2017年12月31日 (日) | Edit |
*この記事は12月4日に作成し、しばらくの間2番目の位置に掲示しました。

「そういちカレンダー2018」発売中!

歴史や科学などに関する記事がぎっしり詰まった、雑誌感覚の「読むカレンダー」をつくって販売しています。トイレの壁とか、家族や仲間が立ち止まって読むようなところに貼ってください。
周りの人との共通の話題や、「話のネタ」「考えるきっかけ」を得られるはずです。


2014年版から制作していて、今回で5年目。
このカレンダーづくりは、私にとって「1年のまとめ」のような活動です。

イラストも含めた原稿作成、編集レイアウト、さらに印刷まで自分でやっています。結構エネルギーを費やしております。

こういう、時間や手間のかかる「真剣な遊び」ができるのは、いろんな環境に恵まれているからこそ。今年もこのカレンダーを制作できたことに感謝。

そして、2018年版では、電子版(PDFファイル)を新たに制作しました。

このブログの著者そういちのアドレスに「電子版購入希望」とだけ送ってくだされば、「そういちカレンダー2018」のPDFファイルを返信いたします。お支払いはそのあとで。お名前はハンドルネームで結構です。
価格は300円(振込先の郵便振替または楽天銀行の口座などはメールにてご案内


そういちのアドレス:so.akitaあっとgmail.com
*返信に1~2日かかる場合があります

この電子版は、販売目的での複製・印刷は禁止しますが、無償でシェアするためであれば、複製・印刷・配布していただいて結構です。家族・友人・仲間で、データのかたちでも、紙に印刷したかたちでも、どんどんシェアしていただければ。そして、もしもさらに「これ面白い、うんと応援したい」と思ってくださったら、1口300円でそういちの口座(郵便振替・楽天銀行)に寄付していただくことも歓迎です。

この電子版は、2018年版の試みとして行っています。来年はどうなるかわかりません。この機会にぜひ。

記事の内容、購入について詳細は、以下に。

 *** 

我が家の壁に貼ってある「そういちカレンダー」。 
これは2014年版ですが、表紙のデザイン・紙質などは2018年版も同じ。

 カレンダー使用例 (2)

ただ、2018年版からはこれまでのA4版サイズをB5に変更。記事の分量などをややコンパクトにしました。でも「読み応え」は損なわないように……

これは2018年版の2月のページ。

カレンダー2018

【このカレンダーのコンテンツ】
①四百文字の偉人伝 古今東西の偉人を400文字程度で紹介
②名言 世界の見方が広がる・深まる言葉を集めました。
③コラム 発想法・社会批評・世界史等々
④知識 統計数値・歴史の年号・基本用語などを短く紹介
⑤各月の日付の欄に偉人の誕生日

これらの記事は、このブログの記事と私そういちの著作(『一気にわかる世界史』『四百文字の偉人伝』『自分で考えるための勉強法』)がおもな素材です。
 
【カレンダー仕様】 B5サイズ,全14ページ
ダブルループ製本、極厚口の上質紙(アイボリー)

【価格】1冊1000円(送料込み) 
10冊以上ご注文の場合、2割引きの1冊800円

【購入方法】
下記のメールアドレスまで「①お名前②お届け先住所③カレンダー〇冊」の3点を書いたメールをお送りください。

カレンダーの発行者である「そういち」のメールアドレスです。

メール送り先:so.akitaあっとgmail.com  「あっと」は@に変換

支払は、商品到着後。
ご注文があってから数日ほどで商品を郵送にてお届けします。
商品とともに代金振り込み先(郵便振替または楽天銀行の口座)のご案内をお送りします。


【電子版も発売】
このブログの著者そういちのアドレスに「電子版購入希望」とだけ送ってくだされば、「そういちカレンダー2018」のPDFファイルを返信いたします。お支払いはそのあとで。お名前はハンドルネームで結構です。
価格は300円 振込先の郵便振替または楽天銀行の口座などはメールにてご案内します。

そういちのアドレス:so.akitaあっとgmail.com
*返信に1~2日かかる場合があります

この電子版は、販売目的での複製・印刷は禁止しますが、無償でシェアするためであれば、複製・印刷・配布していただいて結構です。家族・友人・仲間で、データのかたちでも、紙に印刷したかたちでも、どんどんシェアしていただければ。そして、もしもさらに「これ面白い、うんと応援したい」と思ってくださったら、1口300円でそういちの口座(郵便振替・楽天銀行)に寄付していただくことも歓迎です。

(以上)
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2017年12月17日 (日) | Edit |
 新聞記事切り抜き

たまに、まとめて新聞記事の切り抜きをしています。もう20年近く続けていることです。私が購読しているのは日経新聞。

2週間~1か月ぶんくらいの新聞をまとめてざーっとながめて「これは」という記事を切り抜く。
切り抜きには、新聞紙の1枚目だけがカットてきる、専用のカッターを使う。ハサミやふつうのカッターを使って切り抜きをするのは、大変です。

切り抜いた記事は、写真のようにクリアファイルに突っ込んでおきます。

1か月で数十の記事を切り抜きますが、その数十枚は1枚のクリアファイルにおさまります。新聞紙は薄いので、コンパクトです。1か月で1枚のクリアファイルにおさまらない量の切り抜きは、やりすぎです。ふつうは使えません。

切り抜く記事は、少ないほうがいいです。1か月で数枚でも十分だし、むしろそのほうが生かせるでしょう。

そのクリアファイルは、カバンに入れて持ち歩いて、ときどき記事の1枚を取り出して読みます。

毎日のなかでも、新聞にはざっと目はとおしています。そのときには、切り抜きはしません。それをやると、多く切り抜きすぎてしまいます。時間がたってからながめたほうが、記事を厳選できます。

切り抜きのほとんどは、しばらくしたら捨ててしまいます。数か月以上の長期保存をする記事は、1か月でせいぜい2、3枚です。

今さら新聞の切り抜きかあ、と思う人もいるかもしれません。

でも、やっぱり新聞って、すごいものです。大新聞だと1000人~2000人規模の記者たちが、毎日取材して記事をつくっているのです。朝刊1冊は十数万文字、つまり単行本1冊分くらいの分量。それが毎日玄関先まで届けられる。

たしかに新聞には、いろんな限界や欠点もあるのでしょう。しかし、これだけの組織的な労力をかけてつくられている情報の集積は、貴重なものです。

少なくとも、私たちのようなふつうの人間が簡単に利用できるものでは、ほかには考えられない。利用しない手はない。きちんと使うと、常識や教養も身につくし、いろいろと考えるヒントが得られる。

「1か月に1度くらい、まとめて切り抜きをする」というのは、新聞を深く利用するうえでおすすめです。

これからはじめる人は「1週間に1度」のほうがいいかもしれません。「1か月に1度」だと、目を通すべき新聞がかなりの分量になって作業に何時間もかかってしまうので、大変です。

私は1か月分の切り抜きを、週末に3時間くらいかけて行います。そのときは、一気にいろんな話題に触れて、結構たのしいです。自分が賢くなった気になれます。ただし「いろいろあって新聞の切り抜きをさぼった」という月もあります。このように、多少いいかげんでもいいと思います。

ただし、やみくもに切り抜いても無駄です。

たとえば重大な・興味深い事件について、その経過を切り抜くみたいなことは、その分野の専門家ならともかく、一般人にとってはまったく無意味です。

あるいは「金融について勉強しよう」といったばくぜんとしたスタンスで、興味をもったもの、ためになりそうなものを切り抜く、というのでもダメです。たくさん切り抜きすぎて、収拾がつかなくなるだけです。こういうことは、私も経験済み。

私がおすすめするのは、「中長期のことを考えるのに役立つ記事を切り抜く」ことです。

この2~3年から数年ぐらい、あるいはそれ以上のスパンの世の中の動きを考えるのに参考になる記事。そんな「中長期」の動きにかんするデータや考察、おおまかな経過、基礎的な常識などがまとめられている記事。

そこで大事なのは「予想」「問いかけ」です。これは「こういうことが今おこっているのでは?」「今後、中長期的にはこうなるのでは?」といった自分なりの予想のことです。そのような「予想」「問いかけ」を持って切り抜きをするのです。

先日切り抜いた記事で、「世界のカネ1京円、10年で7割増」というのがあります。

記事にはグラフもありました。1990年ころからリーマンショック(2008年)まで世界のGDP総額と通貨供給量はほぼ一致していたのに、その後乖離がはじまって、2016年には世界の通貨供給量は、世界のGDP総額よりも16%多いのだそうです。世界の「カネ余り」ということを、わかりやすく示した記事。

