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2013年03月24日 (日) | Edit |
2月14日の記事で「最近の社会の変化は,よくいわれるのとは逆に,じつはゆっくりになっているのではないか」ということを述べました。

その入り口として,こんな話をしました。

最近の子どもは,ウルトラマンや仮面ライダーのような,今の親世代と共通のキャラクターに夢中になっている。そんなことは,今の親世代とその親(60~70代以上の世代)のあいだでは存在しない。親と子が同じものに夢中になるのは,社会の変化がゆっくりになっているということの,ひとつのあらわれではないか。

そして,「変化がゆっくりになっている」背景には,経済成長のスピードが鈍くなっていることもあるのではないか。

さらに,「ここでは日本のことをいっているけど,海外や世界ではどうなのか?」といった宿題を残しました。

今回は,その「海外・世界」にかかわる話です。

***

昨日私は,お花見に行ってきました。近くの団地に住む,友人のNさん夫妻主催のお花見会。Nさんの家の近所にある,桜のきれいな公園に数人が集まりました。しばらく宴会をしたあとは,Nさん宅で2次会です。

Nさんは私より数歳若いアラフォーの男性で,ミュージシャン(ベース奏者)です。私が失業時代に通っていた公的な職業講座(パソコンや簿記を習うみたいな)で知り合いました。以来,ときどきお酒を飲んでいます。
 
レコードやCDが詰まった棚のある居間で,ちゃぶ台を囲んで飲みつつ,Nさんは言いました。

「そういちさんのブログの,社会の変化がゆっくりになっている,という話,あれは,まさに音楽のことだと思ったなあ」

「昔,ハタチくらいのころ,60~70年代のちょっと前の曲(洋楽)を聞いてると,周囲の友だちから『お前はレトロ趣味か』とか,結構からかわれたんですよ。でも,今は20代の若い連中が,『〇〇〇(←70年代の洋楽のバンド名)のギターの△△が大好きなんです』とか言ってきて,話が合ったりする。オジさんと若い連中が,何十年も昔の音楽の話題で盛り上がれる。そういうことが,今はあたりまえ。ほんとに時代が熟してきたというか,変化がゆっくりになってきてるんだなって」

「ふーん。じゃあNさんからみて,音楽の世界では,新しいものがでてこなくなってきている?」

「そうだねえ,最近もいろいろなことはあるとは思うけど,基本的なありかたは,(いつからかははっきりしないけど)そんなには変わらなくなってきた感じはある。ちょっとエラそうかな……でも,わりと新しいジャンルのヒップホップなんて,過去の遺産の編集や批評を軸に成り立っているわけだし」

Nさんはブラジル音楽(たとえばボサノバとか)が専門ですが,ジャンルを問わず海外のいろんな音楽を聴いてきた人です。だから,以上の話は「世界的にみて」ということなのでしょう。酔っ払って,すっかり気が大きくなりました(^^;)

私は音楽のことは,まるで知らないです。読者で音楽に詳しい方がいたら,「世界的にみて,音楽の基本的なありかたが,そんなに変わらなくなってきた」という見方についてどう思われるか,あるいは参考になる本があったら,教えていただければ幸いです。

ここでひとつ思い出しました。10年あまり前にラジオで聞いた,「オアシス」というイギリスの人気ロックグループのメンバーが「俺たちはビートルズを超えた」と言ったとか言わないとかいう話です。

当時のオアシスからみて,ビートルズは30年くらい前の人たち。さっきウィキペディアをみたら,彼らは「現代のビートルズ」と称されることもあるとか。こういう話を見聞きすると,「変化はゆっくりになっている」と感じます。

1960年代のジョン・レノンやポール・マッカートニーは,自分たちより30年も前の誰かをつよく意識するということはなかったはずです。彼らはそれだけ新しい存在で,そんな遠い過去に,比較の対象になるようなものは存在していなかったのです。
 
まあ,音楽のことは,自信を持った話はできません。でも音楽は「変化がゆっくりになっている」ということの,よい例だと思います。とくに,「世界の文化の動き」を示す素材として適しています。世界のおおぜいが「共通体験」を持つ,ポピュラーな分野だからです。

