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2019年10月15日 (火) | Edit |
台風19号の被害について、テレビのニュースでいろいろと報じている。ずっとみていると悲しくつらいので、チャネンルを変えることもある。

これからの日本では、台風やその他の自然災害は、さらに増えていくのだろう。そこには温暖化などの世界的な気候変動がかかわっているという。年に何度か「スーパー台風」が日本を襲うようになるとしたら、「災害の時代」がやってくるということだ。

「災害の時代」への対処として、政府は防災のためのさまざまな建設や投資を行う必要がある。しかし、これからの日本に、そのための財政的な余力があるのだろうか?

テレビでは、ある専門家が水害防止について「すべての河川に十分なハードを備えることは無理だ。だから、組織運営や人びとの行動、つまりソフトで対応するしかない」と言っていた。

たしかにそうかもしれない。しかしその「ソフト」の肝は「しかるべきときに避難する」ことだという。ということは、避難が終わって家に戻ったとき、家が泥に埋まっているのもやむを得ないということなのだろう。

うーん、それじゃあ困るなあ……命は助かるとしても自宅の浸水は防げないんじゃ、安心して暮らせないなあ……

いつ災害にあうかわからないような場所には、やはりできれば住みたくない。これからの日本では、災害に強い安全なエリアの地価や家賃は相対的に上がっていくのではないか。一方で、災害リスクの高いエリアの地価は下がっていく。なおこれは、おもに都市部でのことを言っている。

もちろん、災害への安全度が地価に影響することは従来からあるのだが、今後は一層拍車がかかっていくということだ。水害や地震の被害に関する「ハザードマップ」が地価に与える影響は、今後ますます強くなる(ということは、ハザードマップが経済的利権に深くかかわるようになるということで、ややこしい問題を生むかもしれないが、ここでは立ち入らない)。

その行きつく先は、都市のなかで安全なエリアは富裕層ばかりが住み、危険なエリアは庶民・低所得者が住む、という「分断」だ。

そして、危険なエリアに住む庶民は、それに適応したライフスタイルを選択するのかもしれない。それは「限られたモノで暮らす身軽な生活」である。

江戸時代の長屋に住む人びとは、家具や食器などの家財道具への関心が薄かったという。だからたいていの人は「ミニマリスト」のような暮らしをしていた。それは貧しかったからというだけでなく、江戸では頻繁に大きな火災があったからだともいわれる。いつ火事で燃えてしまうかわからないから、モノをためこんでも意味がないという価値観が定着したということだ。

そのような説明がほんとうに正しいかどうかは、立証が難しいところもある。だがともかく、「少ないモノで暮らす」のは、災害が頻発する状況では合理的な選択だろう。

極論だが、住んでいるところが賃貸で、スーツケースひとつに家財道具がすべておさまってしまうくらいだったら、それを持って避難すればかなり安心だ。もしも家が浸水や倒壊ということになっても、ダメージは少ない。

未来の日本では、防災上安全なエリアには金持ちが、危険なエリアには貧しい人ばかりが住むようになり、危険エリアでは、江戸の長屋暮らしのような「ミニマリスト」の生活がスタンダードになっている……

日本がそのような「分断」社会になるのはイヤだが、十分あり得ることではないだろうか。

(以上)

別ブログ「そういち総研」の新しい記事も、アップしました。
日本と世界の文化で創造の活力が低下している?

今年みたいくつかの展示・作品……工事中の新国立競技場、高畑勲展、建築家のアアルトやル・コルビュジエ、現代芸術のトム・サックス展などをみて考えたことをまとめています。当ブログの過去の記事も使い、そこにいろいろ加えたもの。
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2019年10月10日 (木) | Edit |
先週末にやっと高畑勲展(東京国立近代美術館)をみてきました(10月6日に終了してしまいましたが)。「ハイジ」「火垂るの墓」などで有名なアニメーション監督の仕事を回顧する、大規模展。

この展示をみてあらためて気が付いたのは「高畑監督は今の日本のアニメでおなじみの、生活を緻密に描き出すアニメの発明者だった」ということ。それは高畑1人によるものではないが、その業績の中心にいたということ。

その発明は1970年前後の頃(1960年代末から1970年代前半)のことだった。野心作だったけど大コケした映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968)から、『アルプスの少女ハイジ』(1974)にかけてのこと。「ホルス」は高畑の初監督作品。「ハイジ」は初めて(事実上の)監督として手がけたテレビシリーズで、こちらは大ヒットした。

「生活を緻密に描き出すアニメ」は、「ホルス」が先駆で、「ハイジ」によってかたちになり、みとめられるようになったといっていい。

それまでのアニメはあくまで子ども向けで、リアルさ、緻密さの要素は弱かった。たとえば銃や車が出てきたとしても、マンガ的・抽象的な「銃」「車」である。しかし、高畑勲やその周辺の人たちは、具体的なブランド・商品がわかるようなモノをアニメに登場させた。