こういう情報は、その分野に詳しい人には珍しくないでしょう。ネット上にもあるはず。でも、毎日毎日、受け身の状態で、こういう記事を手にすることができるのは、新聞のいいところ。信頼性もネットにくらべて高いので、引用したり典拠にしたりもしやすい。

そして、こういう記事は、市場や経済の短期的な状況とは異なる「中長期」のことを述べています。これを切り抜こうと思うのは、それなりの「予想」「問いかけ」があるからです。

その「予想」「問いかけ」を強化したり、深めたりする材料になるものを切り抜いているわけです。あるいは、予想に反するもの、反対意見などを切り抜いてもいい。

やっぱり、新聞っていいな、と思います。最近は「凋落」「衰退」をいわれているけど、なくなったら困ります。

(以上)
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2017年12月07日 (木) | Edit |
11月19日(日)の日経新聞で、こんな記事がありました。
見出しはこうです。

“歴史の教科書 龍馬が去る?”
“ガリレオも…高校の用語半減案”
“暗記→流れ学ぶ教育重視”


記事の冒頭には、こうあります。

“高校の日本史、世界史で学ぶ用語を現在の半分弱の1600程度に減らすべきだとする提言案を高校、大学の教員団体がまとめた。暗記項目を絞り、社会の成り立ちを流れで学ぶ歴史教育を重視する……教科書会社の対応が注目される”

記事によれば、今のおもな日本史・世界史の教科書には3400~3800の用語がのっているのだそうです。これは10年前とくらべ1割増で、1950年代の3倍弱。これを思い切って整理しよう、というわけです。用語が多すぎて、先生も生徒もうんざりしているのです。

“この提言案をまとめたのは高校、大学で歴史教育に携わる教員らでつくる高大連携歴史教育研究会(高大連)”という組織だそうです。私(そういち)は存じあげないのですが、この新聞記事や団体のホームページをみると、私も見聞きしたことのある学者のお名前などがあります。一定の影響力があるのでしょう。

その「削減案」の中身については、記事はこうまとめています。

“高大連は、「教科書本文に必ず載せ、入試でも知識として問える用語」を目安に、約1年かけて用語を精選。特に人名や文化に関する用語は、知名度が高くても歴史上の役割を考慮して大幅に減らした。「上杉謙信」「坂本龍馬」「ガリレオ・ガリレイ」「マリー・アントワネット」などは(教科書に載せるべき用語から)外れた”

このような検討、私も意味があると思います。

しかし、ほんとうは「半減」「○割減」以上のことを考えるべきです。既存の体系を一度置いて、ゼロから「限られた時間でぜひとも教えるべきことは何か」について考えるのです。

それによって用語の数は、ヒトケタ少なくなったり、何十分の一になったりする可能性があります。

学問や教育が進歩すると、知識の蓄積は膨らんでいきます。こんなに増えていって、どうなるんだろうと不安になるかもしれません。

しかし、その進歩が一定の高いレベルまで達すると、知識は整理されていくはずです。

膨大な知識が高いレベルの視点からまとめられ、かつて大事だと思われていた多くのことが、枝葉として位置づけられ、大きな幹が浮かびあがる。その結果、教育の場で教えるべきことがらも大幅に整理される。「幹」をまず教えよう、となるわけです。学問や教育の体系が洗練される、ということ。

手前味噌ですが、拙著『一気にわかる世界史』(日本実業出版社)は、徹底的に「ゼロベースから、多くの人が知るに値する情報だけを伝えよう」という姿勢で書きました。この本に出てくる用語(事件名や人物名など)は、教科書の数十分の一です。

ところで、この歴史教育にかんする新聞記事のヨコには“生物は4分の1に削減 日本学術会議指針”という記事がありました。“高校の生物では、重要用語を現在の2千から4分の1に減らすべきだとする指針を日本学術会議の生物科学分科会がまとめた”とのこと。

日本学術会議は、高大連よりも有力な権威です。
おそらく、自然科学の世界の認識のほうが、歴史研究・教育よりも一歩先をいっているのでしょう。

「4分の1」に削減、というならヒトケタ減らすのも可能でしょう。この数十年の生物学の急速な進歩や洗練を反映した動きだといえる。

「学問・科学の進歩による知識の洗練」という観点は、重要です。

生物学でおこっていることは、その良い例です。歴史学者や先生は、自然科学やその歴史にもっと目を向けたらいいはずです。でも、そこらへんはやや弱いのでは。ガリレオを教科書から外すなどという見解をみると、そう思います。

この話題はテレビのワイドショーでもとりあげれられていて、解説の歴史研究家の方が「私の推測だが、ガリレオについてはこれといった発見をしていないから、と考えたのでは」と述べていました。

いずれにせよ、ガリレオはそれほど重要ではない、ということでしょう。実験を通じて力学や地動説を確立した、つまり近代科学の扉をひらいた人物をそんなふうに評価するのは、やはりどう考えても無知か、歪んだ見識です。

科学の歴史についてそんな理解では、「学問・科学の進歩による知識の洗練」ということも、とうていわからないのでは、と心配になります。科学はいうまでもなく、現代の社会に根底から影響をあたえています。科学の歴史を少しは知らなければ、世界史がわかるはずもありません。

(以上)
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2017年11月30日 (木) | Edit |

 世界史セミナー
 11月27日セミナーの様子

先日27日、予定していた世界史のミナーを開催しました。
女子限定・5000年を2時間でみわたす・大人のための
世界史「超・要約」セミナー 
というもの。

ご参加のみなさま、ありがとうございました。お忙しいなか、1日の仕事や活動を終えてお疲れのところ来てくださって、うれしいかぎりです。
また、告知やご案内に対してお声がけくださった多くのみなさまにも感謝です。また開催しますので、よろしくお願いします。

今回は試みで「女子限定」としました。また、これまで私が行ったセミナーは土日中心でしたが、平日の夜にお勤めの方なども来ていただけるようにと新宿駅から徒歩圏の場所(西新宿)を会場としました。

今回のセミナーは、拙著『一気にわかる世界史』(日本実業出版社刊)をベースに、世界史5000年あまりの歴史の大きな流れを2時間でお伝えするというもの。

いただいた感想の中から。

たいへんわかりやすく整理された内容で面白かった”
“学校の歴史の授業では時間切れになりがちなので、全体を通してみるのは良い試みですね”
“大きな流れを学ぶことは必要ですね”

“2時間がとてもとても短い気がしました”
“頭のなかはアップアップ状態ですが、少なくとも大きなイメージができたのはとてもうれしい気分”
“世界史超要約2時間スペシャル、面白かったです。世界地図上でイメージがなんとなくできたことと、これからの(未来の)ことがなんだか見えてきそうな気がしました”
 

また、本セミナーではスライドを用いてお話しましたが、そのなかで世界史上の建造物や文化遺産もいろいろご紹介しました。そういう視覚的な情報も、こういうセミナーならではのこと。そこで、

“(自分が)建築物などに興味があるということに気づきました”

という方も。私も建築は好きですし、世界史のイメージを持つうえでは重要だと思います。

このセミナーのポイントは、やはり「5000年を2時間で」というところ。
上記の感想でも述べておられますが、学校の歴史の授業は多大な時間をかけ、くわしくいろんなことを取り上げます。だから、全体像がつかみにくいです。

拙著『一気にわかる世界史』へのアマゾンでのレビューでも、こう述べている方がおられました。

“「世界史を勉強しよう」と思っても、ギリシャ・ローマあたりで飽きてしまったり、世界大戦をやっているころにはルネサンスをすっかり忘れていたり...となかなか身につきませんでした”

分厚い本や1年かけて学ぶ学校の授業だと、たしかにそうなります。そして、現代史の頃になると時間がなくなってきたり、受験の本番シーズンになって、じっくり授業ができなくなってしまうことも。セミナーに参加された方の感想にもあった「時間切れ」です。

でも、レビューを寄せてくださった方は、拙著を読んで“今では世界史を3分で説明して、と言われてスラスラ説明できるようになりました”とのこと。

拙著について、別の方のアマゾンでのレビューでは、こうありました。

“中学高校の世界史の授業最初の2、3コマを使ってこの本(『一気にわかる世界史』)を読み進めていったら良いと思う。まず全体を把握して、それから1年かけて細かいところを学んでいけばいい”

