2017年01月22日 (日) | Edit |
トランプ大統領の就任演説について、テレビのニュースやワイドショーに出ている識者の評価は、だいたいネガティブでした。

「選挙演説のときと同じで中身がない」「大統領就任演説というより、トランプのファン感謝祭」「トランプ支持者以外への語りかけがない」「具体的な政策がなく抽象的」「アメリカは世界に責任があるはずなのに内向きの話ばかり」「アメリカ製品を買おう、アメリカ人を雇おうというのは、昔の製造業の時代を想定しており、時代錯誤」等々。トランプ大統領に抗議するデモの様子も、かなり報じられている。

たしかに、トランプに批判的な立場、あるいは政治や経済の専門家の立場からみると、「ダメだなあ」ということなのでしょう。インテリ的な立場からは、あれを評価するわけにはいかない。

でも、非インテリ的な、トランプに期待を寄せる立場からみたら、どうなのか。
シンプルに力強く、大切なことを伝えている、とはいえないでしょうか。

そこには、明確なわかりやすいメッセージがあります。(以下、就任演説からの引用。日経新聞による訳)

「首都ワシントンからあなた方、米国民へ権力を戻す」「エスタブリッシュメントは自らを保護したが、米国民を守らなかった」「我が国の忘れられた男女は、もう忘れられることはない」「米国はほかの国を豊かにしたが、我々の富、力、自信は地平線のかなたへ消え去った」

そして、最も主要な原則・主張。

「今日から米国第一主義だけを実施する。米国第一主義だ」「我々は2つの簡単なルールに従う。米国製品を買い、米国人を雇うというルールだ」「職を取り戻す。国境を取り戻す。富を取り戻す。そして夢を取り戻す」「国家全域に、新しい道、高速道路、橋、空港、トンネル、鉄道をつくり、福祉に頼る生活から人びとを抜け出させ、仕事に戻らせる」

シンプルで明快な行動原理と、実行する強い意志を示すトランプ。
そして、従来のワシントンの政治家たち、とくに「リベラル」な人たちに引導を渡します。

「意見をいうだけで、行動を起こさない政治家にはもう容赦しない。文句をいい続け、それが仕事になっているような政治家たちだ。中身のない対話の時代は終わりだ」

そして最後にもう一度、「忘れられた人びと」への呼びかけ。

「あなた方が無視されることは、もう二度とない。あなた方の声、希望、夢が米国の未来を形づくる」

「米国を再び強くしよう」

具体的な政策論なんてよくわからないし、大統領の就任演説で聞きたいとも思わない人たちは、きっとおおぜいいるはずです。そういう人たちがトランプを当選させたのです。

トランプの「抽象的」で「中身のない」演説を、まるでキング牧師やリンカーンの演説のように感動して聞いた人たちが、きっといたはずです(でもあまり報道されていないように思う)。そして、(キング牧師の演説がそうであるように)中学高校の英語の教科書に載ってもいいような、平易な英語表現。

こむずかしく具体的な政策論など語っていたら、そのような感動は生まれない。少なくともトランプの場合は、そうにきまっています。実務的で具体的なトランプなど、魅力的ではない。キング牧師の演説だって抽象的ですし、“アイ・ハブ・ア・ドリーム”の演説で人種差別撤廃に向けての現実的な法整備のあり方について論じていたなら、それほど感動的にはならなかったでしょう。

「アメリカ第一主義」は、抽象的で時代錯誤で、非現実的なものだと、多くの識者はいいます。私もその点は同感です。しかし、「誤っている」としても侮ってはいけない、とも思うのです。

誤っていても、ウソだらけでも、単純素朴でバカっぽくても、影響力のある考え方というのは、あります。

「アメリカ第一主義」という基本方針は、それ自体は抽象的です。しかし、政策のさまざまな分野や個々の具体的場面で、明確な行動指針となり得る考え方です。単純明快ゆえの力を持っている。

これに対し、たとえば「世界に自由と平和と発展を」といったメッセージは、たしかに「すばらしい」のですが、それを実現するための行動指針が具体的にみえてこないところがあります。「対話を大切に」というのも、「とにかく話しあいましょう」といっているだけであって、対話のテーマになっている複雑な問題について解決策を示すものではない。話しあってもどうにもならないことは、たくさんあるわけです。

昔、ヒトラーがシンプルな(しかし事実を歪めた、矛盾に満ちた)メッセージで人びとに訴えたとき、多くのインテリはバカにしていました。

ヒトラーは、ドイツを再び偉大にすることを目標に掲げましたが、そのためのビジョンは軍拡と侵略による領土拡張です。単純で幼稚で、邪悪とも思えますが、そのために何をすべきかが明確に導き出せる。そういう「強さ」があるのです。具体的な方法や技術的なことはヒトラーに共鳴する専門家がしだいに集まってきて、やってくれました。

トランプの「アメリカ第一主義」にたいしても、そういう「専門家」があらわれるかもしれません。アメリカにはいろんな人材がいますし、権力は人材を集めるのです。

トランプの演説は、テレビや新聞で解説するような人をうならせるものではもちろんない。だからといって侮ってはいけない。やっぱりこの人物には、大きな何かをやらかす可能性・危険性がある。心配したほどではなかった、という結果になればいいのですが・・・

大統領選挙の結果で、識者や有力者たちは懲りたはずなのに、相変わらずです。エスタブリッシュメントやインテリに反発する人たちの思いに対し、あまりに鈍感すぎる。その鈍感さが、トランプ大統領を生んだのに。

この鈍感さが続くかぎり、たとえトランプが敗北していなくなったとしても、問題は終わらないはずです。

(以上)
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2017年01月21日 (土) | Edit |
前回の続き。「アメリカ第一主義」をかかげる大統領がついに就任するなど、アメリカが覇権国として世界にあたえる影響が大きく後退する流れが明確になってきた。

その影響について、中国やロシアはどう出るか、アラブ・中東の情勢はどうなるかなどの、比較的短期の国際情勢の話はとくにいろいろ出ています。しかしここでは、アメリカという「中心」の衰退が、おもに先進国における国家や政府のあり方に、中長期的にどう影響するのかについて考えます。これは、私たち日本人にとっても切実な問題です。

アメリカが覇権国として世界を仕切ることに消極的になると、つまり「世界の警察官」をやめると、世界の国ぐにの国家としての機能は、再編成を迫られます。

この何十年かは、世界の諸国のあいだの大小さまざまなもめごとの多くは、アメリカによる仲裁が有効でした。当事者どうしで話し合いがつかないことも、アメリカのジャッジによって一応のケリをつけていた。アメリカが前面に出なくても、アメリカが大きな影響力を持つ国際機関がジャッジしたりもした。

軍事的にも、アメリカの傘下に入ることで、ある程度の「属国」的な立場と引き換えに、相当な安全が保障された。

本来は国際社会には、国内の警察や裁判官にあたるような権力は存在しません。
「世界統一政府」がない以上、国際社会にはそれを統制する権力が存在しません。つまり、究極には「力」がものをいう世界です。その点では、かつての日本などの「戦国時代」とかわりません。

そして、20世紀前半までの国際社会は、まさに戦国時代だったわけです。

近代以降(1500年代以降)だけをみても、ヨーロッパ諸国は頻繁に戦争をしていますし、そのヨーロッパ諸国を主体として、アジア・アフリカ・アメリカ新大陸でも侵略的な戦いがくり広げられました。あげくの果てに世界大戦です。

近代以前でも、さまざまな国がおこったり滅びたり、領土を広げたりというのは、結局は戦争をしているのです。

この何千年のあいだ、世界はおおむねいつも「戦国時代」だった、といってもいい。

しかし、1900年代後半のアメリカは、国際社会の「警察」「裁判官」に準ずるような役割を果たしていました。もちろんそれは「世界統一政府」的な権力とは大きな隔たりがあります。1900年代後半にも、世界各地ではさまざまな戦争がありました。それでも、1900年代後半の世界では、アメリカの存在が国際社会の「戦国時代」的な本質を、かなりおさえこんでいたのは事実でしょう。