高畑が演出の1人として参加した、最初のテレビシリーズのルパン(1971)はまさにそうだった。ルパン三世が持つのはワルサーP38という、実在の銃である。運転する車もフィアットの実在するタイプのものだったり。(この点については、当時の「ルパン三世」のチーフアニメーター・大塚康生の著作『作画汗まみれ』文春ジブリ文庫による)

ハイジにしても、「ロケハン」といって、スイスのアルプスにスケッチや撮影に行って、綿密に取材したうえで作品の舞台をつくりあげた。そんなことをテレビマンガで行うなど、当時は常識外だった。そしてそれは、当時は認識されていなかったが、世界の最先端でもあったのだ。

なお、「ホルス」は、北欧をモデルにした世界を舞台とするファンタジーだが、村人の暮らしの様子が、ロケハンこそしていないものの、かなりリアルに描かれている(今回の展示で再確認した)。そのときの試みを「ハイジ」でさらにつきつめていったのである。

今の日本のアニメで傑作とされるものの多くは、高畑監督とその仲間が築いた「緻密な生活描写」の土俵のうえで行われた仕事だ。たしかに精緻化はすすんだ。ものすごく細かくリアルに、また美しく描かれた東京の街や地方都市や学園の風景などが出てくる。

しかし一方で、今から半世紀前の若いクリエイターたちによる革新を大きく超えているわけでもないように思う。「進歩」「発展」はあるのだけど、フロンティアを開拓しているという感じではない。その開拓は高畑監督たちの時代でおわってしまった。「生活を緻密に描き出すアニメ」は、もう見飽きるほどおなじみになった。

こういうことは、日本文化のほかのジャンルでもいえるのではないだろうか。

つまり、創造の活気がこの30~40年で落ちたということだが、それは日本だけでなく欧米でもいえると思っている。これは世界的な現象ではないか。音楽とか美術とか建築とか、ほんとうにそうなっている。

それぞれの分野に詳しい人なら、思い当たるところがあるだろう。つまり、基本的なアイデアはかなり前に出尽くしていて、今の作り手は過去の遺産を精緻化したり、組み合わせたり、崩したりして、自分たちのオリジナリティをどうにかして出そうとしているのだ。

(以上)

別ブログ「そういち総研」の記事も最近また更新しました
大人のための世界史の勉強法

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2019年09月29日 (日) | Edit |
さきほど、私の別ブログの「そういち総研」に、つぎの記事をアップしました。

以下をクリック
久し振りの「怒れる若者」 グレタ・トゥンベリさんの演説

国連での環境関連の会議で大人たちを痛烈に批判した、グレタさんについて。

グレタさんが主題としたのは地球温暖化のことだけど、私が目をみはったのは「こんなふうに強いトーンで怒っている若者が登場して、それが広く話題になったのは久しぶりだ」ということ。

この30年くらい「怒れる若者」というのは下火だった。でも、潮目が変わってきたのかもしれない。そんなことを書いています。ご覧いただければ幸いです。

こういう、時事評論的なものはこれまではこの「団地の書斎」にのせてきたのですが、今回は「そういち総研」のほうにしてみました。

(以上)
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2019年09月22日 (日) | Edit |
この2週間ほどは別ブログの「そういち総研」の記事の更新をすすめています。10本近く記事をアップしたでしょうか。書きためていた原稿を初めてアップしたものもありますし、当ブログで以前にアップした記事を加筆・修正したものもあります。いずれも数千文字以上のかなりの長文なので、こちらのブログではなく、「そういち総研」のほうにあげています。

こちらのブログ「団地の書斎から」のほうは更新が滞っているのですが、最近は結構けんめいに机に向かって書くことに取り組んでいます。

私はかなり時間をかけて記事を書くほうです。長文の数千文字の記事だと、数時間か、あるいは10時間以上かかる。1万文字2万文字の記事もありますが、それだと何十時間とか(あるいはそれ以上)かけていると思います。これは、リサーチ・勉強の時間も含めてです。

何かで読んだ話では、ブログの記事というのは1本30分か、せいぜい1、2時間で書くもののようです。それにくらべるとまったく生産性が低いなあとあきれます。

私には高い生産性でブログを運営するセンスがまるでないようです。お客さんのアクセス数は、何年経っても初心者レベル(そのなかで訪れてくださる読者のみなさま、ありがとうございます)。

でも、とくにかく読むに値する記事を、しっかり書いていきたい。読むこと・書くことはやはり楽しく、やりがいがある。とはいえ、ブログとしてはもう少しおおぜいに読んでいただきたいので、このままではまずいなあという感じもあります。具体的にははっきりしませんが「生産性を上げる」ということなんでしょうね。