今回の「2時間で5000年をみわたす」というのは、まさに「世界史の授業の最初の2、3コマ」にあたります。

まずは、ざっくりとした全体像を。
その「全体像」から、私たちは多くのことを得るでしょう。

世界史について、短時間で全体像を得ることのできる本や授業はまずないので、それをこのセミナーでは行っているわけです。

本セミナーは、今度は男子も参加していただけるかたちで、また西新宿で開催します(日程は未定ですが、遠からず)。

また、お声がけくだされば、あなたの街にもお伺いします(ブログの著者プロフィールに、私そういちのアドレスがあります)。それから、今回は大人向けでしたが、中高生にものみこみやすいように手直しして、親子でも聴けるセミナー、というのもできるでしょう。

みなさまにお会いできることを、楽しみにしています。

(以上)
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2017年11月21日 (火) | Edit |
権力者の汚職や不正には、家族や親しい人のため便宜を図ったものが多いです。

最近では、我が国の首相が友人の学校法人のため、隣国の大統領が姉妹同然の親友のため、不正を行った疑惑が持ち上がりました。「加計学園」のことは、つい最近のニュースでも取りざたされています。

おそらく、権力者が汚職をしないためには、家族も友もいないほうがいいのです。故郷や地元のつながりも、絶つべきです。

数百年前のオスマン帝国では、その考え方をほんとうに実行しました。

オスマン帝国は1500~1600年代に最も繁栄したイスラムの国家です。今のトルコ共和国にあたるアナトリア地方を根拠地として発展し、エジプト、シリア・パレスチナ、イラクなどのアラブ世界の広い範囲を支配した大帝国でした。

オスマン帝国では、キリスト教圏のバルカン半島などから少年を一種の奴隷として強制的に連れてきて、イスラムに改宗させたうえでエリート教育を施し、軍人や官僚として重用したのです。

これらの軍人・官僚たちは、結婚して家族を持つことは原則禁じられていました。故郷との関係も絶たれています。家族や故郷の絆がなければ、私欲を持たず公務に忠実であり続けるはずだ、というわけです。

このような、少年たちを強制的に集める制度を、「デヴシルメ(“強制徴用”の意)」といいました。デヴシルメによって集められた人材は、君主に直属する軍団の中核となりました。「イェニチェリ(“新しい兵隊”の意)」と呼ばれた軍団です。また、高級官僚や宮廷の侍従として重要な役職に就く者もいました。

イェニチェリ軍団は、目論見どおりに見事な働きをして、オスマン帝国の発展を支えました。

しかし、この制度にはやはり無理がありました。人間本来の性質に反するところがあった。

後の時代になると、デヴシルメで集められた軍人や官僚たちは、禁止だったはずの結婚をして家族を持つようになりました。子供に自分の地位を継がせることも行われました。それとともに、イェニチェリは腐敗にまみれていったのです。

今の時代は、デヴシルメのような非人道的なことは、もちろん許されません。ただし現代でも、一部のテロリストは少年たちを誘拐して兵士に仕立てあげたりしています。人間的な絆を絶たれた戦争マシーンの養成。これはきわめて非道な現代のデヴシルメです。

でも、未来には人工知能によるロボット官僚が実現するでしょう。

彼らは汚職とは無縁です。結婚しないのだから不倫もしないでしょう。忖度(そんたく)も苦手です。彼らに任せれば、きっと清潔で信頼できる政治や行政が実現するはず。

なお、ロボット官僚よりも先に、ロボット兵士の軍団は一般的なものになるでしょう。こちらはもう実用化の段階に入ろうとしている。

ロボット官僚を、幼稚なマンガ的空想と笑うことはできないはずです。世界史上におけるオスマン帝国の実例があるからです。

デヴシルメ制度によるイェニチェリ軍団は、当時の近代以前の技術でも可能なやりかたで「ロボット官僚」をつくりだしたのだといえます。人間にとって、とくに権力にとって、「ロボット官僚」は普遍性のある一種の「理想」なのです。

しかし、人間的な絆を一切持たない者に権力を委ねるのは、どうなのでしょうか? ちょっと恐ろしい感じもします。天涯孤独のヒトラーは、汚職をしなかったといいますし……

自分ただ1人のほか、守るべきものが何もないエリートが道を外れた場合、それはもう手がつけられないことになるでしょう。節度や遠慮のない堕落・暴走になってしまうはずです。「世の中の人間と自分とは、もともとなんの関係もないんだから、何をしたって構うものか」という感情が働いてしまうのです。

***

世間のことを、こんなふうに「世界史」のフィルターを通して考えてみるのは、意味があると思います。世界史は、社会のいろいろなことを考える道具になります。

以前にご案内した世界史のセミナー(「女子限定・5000年を2時間でみわたす・大人のための世界史超要約セミナー」)が、11月27日(月)の当日まで1週間を切りました。まだまだお席があります。詳細は前回の記事(すぐ下)でご覧ください。

(以上)
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2017年10月15日 (日) | Edit |
11月27日に西新宿で下記のセミナーを開催します。
よろしくお願いします。

女子限定
5000年を2時間でみわたす・大人のための
世界史「超要約」セミナー

●日時
2017年11月27日(月) 
19:00~21:10(18:45開場)

定員15名 予約制 今回は女性限定

講師:このブログの著者・そういち
プロフィールは下記に

●会場
新宿・ノマドカフェ 「BASE POINT」(ベースポイント)
3Fイベントスペース
東京都新宿区西新宿7-22-3
*地図は下に

●参加費
2000円(学生1500円) 当日支払い
フリードリンク付き

●お申込み・予約制です
メールにて so.akitaあっとgmail.com まで。(「あっと」は@に変換)
その際お名前(ハンドルネーム可)をお知らせください。
返信には数時間かかることがあります。

*セミナー・イベントなどの告知サイトこくちーずでもお知らせしています。
 そこからもお申し込みできます。

会場(ベースポイント)地図
ノマドカフェ地図
JR新宿駅西口より徒歩8分
丸の内線西新宿駅より徒歩6分
大江戸線新宿西口駅より徒歩11分

ベースポイント
BASE POINT(会場)

***

●講師プロフィール
そういち:社会のしくみ研究家。1965年生まれ。企業勤務のかたわら社会科系の著作やセミナーを行う。
著書は『一気にわかる世界史』(日本実業出版社)のほか
『自分で考えるための勉強法』『四百文字の偉人伝』
(いずれもディスカヴァー・トゥエンティワン、電子書籍)など。
雑誌『プレジデントウーマン』(プレジデント社)2017年10月号の
「大人の学び直し 経済&歴史」特集では、世界史セミナーの記事を監修。

***

世界史の勉強がむずかしいのは、対象範囲が非常に広いからです。
膨大な国や民族が出てきますが、学校の教科書では、
それらをできるだけ幅広く扱おうとして詰め込みすぎています。

そこで、大人が世界史を学ぶ場合は、つぎのことが大切です。

①大まかな時代と出来事をおさえる
細かい年号や固有名詞にとらわれず、まずはざっくりと。

②それぞれの時代の中心的な大国をおさえる
世界史では時代ごとに繁栄した強国・大国があります。
古代ギリシア、ローマ帝国、中国の王朝、イスラムの帝国、大英帝国、アメリカ合衆国など……
それらを追いかけていくと、世界史の流れがつかめます。

以上の方針で、
古代から現代までの世界史5000年の流れを、
2時間で一気にお話しします。


本セミナーによって、アタマのなかの断片的な知識が
「ひとつの物語」としてつながっていくでしょう。
世界史の本を読むための基礎知識も養えます。

世界史は自然科学と同様に、
世界の成り立ちについての基本的な学問です。
また、政治・経済や美術など、さまざまな教養の基礎になっています。

どの分野の本を読んでも、世界史の知識があるのとないのとでは
理解が大きく違ってくるでしょう。

こんなふうに世界史は「役に立つ」ことも多いですが、
それ以前に知る喜びのある分野です。
世界史を学ぶ最大の効用は、単に「楽しいから」と言ってもいいのです。

なお、試みとして今回は女子限定とします。
疑問や意見を出しやすいかと。ただし講師はオジさんです。

プレジデントウーマン地図
世界史上の繁栄の中心の移り変わり
『プレジデントウーマン』2017年10月号より

***

最近、更新が滞ってしまいましたが、元気でやっております。
注文はないですが、新しい世界史本のための原稿など、せっせと書いています。そのために、本もいろいろと読んでいます。毎年発行している『そういちカレンダー』の2018年版も制作中です。