より正確には、以前のアメリカは「世界の警察官」というよりは、「世界の番長」というべき存在でした。半分は暴力的に、半分は仲間うちのコンセンサスで、不明確な権力を行使する存在です。その権力には、警察のような明確な正統性はありません。その割にはいろんなことに目を配っている、かなり面倒見のいい番長でした。でも、やっぱり怖いところがあるし、時にはカツアゲをしてくる。

そんな「面倒見のいい番長」はもうやめた、と最近のアメリカはいい出した。たぶん「面倒見のよくない番長」になるつもりなのでしょう。

アメリカの覇権の後退は、国際社会の本質が「戦国時代」であることを、再びあきらかにするはずです。

それは、かならずしも世界大戦のような大戦争に直接つながるということではないでしょう。しかし、「自国優先」を掲げる利害や立場を異にする国ぐにがせめぎあい、ときにはげしく対立し、一方で(利害が一致すれば)協力したり同盟したりする。そのような局所的な対立や同盟が、あちこちで起こる。その動きを仕切る有力な存在はなく、もちろん国のあいだのもめごとをジャッジする警察官や裁判官、もしくは番長はいない。

トランプ大統領は先日の就任演説でも、これまで述べてきた「アメリカ優先」という原則をあらためて強く主張していました。そして、ほかの国もアメリカにならえばよい、と。これは、「世界は戦国時代に戻る」という宣言です。

戦国時代的な国際社会では、それぞれの国は、ほかの国ぐに(油断のならない危険な存在)に対し対抗できるだけの力や体制を強化することが求められます。

その最も切実な要素が、国防・軍事にかかわることです。軍隊そのものの組織や装備を強化するだけではありません。有事の際に、社会全体が軍を支える体制を築く必要があります。いざというとき国全体が安全保障のために結集できるようにする。その体制の邪魔になる反対者を排除するしくみも、当然重要になります。

日本でも、現総理をはじめ一部の政治家は、この問題を真剣に考えていることでしょう(ある程度実行もしてきた)。一方でその動きを真剣に危惧している人たちもいる。

「外敵から自分たちの社会を守る」という機能や目的は、国家にとって最も根本的なものです。近代国家では、国民であれば否応なしにそのための国家の活動に動員されてしまう。直接軍隊にとられることがなくても、何らかの協力や関与、あるいは犠牲を求められる。

そして、そのような動員をするだけの力を、行政の発達した現代の国家は持っています。第二次世界大戦のときなどよりもはるかに、です。

「社会を外的から守る」「そのために国民を動員する」「動員の体制やしくみをつくる」というのは、法の体系では「公法」といわれる分野の活動です。政治学の言葉でいえば国家の「統治」的な活動です。

戦国時代的な本質があらわになった国際社会では、国家の「公法」あるいは「統治」的な活動は、強化されることになるでしょう。逆にそれができなかった国は、「戦国の世」のなかで不利な立場になる。

「公法」「統治」の面では、国家や政府の存在感は、今後大きくなっていくのではないか。今のように国際情勢が不透明さを増すときには、ばくぜんと「国家の解体」みたいなことをいう人がたまにいますが、基本的にはまちがいだと思います。

しかし一方で、国家の存在感が薄れたり、機能が弱体化する領域もあるかもしれません。国民生活へのきめ細かいサービスにかかわる領域です。インフラの整備・維持、学校教育、社会保障・福祉などの、いわゆる「行政」的な分野です。政府の力は有限なので、ある面が強化されれば、ほかの面が割を食うことは考えられます。

アメリカの覇権の後退によって、戦国時代的な国際社会が再びあらわれるという見方は、すでに“「Gゼロ」後の世界”といういい方で、イアン・ブレマーという人が以前から述べています。ブレマーによる2012年の著作『「Gゼロ」後の世界』(日本経済新聞出版社)は、今あらためて読むと、見事です。数年前の本ですが、今現在や近未来の状況を理解するのに、おおいに参考になる。

また、アメリカの覇権の衰退やその影響については、私が若いころから影響を受けてきた政治学者・滝村隆一さんも、ブレマーと重なる見解を述べています(『国家論大綱 第二巻』、2014年)。国際社会の基本が「戦国時代」であるという見方や、国家の「統治」的活動といった概念は、滝村さんからのものです。私は、ブレマーや滝村さんの主張を、自分なりに編集・要約して述べているつもりです。

(以上)
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2017年01月09日 (月) | Edit |
私が昨年出版した『となり・となりの世界史』(日本実業出版社)では、「5000年余りの世界史において、世界の繁栄の中心(覇権国)といえる大国・強国の移り変わり」を追いかけることで、世界史を「ひと続きの物語」として述べることをめざしました。

具体的には、西アジア(メポソタミア・エジプトなど)→ギリシア→ローマ→イスラムの国ぐに→西ヨーロッパ(詳しくみるとスペイン・イタリア→オランダ→イギリス)→アメリカと、世界の繁栄の中心は移り変わってきました。
今の世界は、1900年代前半から続くアメリカの時代です。

アメリカの時代はいつまで続くのか?

アメリカが総合的にみて世界最強の大国である、という状態ならば、これからも何十年かは続くでしょう。もっと続く可能性も高いと思います。

しかし、その圧倒的な力で世界を仕切るという状態(それが「覇権」)は、これからますます明らかに後退していく。あと20年もすると、かつてのようなアメリカの覇権は過去のものになる。少なくともすっかり様子が変わっている。

あいまいでおおざっぱな予想ですが、ひとつの視点としては意味があるでしょう。私たちのほとんどが生きているうちに、大きな変化が一区切りついているのでは?という問いかけでものごとをみてはどうか。

アメリカの覇権の後退ということは、1970~80年代にはすでに言われてはいました。
たしかにその頃、アメリカの勢いは1950~60年代よりは後退していました。その一方で「アメリカの後退」という見解には、圧倒的な大国に反発する感情もあったように思います。「こんな国、衰退してしまえ」という願望が混じっている面もあった。

だから、本当に後退するまでには、まだ時間がかかりました。1990年代には、ライバルだったソヴィエト連邦の崩壊によって、唯一の超大国となったアメリカがまさに世界を制覇したような状況になりました。

しかし、そのようなアメリカの「世界制覇」は、10年ほど続いただけでした。

2000年代(ゼロ年代)初頭の、9.11テロへの対抗・報復として行ったアフガニスタン侵攻やその後のイラク戦争は、大きな転換点でした。このとき、アメリカはいろいろな誤りを犯した。その後、1990年代にひとつのピークに達したアメリカの覇権がさまざまな面で崩れていきます。

一方で、中国を筆頭とする新興国の発展がすすみ、GDPなどでみた世界経済でのアメリカのシェアが小さくなる、という流れも2000年ころから明確になりました。
今現在の世界の、アラブ・中東の混乱した状態や、中国が新たな超大国として自己主張を強めていることの直接の出発点は、2000年代初頭にあります。

そして、2000年代初頭のアメリカは、勇ましくアフガニスタンやイラクを攻めたのですが、今のアメリカはシリアなどの中東の情勢に対してかつてのような積極的な行動はとれないでいます。中東で積極的に動いているのは、ソ連崩壊後の混乱から一応は復活してきたロシアだったりする。

トランプのいう「アメリカ優先」は、「覇権国として世界を仕切るスタンスを見直す」ということです。近年は米国民のあいだで「世界でのリーダーシップよりも自国の問題に専念すべきだ」という世論が高まってはいました。トランプの当選も、そのような流れが生んだといえます。やはり、こういう大統領が出てきたことは、大きな転換点でしょう。

たしかに、昔のアメリカも自国優先の孤立主義をとっていました(「モンロー主義」という)。しかしそのような内向き志向が優勢だったのは1900年代前半までのことで、それ以前のアメリカは世界の中心=覇権国ではありませんでした。