「そういち総研」トップへはこちらをクリック
そういち総研


今日アップした最新の記事。当ブログの以前の記事を大幅加筆。かなり手ごたえあり。読んでいただけるとうれしいです。
壁をつくってきた歴史

このブログ「団地の書斎から」を始めたばかりの頃の記事を改定したもの。思い入れのある記事です。
近代人の典型 ベンジャミン・フランクリン

(以上)

2019年09月08日 (日) | Edit |
2019年10月26日(土)に西新宿で下記のセミナーを開催します。今回で6回目。半日(4時間)で世界史5000年の流れを一気にみわたすというもの。

高校生以上の子どもさんと親子で、または高校生の参加もぜひ(これまでにも高校生とお父さんの参加がありました)。参加費は3500円、ただし親子参加の場合親子2人で6000円。

親子・高校生も
5000年を半日でみわたす・大人のための
世界史「超要約」セミナー

●日時
2019年10月26日(土) 
12:30~16:30(12:15開場)

定員9名 予約制 

講師:このブログの著者・そういち
プロフィールは下記に

●会場
新宿・ノマドカフェ 「BASE POINT」(ベースポイント) 2F D
東京都新宿区西新宿7-22-3
*地図は下に

●参加費
3500円
親子参加は2人で6000円(子どもさんが成人・社会人でも) 
当日支払い、フリードリンク付き

●お申込み・予約制です
メールにて so.akitaあっとgmail.com まで。(「あっと」は@に変換)
その際お名前(ハンドルネーム可)をお知らせください。
返信は翌日になることがあります。

イベント告知サイト(こくちーず)からも申し込みできます
こくちーず

会場(ベースポイント)地図
ノマドカフェ地図
JR新宿駅西口より徒歩8分
丸の内線西新宿駅より徒歩6分
大江戸線新宿西口駅より徒歩11分

ベースポイント
BASE POINT(会場)

世界史セミナー2018年3月24日その2
本セミナーの様子(2018年3月)

***

●講師プロフィール
そういち:社会のしくみ研究家。1965年生まれ。企業勤務のかたわら社会科系の著作やセミナーを行う。
著書は『一気にわかる世界史』(日本実業出版社)のほか『自分で考えるための勉強法』『四百文字の偉人伝』(いずれもディスカヴァー・トゥエンティワン、電子書籍)など。このほか、以下で世界史関連の記事を監修。雑誌『プレジデントウーマン』(プレジデント社)2017年10月号「大人の学び直し 経済&歴史」特集
ムック『おとなのための教養入門』(プレジデント社、2018年7月刊)

***

世界史の勉強がむずかしいのは、対象範囲が非常に広いからです。膨大な国や民族が出てきますが、学校の教科書では、それらをできるだけ幅広く扱おうとして詰め込みすぎています。

そこで、大人が世界史を学ぶ場合は、つぎのことが大切です。

①大まかな時代と出来事をおさえる
細かい年号や固有名詞にとらわれず、まずはざっくりと。

②それぞれの時代の中心的な大国をおさえる
世界史では時代ごとに繁栄した強国・大国があります。古代ギリシア、ローマ帝国、中国の王朝、イスラムの帝国、大英帝国、アメリカ合衆国など……それらを追いかけていくと、世界史の流れがつかめます。

以上の方針で、
古代から現代までの世界史5000年の流れを、半日で一気にお話しします。

本セミナーによって、アタマのなかの断片的な知識が「ひとつの物語」としてつながっていくでしょう。世界史の本を読むための基礎知識も養えます。

世界史は自然科学と同様に、世界の成り立ちについての基本的な学問です。また、政治・経済や美術など、さまざまな教養の基礎になっています。

どの分野の本を読んでも、世界史の知識があるのとないのとでは理解が大きく違ってくるでしょう。

こんなふうに世界史は「役に立つ」ことも多いですが、それ以前に知る喜びのある分野です。世界史を学ぶ最大の効用は、単に「楽しいから」と言ってもいいのです。

「大人のための」世界史セミナーですが、高校生以上の子どもさんと親子で、または高校生の参加もぜひ。若い人にこそ、受験のためだけではない「大人の世界史」を。

***

最後に、昨年度の本セミナーでお父さんと参加された高2男子の方の感想

世界史については“カタカナが多くて教科書も時間軸がややこしくて頭に入ってこない”と感じていたとのこと。これはほとんどの人にとって、そうでしょう。

でも“このセミナーを聞いているうちに先入観を捨てて、少しずつ好きになることができました。特に文化などが国から国へと移り、新しくなっていく過程が気になったので、これから調べてみて、親しくなっていこうと思います。本当にありがとうございました”とのことでした。