今回は、以前からやってみたいと思っていたかたちで世界史のセミナーを開催することとしました。

おもにビジネスウーマンの方を対象に、勤めの帰りなどで参加していただくセミナー。
大人が気軽に「世界史入門」できるセミナーというのは、意外とありません。
「世界史の全体像」を伝えるセミナーというのが、まずないのです。
まして、「2時間で」などというのは、ふつうは考えられない。

それを、今回行うことにしました。
私だからこそできるセミナーだと思っています。

拙著『一気にわかる世界史』をベースに、ライブならではのものをお届けします。お待ちしております。

(以上)
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2017年09月08日 (金) | Edit |
プレジデントウーマン10月号

昨日7日発売の、雑誌『プレジデントウーマン』(プレジデント社)10月号に、私そういちへの取材記事が出ています。

「大人の学び直し 経済&歴史」という特集の中の「歴史は“流れ”が9割!5000年の“超要約”セミナー」というコーナー全6ページ(36ページ~)がそうです。私への取材や、私の著書『一気にわかる世界史』をもとに、ライターさんがまとめたもの。

盛沢山の内容が、コンパクトにきれいな誌面にまとまっています。
ぜひ、手にとってみてください。

なお、記事中の「歴史知識実力テスト」や「世界+日本史年表」は、新たに私が作成したもの。そのほかの地図やフローチャートは『一気にわかる世界史』から編集されたものです。

『プレジデントウーマン』は、ビジネス雑誌『プレジデント』の女性版です。30~40代を中心とするビジネスウーマンがおもな読者とのこと。

私は、今回の取材のお話をいただくまで、この雑誌を手にしたことはありませんでした。

今回、この10月号以外も2、3冊手にしましたが、働きざかりのビジネスウーマンのための多岐にわたる情報(ビジネス、仕事のスキル、キャリア、政治経済、マネー、文化、家事、ファッション、料理、旅行等々)がびっしりと、しかしコンパクトにきれいにデザインされて詰まっていると感じます。その分野の著名人や第一線の方たちがたくさん登場している。

まさに「雑誌」というか、その王道な感じです。そんな中「この人誰?」という感じで、私も出てます……

プレジデントウーマン日本史年表
私への取材ページの一部

(以上)
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2017年08月26日 (土) | Edit |
今回は、以前の記事をまとめ直したものです。現代における世界史的な動きから未来を考える、というもの。

***

「中心」衰退の時代

アメリカの覇権の後退で国家のあり方はどう変わるか



アメリカの覇権の後退

私が昨年出版した『となり・となりの世界史』(日本実業出版社)では、「5000年余りの世界史における、世界の繁栄の中心=覇権国といえる大国・強国の移り変わり」を追いかけることで、世界史を「ひと続きの物語」として述べることをめざしました。

つまり、西アジア(メポソタミア・エジプトなど)→ギリシア→ローマ→イスラムの国ぐに→西ヨーロッパ(詳しくみるとスペイン・イタリア→オランダ→イギリス)→アメリカと、世界の繁栄の中心は移り変わってきました。今の世界は、1900年代前半から続くアメリカの時代です。

では、アメリカの時代はいつまで続くのか?

アメリカが総合的にみて世界最強の大国である、という状態ならば、これからも少なくとも何十年かは続くでしょう。もっと続くのかもしれません。

しかし、その圧倒的な力で世界を仕切るという状態=覇権は、これからますます明らかに後退していく。あと20~30 年もすると、かつてのようなアメリカの覇権は過去のものになる。少なくともすっかり様子が変わっている。どこかで、一定の「復興」もあるかもしれませんが、それは限定的なかたちで終わる。

あいまいでおおざっぱな予想ですが、ひとつの視点としては意味があるでしょう。私たちの多くが生きているうちに、大きな変化が一区切りついているのでは?という問いかけでものごとをみてはどうでしょうか。


2000年頃からの変化

アメリカの覇権の後退ということは、1970~80年代にはすでに言われてはいました。

たしかにその頃、アメリカの勢いは1950~60年代よりは後退していました。その一方で「アメリカの後退」という見解には、圧倒的な大国に反発する感情もあったように思います。「こんな国、衰退してしまえ」という願望が混じっている面もあった。

そこで、本当に後退するまでには、まだ時間がかかりました。1990年代には、ライバルだったソヴィエト連邦の崩壊によって、唯一の超大国となったアメリカがまさに世界を制覇したような状況になりました。

しかし、そのようなアメリカの「世界制覇」は、10年ほど続いただけでした。

2000年代(ゼロ年代)初頭の、9.11テロへの対抗策として行ったアフガニスタン侵攻や、その後のイラク戦争は、大きな転換点でした。このとき、アメリカはいろいろな誤りを犯しました。その後、1990年代にひとつのピークに達したアメリカの覇権がさまざまな面で崩れていきます。

一方で、中国をはじめとする新興国の発展がすすみ、世界のなかで大きな存在感を示すようになる、という流れも2000年ころから明確になりました。

今現在の世界の、アラブ・中東のひどく混乱した状態や、中国が新たな超大国として自己主張を強めていることの直接の出発点は、2000年代初頭にあります。

そして、2000年代初頭のアメリカは、勇ましくアフガニスタンやイラクを攻めたのですが、近年のアメリカはシリアなどの中東の情勢に対してかつてのような積極的な行動はとれないでいます。中東で積極的に動いているのは、ソ連崩壊後の混乱から一応は復活してきたロシアだったりするのです。


「アメリカ優先」は「覇権」以前への回帰

トランプの言う「アメリカ優先」は、「覇権国として世界を仕切るスタンスを見直す」ということです。

近年は米国民のあいだで「世界でのリーダーシップよりも自国の問題に専念すべきだ」という世論が高まってはいました。トランプの当選も、そのような流れが生んだといえます。やはり、こういう大統領が出てきたことは、大きな転換点でしょう。

たしかに、昔のアメリカも自国優先の孤立主義をとっていました(「モンロー主義」という)。しかし、そのような内向き志向が優勢だったのは1900年代前半までのことで、それ以前のアメリカは世界の中心=覇権国ではありませんでした。

「アメリカ優先」は、1900年代半ばの「偉大なアメリカ」の復活ではなく、「覇権国となる以前のアメリカへの回帰」を意味するのです。

つまり「世界トップの経済力や軍事力を持つ大国にはちがいないが、世界を仕切るような“中心”ではない」ということ。それがこれからのアメリカのポジションなのだと。

現実としてそうなりつつあったことを、トランプの主張は、基本方針として確認していることになります。そのような方針は、現実の流れを後押しするはずです。つまり、世界の「中心=覇権国」としてのアメリカの役割の大幅な後退です。

ほんとうは「再びアメリカを偉大な国にする」ではなく、「100年以上前の“ふつうの大国”としてのアメリカに回帰する」というべきです。でも、それではあまり輝かしい感じがしないので、選挙に勝てませんね。


「世界の警察官」がいなくなると

このように「アメリカ第一主義」をかかげる大統領が就任するなど、アメリカが覇権国として世界にあたえる影響が大きく後退する流れが明確になってきたわけです。

その影響について、中国やロシアはどう出るか、アラブ・中東の情勢はどうなるかなどの、比較的短期の国際情勢の話はとくにいろいろ出ています。しかしここでは、アメリカという「中心」の衰退が、おもに先進国における国家や政府のあり方に、中長期的にどう影響するのかについて考えたいと思います。これは、私たち日本人にとっても切実な問題です。

アメリカが覇権国として世界を仕切ることに消極的になると、つまり「世界の警察官」をやめると、世界の国ぐにの国家としての機能は、再編成を迫られます。

この何十年かは、世界の諸国のあいだの大小さまざまなもめごとの多くは、アメリカによる仲裁が有効でした。当事者どうしで話し合いがつかないことも、アメリカのジャッジによって一応のケリがつくことがあった。アメリカが前面に出なくても、アメリカが大きな影響力を持つ国際機関がジャッジしたりもした。

軍事的にも、アメリカの傘下に入ることで、ある程度の「属国」的な立場と引き換えに、相当な安全が保障された。

本来は国際社会には、国内の警察や裁判官にあたるような権力は存在しません。

「世界統一政府」がない以上、国際社会にはそれを統制する権力が存在しません。つまり、究極的には個々の国の「力」がものをいう世界です。その点では、かつての日本などの「戦国時代」と変わりません。

