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2019年05月18日 (土) | Edit |
ゴールデンウィークは、あまり遠くへは行かず、出かけるとしても都内だった。都内を散策するなかで、工事中の新国立競技場を観に行った。巨大だが、調和のとれた周囲にもなじむ感じ。たしかに完成したら素晴らしい、立派なものになりそうだ。

しかし一方で、「ものすごい」という感じはない。センスのいいデザインで、高度の技術が用いられているのはまちがいないだろう。だが、あれだけ大きな建物なのに、おどろきがない。大きなスタジアムはすでにあちこちにあるので、それに慣れてしまっているのかもしれない。また、そもそも人をおどろかせようという建物でもないのだろう。

でもこれだったら、もとのザハ案のほうがよかったかもしれないーーそんなふうにも思った。

「ザハ案」というのは、今建設中の隈研吾によるものの前に、一度決まっていた新国立競技場のプランである。イギリスを拠点にしていたイラク出身の女性建築家ザハ・ハディド(故人)によるもので、巨大な宇宙船のような、とんがったデザインだった。技術的にも挑戦的な要素が多々あったようで、プランをもとにくわしい見積もりをしてみると、当初の想定よりも大幅に予算オーバーすることが明らかになった。デザインについても違和感を感じる人が、かなりいたようだ。結局ザハ案は白紙となり、改めてコンペが行われ、現在の案が決まった。

ザハは現代の世界を代表する建築家の1人だった。「アンビルド(建設されない・計画倒れ)の女王」などというあだ名もあった。彼女が得意だった大じかけでびっくりするような建築は、予算や技術面で実現困難なところがあり、新国立競技場のように計画倒れで終わってしまうことが何度もあった。

じつは私も、もともとはザハ案に否定的だった。あんなUFOのオバケみたいなのは…みたいに思っていた。私が好きなのは、20世紀の「古典」とされるようなモダニズム建築だ。ザハや、そのほかの何人かに代表される、今どきの「びっくり建築」には違和感を感じていた。

でも先日、建設中の新国立競技場の前に立ってみて、これほどの大きさであの「UFOのオバケ」が実現していたら、それはそれですごいインパクトがあっただろうなと感じた。未来的なデザインは、たしかに周囲からは「浮く」かもしれない。でも、東京というのはもともとデザインの調和とは無縁の都市だ。未来的なものと古い下町っぽいものが混在していたりする。それが、外国人観光客を引き寄せる今の東京の「クール」なところなのだ。

ザハ案の新国立競技場が(ザハのイメージにきちんと沿って)実現していたら、「未来的な東京」を象徴するランドマークになったのではないか。もちろん予算の問題はあるので、やはりザハ案の実現は困難だったにちがいない。

今建設中の新国立競技場は、失敗作などではなく、立派な作品だ。しかし、同時代の多くの人たちの常識やイメージを大きく超えるようなものではない。「こんなへんなデザインは…」みたいな声は、そんなには聞かない。少なくともザハ案のようなことはない。

つまり、今の私たち日本人は、冒険はやめて、無難で「調和」を感じるほうを選んだということだ。

しかし高度成長期の日本では、注目される巨大プロジェクトで、当時の大衆の常識や感覚とはかけ離れた冒険的プランが実現することがあった。

たとえばオリンピックといえば、先の東京オリンピックにおける丹下健三の代々木体育館。あの造形や構造は、当時たいへん挑戦的なものだった。今もあの建物の前に立つと「すごいなー」と圧倒される。あるいは大阪万博での岡本太郎による太陽の塔。あんな前衛芸術的なへんてこなオブジェが高さ70メートルの巨大さで、国家的イベントの会場にそびえたっていたのである。

また、東海道新幹線(1964年開業)も、当時の常識とはかけ離れた構想だったといえる。当時は「あんなものは無用の長物だ」という反対意見も強かった。しかし、十河信二という当時の国鉄総裁が執念で計画を推進して、東海道新幹線は完成したのである。

岡本太郎は「ベラボー」なものをつくりたい、ということを言っていた。ものすごい、強烈なインパクト。そこにしっかりとした構想力も伴っている―ーたぶんそれがベラボーということだろう。太陽の塔はまさにそのベラボーだ。代々木体育館も、東海道新幹線も、少なくとも当時の感覚ではベラボーなものだった。ザハ案もベラボー系といえるだろう。

今度の新国立競技場はちがう。ベラボーを意識的に拒否しているところがある。

こういうことが気になるのは、平成末から令和にかけての現在、かつての勢いを失った日本の「衰退の予感」ということを、ますます感じるからだ。

今の私たちは、高度成長期の頃のように挑戦的な選択肢を選ぶことがなくなってきている。完成度が高く、技術的にも難しい課題をこなしてはいるのだが、ベラボーではないほうを選ぶようになった。ベラボーな案を主張しても、つぶされる。

新国立競技場は、そのような日本の「今」を、よくあらわしている建築なのだ。実現したプランとは別に、没になったザハ案があるので、とくにそうなるのである。平成から令和に変わるタイミングにふさわしい建築散歩となりました。

(以上)
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