こちらこそ、ありがとうございます。みなさまとお会いできることをたのしみにしています。

プレジデントウーマン地図
世界史上の繁栄の中心の移り変わり
『プレジデントウーマン』2017年10月号より

(以上)
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2019年09月01日 (日) | Edit |
大規模な抗議デモが続く、最近の香港。香港人の犯罪の容疑者を中国本土に引き渡すことを可能とする、条例の改正(「逃亡犯条例」改正)への反対から、このような抗議活動が起こった。

香港の人たちが「逃亡犯条例」改正に反対するのは、香港の法治がそれで失われるのを恐れるからだ。このことについて、抗議活動の中心の1人である周庭(アグネス・チョウ)さんが、今年6月の明治大学での講演で、わかりやすく説明している。(ハフポスト日本版2019年6月12日「香港が想像できない場所になる」 “民主の女神“が訴えた、逃亡犯条例の危険性)

「逃亡犯条例」改正によって香港はどうなるか。周庭さんは、こう述べる。

“自由や権利の保障、司法の独立が全部無くなります。私たちの身の安全すら保障されない場合があります。なぜ香港は外国からの観光客が多く、外国の企業も多いのでしょうか。香港には国際金融都市という地位があるからです”

“なぜその地位があるかというと、1国2制度という制度があって、私たちは法治社会であり、司法の独立や公平な裁判が行われる場所なので、外国の人も安心して商売ができる場所なんです。でも、この特別な地位は無くなるかもしれません”。

“今デモに参加している香港人は、可決されたら香港はもう香港じゃないというか、私たちが想像できない場所になるかもしれないという考えを持っています”

周庭さんは8月30日の朝、香港警察に逮捕され、夜には釈放されたそうだ。テレビのニュースをみていると、彼女は釈放後のインタビューで「今闘わないと香港は死ぬ」「逮捕は怖くない、当局に殺されることが怖い」ということを語っていた。

そこには危機感というより悲壮感が漂っている。市民運動といわれるものでは「今は深刻な危機だ、立ちあがろう!」ということが叫ばれるものだが、深刻さをおおげさに言っているんじゃないかと思えるケースもないわけではない。しかし今回の香港は、ほんとうに深刻なのだ。今までの、法治に支えられた自由が社会から失われようとしている。香港が香港でなくなろうとしている……

今の香港の状況は、ときどきひきあいに出される、1989年に中国本土でおこった天安門事件(民主化を求める若者らの運動に対し中国当局が武力を用いて、多くの死傷者が出た)のときとは大きくちがう。天安門事件のときは、自由や民主主義が成立していない発展途上国での民主化要求だった。しかし香港では、イギリス統治時代から形成され、すでに社会に根付いた法治や自由が失われようとしているのである。ただし、基本の構図がちがうといっても、香港でも天安門事件のような中国政府の武力介入は、十分起こり得るだろう。

私たちが「自由を求める抗議活動」で思い浮かべるのは、ふつうは天安門事件のときのような「発展途上国型」のものだろう。これに対し、今回の香港のように、すでに自由が根付いていた社会で、それが失われる危機に直面して抗議が起こるというパターンは、「先進国型」といってもいい。

「先進国型」の政治的な抗議活動がこんなにも深刻なかたちで行われるというのは、じつは私たちにはなじみのないことだ。

欧米や日本で一般に行われる政治的な抗議活動には、今回の香港ほどの深刻さはない。「我が国は民主主義からは程遠い独裁国家だ!」と批判する人も、じつは自由の根本が自国から失われることはないとタカをくくっているところがあると思う。しかし香港の人たちは、法治を否定した正真正銘の独裁国家である、今の中国にすべてを支配されるという恐怖に直面しているのだ。

今までの世界では、人びとが独裁的な国家から自由を勝ち取ろうとする戦いが繰り返されてきた。それはこれからも続くだろう。しかしその一方で「これまでの自由が失われることへの抵抗」が、世界のあちこちで起こるかもしれない。要するに先進地域での「自由の後退」ということだ。

もしそうだとすれば、香港はそのような世界的な「自由の後退」現象の先駆けとなるのだろう。その意味で、今の香港で起こっていることは、世界史の最先端なのではないか。

今の世界では、中国のような自由に制限のある独裁国家が、巨大な経済力で世界に影響を与えるようになった。そして、中国との経済的な関係に配慮してか、日本や欧米諸国の政府が香港の抗議活動を援護するという動きはあまりみられない。

20、30年前の世界では、大きな経済力を持つのは自由や民主主義が発達した、欧米や日本などの先進国だけだった。もしもその当時、今の香港のようなことがあったら、圧倒的なパワーを持つ先進国側が中国をけん制することも期待できただろう。しかし今ではそういう構図はかなり崩れてしまった。自由や民主主義を原則とする国家の相対的なパワーは衰えている。それが世界的な「自由の後退」のベースとなり得る。

