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2019年04月02日 (火) | Edit |
「大正時代」ではなく、「大正期」という言い方がある。大正という元号が使われた時期だけでなく、明治の末期―-おおむね日露戦争が終わってしばらく経って以降―ーも含めて、そのように言うことがある。「大正」らしい社会の要素が、すでに明治末にはあらわれていたからだ。

明治末には、維新以降の近代化がそれなりに軌道に乗って、「資本主義」「市民社会」といえるものが、姿をあらわしてきた。それがのちに「大正デモクラシー」などのかたちで開花する。明治末に、時代はすでに「大正期」に入っていた。

これは、あたりまえといえばあたりまえ。始皇帝やナポレオンのようなとてつもない君主でないかぎり、あるいは革命によるものでないかぎり、国のトップや「象徴」の代替わりということが、大きな時代の転換点になるなんてありえない。

明治という元号は、維新という革命によるものなので、「元号が変わるとともに、ひとつの時代が始まった」といえる。しかし、大正、昭和、平成はそうではない。令和もそうだ。

令和という元号が使われた時代も、ずっと先の未来では、平成の後半と合わせて「令和期」などと呼ばれるかもしれない。

つまり、平成の最後の10年余りで姿をあらわした日本社会のさまざまな傾向が、令和では一層明らかになる。そしてその傾向は、「令和」的なものとして未来の人びとの記憶に残る―ー私はそんなふうに予想する。その意味で、時代はすでに「令和期」に入っている。

では、令和的なものって、何だろうか。

とくに2つの要素・側面があると思う。ひとつは国家としての衰退・停滞の傾向だ。とくに、世界のなかでの相対的な国力やシェアの低下ということ。平成の前半(1990年代)には、日本が世界のGDPに占めるシェアは15%前後で、アメリカに次いで「単独2位」だった。それが、この何年かは数パーセントのシェアに落ち込んでいる。また、経済の生産性を示す1人あたりGDPでも、90年代末には世界トップクラスだったが、今は先進国では下位になってしまった。

しかし一方で、成熟によって輝いたり、深い何かが生まれたりといった側面も、この10年余りで明らかになってきた。昭和の後期(1970年代)に先進国への仲間入りをしてから、何十年も経ってやっとそうなった。これに関しては、たとえば「クールジャパン」的なものが海外で評価されたり、外国人観光客が急激に増えたりということがあるだろう。

令和の時代において私たちは、「衰退の悩み」と「成熟による輝き」の両方に向き合っていくのではないだろうか。そして、この2つの要素は、平成後半の日本のなかにすでにある。

しっかりと、うまくやらないといけない。まずい対応をすると、輝きを台無しにして、衰退のマイナス面ばかりになってしまう。

気を付けなくてはいけないのは、「傲慢」「頑な」ということではないかと思う。

つまり、今はある程度の「輝き」があるからといって、「自分たちはすばらしい」と思い過ぎないことだ。そうなってしまって、外国のすぐれたものに学ぶことができなくなったら、非常にまずい。他者(中国や欧米など)に真剣に学び、自分たちのものにしてきたからこそ、今の日本があるはずだ。

史上初めて日本の古典を典拠にした元号、令和。その背景には、成熟による自信や誇りがあるのだろう。

自信や誇りを持つことはたしかに大切である。しかし、その感情は取扱い注意だ。まちがった方向で育つと、他者に学ぶことを妨げる。近代以降のイスラムや中国は、それで苦境に陥った。「自分たちは世界の中心だ」と思い込みすぎて、台頭する西洋文明を過小評価した。そして、近代化で後れをとってしまった。

一方、自分たちを「周辺」の存在だと思っていた日本人は、それとはちがう方向へ行った。なお、日本人の「周辺」意識は、中国の古典をずっと長いあいだ元号の典拠にしてきたことにもあらわれている。

これから私たちは、自信や誇りを大切にしながら、同時に他者に学び続けることができるんだろうか?

(以上)
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