そして、20世紀前半までの国際社会は、まさに「戦国時代」だったわけです。

近代以降(1500年代以降)だけをみても、ヨーロッパ諸国は頻繁に戦争をしていますし、そのヨーロッパ諸国を主体として、アジア・アフリカ・アメリカ新大陸でも侵略的な戦いが行われました。あげくの果てに世界大戦です。

近代以前でも、さまざまな国がおこったり滅びたり、領土を広げたりというのは、結局は戦争をしているのです。この何千年のあいだ、世界はおおむねいつも「戦国時代」だった、といってもいい。

しかし、1900年代後半のアメリカは、国際社会の「警察」「裁判官」に準ずるような役割を果たしていました。もちろんそれは「世界統一政府」的な権力とは大きな隔たりがあります。

1900年代後半にも、世界各地ではさまざまな戦争がありました。それでも、1900年代後半の世界では、アメリカの存在が国際社会の「戦国時代」的な本質を、かなりおさえこんでいたのは事実でしょう。

アメリカの覇権の後退は、国際社会の本質が「戦国時代」であることを、再びあきらかにするはずです。

それは、かならずしも世界大戦のような大戦争に直接つながるということではないでしょう。

しかし、「自国優先」を掲げる利害や立場を異にする国ぐにがせめぎあい、ときにはげしく対立し、一方で利害が一致すれば、協力したり同盟したりする。そのような局所的な対立や同盟が、あちこちで起こる。

その動きを仕切る有力な存在はなく、もちろん国のあいだのもめごとをさばく警察官や裁判官はいない。

トランプ大統領は2017年1月の就任演説でも、これまで述べてきた「アメリカ優先」という原則をあらためて強く主張していました。そして、ほかの国もアメリカにならえばよい、と。

これは、「世界は戦国時代に戻る」という宣言です。


国家の「統治」的活動の強化

戦国時代的な国際社会では、それぞれの国は、ほかの国ぐに(油断のならない危険な存在)に対し対抗できるだけの力や体制を強化することが求められます。

その最も切実な要素が、国防・軍事にかかわることです。

軍隊そのものの組織や装備を強化するだけではありません。有事の際に、社会全体が軍を支える体制を築く必要があります。いざというとき国全体が安全保障のために結集できるようにする。その体制の邪魔になる反対者を排除するしくみも、当然重要になります。

日本でも、現総理をはじめ一部の政治家は、この問題をこれまで以上に真剣に考えていることでしょう。一方でその動きをおおいに危惧している人たちもいます。

「外敵から自分たちの社会を守る」という機能や目的は、国家にとって最も根本的なものです。近代国家では、国民であれば否応なくそのための国家の活動に動員されてしまう。直接軍隊にとられることがなくても、何らかの協力や関与、あるいは犠牲を求められる。

そして、そのような動員をするだけの力を、行政の発達した現代の国家は持っています。第二次世界大戦のときなどよりもはるかに、です。

「社会を外敵から守る」「そのために国民を動員する」「動員の体制やしくみをつくる」というのは、法の体系では「公法」といわれる分野の活動です。政治学の言葉でいえば国家の「統治」的な活動です。

「戦国時代」的な本質があらわになった国際社会では、国家の「公法」あるいは「統治」的な活動は、強化されることになるでしょう。逆にそれができなかった国は、「戦国」の世のなかで不利な立場になる。

「公法」「統治」の面では、国家や政府の存在感は、今後大きくなるのではないか。今のように国際情勢が不透明さを増すときには、ばくぜんと「国家の解体」みたいなことをいう人がたまにいますが、まちがいだと思います。


「行政」面での劣化

しかし一方で、国家の存在感が薄くなったり、機能が弱体化したりする領域もあるのではないか。

ここでいう「統治」以外にも、国家の重要な役割はあります。国民の生活により密接な、さまざまな規制や利害調整、サービス、福祉などにかかわる領域です。これは「行政」といいます。

国家の能力は有限です。だから、国防や治安などの「統治」についての国の仕事や予算が増えると、「行政」の面が割を食うことになります。

目につきやすい分野でいうと、社会保障や福祉、学校教育、さまざまなインフラや公共施設の維持管理といった部分で、国の仕事が劣化していく恐れがあるということです。少なくとも、今後ますます増大するであろう国民の期待やニーズに対応できなくなっていく。期待とのギャップが大きくなっていくのです。

つまり、年金の支給額が減ったり、公立学校がひどく荒れたり、傷んだ水道管や道路が放置されたり、公園や図書館が閉鎖されたりする恐れがあるわけです。

経済発展が急速な新興国なら、経済とともに政府の規模や予算も大きくなっていくので、こういう問題は顕在化しないのかもしれません。

しかし、経済成長が停滞する一方で財政の悪化に苦しむ先進国では、「行政の劣化」の問題は深刻になるはずです。先進国では、政府の予算や人員などを大幅に増やすことはできないので、「統治」を拡充すれば「行政」を削減せざるを得ないのです。

ただし、「行政の劣化」の恐れは、「アメリカの覇権の後退→各国の“統治”の強化」ということ以前に、先進国では財政の悪化(おもに高齢化にともなう社会保障費などの負担増による)という面から問題が生じつつあります。

だから、アメリカの覇権の後退→各国の統治の強化(“行政”が割を食う)という流れは、すでに生じつつあることを後押しするものといえるでしょう。


「国家に代わる存在」による補完

では、国家における「行政の劣化」が進むと、社会のなかでどういう動きが出てくるでしょうか。

政府が生活に密着したサービスを十分に供給し得ない社会では、その不足を埋める活動へのニーズが高まるでしょう。かつて国家が行っていたことを、国家以外の存在が行おうとする動きです。

そのような「国家に代わる存在」としては、有力な企業、NPOやNGOなどの民間組織、さらにプライベートなサークルなどの人のつながりといったものが考えられます。

それから、国家財政が疲弊しても、地方・地域によっては経済力があって財政が充実していることがあるので、そのような「有力な地方自治体」という存在も、国家に代わるものとして考えられます。

地方自治体は、ここでいう「国家」「政府」の一部ではありますが、全体として弱った国家の「行政」的な機能を補完する存在として期待が高まるケースがあり得る、ということです。

つまり、首相や大統領に暮らしを守ってもらう、というだけでなく、どこかの社長・CEOや民間組織のリーダーや一部の知事や市長に守ってもらう、ということがクローズアップされてくるのです。

これにかかわる現象はあちこちで起こっています。

最近の一部の大企業は、従来の「株主利益優先」を改めて、公益への貢献を意識した動きをしています。

NPOへの関心は、日本ではこの10数年で急速に高まりました。「政府はもう頼れないから、仲間とのつながりがセーフティーネットになる」といったことは、最近はかなり言われています。

また、有力な自治体で注目を浴びる知事があらわれ、もてはやされたりもしている。

これは、主体的・積極的な立場で考えれば「国家に代わって新しいサービスをつくりだす活動は、これからの社会ではきわめて意義がある」ということです。企業の公益的な活動、NPOやNGO、ある種のコミュニティで重要な役割を果たすことが、これまで以上に評価されるということです。

やや受け身の立場で考えると、「国家に代わる存在にうまくアクセスして、そのサービスを享受することが自分を守ることだ」という発想になるでしょう。「国家に代わる存在」は、国家ほど幅広く万人に開かれた存在ではないので、主体的にアクセスしないとそのサービスや保護を受けられません。

これは、国家の枠組みが崩壊するということではありません。

国を外部の脅威から守ったり、治安や秩序を維持したりといった政府の活動によって、社会が国としてまとまっている状態は維持されるでしょう。

そのように、国家によって治安や秩序が維持されないと、企業もNPOも個人も安定した活動はできません。国家は依然として個人や組織が存在するための基礎的な枠組みなのです。

しかし、政府による国民へのきめ細かいサービスは後退する恐れがあるので、それに伴っていろいろな変化があるだろう、ということです。

以上、アメリカというこれまでの「中心=覇権国」の衰退・後退に伴って(とくに先進国で)何がおきるか、について考えてみました。

このように、大きくものごとをみて連想や推論を広げていくことは、ときどき行ったらいいと思います。もしも「読み」が当たらなかったとしても、これから起こることをより深く認識するための視点や手がかりにはなるはずです。


(注)
*アメリカの覇権の後退によって、戦国時代的な国際社会が再びあらわれるという見方は、すでに“「Gゼロ」後の世界”といういい方で、イアン・ブレマーという人が以前から述べています。ブレマーによる2012年の著作『「Gゼロ」後の世界』(日本経済新聞出版社)は、今あらためて読むと、見事だと思います。数年前の本ですが、今現在や近未来の状況を理解するのに、おおいに参考になります。

また、アメリカの覇権の衰退やその影響については、私が若いころから影響を受けてきた政治学者・滝村隆一さんも、ブレマーと重なる見解を述べています(『国家論大綱 第二巻』勁草書房、2014年)。国際社会の基本が「戦国時代」であるという見方や、国家の「統治」的活動といった概念は、滝村さんからのものです。私は、ブレマーや滝村さんの主張を、自分なりに編集・要約して述べているつもりです。

(以上)
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2017年08月16日 (水) | Edit |
今回の記事は、もともとは若い人が編集・発行する小さな雑誌にのせるためにまとめたものですが、その雑誌が出せないことになったので、当ブログにアップすることにしました。



日本のすべての法令を分類する

みえてくる社会のしくみ


この日本には、どんな法律があるのか、それはどのくらいの分量なのか――そんなことは考えたことがない、という人が多いと思います。でもこれは、世の中のしくみを知るうえでそれなりに大事なことなのです。


日本の法令を全部集めた本は?