「アメリカ優先」は、1900年代半ばの「偉大なアメリカ」の復活ではなく、「覇権国となる以前のアメリカへの回帰」を意味するのです。つまり「世界トップの経済力や軍事力を持つ大国には違いないが、世界を仕切るような“中心”ではない」ということ。それがこれからのアメリカのポジションなんだと。

現実の流れとしてそうなりつつあったことを、トランプの主張は、基本方針として確認していることになります。そのような方針は、現実の流れを後押しするはずです。つまり、世界の「中心=覇権国」としてのアメリカの役割の大幅な後退という流れです。

ほんとうは「再びアメリカを偉大な国にする」ではなく、「(100年以上前の)“ふつうの大国”のアメリカに回帰する」というべきです。でも、それではあまり輝かしい感じがしないので、選挙に勝てませんね。

(以上、つづく)
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2017年01月05日 (木) | Edit |
正月休みのかなりの時間を割いて、家の整理をしています。
妻といっしょに、要らない書類や資料、本・雑誌、洋服などを処分しようとしているのです。

とっておくものも、しかるべき形に整理して、置くべきところに置いて、使えるようにする。
まだ、片づけたいと思っていることの半分もできていません。
今月いっぱいは、おもに週末に、そうした整理に時間を割くつもりです。

そんな整理をしていて、あらためて大事だと思うことがあります。

過去の仕事を再検討して
あらためて取り組む。


もともとは、チャールズ・イームズという20世紀アメリカのデザイナーが言っていたことです。イームズは、20年、30年という時間のなかで、自分のアイデアやデザインを再検討してつくり直すことに何度も取り組んでいます。イームズの代表作の多くは、その作業のなかから生まれています。

過去の仕事の再検討――最近はこのことを一層つよく思います。

今回、身の回りの整理をしていても、思いました。自分が過去に書いたもの――発表したもの、下書き的なもの、ちょっとしたメモ等々――をみると、いかに多くの未完成のもの、発展途上のものを放っておいたままにしているか。

これらをきちんと完成させようとしたら、相当な時間やエネルギーが要ります。

私は50歳を少し過ぎています。
20歳ころから読んだり書いたりに興味をもってきましたが、それで去年やっと世界史の本を1冊出せただけの、かけ出しです。
もう時間がありません。

たしかに人生は長いです。
でも、若いころから取り組んできた「関心のある分野でものを書き、読者を得たい」という活動を軌道に乗せるということなら、私に残された時間はやはり限られている。

そんな私にとって大切なアプローチが、「過去の仕事の再検討」です。
未完成のものを、完成させていく。あるいは改定して、グレードアップする。かたちを変えて、別のユーザーにお届けする。

去年出した本『一気にわかる世界史』(日本実業出版社)も、そんな「再検討」から生まれました。

直接の出発は10年ほど前に書いた、試作品的な原稿(草稿)でした。
それを何人かの人に送ったり、研究会のようなところへ持って行って配ったりしましたが、反響は芳しくありませんでした。

その後数年の間に、ひとりで何度か再検討と書き直しをくりかえしていくうちに、多少の手ごたえがあったので、書いたものの一部をこのブログにのせました。

それから2年ほどして、ブログの記事を書き直してまとめることにしました。その作業がほぼおわったころに、偶然にブログをみた出版社の方からの声がけがあったのです。最後に書き直したバージョンをもとに、『一気にわかる世界史』はできています。

今年も、再検討してあらためて取り組みたいテーマ(以前の原稿など)がいくつかあります。
幸いにも、私の書いたものは世の中にほぼまったく広まっていないので、これらをつくり直して新しい読者に届ける余地はいくらでもあるわけです。50過ぎて、そういう「課題」がいっぱいあるのは、悪くないことです。

年末に、若い仲間が創刊する雑誌『うぞうむぞう』のための記事を複数書きましたが、それらも過去の仕事の再検討によってつくりました。記事のひとつは15年前の原稿を大幅に加筆・修正したものです。昔の原稿を、編集長の木村さんが(学生時代に読んだのを)おぼえていて、そのすすめに応じてのことでした。

「過去の仕事の再検討」というのは、過去にこだわって新しいものを受けつけない、ということではありません。過去の仕事を今現在の読者・ユーザーに届けるためには、新しい情報や視点をふまえて取り組む必要があります。新たに学び、考えることになるのです。過去の仕事を、今そのまま出しても多分ダメです。

新しいことを加えていかないと、過去の仕事は完成しない。そこで、「過去の仕事を完成させる」という過程から、新しいアイデアやスキルを得ることもできる。これは、やってみて実感しています。

「中高年の生き方」の話では、「まったく新しい何かにチャレンジ」ということに光があたりがちな気がします。とくに、元気な人はそういうことを言います。もちろん、それも悪くないと思います。でも生産性や成功の可能性が高いのは、過去の仕事を再検討し、今の状況にあうように、あらためて取り組むことでしょう。

なお、このことは中高年だけでなく、30歳くらいを過ぎたなら、もっと若い人にもあてはまるはず。

「今の状況にあうように」というのは、とくにむずかしいところです。たしかに、それがないと「過去の思い出に生きている」感じになってしまう。でも、そのあたりの自覚をもって勉強すれば、中高年でもかなりのことはできると思っています。

(以上)
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2016年12月28日 (水) | Edit |
今年のまとめのような記事を書きました。
タイトルの「一挙解決願望」ということは、これまでにも書いたのですが、ほかの素材とも合わせてまとめなおしたものです。

***

これを何とかすれば、すっきりする?

私たちは、ときどき「問題を一挙に解決したい」という切実な思いにとらわれます。「これを何とかすれば」というポイントさえ片付ければ、すべてがすっきりする、と思い込む。いわば「一挙解決願望」です(筆者の造語)。

たとえば「会社を辞めればすっきりする」「この人と別れれば自由になれる」と考える。

でもたいていは、会社を辞めても、配偶者と別れても一挙解決とはいかないのです。むしろ、辞めたり別れたりしたことで、経済的問題などの、新たな苦しみを抱えることになったりする。

辞めたり別れたりする前に、すべきことはないでしょうか? 会社で不満があるなら、プライベートを充実する、会社での人間関係を少しでも修復するなど、劇的ではないけど現実的な対処を重ねる、というやり方もあります。

昨年(2016年)6月、イギリスでは「EU離脱」を国民投票によって決めました。

移民さえいなければ、EUのさまざまな縛りさえなければ、いろんなことがよくなるはずだ。離脱してすっきりしよう……。イギリス国民のあいだでは、一挙解決願望が大きな力を持っているのです。

昨年11月のアメリカ大統領選挙の結果も、米国民の一挙解決願望がもたらしたといえます。

近年のグローバル化や格差の拡大などに不満を持つ人たちが、トランプ候補を支持した、とされます。トランプなら、問題を一挙に解決してくれるはずだ、と。


世界大戦をもたらした「一挙解決願望」 

さらに極端に「一挙解決」を求める方向に行かないか、という心配もあります。

第一次世界大戦や第二次世界大戦は、そのような願望が暴発した、最大の事例です。このときは指導者や国民が、深刻な失業や、国際関係での緊張のような、さまざまな問題を戦争によって、世界をリセットするような感じで一挙解決しようとしたのでした。

たとえば、第一次世界大戦(1914~1918)はこうでした――この大戦は、バルカン半島(ヨーロッパ東南部)での、オーストリアとその支配下にある諸民族、近隣のロシアの間の紛争がきっかけです。しかし大戦争になったのは、その紛争に介入したドイツによる暴挙のせいです。その暴挙に「一挙解決願望」が絡んでいます。

ドイツは、オーストリアを支援してバルカン半島の問題に介入する一方で、長年対立関係にあった隣国のフランスを大軍で攻撃したのです。そして、「バルカン方面で戦う間にフランスに攻められないよう、先にフランスを攻撃しよう」と考えた。それで大きな戦争になっても構わない……。ドイツによるフランス侵攻をうけてイギリスはドイツに宣戦布告し、大戦がはじまりました。