そしてほんとうの「自由の後退」ということに、まだ私たちは慣れていない。そのせいか、香港についてのマスコミの報道も「この混乱はまだ当分続きそうです」みたいなしめくくりで、ずいぶん能天気だったりする。周庭さんたち香港市民の悲壮感をわかっていない。あの人たちは「混乱」などではなく「自分たちの世界の崩壊」に直面しているのだろう。

(以上)
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2019年09月01日 (日) | Edit |
別ブログで「そういち総研」というのを、昨年開設しました。こちらの「団地の書斎から」よりも長文の論考的なものを載せています。

以前は当ブログに1万文字を超えるような記事も載せていたのですが、それは「そういち総研」のほうで、ということにしました。「そういち総研」は今のところ世界史関連ばかりですが、そのうちほかのテーマの記事も載せるかもしれません。

その「そういち総研」に、昨日新しい記事をアップしました。ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史(上・下)』(河出書房新社、2016年)という世界史関連のベストセラーについて批判的に取り上げたもの。

この本はおおいに売れました。この本の「文明によって人類は幸せになったのか?」という問いかけや「農業は詐欺だ」といった文明批判の主張に驚き、感銘を受けた人がおおぜいいたようです。

しかし、こういう文明批判は、1700年代の思想家ルソーも述べている古典的なもので、そんなに驚くようなものではありません。ルソーの『人間不平等起源論』には「人類を堕落させたのは鉄と小麦」という、文明の根本を批判した、思想史では有名なフレーズがあります。

しかし、農業という文明の根本を否定する「反常識」の主張は、文明の問題について真剣に考えたいという現代人の多くの人たちに訴えるものがあった。たぶん、そこに「学校で教わった月並みな常識を超える真理がある」と感じたのでしょう。

でも、私のような「文明の問題は、文明で解決するしかない」と考える人間からみると、「農業は詐欺だ」的な主張こそ月並みなものに思えてなりません。また、文明がもたらした成果についての過小評価や歴史上の事実についての無理な解釈も『サピエンス全史』のなかに感じます。

以上について、数千文字でやや詳しく書いています。以下の記事、お読みいただければ幸いです。

ルソー的文明批判の現代版←こちらをクリック

そういち総研トップページ

(以上)
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2019年08月24日 (土) | Edit |
*この記事は当分のあいだ2番目に表示します。最新の記事はこのひとつ前です。2019年7月13日投稿。

2019年8月25日(日)に西新宿で下記のセミナーを開催します。今回で5回目。
半日(4時間半)で世界史5000年の流れを一気にみわたすというもの。

高校生以上の子どもさんと親子で、または高校生の参加もぜひ(これまでにも高校生とお父さんの参加がありました)。
よろしくお願いします。

親子・高校生も
5000年を半日でみわたす・大人のための
世界史「超要約」セミナー

●日時
2019年8月25日(日) 
13:00~17:30(12:45開場)

定員9名 予約制 

講師:このブログの著者・そういち
プロフィールは下記に

●会場
新宿・ノマドカフェ 「BASE POINT」(ベースポイント) 2F D
東京都新宿区西新宿7-22-3
*地図は下に

●参加費
6000円(学生4000円)
親子参加は2人で9000円(子どもさんが成人・社会人でも) 
当日支払い、フリードリンク付き

●お申込み・予約制です
メールにて so.akitaあっとgmail.com まで。(「あっと」は@に変換)
その際お名前(ハンドルネーム可)をお知らせください。
返信は翌日になることがあります。

こちらのイベント告知サイトからも予約できます
こくちーず

会場(ベースポイント)地図
ノマドカフェ地図
JR新宿駅西口より徒歩8分
丸の内線西新宿駅より徒歩6分
大江戸線新宿西口駅より徒歩11分

ベースポイント
BASE POINT(会場)

世界史セミナー2018年3月24日その2
本セミナーの様子(2018年3月)

***

●講師プロフィール
そういち:社会のしくみ研究家。1965年生まれ。企業勤務のかたわら社会科系の著作やセミナーを行う。
著書は『一気にわかる世界史』(日本実業出版社)のほか『自分で考えるための勉強法』『四百文字の偉人伝』(いずれもディスカヴァー・トゥエンティワン、電子書籍)など。
このほか、以下で世界史関連の記事を監修。
雑誌『プレジデントウーマン』(プレジデント社)2017年10月号「大人の学び直し 経済&歴史」特集
ムック『おとなのための教養入門』(プレジデント社、2018年7月刊)

***

世界史の勉強がむずかしいのは、対象範囲が非常に広いからです。
膨大な国や民族が出てきますが、学校の教科書では、
それらをできるだけ幅広く扱おうとして詰め込みすぎています。

そこで、大人が世界史を学ぶ場合は、つぎのことが大切です。

①大まかな時代と出来事をおさえる
細かい年号や固有名詞にとらわれず、まずはざっくりと。

②それぞれの時代の中心的な大国をおさえる
世界史では時代ごとに繁栄した強国・大国があります。
古代ギリシア、ローマ帝国、中国の王朝、イスラムの帝国、大英帝国、アメリカ合衆国など……
それらを追いかけていくと、世界史の流れがつかめます。