では、「日本で現在通用している法令(法律やそれに準じた政令など)を全部集めた紙の本」というのは、あると思いますか?

『六法全書』(発行・有斐閣)などがあるのでは?と思うかもしれません。でもあれは、主要な法令だけを集めたもので、全部を集めたのではありません。

なお、「六法」とは、憲法、民法、商法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法の6つをいいます。法律はこの6つ以外にも数多くありますが、「この6つがとくに代表的で重要」ということです。また、いろいろな法令を集めた本(法典集)のことを一般に「六法」といいます。

***

日本の今の法令を全部集めた紙の本というのは、あります。

『現行法規総覧』と『現行日本法規』という2つの本です。『現行法規総覧』は衆議院・参議院の両院の法制局で、『現行日本法規』は法務省で編集しています。どちらも「加除式」といって、法令の改正に応じてページをさしかえる方式です。両者はほぼ同内容ですので、ここでは『現行法規総覧』(発行は出版社の第一法規)に沿って話をすすめます。

「法令」とは、「法律」と「命令」の両方のことです。法律は、国会で制定された社会のルールです。命令は、法律の枠内で内閣や各省庁などの行政機関がつくったルールで、内閣による「政令」と、各省庁の大臣による「省令」などがあります。命令にも法律のように政府や国民を拘束する効力があります。

法律は基本的なルールで、細かいことを規定していないことも多いです。命令(政令や省令など)で細かいことを決めているのです。なお、「法規」という言葉は、法令とほぼ同じ意味で使われます。*1


『現行法規総覧』の分量

では、『現行法規総覧』は、どのくらいの分量になると思いますか?

これは、「全何巻くらいか」で考えてみます。『現行法規総覧』の1巻は、2000~4000ページです。1ページは2段組みになっていて、日本国憲法なら5~10カ条ほどの条文がのっています。

おおまかに「『現行法規総覧』の1巻には百科事典1冊分くらいの情報が書かれている」とイメージしていいでしょう。

それが何冊分あるのか?――10冊分、30冊分、100冊分? それとももっと多い?
 
***

私が調べた2001年11月時点では、『現行法規総覧』は本文が98巻、索引が5巻で、計103巻です。本文98巻の総ページ数(目次除く)は、27万ページになります。*2

このおよそ100巻に、日本という国家・社会をどう運営するかについてのルールが詰まっています。それは「法令というコードで書かれた日本国の設計図」といっていいでしょう。あるいは、「日本国という巨大な怪物の遺伝情報」といってもいいです。


どんな法令が大きな比重を占めるか

では、この27万ページのなかでは、どんな法令が最も大きな比重を占めているのでしょうか?

それを考えるには、そもそも「どんな法令があるのか」のイメージが必要です。そこで『六法全書』で、法令をどう分類しているかをみてみましょう。(分類の名称は『六法全書』によるが、説明は筆者・そういちによる)

(法令の分類)
①公法…国の根本的な法である憲法、政府の組織と運営に関する法令(憲法、国会法、裁判所法、行政手続法、地方自治法、警察法、教育基本法、所得税法など)

②民事法…個人の権利関係や商取引に関する法令(民法、商法、会社法、民事訴訟法など)

③刑事法…犯罪の処罰や防止に関する法令(刑法、監獄法、刑事訴訟法など)

④社会法…福祉・社会保障、保健衛生、労働、環境に関する法令(健康保険法、生活保護法、労働基準法など)

⑤産業法…経済活動や業界への規制・支援(独占禁止法、銀行法、農地法、建設業法、鉄道事業法、電波法など)

⑥条約…外国との取り決め(国連憲章、日米安保条約など)

条約も、政府の活動や国民生活を規制(≒拘束・制限)するので、広い意味での法令だといえます。

では、①公法、②民事法、③刑事法、④社会法、⑤産業法、⑥条約 のうち、『現行法規総覧』で最も多くのページを占めているのは、どれだと思いますか?

***

『現行法規総覧』(2001年11月確認)のページ数の内訳は、つぎのようになっています。

日本の法令白黒

①公法(憲法や政府の組織・運営) …8.2万㌻(全体の30%)
②民事法(個人の権利関係・商取引など) …0.8万㌻(3%)
③刑事法(犯罪の処罰・防止) …0.2万㌻(0.7%)
④社会法(福祉・社会保障や労働など) …2.5万㌻(9%)
⑤産業法(業界規制など) …10.6万㌻(39%)
⑥条約(外国との取り決め) …4.6万㌻(17%)
合計 26.9万㌻

このデータはやや古いですが、基本的な状況は今も変わらないとみていいです。

最も大きな比重を占めるのは⑤産業法で、全体の約4割。つぎは①公法で、全体の3割です。

一方、②民事法には民法・商法などの、③刑事法には刑法などの基本的で重要な法律が含まれますが、全体に占めるページ数は多くありません。

日本の法令の分類グラフ

さらに細かく分類したグラフを書くと、次のようになります。

現行の全法令

⑤産業法でページ数が多いのは、鉄道事業法、道路運送法などの「交通・運輸」(2.4万㌻)と、農地法などの「農林水産」(1.7万㌻)に関するものです。交通・運輸の規制は、昔から政府の重要な仕事だったので、それを反映しています。

また「農林水産」の法令は、農業などが今の経済に占める比重の割に、かなり多いです。小売業や機械・化学・繊維などの、製造業に関するさまざまな法令を含む「商工業」(1.0万㌻)よりも多いのです。農業に対する多くの規制や保護があることのあらわれです。

①公法で最も重要なのは、憲法とその関連法令(4000㌻)や、「国会・選挙」(2500㌻)に関する法令(国会法・公職選挙法など)ですが、それらは公法のなかのほんの一部です。

公法にはこのほか、内閣法や行政手続法などの「行政一般」(9000㌻)、地方自治法などの「地方自治」(1.1万㌻)、裁判法などの「司法・法務」(5000㌻)のほか、「警察・消防」「教育・文化」「財政」「国土計画」「国防」「外交」と、さまざまな分野があります。

つまり、今の法令でとくに大きな比重を占めるのは、「政府の組織・運営(公法)」「業界の規制(産業法)」などの行政にかかわるものです。「行政」とは、「政府(国と地方自治体)が政策のために積極的な・踏み込んだ規制やサービスを行うこと」です。*3

そのような「政府の組織・仕事」に関する法令をまとめて、「行政法」といいます。民法や刑法のような意味での「行政法」という法律があるわけではなく、広い範囲の法律を含む総称です。

福祉・社会保障や労働などにかかわる社会法も、政府による積極的な規制やサービスについて定める、行政法的なものといえます。これに対し民事法は、一般的な商取引などの国民の私的な活動に関するものです。刑事法は、政府による規制としては消極的な最低限のルールです。

つまり、今の日本の法令で分量の大部分を占めるのは、行政法といわれる分野です。


政府の変化と法令の変化

昔(明治時代~昭和の戦前期)は、産業法や社会法は、今ほど大きな比重を占めていませんでした。

つぎのグラフは、1918年(大正7、第一次世界大戦終結の年)の日本の法令をすべて集めた『現行法令輯覧(しゅうらん)(大正七年版)』(内閣記録課編・帝国地方行政学会刊)という本のページ数の内訳です。分類の仕方は、上記のグラフとだいたい同じです。