当時のドイツ人には、つよい「一挙解決願望」がありました。

ドイツは1800年代後半に急速に発展し、その産業や軍事力はヨーロッパ最大となりました。しかし、植民地の獲得では先に発展したイギリスやフランスに遅れをとり、国際社会での地位は今ひとつ。ドイツ人はそれに苛立っていました。戦争に勝利すれば英仏中心の国際秩序を一挙にリセットできる。ドイツの指導者はそう考え、勝負に出たのです。
(木村靖二『第一次世界大戦』ちくま新書などによる)

しかし結局、英仏およびアメリカの陣営に敗れました。第一次世界大戦の結果、国際秩序はドイツに一層不利になりました。さらに大恐慌(世界的な大不況、1929~)以後は、失業や貧困が深刻化しました。

第二次世界大戦(1939~45)をひきおこした中心人物のヒトラーは、さまざまな問題を一挙に解決する新しいリーダーとして期待されたのです。


解決手段としての植民地

昭和の戦前期(第二次世界大戦前夜)の日本人も、当時の英米中心の国際秩序に反発していました。農村は貧しく、若者が都会に出ても仕事がない。

問題解決の手段として指導者が選んだのは、植民地の拡大です。植民地の資源や労働力を利用して、富や仕事を生み出す。国民の多くも、それを支持しました。

昭和戦前期の日本は、はげしい格差社会でした。人口の1%の最上位の高所得層が、全国民の所得の2割を占めていました(この「1%シェア」は、現代の日本だと1割ほど。(『週刊エコノミスト』2014年8月12日・19日号の記事による)

戦前を知る下村治という昔のエコノミストは、50年ほど前にこんな主旨のことを述べています。

「当時の社会問題の根底には、人びとに十分な富や職をいきわたらせることができない“人口過剰”の問題があった。当時の状況では、これを内部的な成長や福祉政策では解決できないと思われた。そこで資本主義を崩すことが解決だと思った人は社会主義のほうへ行き、領土を広げて植民地から富を得ることで解決しようとした人は軍国主義へ走った」
(原田泰『世相でたどる日本経済』日経ビジネス人文庫による)

そして、軍国主義が選択されたのです。地道に時間をかけて問題に取り組むのではなく、侵略戦争で一挙に解決しようとした。


「ポピュリズム」でいいのか?

最近の世界は、あちこちで一挙解決願望が大きくなっています。ひと昔以上前の世界では、この願望が力を持つのは、おもに発展途上国でした。貧しく・苦しい状況を一挙に変えてほしいという人びとの願いが、さまざまな革命やクーデターの背景となってきました。

しかし、近年はもっと発展した国ぐにで、一挙解決願望が力を持っています。昨年のイギリスとアメリカでの出来事は、それを明確にしました。

この現象は、マスコミでは「ポピュリズム(大衆迎合主義)の台頭」などといわれます。そこには「政治家が無知な国民を煽っている」というニュアンスがあります。

しかし、何かちがうというか、足りないように思います。それより、この現象は「人の心の、よくある基本的な傾向と深く結びついている」という点に、もっと注目すべきではないか。

そのような「傾向」の中心にあるのが、ここでいう「一挙解決願望」です。そういう願望が、人の行動に大きな影響をあたえることがある。

「無知な大衆が煽られている」という枠組みだけでものごとをみても、ピンときません。まさに「上から目線」になってしまって、その現場にいる人たちの感覚がわからない。

一挙解決願望を抱く人たちが、何に不満を感じているかも、「グローバリゼーションに取り残された人たちの怒り」みたいな調子で、簡単に決めつけないほうがいいでしょう。経済はたしかに関係しているのでしょうが、それだけではないかもしれません。

私たちが、辞めたい、別れたい、それですっきりしたいと思うのだって、簡単には説明できないことも多いです。説明しにくいことを、なんとか感じとろうとする姿勢が今は必要に思えます。「これは、ポピュリズムだ」などとまとめてしまうと、感じとることのさまたげになる。

ぜひとも、「一挙解決願望にご用心」ということを、忘れないようにしましょう。個人の小さなことでも、世界情勢についても。
まずは、自分自身がその願望にとらわれないように。
そして世の中でそのような「願望」がどうして力を持っているのか、決めつけることなく、あらためて自分の心のうちや現実に問いかけてみよう。来年はとくにそれが大事な年になるのでは?

(以上)
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2016年12月27日 (火) | Edit |
昨日(26日)はSMAPの番組「スマスマ」が最終回だったので、今朝からワイドショーでずいぶん取り上げられていました。
私は、今日からすでに年末年始の休みで家にいて、それを結構みました。

SMAPのみなさん、お疲れさまでした。所属事務所の「お家騒動」に巻き込まれてこんなことになってしまった、と私はとらえています。事務所のオーナー経営者は、自分の会社のドル箱を、自分で台無しにするようなことをしてしまった。
それはそれとして…

SMAP解散に関し、私がとくに印象に残っているコメントに、秋頃にX JAPANのYOSHIKI(ヨシキ)さんが言っていたことがあります。主演するCMについての取材で、記者たちにSMAP解散のことを訊かれての発言。

みなさん、まだ生きてますから。 

YOSHIKIさんのバンドも1997年に解散し、その後メンバー1人が亡くなっています。2007年に再結成しましたが、また1人が亡くなっている。

SMAPには再び全員で集まる可能性が残っています。世の中にはフルメンバーで再結成したくても、もうどうしようもないグループがいくつもある。何ごとも、生きていればこそ。 

老スマ

      老スマ。

(以上)
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2016年11月28日 (月) | Edit |
今、ある雑誌から原稿の依頼があって、それに取りかかろうとしています。

若い人が今度立ち上げる、リトルプレス(個人またはごく小さな組織による出版物)の季刊誌で、タイトルは『うぞうむぞう』。

「うぞうむぞう(有象無象)」というのは、ここでは「かたちあるものないものすべて→この世のいろんなものすべて=森羅万象」を指しているらしい。あるいは同時に「有名でも有力でもない、ふつうの人たちの集まり」という意味もこめているのかも。

編集・発行の責任者は、木村仁志さん32歳。NPOの世界に深くかかわってきた。理系の出身で、科学にも関心や知識がある。

これからの社会で活躍する若い人に向け、現代社会や歴史や文化や科学等々のいろいろなこと(森羅万象)を研究して、わかりやすく伝えたい。たとえば、創刊号の特集テーマは「行政とNPO」を予定している。

その後は「パートナーシップ」「健康」「コミュニケーション」「宗教と文化と政治と倫理」「原子と分子」「進化」「歴史」「投資」「教育」といった特集を順次組んでいくとのこと。

ずいぶん大風呂敷で、元気がいいですねー

こういう大風呂敷でアマチュアな感じは、今の商業誌にはない。
でもたしかにそういう雑誌があっていい。私も読みたい。

私は、連載をさせていただくことになりました。

タイトルは、「近代社会を精一杯生きる」というのを考えています。

近代社会を精一杯生きる。

これを基本テーマに、そこにつながるいろいろな話題を毎回書いていきます。
まあ、このブログのテーマでもあるのですが。

私たちは「近代社会」という、世界史のなかの、ある特別な社会に生きている。
その認識をベースにした、やや長めのエッセイ。
「世界史」の観点がたえず絡んでくると思います。
今のこの社会の在り方が、過去の人類の歴史とどうかかわっているか、といったこと。

そして、単に歴史を知るだけでなく、「これからどうすればいいのか」についても考えたい。

木村さんは、いきの良い執筆者を集めている最中、とのこと。
(50代の私はたぶん、この雑誌の書き手の中では「年寄り」のほうになるはず)
きっと、おもしろい雑誌になります。
来年2017年の、できれば1月に創刊予定です。

***

ところでこの雑誌は、立ち上げの資金集めに「クラウドファンディング」という手段を使っています。

何かのプロジェクトを立ち上げたい人がネットを通じて出資や寄付を募る、それを容易にする機能を持ったサイト。今はそういうものを運営している会社・組織がある。そのような「道具」を使った資金集め。

雑誌『うぞうむぞう』のクラウドファンディングは10月下旬にはじまりました。

クラウドファンディングの資金集めには、「出資」のような形もありますが、この雑誌は「寄付」を募っています。

本日11月28日現在で、『うぞうむぞう』への寄付は、30万円を突破しています。中には10万円を寄付された方も。
寄付の受付は、2017年1月9日で終了だそうです。

『うぞうむぞう』のクラウドファンディングを行っているサイト
(クリックしてもサイトへ飛ぶだけで、寄付しなくてはいけないとかそういうことはありませんので)

私は「クラウドファンディング」というものは、知識としては知っていましたが、ある種の関係者としてその「現場」を目撃するのは初めてでした。

「へえー、これがそうかー」「すごい、こんなに熱く応援してくれる人がいるんだー」とおどろき、感動しました。

けんめいに原稿を書かないと。

(以上)
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2016年11月26日 (土) | Edit |
「そういちカレンダー2017」発売開始!