以上の方針で、
古代から現代までの世界史5000年の流れを、
半日で一気にお話しします。


本セミナーによって、アタマのなかの断片的な知識が
「ひとつの物語」としてつながっていくでしょう。
世界史の本を読むための基礎知識も養えます。

世界史は自然科学と同様に、
世界の成り立ちについての基本的な学問です。
また、政治・経済や美術など、さまざまな教養の基礎になっています。

どの分野の本を読んでも、世界史の知識があるのとないのとでは
理解が大きく違ってくるでしょう。

こんなふうに世界史は「役に立つ」ことも多いですが、
それ以前に知る喜びのある分野です。
世界史を学ぶ最大の効用は、単に「楽しいから」と言ってもいいのです。

「大人のための」世界史セミナーですが、高校生以上の子どもさんと親子で、
または高校生の参加もぜひ。
若い人にこそ、受験のためだけではない「大人の世界史」を。

***

最後に、昨年度の本セミナーでお父さんと参加された高2男子の方の感想

世界史については“カタカナが多くて教科書も時間軸がややこしくて頭に入ってこない”と感じていたとのこと。これはほとんどの人にとって、そうでしょう。

でも“このセミナーを聞いているうちに先入観を捨てて、少しずつ好きになることができました。特に文化などが国から国へと移り、新しくなっていく過程が気になったので、これから調べてみて、親しくなっていこうと思います。本当にありがとうございました”とのことでした。

こちらこそ、ありがとうございます。
みなさまとお会いできることをたのしみにしています。

プレジデントウーマン地図
世界史上の繁栄の中心の移り変わり
『プレジデントウーマン』2017年10月号より

(以上)
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2019年08月17日 (土) | Edit |
テレビ(民放)で外国人の受け入れの問題について、若手の識者が議論しているのをみた。だいたい20~30代の、たとえばミュージシャン、NPOのリーダー、弁護士、コンサルタントで、社会に向けてさまざまな発信をしている男女。話ぶりが魅力的な人が多く、つい聞き入ってしまった。

論者の意見は当然、外国人の受け入れ反対派と賛成派に分かれる。反対派は「日本の文化が壊れる」「少なくとも中長期的には民族間の激しいあつれきが起こる(テロだって起きる)」という。「ヨーロッパでは移民の受け入れは失敗だったというのが一般的な認識だ」とも。

賛成派の人たちは「日本の社会にはもっと多様性が必要」「これからの世代にはさまざまな文化を受け入れる素地が育っているので、対立が深刻化することは避けられる」ということを言っていた。

これに対し反対派からは、社会の現状をふまえ「そのような多様性を受け入れることがほんとうにできるか?無理なのでは」という突っ込みがあった。

発言者の表現に忠実ではないが、主旨としてはそんなところだ。

これを聞いていて私は「この人たちは本当に“文化人”だなあ」と思った。少しおどろいたところもある。文化人というのは、ここでは文化というものを、じつに大事しているということだ。「文化」が今回の議論のキーワードだった。受け入れ反対派は「文化が壊れる」といい、賛成派は「多様な文化が大事だ」といっている。

でも、外国人受け入れの問題は、文化はもちろん大事だけど、それだけのことでもないはずだ。

今年4月の法改正(改正出入国管理法)だってそうだ。あれば在留資格として「特定技能」なるものを新たにつくって、それに該当する外国人を働き手として迎え入れようというものだ。

「特定技能」の対象分野は、介護、ある種の製造業、建設業、宿泊業、飲食業、農業、漁業、ビル清掃など。これらの業界の現場で身体を使って頑張る仕事。どの分野も人手不足が深刻な状態。このままだと社会のニーズにこたえきれなくなる、従来の生活を社会全体として維持できなくなる……そこで、海外からの働き手を受け入れようと考えた。

つまり、労働や産業の問題に対応するため、外国人受け入れの枠を増やしたのである。

ではなぜ人手不足なのか。日本人で「特定技能」的な仕事に就きたい人が大きく減ったからだ。

今の日本人の多くはエアコンのきいたオフィスでのデスクワーク、さらには知的・文化的な要素のある仕事を志望するようになった。

このような「文化人」的傾向は若い世代ほどはっきりしている。私は若い人の就職・採用に関係する仕事をしているので、現場感覚としてここはよくわかるつもりだ。ただし、「特定技能」的な仕事の非正規化など、処遇の悪化ということもある。

文化人は多くの場合、「特定技能」的な仕事は好きではない。少なくともそれを本格的な職業とすることはイヤがる。そのような現場仕事は、ほかの誰かにやってもらい、自分はもっと知的・文化的な何かに関わりたい。そこまでの志向がなくても、とにかくオフィスでの事務的な仕事がいい。そのような日本人が増えた。ひと昔くらい前よりも、さらに増えたのだ。

