FC2ブログ
2013年04月11日 (木) | Edit |
前回の記事で「研究的に勉強する」ということを述べました。「研究的」とは,「自分のテーマを設定し,勉強の成果をひとつの作品にまとめあげ,公表する」こと。そのようなプロセスをふくんでいる,ということ。
 
ひとつの作品にまとめあげるうえで,重要な方法のひとつに,「整理・編集」ということがあります。

そして,今は多くの人が,日常的にたくさんの情報の断片を集めては,整理・編集をしています。

さまざまな文書や写真やその他のデータをパソコンやネット上に保存したり,音楽プレーヤーに何百何千という曲をダウンロードしたり,ハードディスクに好きな番組や映像をため込んだり,ブログやツイッターやフェイスブックを更新したり。

これは,いろんな「断片」を,ぼう大な選択肢のなかからチョイスして,自分の気に入るように,並べているのだと思います。今私がこの文章を書いているのは,「断片」よりは大きなまとまりである,書物や日常や思考のなかから,ちょっとした何かを取り出して,ブログという場所においているのです。

ブログを書きはじめて,そういう感じがいくらかわかってきました。

今の時代は,さまざまなツールを使って,「整理・編集」のような研究的なことを,手軽に行えるのだなと。

「手軽に」といいましたが,その行為に費やすエネルギーは決して「軽い」ものではありません。私たちは,「情報の断片を集め,整理・編集する」ということに,毎日相当な時間や手間をかけています。

「忙しいな」と思いながらも,それをせずにはいられない。

やはりそれがたのしいからです。整理・編集する毎日。まあ,懸命に遊んでいるのですね。

このことを,40年以上前に予見していた人物がいます。梅棹忠夫(1920~2010)という民族学者です。民族学という枠を超えて,文明全般にわたってさまざまな発言をした人。

梅棹は,1970年代初頭に,「情報を整理する場としての家庭」「情報創造の場としての家庭」ということをいっています。カメラの普及はその先駆形態で,手の込んだ料理をつくることは「情報創造」だ,と。

そして,こうも述べています。

《家庭を,全身全霊をうちこめる娯楽場として構築しなおすことこそ,あたらしい家政学(家庭についての学問)の課題であろう。》
(初出:1972年,梅棹『情報の家政学』 中公文庫

今の家庭は,全身全霊で文化や情報で遊ぶ場所となりました。今日もこうやって遊んでいます。

(以上)

関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック