

そして、ここまで書いて最後に思うのは、ではそういう強力な中間団体を育てるとして、私たちはそれを健全に運営できるだろうか?ということです。個人の権利を守るのではなく、けっきょくはコミュニティの権力の後ろ盾、利権の温床、国家の代理人といった方向で育ってしまうのではないか。その疑念も抱かずにはいられません。

(以上)
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