歴史や科学などに関する記事がぎっしり詰まった、雑誌感覚の「読むカレンダー」をつくって販売しています。トイレの壁とか、家族や仲間が立ち止まって読むようなところに貼ってください。
周りの人との共通の話題や、「話のネタ」「考えるきっかけ」を得られるはずです。


2014年から制作していて,今回で4年目。
このカレンダーづくりは、私にとって「1年のまとめ」のような活動です。

イラストも含めた原稿作成、編集レイアウト、さらに印刷まで自分でやっています。結構エネルギーを費やしております。

こういう、時間や手間のかかる「真剣な遊び」ができるのは、いろんな環境に恵まれているからこそ。今年もこのカレンダーを制作できたことに感謝。

告知していないうちから、「2017年版もつくるなら発注します」というメールやお声がけもちらほらいただいています。ありがとうございます。過去にご注文くださった方には、これから個別に連絡させていただくこともあるかと思います。どうか、よろしくお願いいたします。 
 
 *** 

我が家の壁に貼ってある「そういちカレンダー」。 
これは2014年版ですが、表紙のデザイン・紙質などは2017年版も同じ。

 カレンダー使用例 (2)

(下の画像は2015年1月のページですが、2017年版も同じレイアウト・構成です。記事の内容は毎年・毎月ちがいます。現物のサイズはA4判)

そういちカレンダー2015 1月

【このカレンダーのコンテンツ】
 ①四百文字の偉人伝 古今東西の偉人を400文字程度で紹介
 ②今月の名言 世界の見方が広がる・深まる言葉を集めました。
 ③大コラム ④小コラム 発想法・社会批評・世界史等々
 ⑤今月の知識 統計数値・歴史の年号・基本用語などを短く紹介
 ⑥各月の日付の欄に偉人の誕生日

これらの記事は,このブログの記事と私そういちの著作(『一気にわかる世界史』』『四百文字の偉人伝』『自分で考えるための勉強法』)がおもな素材です。
 
【カレンダー仕様】 A4サイズ,全14ページ
 ダブルループ製本、極厚口の上質紙(アイボリー)

【価格】
 1冊1000円(送料込み)
 
 10冊以上ご注文の場合、2割引きの1冊800円

【購入方法】
 下記のメールアドレスまで「①お名前②お届け先住所③カレンダー〇冊」の3点を書いたメールをお送りください。

 カレンダーの発行者である「そういち」のメールアドレスです。

 メール送り先:so.akitaあっとgmail.com  「あっと」は@に変換

支払は、商品到着後。
ご注文があってから数日ほどで商品を郵送にてお届けします。
商品とともに代金振り込み先(郵便振替または楽天銀行の口座)のご案内をお送りします。

(以上)
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2016年11月12日 (土) | Edit |
アメリカは、私たちが思っていた以上に、深く分断されていた。
そんなことを、今回のアメリカ大統領選挙の結果を受けて、負けたクリントン候補は言っていました。

テレビや新聞をみると、多くの識者もそんなことを言っています。
そして「この分断という現実を、私たちは深刻に・真摯に受けとめなければならない」みたいに話を結ぶ。

その通りだと、私も一応は思います。
では、「国民や社会の分断」ということを問題として深刻に受けとめた先には、どんな考えがあり得るでしょうか。

今、よく目につくのは「団結」という言葉です。
アメリカ国民は深く分断されてしまっているけど、もう一度アメリカの旗のもとに団結しよう。
こういう論調は、今後さらに強くなるのではないか。

でも私は団結という言葉は、用心すべきものだと考えます。

団結ということが言われるとき、まず思い浮かぶのは「多様な立場を超えて、社会のさまざまな存在が信頼関係を結ぶ」というイメージです。これはたしかに理想です。理想的であるだけに、実現にあたってはさまざまな困難が生じます。多様な立場が共存しようとすると、さまざまなあつれきや緊張が生じるので、疲れます。

そこで、団結を掲げるときには、しだいに「団結に加わることが無理そうな、不純な存在を排除しよう」という動きが強くなることがしばしばあります。不純なものを排除する、つまり集団の均質性を高めて結束を強化する、ということです。

これは、大小さまざまな人間の集団でおこなわれてきたことです。少数の反対派を排除する、よそ者を排除するといったことは、どこでもよくある話。

世界史をみわたしても、国家的なレベルで「不純な存在の排除によって社会の結束をはかる」という方向の政策は行われてきました。

***

たとえば、1685年のフランスのルイ14世の「ナントの勅令の廃止」という、世界史の教科書などにも出てくる事例があります。ルイ14世はベルサイユ宮殿をつくった、「太陽王」といわれるフランス史上最も権勢をふるった国王です。そのルイ14世は、「プロテスタントというマイノリティ迫害」の政策を強く打ち出したのでした。

それ以前には、フランスでは1598年に国王アンリ4世によって「キリスト教徒の従来の主流であるカトリックと、新興勢力のプロテスタントの両者に、ほぼ対等の権利を認める」という「ナントの勅令(国王による命令)」が出されました。

このときまで、フランスでは、既存のキリスト教に反対して1500年代前半におこったプロテスタント(フランスではユグノーと呼ぶ)と旧来の勢力であるカトリックのあいだの激しい争いが続いていました。

ナントの勅令は、その争いをおわらせました。

そして、プロテスタント=ユグノーには、当時勢いのあった商工業者が多くいたので、ユグノーに権利や自由を認めたことは、その活動を活発にして、フランス経済の発展をもたらしました。

しかし1600年代末になって、ルイ14世はそのような「カトリックとプロテスタントの共存」を終わらせたのです。プロテスタントの教会は破壊されました。プロテスタントは海外への脱出も許されず、財産を没収されるとともにカトリックへの改宗を強要され、拷問や奴隷的な強制労働といったこともしばしばあったのでした。

ルイ14世がこのようなことを行ったのには「カトリックとプロテスタントのあいだのあつれきによる社会のさまざまな問題を一挙に解決したい」という思いがありました。ナントの勅令のもとでも、やはり両者のあいだには深い溝があります。とくに、カトリックの側には商工業で栄えるプロテスタントへの不満や嫌悪がありました。今でいえば「格差」への怒り、ということです。

フランス王家はカトリック教徒であり、国民の多数派もカトリック。ルイ14世は、異端のマイノリティーをフランスから排除することで、国の安定や結束をはかろうとしたのでした。そして、プロテスタントの徹底的な弾圧という、強引な手段を実行するだけの権力をもっていたのです。

「ローマ教皇にもできないことを実行した」と、当時の国際社会は驚き、震撼したのでした。

ルイ14世はある意味で成功したといえます。ルイ14世の治世は、フランス王国の最も華やかな時代だったとされるのですから。

しかしその一方で、プロテスタントを壊滅させたことで、フランスの商工業は大きなダメージを受け、経済の停滞や国の財政悪化の大きな一因となりました。国際的にも孤立していきます。それは最終的にはフランス革命という体制崩壊につながっていきます。