『現行法令輯覧』は、上下2巻で4800ページですが、『現行法規総覧』よりも本のサイズが大きく、文字もびっしり詰まっています。1ページあたりの情報量は、『現行法規総覧』の数倍~10倍ほどです。そこで、当時の法令の分量は、現在(2001年)の『現行法規総覧』の数万ページ分=今の10分の1~数分の1だったと考えられます。

大正の全法令

1918年当時、法令のなかで圧倒的に大きな比重を占めていたのは、政府の組織・運営を定めた①公法で、全体の56%でした。

現在は39%を占める⑤産業法は27%で、今ほど大きくありません。④社会法は現在の9%に対し、当時は3%でした。現在17%を占める⑥条約は、4%です。そのぶん②民事法、③刑事法の占める割合が大きくなっています。

昔の政府は、規制やサービスを今ほどは行いませんでした。それが戦後(1945年以後)になって、福祉を充実させたり、企業に対する規制を強めたりしました。国際的な交流も活発になりました。
 
政府の活動は、法律とそれに基づく命令に従って行われます。これは、「根拠になる法律がないと政府は動けない」ということです。だから、政府の活動範囲が広がると、それに応じて法律は増えていきます。*4

④社会法、⑤産業法、⑥条約は、政府の活動範囲が拡大・変化したことで大きくなった分野なのです。


特殊六法の世界

ところで、「六法」と名のつく本には、『六法全書』のように「いろいろな分野の主要法令を集めた本」のほかに、特定の分野や業界にかかわる法令だけを集めたものもあります。こうした本を「特殊六法」といいます。

企業や役所などにとって、自分たちの業界に関する法令を知ることは必要なので、そのニーズにこたえる本です。民間の出版社が編集・発行しています。

たとえば、鉄道関係者(鉄道会社や国土交通省などの人たち)のために『鉄道六法』という本があります。トラックやバス・タクシーの関係者には『自動車六法』があり、人事・労務の担当者のためには『人事六法』や『労働法全書』があります。

証券業界の人には『証券六法』、不動産業界の人には『不動産六法』、医療関係者には『医療六法』、自治体の職員には『自治六法』、学校関係者には『教育六法』、警察官には『警察六法』、そのほかにも『環境六法』『登記六法』『栄養・調理六法』『廃棄物・リサイクル六法』『スポーツ六法』等々……さまざまな分野の特殊六法があります。

これらの特殊六法は、行政法的な法令をおもにおさめています。

最近は、インターネットによる法令の検索という手段もありますが、企業や役所では、オフィスのどこかに、自分たちの業界や仕事に関する特殊六法が置いてあることが多いのです。

 
知っておくべきこと 

ここまでをまとめると、つぎのとおりです。

・世の中には、社会のさまざまな分野をカバーするぼう大な法令が存在する。憲法、民法、刑法などのよく耳にする法律は、法令全体のなかのほんの一部である。(ただし、分量は小さくても、影響の大きな重要な法律ではある)

・法令の大部分は、「政府の組織・運営」や「政府が積極的に行う規制やサービス」に関する行政法的なものである。

そこで、今の社会で活動的な人は、行政法と向き合わざるを得ないのです。企業や役所で責任のある仕事をしている人は、とくにそうです。

たとえば企業で新しく店を出す、工場を建てるといったとき、さまざまな許認可を得ないといけません。許認可とは、法律で規制されていることについて、行うための承認を役所から得ることです。法律によって「免許」「許可」「認可」「届出」などいろいろないい方をしますが、それらをまとめてここでは「許認可」といいましょう。

スーパーマーケットであれば、各種の食品販売(乳類・食肉・魚介類・酒類など)、飲食店営業、建築、消防、労務等々に関する許認可の手続きをしないといけない。つまり、それぞれの分野の法令の基準を満たすようにすべてを整えて、説明する書類を所管の役所に提出するのです。

個人でも、消費者ではなく何かをつくる側になろうとすれば、行政法がかかわることが多々あります。小規模であっても起業するなら、行おうとするビジネスについて、それを規制している法令はないか、許認可の手続きはどうなっているかを確認しないといけません。

許認可なしで、カフェやカットサロンや古本屋を営むことは、法令違反です(刑事罰の対象になる)。カフェは食品衛生法、カットサロンは美容師法、古本屋は古物営業法に基づく営業許可が必要です。*5


ベンチを置くには

もっと限られたことをする場合でも、行政法がかかわることがあります。

たとえば、近所の公道に、みんなが休憩するベンチを置こうとしたとします。行政に頼むのではなく、自分でベンチを用意して設置しようと考えた。

それならば、道路法に基づいて「道路占用許可」というものを「道路管理者」から得ないといけません。道路管理者とは、原則として国・都道府県・市町村のいずれかです。国道なら国土交通省の国道事務所など、県道なら県の、市道なら市の道路管理課(名称は自治体により異なる)が担当です。

もしも許可を得ないでベンチを置いたら、法令違反です。「ここにベンチを置けば、みんなが喜ぶのだからいいじゃないか」というわけにはいかないのです。

占用許可にあたっては、ベンチの材質・形状、設置の場所や方法、道路交通への影響などについて審査されます。場合によっては、道路交通を管轄する警察からも承認を得る必要があります。そして、原則として一定の占用料を、道路管理者に対し定期的に支払わないといけない。

たかがベンチひとつで、面倒ですね。

でも、道路占用許可のような規制がなかったら、公道を占拠するいろんなものがあふれて、多くの人が迷惑する恐れがあります。規制には、やはりそれなりの理由があります。


教わる機会が少ない

私たちが学校の授業でよく教わる法令といえば、おそらく憲法の「平和」や「人権」に関する部分です。テレビのドラマやバラエティで法律が出てくるときは、民法や刑法にかかわることが多いです。行政法的な話は、学校でもメディアでも触れる機会が少ないです。

しかし、これまでみてきたように、行政法のさまざまな規制は、社会のなかできわめて重要なものです。社会の中で活発に動こうとすれば、関係する分野の行政法的なルールを知って、対処することが求められます。

こういうことは、社会についての基本知識なのですが、きちんと教わる機会がなかなかありません。

私(そういち)は、大学は法学部でした。しかし若手社員のときに、会社の事業(運輸関係)の許認可手続きを担当してはじめて、「この社会には大小さまざまの、多くの規制や許認可というものがある」ことがよくわかりました。

教科書で行政法の概論を少しはかじったはずですが、「社会の現場における許認可」のイメージは、つかめませんでした。

また、会社でも許認可の担当者や管理職以外は、会社の事業に関する法令について、特別な機会がなければ、それほどは意識しない傾向がありました。

これはコンプライアンス(法令遵守)ができていない、ということではありません。

社員は社内の規則やマニュアルを守って仕事をしており、そうであれば法令遵守はできるのです。ただ、マニュアル等の根拠となる法令にまでは普段は関心を持たない、ということです。たとえば飲食店のスタッフでも、食品衛生法の条文そのものを勉強している人は、かぎられるはずです。

しかし多くの場合、何かで本格的な専門家になりたければ、その分野を規制する法令を知っておくべきなのです。

行政の許認可については、煩雑で硬直的である、社会の発展をさまたげているといった批判もあります。「規制緩和」の議論です。そのことには、ここでは踏み込みません。

それよりもまず、「行政法の世界というものがあり、それは社会の隅々にまで大きな影響を与えている」という現実をおさえることです。それはこの社会を積極的に生きるうえで、役立つ知識のはずです。

「日本のすべての法令を分類する」ことで、私たちは行政法の世界が法令全体のなかでどんな位置を占めるのかをみることができます。それは、法や社会について、多くの人が見落としがちな部分に光をあてることなのです。

(以上)

注・補足

*本稿は、2001年12月と2002年2月に、教育研究団体の楽(らく)知(ち)ん研究所が主催するワークショップ・研究会で発表したレポートに、大幅な加筆・修正を加えたものである。

*1 政令・省令は、具体的には「○○法施行(しこう)令」「○○法施行(しこう)規則」などの名称になる。どれも法律の細則(細かなルール)であるが、多くの場合、施行規則で施行令よりもさらに詳細なことや手続きなどを定めている。法律で何でも決めようとすると、国会で法案を通すのには時間がかかるので、柔軟な対応ができない。そこで(あくまで法律の枠内で)内閣や大臣の権限で細かなルールを決めることになっている。

また、詳細な事柄は、「通達」などで対応する場合も多い。通達は、役所の中での法令の解釈・運用の方針を定めたもので、上位の役所が組織内の下位の役所に出した指示である。通達は国民を直接拘束するものではなく、正式には法令とはいえない。しかし、役所の対応のあり方を決めるものなので、現実には法令に近い影響力がある。