これは、日本が豊かになり成熟した結果であり、必然的なことだ。少なくともある程度は、そうならざるを得ない。

それを、昭和的なオジさんの感覚で「けしからん」「なげかわしい」などというつもりはない。豊かになったんだから、これはあたりまえだ。オレだってそういう文化人志向の気持ちがわかるよ、といいたい(こんなブログをやっている、文化人・知識人志向のオジさんですから)。

昭和的オジさんたちだって、自分の子どもには「特定技能」的な仕事よりも、オフィスで働く仕事に就いてほしいという人が多いはずだ。そもそも、誰にも仕事を選ぶ自由がある。これは何より尊重されなくてはならない。

テレビに出ていた、もっぱら「文化」の問題として外国人受け入れのことを語る若い識者たち。この人たちは、みんなが「文化人」になった、新しい日本人の典型なんだと思う。

労働や産業の現場のこと、そして産業が支える日々の生活の問題は、どこに行っちゃったんだろう。討論が限られた時間だったとはいえ、このあたりへの言及は皆無だった。

外国人の受け入れに反対というのなら、「特定技能」的な領域での人手不足をどうするのかについても、触れるべきだろう。

くわしい処方箋はむずかしいとしても、一般的な方向性は示せるはずだ。たとえば、それらの業界での働き手の処遇改善といったことは、常識的に考えられる。

でも、いわゆる処遇改善だけでは、効果は薄いのではないか。つまりそれだけでは「文化人」の若い人たちは集まってこない。そこに「文化」を感じさせる何かを加えないといけないのだ。うーん、可能かもしれないがむずかしそうだ……

あるいは、もっと根本的に社会や生活のあり方を変えていくという選択肢もあるかもしれない。

建設業で人手が足りないなら、新しい立派な建物なんていらないじゃないか、みたいな(ただし、水道のような基本的なインフラの整備やメンテナンスの人手は何とか確保する)。外食産業だって今ほどはいらない、ビルの中もそんなにキレイでなくても大丈夫、とか。

介護はどうしよう……家庭でも施設でもない、別の何らかの人の結びつきで対処するのか……でも、それってどんなものなのだろうか? いずれにしても、簡単ではない。

「外国人が大勢来ると我が国の文化が壊れる」というのは、「あいつらはオレたちとちがうから、とにかく嫌いだ」と言っているだけにも思える。ただし「嫌いだ」という感情は根源的で手ごわいものなので、侮れない。でもそれだけでは、知識人の発言としてはもの足りないのではないか。

もの足りないといえば、「多様性は大事だから、外国人を受け入れよう」というのも、「とにかく、みんな仲良くしましょう」とだけ言っている感じだ。たしかにそれは大事だとは思うが、それだけでは知識人としてはやはりさみしい。とにかく、それだけではいけないように思う。

(以上)
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2019年08月12日 (月) | Edit |
この時期は、先の戦争(第二次世界大戦、太平洋戦争)についての追悼や振り返りがさかんだ。ではそもそも、あの戦争によって世界全体でどのくらいの人が亡くなったのだろう? 第二次世界大戦は、一般には1939年から45年にかけてあったとされる。1940年の世界人口(推定)は23億人である。なお、2018年現在の世界人口は76億人だ。

選択肢で考えてみよう。ア.100~200万人 イ.500~600万人 ウ.1000~2000万人 エ.5000~6000万人 オ.1~2億人



第二次世界大戦による世界全体の死者は、軍人2305万人、民間人3158万人、計5400万人余りにのぼった。正解はエだ。(以下、日本以外の戦死者数はウッドラフ『概説現代世界の歴史』で引用するデータによる)

では、世界で最も多くの犠牲者を出した国はどこだったか?

それはソ連(今のロシアなど)だ。ソ連の戦死者は、軍人1360万人、民間人772万人。合計で2100万人を超える。1940年のソ連の人口は2億人だった。2100万人は総人口の1割強である。ソ連はおもにドイツと戦ったのだが、その戦い(独ソ戦)は、きわめて激しいものだったのである。戦争というよりも、まさに地獄だったといっていいだろう。

そしてドイツの犠牲者は、軍人400万人、民間310万人で、合計710万人。1936年のドイツの人口は6700万人。戦死者の割合は1割強で、ソ連とほぼ同程度だ。

日本では軍人・軍属230万人、民間人80万人が亡くなり、合計で310万人(厚労省のデータ)。1940年の日本の人口は7200万人である。

中国は、軍人132万人、民間1000万人。中国はおもに日本と戦い、ソ連に次ぐぼう大な死者を出した。第二次世界大戦当時の中国の人口については、よい統計がみあたらないが、1950年の人口は5億5000万人である。