また、海外脱出を禁じられていたとはいえ、多くのプロテスタント(ユグノー)がフランスからどうにか逃げ出し、近隣諸国へ移住していきました。その後のドイツ(プロイセン)、スイスなどの経済の発展に、ユグノーは貢献しています。

つまり、フランスでのユグノーの迫害は、長期的にはフランスの停滞や混乱をもたらし、周辺諸国の利益になったのです。

おそらく、そのような結果を予測して警鐘を鳴らした人も、同時代にいたことでしょう。しかし、そうした見解は、当時は力を持ちませんでした。

当時の権力者は「不純なものを排除して、国を強固にする」という考えを採用し、国民の多数派でであるカトリックの人びとも、それを支持しました。だからこそ、ルイ14世の政策は実効力を持ちました。

そして、それなりの「結果」も出たのでした。ルイ14世時代のフランスは華やかな文化が栄え、国の勢いを誇ったのです。ルイ14世が建設したベルサイユ宮殿は、フランス王国の偉大さの象徴でした。ヨーロッパを制覇しようと対外戦争をさかんに行うだけの軍事力もありました。しかしその一方で経済の停滞、財政の悪化などの問題が深刻化していきました。

後知恵でみれば、ルイ14世時代のフランスは、1600年代のナントの勅令のもとで培った成果や遺産を食いつぶしていたのでしょう。しかし、社会を純化して結束することで、少なくとも一時的には「偉大な国家」があらわれたようにもみえる。このようなことは、ルイ14世時代のフランス以外でもみられます。

こういう「社会を純化することによる、うわべの一時的効果」は、問題をややこしくしています。

ルイ14世と同様の例は、歴史上ほかにもあります。私たちがまず思い浮かべるのは20世紀のヒトラーがユダヤ人に対して行った、さらに残虐で徹底した迫害でしょう。そしてヒトラーも一時的には「偉大なドイツ」を再建したといえるのです。世界中を相手に戦争ができるだけのパワーを持つ国に、ドイツを立て直したのですから。しかし、その先には破滅があったわけです。

***

国民の分断が自覚されたとき、まず思い浮かべないといけない言葉は「団結」ではなく、「寛容」です。
あるいは「妥協」といってもいい。

それは、不純や混乱や不安定さや緊張を受け入れる、ということです。そこにある問題を、一挙に全面的に取り除くのではなく、いろんな調整で緩和していこうとする発想です。そこには、純粋な理想や正義ばかりでなく、多くの打算などのズルいことが混じっている。でもそれが「寛容」ということだと、私は考えます。

子ども向けのような言い方をすれば「気に入らないヤツがそばにいても、仲間はずれにしないでガマンしよう。相手の取り柄や、妥協できるところ、利用できる点などをさがそう」という考え。

ちなみに「ナントの勅令」は、じつに現実的な妥協の産物です。

この勅令を出したアンリ4世は、もともとはプロテスタントの首領といえる存在でした。前王が暗殺されて即位したのですが、そのときまでに続いていたカトリックとプロテスタントの間の内戦をおさめるために、カトリックに改宗しました。多数派と徹底対立しては国王として国を治めることは困難です。しかし、もともとの仲間だったプロテスタントも納得させないといけないので、プロテスタントの権利を認めるナントの勅令を出しました。

「国王はプロテスタントからカトリックに改宗、一方でプロテスタントの権利を認める」というのは、なんだかいかにも妥協的です。でも、そういうスタンスが寛容ということの基礎になっています。ナントの勅令が生きていた1600年代のフランスは、ヨーロッパのなかで最も宗教的に寛容な社会でした。そしてその寛容は、繁栄を生んだのです。

これからのアメリカをみていくうえで私が注目したいのは「トランプが、あるいはそれに反対する人たちが、どこまで妥協的になれるか」ということです。

きまじめな人たちからみて「いいかげんだ」「不純だ」と批判するような落としどころの模索が、いろんな分野で起きるなら、まだアメリカには救いがあるでしょう。

しかし、トランプ側であれその反対派であれ、どちらかが「これですべてがすっきりする」と喜ぶような方向へ行くなら、いずれにしてもまずいと思います。

どうなるでしょうか? これまでのアメリカ人はほかの国民にくらべて、妥協や調整は得意なほうでした。寛容ともいえるし、ズルいともいえる現実的な人たちだった。今後その性質が失われていくようだと、アメリカはいよいよ劣化してきた、ということです。

以上
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2016年10月30日 (日) | Edit |
私は最近、『一気にわかる世界史』(日本実業出版社刊、全国の書店・アマゾンなどのネット書店で発売中)という本を出しました。この本は、「世界史上の〈繁栄の中心〉といえるような強国・大国の移り変わりに注目して、世界史のおおまかな流れを一気にみわたす」という方針で書かれています。

今回の記事は、その『一気にわかる世界史』の「補論」といえるものです。応用編のひとつといってもいいでしょう。


となり・となりの法則

「繁栄の中心」は、世界史のなかで何度も交替してきました。そのような新旧の中心の交替においては、つぎのような傾向がみられます。

新しい繁栄の中心は、それまでの「中心」の外側で、しかしそんなには遠くない周辺の場所から生まれる。それは、世界全体でみれば「となり」といえるような近い場所である。

そして、本書(『一気にわかる世界史』)では、このような「繁栄の中心の移り変わり」に関する単純な法則性を「となり・となりの法則」と名付けました。

国・社会というものは、自分たちの「となり」の存在からさまざまな影響を受けています。とくに、「となり」に「繁栄の中心」といえるような高度に発展した社会がある場合、その「中心」からさまざまなことを学び、それを大きく発展させることができた国・社会から次の時代の新しい「中心」が生まれるということが、ときに起こります。

だから、世界史における繁栄の中心が移動するときは、「となり」へ、ということになる。そのような移動が世界史ではくりかえされてきたので、「となり・となり」というわけです。

本書では90ページほどで世界史5000年の通史をまとめており、それが本書のメインとなっています。そこで述べている「世界史上の繁栄の中心の移り変わり」は、ざっくりまとめると、つぎのとおりです。

1.西アジア(今のイラク・エジプト・イラン・トルコなど)
2.ギリシア・ローマ(今のギリシア・イタリア・スペインなど地中海沿岸)
3.イスラム(イラク・エジプト・イラン・トルコなどの西アジア)
4.西ヨーロッパ(イタリア・スペイン→オランダ→イギリス)
5.アメリカ(最初は東海岸のみ、のちに西海岸まで拡大)


このように、世界史における「中心」は、つい最近アメリカが繁栄するようになるまで、西アジア(イラク・エジプト・イランなど)か西ヨーロッパでした。

ただし、近代以前までは、西ヨーロッパの繁栄の中心はアルプス以南(地中海沿岸)に限定されています。

それが近代になってはじめて西ヨーロッパのアルプス以北で「中心」となる国があらわれました。オランダとイギリスです。そして、イギリスの時代を経て、その「中心」が大西洋を越えてアメリカ(とくにニューヨーク・ワシントンなどがある東海岸)に移ったのでした。

なお、本書では「世界史における地域区分」として、以下のように世界史の地域を大まかに区分しています。下の図は、「ユーラシア」という、アジアからヨーロッパにかけての範囲における区分です。

  世界史の地域区分 -ユーラシア

なぜ、西アジアと西ヨーロッパか

ここで考えてみたいのは、「なぜ、西アジアと西ヨーロッパなのだろう?これらの地域が世界史の中心であり続けたのはなぜだろう?」ということです。

これは、位置関係のほかに地形などの条件も関係していると思われます。つぎのようなことです。ひとつの仮説的な考えとして聞いてください。

さまざまな地理的条件のために、西アジアと西ヨーロッパは、ひとつの大きな「まとまり」になっていた。その中に多様な民族や国が存在している。「となり」の人々に豊富に恵まれているといっていい。こういう環境では、「となり・となり」現象が順調に展開しやすい。だから西アジア+西ヨーロッパは、世界史の中心的な舞台となった。