もう少し自信のある話なら,建築・デザインのことがあります。愛好者として,私が興味を持ってきた分野。

たとえば,このブログでも何度かとりあげたイームズのような,ミッドセンチュリー(1940~60年代)の建築家やデザイナーたち。

彼らは,音楽でいえば,プレスリーやビートルズ(やそのライバルたち)のような存在です。最近の「今風」といわれる空間に,ステキなイスが置かれている。そのイスはたとえばイームズとかの,今から50~60年も前にデザインされたものだったりします。でも,多くの人は,そんなことは知りません。そのイスも同じように「新しい」ものだと思っているのです。

半世紀前のイスが「レトロ」でなく「新しい」感じがするとすれば,それが「変化がゆっくりになっている」ということです。

でも,言葉中心で説明するとなると,デザインの話は伝えにくいです。関心を持っている人の層も薄い。イームズはビートルズのようにポピュラーではありません。

そういえば,数年前,20代の女性と話していたとき,「柳宗理のバタフライスツールって,ほんとに美しい」という話がでてきました。

柳宗理(1915~2011)のバタフライスツールは,日本のイスの名作で,1954年のデザインです(柳は,イームズとも交流がありました)。その女性は,デザインに専門的な関心があったわけではありません。今どきの「ステキなもの」のひとつとして,50年前のイスが目にとまったのです。つまり,昔のバンドの「このギターがいい」とNさんに話す若者と同じこと。

Nさんは,そのミュージシャンについて,ウンチクを語ったことでしょう。私も,その若い人に柳宗理についてのウンチクを聞いてもらい,たのしいひとときでした……
 
やっぱり,社会の変化はゆっくりになってるんじゃないでしょうか。

(以上)

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コメント
この記事へのコメント
初音ミクはご存じですか?

メロディー(音階)と歌詞を入力することで、サンプリングされた人の声を基にした歌声を合成することができるボーカロイド。その代表的な製品(キャラクター?)が初音ミク。実体を持たない「電子の歌姫」です。

彼女のステージはニコニコ動画やユーチューブなどの動画共有サイト。名もない「プロデューサー」達が作詞、作曲、PV風のアニメまで作っています。その曲に人気が出ればCDになりカラオケになり、キャラクターグッズも含めれば今や70億円市場とか・・・

メロディーや歌詞が新しいかどうかは正直よくわかりません。でも機械が歌う曲が作った曲がオリコン1位って、そんな時代ありましたか?(シンセサイザーの一種という見方をすれば古いかな?)

音楽を聞くということ=記録メディアを買ってきて再生することという時代は、終わりつつあるのだと思います。動画共有サイトは、「音楽を聴く方法」に蓄音機発明以来の変化をもたらしました。

どんな広いSDショップでも置ききれないほどの古今東西の音楽が自宅に居ながらにして、しかも無料で聞けるんですすから。もはや音楽は同世代が共有するものではなく、ネットを使える環境にある全ての人が共有するものです。

子供がたどたどしく歌う童謡も、有名なオーケストラも、伝説のロックバンドも、ユーチューブの中では平等です。視聴者はその中から好みのものを選ぶ時代。20代の青年は70年代の洋楽を聞くし、50年代デザインの椅子に座る。結果選びとったモノは古くても、その現象は間違いなく変化だと思います。

小規模なルネサンスと言ったら、言いすぎかもしれませんね。
でも、その先に、少しは新しいモノが出来ると、私なんかは信じているんです・・・。







2013/11/03(Sun) 17:44 | URL  | ピピネラ #eR1ha.nA[ 編集]
ピピネラさんへ
 まず,ただでさえお客さんの限られる私のブログの,その中でも埋もれた形になっている記事に,素敵な「論考」を寄せていただいて,うれしいです。

 「社会の変化はゆっくりになっている」論のねらいのひとつに,「社会や文化にとっての〈新しさ〉や〈変化〉とは何か?」を突っ込んで考えてみたい,ということがあります。「新しい」とか「変化」とかって,抽象的で,人によってイメージするところがずいぶん異なると思います。だから意味があいまいになっているけど,そこをもう少しはっきりできないか,ということです。

 社会が変化することを止めたり,「新しい」ことが何も起こらなくなるということは,あり得ません。
 しかし,現代において,その「変化」や「新しいこと」の質は,これまでとは変わってきているのでは? 