こういう戦死者の数字は、諸説ある。国によっては統計の精度が低かったり、政治的なバイアスがかかっている場合もあるだろう。しかしいずれにせよ、最近の大災害やテロなどで目にする犠牲者を大きく超える、ケタはずれの悲惨な数字であることにかわりはない。

そしてこれは70~80年前の世界で現実に起こったことなのだ。ほんとうに、想像を超えたとんでもないことがあったのだと思う。

世界大戦があったことについて、私たちは子どもの頃からいろんな機会に聞かされてきたので、あたりまえになっている。しかし、もしもこの戦争について知識を得る機会のないまま成長した人間が、世界大戦についていきなり聞いたとしたら、どう思うだろうか? 簡単には消化できないのではないだろうか。「うそだろ?」「信じられない」という反応があってもおかしくない。

現に最近は「日本とアメリカって戦争したことがあるんですか?」などという若い人がいるらしい。その現場に立ち会ったことはないが、あり得る話だ。

今後、こういう無知な人は増えていくだろう。戦争を体験した世代や、その世代からじかに話を聞いた人たちがいなくなれば、戦争に関する記憶や知識は意識的に勉強しないと得られないものになる。学校の教科書にはもちろん書かれているだろうが、そんなものはいっさい読まない、授業もろくに聞かないという人は大勢いる。そして最近はテレビをみない人も増えているのだ。今でもたとえば「日露戦争」というものがあったことを知らない日本人は、若い世代ではかなりの割合でいるはずだ。

そして、教科書や本で戦争について読んだとしても、それだけでは抽象的で手ごたえが足りない。「あなたのひいおじいさんは戦争に行って…」「おばあさんは空襲で焼け出されて…」みたいな身近な人からのインプットは、知識にリアリティを与えるうえでやはり重要なのだ。しかし、戦争を体験した世代はこれからは本当にいなくなる。

あと何十年かのうちに日本や世界のかなりの人たちが、世界大戦というものがあったことを知らない世の中になるのではないか。戦争を経験していないとか、その悲惨さをわかっていないというのではなくて、それがあったこと自体を知らないのだ。

その先には、さらにおぞましいことが起きる。「世界大戦などというものはなかった」と主張する者たちが出てきて、それなりに影響力を持つようになるのだ。「進化論はまちがっている」とか、「ワクチンのような現代医療の多くが効果のない有害なものだ」といった主張の類のひとつとして「世界大戦はなかった」論が出てくる。

「世界大戦はなかった」論者は、たぶんこんなことを言うだろう。……そんな、何千万人もの死者が出るような大戦争があったなんて信じられますか?あり得ないでしょう。そんなことが本当にあったとしたら、すでに世界は滅びてますよ。あれは〇〇(←差別・攻撃の対象)がでっちあげたフェイクです!そのようなウソを人びとに信じこませて、自分たちの都合のよい方向に動かしているんです。戦争体験者へのインタビューとか、戦争のドキュメンタリー映像というのは、みんなCGです……

上記のような全否定の極論だけでなく、その被害や悲惨さを矮小化する主張ならば、もっと出てくるだろう。たとえば「5000万人も死んだなんてウソ。本当はヒトケタ少ない」みたいな。あるいは個別の事件・事実の否定がもっとさかんになる。すでに「ホロコーストはなかった」論というのがあるが、いつか「ヒロシマ、ナガサキはなかった」などという狂ったデマが力を持つかもしれない。

私は決してふざけているのではなく、そのようなことがほんとうに未来に起こりうるのではないかと真面目に心配しています。今のフェイクニュースだらけの世の中をみていると、そう思ってしまう。言われてみると「たしかにあり得るのでは」と、あなたも思いませんか? 

世界大戦についての記憶が失われ、「そんなものはなかった」などという大ウソが蔓延したら、世界大戦がくり返される危険はおおいに高くなってしまうだろう。重大な過ちについての教訓を失えば、失敗しやすくなるのは当然だ。

だからやっぱり、大人は子どもや若い人に戦争についての話をしよう(たいした知識などなくてもいいのだ。本記事の犠牲者数のことも素材になる)。勉強させよう。大人も少し勉強しよう。今のシーズンはいい機会だ。テレビで戦争体験を語る人たちが、本当に高齢な様子をみていると、そう思う。

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世界史関連のさらに踏み込んだ内容の長文を載せる別ブログ「そういち総研」というのをやっていて、そこに第二次世界大戦の概要を私そういちがまとめた記事をのせています。ブログの記事としてはかなりの長文ですが、ヨーロッパの戦争と太平洋戦争の両方を視野に入れ、基本的事実を読みやすい文章で堅実にまとめたつもりです。1~2時間で初心者の人がかなりまとまった知識を得ることができます。夏休みの機会にぜひ。

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(以上)

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