では、西アジア+西ヨーロッパが地理的に大きな「まとまり」であるとは、どういうことでしょうか。

西ヨーロッパ(アルプス以南)から西アジア、そしてインド、とくに西側あたりまでの範囲というのは、比較的移動がしやすいのです。つまり、険しい山脈、大きな砂漠、熱帯雨林といった自然の障害がそれほどではないのです。

西ヨーロッパと西アジアは、地中海でむすばれています。地中海は比較的おだやかな海なので、船での行き来がしやすいです。

西アジアの中はどうかというと、メソポタミアとシリア、エジプトのあいだには平たんな土地でつながった(砂漠以外の)部分があり、比較的行き来がしやすいです。

トルコやイランでは高原地帯が広がっていますが、ひどく険しい山岳地帯というわけではありません。さかんに移動できるルートが、この一帯のなかにあるのです。もちろん「険しくない」というのはあくまで比較の話で、ヒマラヤのような世界の中で特に険しい山地と比べて、ということです。
また、西アジアとインドの西側の地域のあいだは、紀元前の古い時代からインド洋や沿岸の海を船で行き来することも行われてきました。

そういうわけで、ヨーロッパからインドの西側までは、いわば「ひとつづきの世界」になっているということです。

だからこそ、アレクサンドロス大王(紀元前300年代)はギリシアから遠征に出発して、短期間のうちに西アジアのメソポタミア、エジプト、イランなどを征服し、インダス川沿岸の地帯まで進軍することができたのです。交通網の未発達な紀元前の世界でそれができたのは、もともとこれらの遠征ルートになった地帯が、地理的に行き来がしやすいものだったからです。

 (アレクサンドロスの帝国)
  アレクサンドロスの帝国の広がり

西アジア+西ヨーロッパに匹敵する広い範囲のまとまりは、ユーラシアのほかの場所にはないのです。また、アメリカ大陸などの、新大陸にもありません。

なお、東ヨーロッパや中央アジア(上図参照)も、「中心」として繁栄したということはありませんでしたが、西アジア+西ヨーロッパとは地理的・地形的に「つながっている」といってもいえます。これらの地域は西アジアや西ヨーロッパと深いかかわりをもってきました。つまり、ユーラシアの西半分は東西ヨーロッパ+西アジア+中央アジアという、きわめて大きな「ひとつづきのまとまり」をなしているのです。

そして、「ひとつづきのまとまり」であると同時に、その広大な地域は山地や川や乾燥地帯などでゆるやかに区切られてもいます。その区切られた地域ごとに、いろいろな人びとが住んでいます。ということは、「豊富な多様性をふくんだ、ひとつづきの世界」だということです。


ほかとは切り離されている中国

ユーラシアにおける、もうひとつの大きな地理的な「まとまり」に、中国があります。
その中国は、ユーラシアのほかの文明の中心地帯からはかなり切り離された条件にあります。

西側にはヒマラヤ山脈とチベット高原という世界一険しい山々や、タクラマカン砂漠といったこれも非常にきびしい環境の砂漠があります。「障壁」としてはやや影響は少ないものの南側の一部には東南アジアの熱帯雨林もあります。

北側に広がるユーラシアの草原地帯は、たしかにユーラシアのほかの地域への「交通路」にはなり得ますが、騎馬遊牧民の世界です。中国という文明の中心からみれば、自分たちの活動を展開していくうえで「障害」といえます。

中国は、インドや西アジアとは、そのような「自然の障壁」で区切られているのです。
 
中国は大きいです。巨大な人口を抱えていて、それだけでひとつの「世界」をつくっているとはいえます。しかし、広くユーラシア全体をみわたしたとき、ユーラシアのなかでは比較的狭い範囲で孤立しているともいえるのです。

そして、その「孤立」した範囲のなかの「多様性」には、やはり限界があります。たしかに中国には多くの民族が存在しますが、「西ヨーロッパ+西アジア(+インド西部)」にくらべれば、そのバリエーションがかぎられるのは当然です。

それに、「中国」というのは、その範囲全体が(分裂時代もありましたがかなりの時代にわたって)ひとつの国として統一されてきたのです。統一国家としての歴史が積みかさねられれば、それだけその地域の「多様性」は、失われていくでしょう。言語やその他の生活習慣が共通化していくわけですから。

そして、「中国」という地域が、基本的に国として統一を保てたのには、地理的な要因も大きく働いています。

中国のメインの部分は、広大な平地が広がっているのです。つまり、北方の草原地帯から、黄河流域の華北、揚子江流域の華南にいたるまでの地域は、基本的に平地です。そこに船で行き来しやすい大河が広がっています。西暦600年ころには途中で黄河と揚子江を横断する南北の大運河もつくられました。

このような地理的条件であれば、広大な地域をひとつの勢力が統一し、統治することが比較的(あくまで比較的)容易なのです。

単純化していえば、中国は広大で人口が大きいわりには、「均質なまとまり」をつくっているということです。もちろんこれは「西ヨーロッパ+西アジア(+インド西部)」とくらべれば、ということです。

こうした中国の「孤立」「均質性」については、これまでに何人もの歴史家が指摘してきたことです。たとえば近年の世界史本のベストセラーである、ジャレド・ダイアモンド『銃・鉄・病原菌』でも論じられています。


中国で「近代科学」が生まれなかったのは?

中国のこうした「孤立」や「(ほかと比較した場合の)均質性」は、文明を発展させるうえでは、「西アジア+ヨーロッパ(+インド西部)」とくらべれば、不利な条件です。

本書(『一気にわかる世界史』)で述べたとおり、世界史上のさまざまな民族は、「となり」の人びとからさまざまな成果や遺産を受け取ることを通じて発展してきました。それが「となり・となり」とくりかえされることで、大きな進歩もおこっています。

たとえば、古代ギリシア(2500年前ころから繁栄)が文明を開化させるにあたっては、エジプトなどの西アジアの文明の影響を大きく受けていますし、ギリシア人を征服したローマ帝国(2000年ほど前に繁栄)の文化は全面的にギリシア人を模倣しています。イスラム帝国(1000年ほど前に繁栄)の学問は、ギリシアやローマの学問を受け継ぎ、そこにインドの学問も取り入れて発展したものです。

そして、数百年前の中世から近代初期のヨーロッパは、イスラムからさまざまな影響を受けたのです。そして、ヨーロッパではギリシア・ローマの遺産もふくむイスラムからの影響をベースにして「近代科学」を生み出すなどの革新がおこったのでした。

これらの地域はみな、世界全体の広い範囲でみれば「となり」といっていいような比較的近隣の位置関係にあります。

つまり、進歩や発展のためには、「となり・となり」の展開が順調におこりやすい環境が有利です。それには、より大きな広がりのなかで、多様な人びとが存在している、というのがよいわけです。

この条件に関し、中国は「西アジア+西ヨーロッパ(+インドの西側)」よりは不利だったということです。そのために中国は、たしかに世界史のなかできわめて重要な存在ではありながら、「主役」や「中心」にはならなかったのです。

その「中心にならなかった」というのを象徴するのが、近代科学や産業革命が中国では生じなかったということです。中国では独自に「近代」が生まれることはなかった。

しかし、「中国でそれらが生まれてもおかしくないのでは?」と思えるほど、近代以前の中国では、その時代としてはじつに高度な文明が築かれていました。近代初期のヨーロッパ人は、それに驚いたのでした。

だからこそ、「ヨーロッパからの侵略で荒らされなければ、もうしばらくすれば、中国でも近代科学や産業革命が生み出されたはずだ」という意見もあります。

私は、その考えには否定的です。そのもとになっているのは、科学史家の板倉聖宣さんの説です。

板倉さんは「学問や科学にとって伝統というものは決定的に大事だ」と考えます。とくに「古代ギリシアの学問の伝統が存在したかどうかが、その国・地域で科学を生み出すことになるかどうかのカギだ」と。