 その視点を,私としては論の基本に置いています。

 では,今の社会や文化の「変化」「新しさ」とはどんなものなのか?
 ピピネラさんが書かれたつぎのことは,重要だと思います。

《子供がたどたどしく歌う童謡も、有名なオーケストラも、伝説のロックバンドも、ユーチューブの中では平等です。視聴者はその中から好みのものを選ぶ時代。20代の青年は70年代の洋楽を聞くし、50年代デザインの椅子に座る。結果選びとったモノは古くても、その現象は間違いなく変化だと思います。》

 今の文化って,たしかにこういうイメージです。
 今の文化・文明には,「なんでも売っている巨大なネットのストア」が出現しました。デフォルメしていうと,そこには,あらゆる時代の人類の文化遺産がならんでいて,お金さえあればその「遺産」のなんでもが手軽に買えるわけです。音楽や映像やテキストやプログラムなどのソフトに関しては,かなりのものが「無料」で手に入ります。そのような「文化遺産ストア」の出現は,たしかに「新しい」です。

 でも,そこに並んでいる「商品」じたいは,これまでの時代の「遺産」であり,決して新しくない。
 「画期的な新商品」として新発売されるものも,よくみれば過去の遺産の細かい改良バージョンや焼き直しであることが多い。

 つまり,「商品」の流通や普及の仕方などでは,新しい現象が起きているけど,「商品」そのものには「新しさ」がみられなくなっている。単純化すると,そういうことが今起こっているのでは,と思うのです。

 「初音ミク」(少しは知っています)にしても,たぶん「音楽作品」そのものとしての新しさよりも,その作品が生み出され流通する過程や,それに関わる社会や技術の環境にこそ「新しさ」があるはずです。
 ボーカロイドじたいは,ピピネラさんも言うように,その本質は「シンセサイザーのひとつの到達点」だと思います。

 もちろん,「流通や普及の仕方」の変化が新しい「商品」そのものを生み出すことはあると思います。
 たぶんそれは,「新しい組み合わせの発見」という形で顕著に起きるはずです。
 重厚な(あるいはカビの生えた)古典も,今どきの「子ども」っぽい文化も「並列」に扱われる状況になれば,それまで思いつかなかったようなジャンルやアイテムどうしの組合わせが起こりやすくなるでしょう。もういくつも事例があるのかもしれませんが……

 そして,「新しい組み合わせの発見」は,「新しい,新鮮な頭を持った人たち」がおもに行っていくものです。それは,古典的なモノサシを身につけていない若い人たちや,従来よりもずっと「大衆」的な人たちということになるのでしょう。「タダで膨大なソフトにアクセスできる」という今のネットの状況は,それを後押ししています。

 そして,世界には「新しい,新鮮な頭を持った人たち」が,ぼう大に存在しています。
 アフリカなどの発展途上国の人たちです。
 この人たちの「頭の新鮮さ」は,今の先進国の若者を上回るでしょう。

 彼らが,今後さらに経済発展していったとき,「近代文明」はきっと新しい展開をみせるはずです(しかし,一定の経済発展が必要)。
 たとえば,音楽などは典型的に,最も早くからそのような「新しい展開」をみせると思います。

 今回の私の記事や,ピピネラさんも例に出した,現代音楽のメジャーな世界――今のジャズやロックやラテン音楽(タンゴなど)やブラジル音楽(ボサノバなど)――これらはみな古典的な西洋音楽とアフリカとの出会いがもとになって生まれました(その「出会い」は西洋によるアフリカ制服・支配といった一種の「悲劇」によるものでしたが)。

 今後は,おもにネットを通して,アフリカの新しい世代が,現代音楽の遺産と盛んに出会うようになるでしょう(もうそうなってきてはいますが,さらにそうなる)。アフリカの若い世代は,きっとそこから,私たちの想像を超える新しい音楽をつくっていくかもしれません。日本の若い世代も,世界の中で「新しい音楽」の創造に一役買ったのだとは思いますが,きっとそれをはるかに上回ることを21~22世紀のアフリカ人は行うのでは……そんな想像をしています。

 だとしたら,私たち先進国の人間は,未来のアフリカ人(イスラムの人びとでもいいですが)のために,彼らがアクセスしやすいように,膨大な文化遺産をネット上に陳列しておいてあげている,といえるのかもしれません。

 ピピネラさんのコメントが刺激になって,またいろいろ考え,書くことができました。
 ありがとうございます。
 今回のコメントや私の返信も,いずれ多少編集してブログの記事にさせてください。 
2013/11/04(Mon) 10:22 | URL  | そういち #-[ 編集]
「新しい組み合わせの発見」
そうそう!それそれ!それが言いたかったんです!
むしろ言いたかった以上のことを言ってれました!!