*2 『現行法規総覧』『現行日本法規』は、都道府県立の図書館や大きな市の図書館などで、みることができるだろう。法令の調べ方については、国立国会図書館のウェブサイト「リサーチ・ナビ」の「日本の法令の調べ方」のページが参考になる。

*3 行政の定義としてはこのほかに、国の権力を「立法(国会など)」「行政」「司法(裁判所など)」の3つでとらえる三権分立の考え方に基づき、立法と司法を除く国家の役割全般をさすことも多い。この場合は、刑事法の分野も行政の一部と考え得る。ここでは、より積極的な政府の活動として行政をとらえる立場(行政法の専門家のあいだではひとつの有力な見方)で説明している。

*4 「根拠になる法律がないと政府は動けない」という考え方は、行政法学では「法律による行政の原理」という。つまり、「行政は法律に従わなければならない」という原則。とくに、国民の権利や財産を侵害する場合には、法律上の根拠が厳格に求められる。映画『シン・ゴジラ』(2016年公開)では、ゴジラとたたかう自衛隊の活動について、政府関係者が法的な根拠を検討するシーンがある。ゴジラを「敵国からの侵略」とみなし、安全保障関連の法律を根拠にするのか?――いや、ゴジラはやはり「国」ではない。では、「自然災害」ととらえて、災害対策の法律でいくのか――そんな検討をしていた。

*5 たとえば美容師法第12条には“美容所の開設者は、その美容所の構造設備について都道府県知事(筆者注:具体的には保健所)の検査を受け、その構造設備が第13条の措置を講ずるに適する旨の確認を受けた後でなければ、当該美容所を使用してはならない”とある。そして同法の第13条では“美容所の開設者は、美容所につき、次に掲げる措置を講じなくてはならない”として“1.常に清潔に保つこと”“2.消毒設備を設けること”等を定めている。さらに、それらの措置に関して、美容師法施行規則に細かい規定がある。たとえば同施行則第25条では、かみそりの消毒について“沸騰後2分以上煮沸する方法”“エタノール水溶液(エタノールが76.9パーセント以上81.4パーセント以下である水溶液をいう…)中に十分以上浸す方法”等々……のいずれかによらなくてはならない、としている。

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2017年07月14日 (金) | Edit |
最近、世界史と日本史のかかわりについて考える機会があったので、簡単にメモしておきます。

私は、日本史についてはあまり論じてきませんでした。でも、拙著『一気にわかる世界史』(日本実業出版社)の読者からのお便りで「日本史の本も書いて」といった声も複数いただきました。当然ながら「歴史を学ぶ」というとき、日本史へのニーズというのは、つよくあるわけです。世界史以上にあります。

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どの国もそうですが、日本の社会や文化も、その歴史のなかで外国の影響を受けて形成されてきました。何もかもをその国のオリジナルでつくりあげた国や民族は存在しません。

世界と日本史のつながりをみるときは、「世界史上のどの国が、日本にどのような影響を与えたか」という視点が、まず重要です。

そうやってみてみると、世界史上の各時代において最も繁栄していた、あるいは最先端で活気があった、という国が、日本に大きな影響を与えてきたということがわかります。

まず、600~700年代の飛鳥・奈良時代。「律令国家」といわれる天皇中心の体制が形成されていく時代です。このときは、中国の唐が日本に大きな影響を与えました。唐は当時の日本にとって先生でした。

当時の唐は、東アジアにおいて圧倒的な大国だったというだけではなく、世界全体を見渡しても最大・最強の国家でした。400年代に西ローマ帝国が滅びて、イスラム帝国(600年代以降)が形成されてまだ間もないという状況のなかでは、文化的な面も含めた総合力において、600年代~700年頃の唐は「世界の中心」といえる存在だったのです。

唐が滅びたあとも、日本は中国の歴代王朝から影響を受け続けます。唐が衰退してからは遣唐使が廃止されたりするわけですが、正式の国交がなくなっても、中国との交流がなくなったわけではありません。

唐から宋(1000年頃最盛)あたりまでは、世界史における中国の絶頂期といえます。あるいは、その後の元(1300年頃最盛)、明(1400年頃最盛)の頃までを「絶頂」に含めてもいいかもしれません。つまり、中国が世界の文明の先端を歩む超大国であった時代。そのような絶頂期の中国から、飛鳥・奈良・平安・鎌倉・室町の日本は学んで、今につながる社会や文化の基礎を形成したのです。

その中で1200年代には、モンゴル帝国(元)の大軍がせめてきました(文永の役1274、弘安の役1281)。1200年代の世界は、モンゴル人が制覇していました。侵略という悪しきかたちで、当時の世界最大の勢力から強い影響を受けたわけです。

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その後戦国時代の1500年代になると、ヨーロッパ人が日本にやってきます。最初はポルトガル人とスペイン人が、のちにオランダ人やイギリス人もやってきます。ポルトガル人が種子島に漂着して鉄砲を伝えたのが1543年です。

とくに当時のスペインは、ラテンアメリカとアジアに広大な植民地を持つ、ヨーロッパ最強の国家でした。中国やイスラムの大国と比べれば、国全体のスケールやパワーで優っていたとはいえませんが、やはり最先端をいく大国でした。

当時のヨーロッパは、航海術や軍事技術では世界の最先端にありました。その技術の中心は、銃や大砲などの火器です。日本はこの火器の技術を急速に習得したわけです。戦国末期の天下統一がなされようとしていた時代の日本には、ヨーロッパの大国にも匹敵する(あるいは上回る)火縄銃があったともいわれます。

江戸時代になると、日本はいわゆる「鎖国」に入り、ヨーロッパの国ではオランダにかぎって関係を続けることになりました。当時、つまり1600年代から1700年代初頭までのオランダは、ヨーロッパで最も繁栄した先進的な国でした。その国とだけつきあっても「世界のことが相当にわかる」という国だったのです。

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そして、幕末~明治(1850年頃~1900年頃)において日本に最も影響を与えた外国といえば、イギリスとアメリカです。明治維新(1868)の頃のイギリスは「大英帝国」として世界に君臨していましたし、アメリカも新興の大国として頭角をあらわしていました。アメリカは1800年代末には、工業生産でイギリスを抜いて世界一になります。

明治初期において、日本の最大の貿易相手国はイギリスでした。また、日本人の留学先のトップは、明治初期にはアメリカだったのです。ただし、留学先は明治後期(1890年頃以降)には、ドイツがトップになっています。ドイツは1800年代後半以降急速に発展して、1900年代初頭にはヨーロッパ最大の工業国となっていました。日本人は、そのようなドイツに注目して学ぼうとしたのです。

そして、第二次世界大戦後から現在。これはもう、圧倒的に超大国・アメリカの影響を受けてきました。良しにつけ悪しきにつけ、です。その一方で冷戦時代(とくに1950~60年代)には、アメリカのライバルであったソヴィェト連邦が発信する社会主義の思想にも、日本の多くの人びと(とくに知識人)は影響を受けたのです。

さらに1990年代以降は、新興国として台頭してきた中国の影響を強く受けています。ただし、中国との関係ではまだ日本が「先進国」の立場であって、中国のほうが日本から多くを学んでいるという状態です。

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さて、このようにしてみると、日本という国は世界史において主役をはるスターであったことはないのですが、それぞれの時代の主役・スターとはかなり深くからんできたということがわかります。

つまり、世界史の本流といえる先端的な流れから落ちこぼれることなく、歩んできたということです。1000数百年にわたって世界史の先端に食らいつき、真剣に学んできた結果、今の日本があります。

幸せだったのは「先端的な流れ(当時の最強の国)」と深くかかわっても、征服されることなく(ほぼ)独立を保てたことです。それは祖先の才覚や努力のたまものといえるのでしょうが、東アジアの端にある島国というロケーションも有利に作用したことは、まちがいないでしょう。

このように、日本という国は「世界史のなかで育った」といえます。そのことが顕著な国だといえるでしょう。

ということは、日本が今後も繁栄を続けようとするならば「世界史の先端的な本流の流れ」から目を背けてはいけないわけです。

そして、今の時代の難しさは「何が世界史の本流か」が以前ほどは明確ではないということです。それはまず、日本自身が世界史の先端に立つ先進国となったことによります。同時に「近代社会」の発展ということ自体が、これまでとはちがう領域に入ってきているということもあるように思います。このことはまたあらためて。

(以上)
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