なぜかというと、古代ギリシアの学問には「ウソであるかもしれないが、具体的な内容である体系」「間違いであるかどうかを客観的・一義的に判定しうる(検証可能である)ような体系」といった要素があるから。このような検証可能な理論・体系は、科学が生まれる基礎なのです。

そのような学問をつくったのは、近代以前の世界史のなかでは古代ギリシア人だけでした。中国の学問の論理は、万物を「陰と陽」に分ける論理のように、もっとあいまいで「のらり・くらり」だと、板倉さんは言います。そのような論理は検証不可能です。

ヨーロッパの近代科学は、そのようなギリシアの学問の伝統が発展した結果生まれた、ということです。

たとえば、ガリレオは古代や中世の書物を読み込んで、そこにあった理論と向き合い・対決するなかで自分の理論を築いていった、と板倉さんは指摘します。

近代科学の父・ガリレオがそのまちがいを明確にしたアリストテレス的な運動の理論や古代の天動説は、まさに「ウソであるかもしれないが、具体的な内容である体系」で「間違いであるかどうかを客観的・一義的に判定しうるような体系」の一部をなす理論でした。

板倉さんは「日本に科学が生まれそこなった歴史」をテーマにした論考で、こう述べています。

《日本には…アリストテレスみたいな、間違いが間違いとわかるようなウソを言う人間がいませんでした。だから、それに反対して何かをやるというようなガリレオみたいな人も現れ得なかった》
(板倉『科学と教育のために』仮説社)

このことは、中国についてもいえるわけです。

近代以前の中国には、古代ギリシアの学問の伝統は、もちろん根付いていません。中国独自の伝統があるだけです。それは、中国がここでいう「孤立」の状態にあったということです。

このように、中国で科学が生まれなかった理由が、「古代ギリシアの科学の伝統がなかったから」ということだと、いくら時間が経過しても、中国では(中国内部の伝統だけでは)科学は生まれようもないということになります。

また、中国科学史の研究者・薮内清も、板倉さんと通じる見解を述べています。薮内は中国の地理的な「孤立」ということに注目しているのです。

《五千年の歴史を持つ漢民族は、ほとんど自力で以て、きわめて高い文明をつくりあげた。しかし自力には一定の限界があることは、否定できないことである。……ヨーロッパに近代科学が起こるころになると、この独特な文明が伝統としての強制力を持ち、社会の変革をさまたげた》

《一つの国、一つの民族がたえず新しい文明をつくり出すことは至難の業といってよかろう。新しい文明は、異なった文明、異なった民族とのあいだの、はげしい交渉の中から生まれる》

そして、薮内は「そのことは過去の中国の事例からも示すことができる」として、紀元前の戦国時代、西域(西側の辺境地帯)との交渉がさかんだった前漢時代(2200年前~2000年前ころ)、さらに周辺地域に勢力を拡大し、国際的な文化が栄えた唐の時代(西暦700年ころ)をあげています。そして、こう述べています。

《過去の中国は、砂漠や山脈、さらに海にさまたげられ、外国の侵略を許さない自然環境の中に安住することができた。国民の大部分を占める漢民族は、自らのすぐれた文明を保持しつづけた。恒常的な発展を示してきたとはいえ、そこにはヨーロッパ社会のような変革は起こらなかった》
(薮内『中国の科学文明』岩波新書)
 
以上のような「中国で近代科学が生まれなかった理由」の説明については、異論もあるでしょう。説の正しさを証明するのがむずかしいところもあります。でも、ひとつの見方として知っておいていいと思います。「となり・となりの法則」という見方から導きだされる、「世界史の大きな謎」にたいする(仮説的な)回答のひとつということです。

要するに「伝統的な中国は〈となり〉の影響を十分に受けなかった、受けにくい環境にあったので、社会の発展に限界があった」ということです。もちろん、今はちがうわけですが。


重力のように作用する「となり・となりの法則」

私は、世界史の最も「おいしいところ」のひとつは、こうした「大きな謎」を、自分の頭で考えながら解いていくことだと思っています。

そして、その「謎解き」を楽しむには、考える手がかりになる基本知識が必要です。本書(『一気にわかる世界史』)のコンパクトな通史にあるような知識が最低限必要なのです。

そういう、多少の基本知識があれば、たとえば「世界史の中心が西ヨーロッパ+西アジアなのはなぜか?」「中国で科学が生まれなかった理由」や、それから「日本がアジアでいちはやく近代化できた理由」といったことについて、いろいろ考えることもできます。

もし「自分で考える」というところまではいかなくても、ここで論じたような議論を理解することはできるのです。

さて、『一気にわかる世界史』では最初に「夜の地球」(下図)というものを取り上げました。「夜の地球」というのは、人工衛星から撮った世界の夜景を合成したものです。そこでは、人口が密集し、家電製品などの文明の利器が普及している、とくに繁栄している地域に「光」が多く集まっています。(以下の画像はNASAのホームページから)
 夜の地球・世界

夜の地球をみると、現代の世界にはとくに大きな3つの光のかたまり=繁栄の中心があります。西ヨーロッパ、北アメリカ、日本(とその周辺)です。

 (西ヨーロッパ)
 夜の地球・西ヨーロッパ

 (北アメリカ)
 夜の地球・北米

 (日本とその周辺)
 夜の地球・日本とその周辺

これは、見方によっては、ちょっと変則的な分布です。繁栄の「中心」というわりには、西ヨーロッパと日本は、ユーラシア大陸(アジアからヨーロッパにかけての広い範囲)の西と東の端っこです。北アメリカは、世界史全体からみればつい最近になって多くの人が住むようになった「新世界」です。

本書(『一気にわかる世界史』)は「このような光の分布は、どのようにしてできあがったのか」という経緯について述べた、ともいえます。

ではどのような経緯だったのか? 要するにつぎのようなことだったといえるでしょう。

5000数百年前に西アジアのメソポタミア近辺で「最初の文明」が生まれてから、「となり・となり」で繁栄の中心は動いていきました。

その移動の方向は時によって変わり、かならずしも一貫していません。西アジア→ギリシアのときのように、西へと移動したときもあれば、西ローマ帝国→東ローマ帝国→西アジア(イスラム)というふうに、東側への移動もありました。

しかし、全体的な傾向をみると、西側への移動のほうが多かったといえます。そこで5000年あまり経つと、「中心」はユーラシアの西の端にまで動いていました。つまり、西ヨーロッパの国ぐにです。

そして、この数百年ではまず西ヨーロッパの中で、北方へと繁栄の中心が移っていく傾向がありました。地中海側のスペインからアルプス以北のオランダへの移動。さらにオランダ→イギリスという移動です。

そして、1800年代後半以降は、「イギリスから大西洋を渡ってアメリカへ」という中心の移動もありました。

さらに、そのアメリカが太平洋を越えて日本に影響を与えるようになりました。たとえば、幕末にアメリカから軍艦(黒船)がやってきたことなどはそうです。(アメリカの日本に対する影響については本書の一節「「となり」の欧米、アメリカ」で述べています)

その結果として日本はアジアのなかでいちはやく近代化を成し遂げ、アジアにおける新しい繁栄の中心となりました。このような西側からのルートで、ユーラシアの東の端に「中心」ができていったわけです。

そして近年は、日本が西側の韓国、中国などの東アジア諸国に影響をあたえることが起こっています。(この点については、本書の「現代世界の「となり・となり」の節で述べています)

以上のような経緯は、数千年にわたって「となり・となりの法則」が、まるでいろいろな物理現象における重力の法則のように働き続けた結果、生じたものです。

もちろん、「となり・となり」だけですべて説明できるわけではありません。重力の働きだけで物理現象のすべてを説明できないのと同じことです。

しかし、重力が自然界のさまざまな現象に作用し続けているのと同じように、「となり・となりの法則」は、世界史の動きに作用し続けているようです。そして、ほかの要因と作用しあいながら、歴史が展開していく、というわけです。

(以上)

中心の移り変わりから読む 一気にわかる世界史(日本実業出版社刊)←最近出した本。こちらをクリック

  一気にわかる世界史・表紙
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