1+1が2どころか、3にも10にも100にもなるような発見が、起こりやすい環境が、全ての創造のジャンルで整いつつあると思います。
現に、そういちさんのブログを読んで、私のコメントが出来て、それを読んだそういちさんのコメントが出来た。

ソクラテスが「対話」に求めたことが、ネットを使えば理論上世界中の人と出来ちゃう!
それってある意味、車が空を飛ぶよりすごいことですよね!!
(空飛ぶ車て、それ飛行機かヘリでいいやん)
やっぱ先生と呼ばせてください!!

2013/11/06(Wed) 20:20 | URL  | ピピネラ #-[ 編集]
ピピネラさんへ
 コメントありがとうございます。

 なお,「新しい組み合わせの発見」という言葉じたいは,オリジナリティのあるものではありません。
 ジェームズ・ヤングという昔の広告マンが書いた『アイデアのつくり方』(TBSブリタニカ)という,有名な本があって,その中に

 《アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない》(28ページ)

 という一節があります。

 それから,インターネットなどの現在の技術や社会の状況が,そのような「新しい組み合わせの発見」を促進する,という見解も,そう目新しいものではないでしょう。
 たとえば,「社会の変化はゆっくりになっている」シリーズでも引用した,ブリニョルフソン『機械との競争』(日経BP)には,こんなことが述べられています。

《…アクセス可能なアイデアや個人が広くプールされるほど,イノベーションが生まれるチャンスは増える。
 組み合わせるパーツが枯渇する恐れはまずない。仮にテクノロジーの進歩が今この瞬間に止まったとしても,さまざまなアプリケーション,マシン,タスク,流通チャネルを組み合わせるこによって,とても使い尽くせないような新たなプロセスや製品を作り出すことができるだろう。》(119ページ)

 今回のピピネラさんのコメントを読んで,以上のことは述べておこうと思いました。

 そして,そう思っている矢先,ときどきこのブログを訪れてくださる,「しうへ」さんのブログ「TEDで覗く世界」(今日,訪問の足跡がありました)をみると,今日11月6日の記事で,ヤングの「アイデア」論やブリニョルフソンの主張のことが述べられていました。偶然でしょうか?今度しうへさんのブログへ行って,コメントで訊いてみるかもしれません。

 まあ,このように,私の述べていることは,決して独創的ではありません。
 また,「独創的」である必要もない,と思っています。

 そして,述べていることの元になった論や著作については,できるかぎり触れたいとは思いますが,展開のテンポや成り行きで,そこを飛ばしてしまうこともあるでしょう。
 「有名な本(知っている人は知っている」にあることは,いちいち出典に触れなくてもいい場合があります。出典を示さなくても,「有名な本」のプライオリティ([そのことを最初に述べた]という名誉)を損なうことがないからです。

 でも世の中では,「有名な本からは引用して,無名の著者からは剽窃する(自分のオリジナルと偽ってパクる)」というのが多いのかもしれません(このことも,私は何かの本で読んだのです)
 
 話しが,ちょっとそれました。
 とにかく,何か文章を書くと,その「素材」となる主張のそれぞれには,たいていは,先行するものがあります。
 でも,文章の中で,それらの素材のあいだの「新しい組みあわせ」ができれば,そこに一定のオリジナリティが生まれるはずです。今回私の書いたものにも,そういう面があればよいのですが。

 それから,自分が「発見した」「気づいた」と思うことを,すでに過去の著者が述べていないか,という視点も,読書では大事なことだと思います。
 そして,「自分と同じことを考えていた過去の著者」がみつかったら,がっかりしないでよろこびましょう。その本は,きっと刺激をもたらしてくれます。そこから自分の思考や世界が広がるチャンスです(とはいえ,ちょっとがっかりすることもあります)。

 それにしても,今の技術や社会は,ほんとうに「新しい組み合せの発見」を促すのでしょうか?
 楽観論には,たしかに根拠があるとは思います。でも,ほんとうにそうのか?という疑問も私にはあります。
 このことは,またいずれ。 
2013/11/06(Wed) 22:41 | URL  | そういち #-[ 編集]
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